気象管制・報道管制下の台風

太平洋戦争中の気象管制・報道管制下の日本を襲ったおもな台風は5つほどありますが,その中で最も大きな死者・不明者を出したのは1942年8月27日に長崎県に上陸した台風です。周防灘台風とよばれます。

この台風はサイパン島の東方海上から北西に進み,奄美大島の北方で転向,27日夕方長崎付近に上陸後,対馬海峡から日本海にはいり北東に進んでいきました。九州に接近する直前の中心気圧は今の単位で935~940hPa程度と推定される強い台風で(ちなみに,当時はmmHg=粍を使っていた),日本列島が台風の進行方向右側にはいったため,西日本の広い範囲が暴風域にはいりました。

さらに,台風の通過が満潮時と重なったため,瀬戸内海西部などで大規模な高潮が発生,とくに周防灘は200年来という高潮に見舞われました。

下関測候所による関門海峡の潮位は,27日18時には290cmだったのが19時330cm,20時380cmに上昇,台風が日本海に抜けてからの21時に430cm,23時前には460cmまで上昇しました。

この台風による被害は,中央気象台『気象災害年表』によると,死亡・不明1158人,負傷者1438人,家屋全壊33283戸,同半壊66486戸,同流失2605戸,同浸水132204戸などとなっています。

気象管制や報道管制などというものがなければ,これほど多くの被害を出さなくてもすんだことは間違いありません。その意味で,戦争犯罪人が招いた災害ということもできるでしょう。

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米軍のきわめてまれな善行

1962年8月26日朝,台風14号が潮岬付近に上陸,そのあと三重県から福井県に抜けました。

1962年台風14号経路図

この日の午後,毎度のことながら多摩川でのんきに釣りをしていたマヌケな連中がいました。夏休み最後の日曜日ということもあったのでしょう。

そして,急な増水で中州に取り残されるという,これまたありがちなパターン。しかも折からの17~18m/sの強風で救助隊は立ち往生,警視庁や自衛隊のヘリも離陸できない状態でした。

こうした中,果敢に救助に向かったのは立川基地所属の米軍36空軍救助中隊の大型ヘリ。のちに警視総監から感謝状が贈られました。誤爆しか能のない米軍も,ごくまれにいいことをすることがあるものです。あくまで例外中の例外でしょうけれど。

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露座の大仏 おわします

明応七年八月二十五日ユリウス暦で1498年9月11日),北緯34度,東経138度付近を震源域とするマグニチュード8.2~8.4と推定される巨大地震が発生しました。何代か前の東海地震と考えられており,明応東海地震とよばれます。

津波による被害が大きく,合わせて3万人以上が犠牲になったようです。

現在露座である鎌倉の大仏さまは,昔はちゃんと大仏殿があったのですが,このときの津波で破壊されて露座となったものです。能天気Express~新世界版~ 稲村ヶ崎の奇跡も合わせてご覧下さい。

また,淡水湖だった浜名湖の南側が津波に洗われて海とつながりました。

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50万人の足が奪われたJR東日本の体たらく

1999年8月24日,寒冷前線の通過により,首都圏は夕方から夜にかけて激しい雷雨となりました。この影響で,山手,中央,京浜東北線が相次いで運転見合わせ。それだけならともかく,バックアップ用の送電線まで被雷するというお粗末ぶりを発揮しました。

 寒冷前線の通過に伴い、首都圏は24日夕から夜にかけて、激しい雷雨に見舞われた。落雷により、JR東日本では山手、中央、京浜東北など12線が午後6時半前から相次いで運転を見合わせた。営団地下鉄や西武線も一部区間で一時、運転中止となった。各線のダイヤの乱れは25日未明まで続き、約50万人に影響が出た。JR東日本は「落雷事故としては会社発足以来最大」としている。気象庁によると、東京都練馬区で1時間に60ミリを超える雨量を観測した。東京・多摩地区では延べ12万3000世帯が一時停電したほか、神奈川県や埼玉県でも一部地域で停電した。
 JR東日本によると、午後6時25分ごろ、東京都昭島市のJR拝島駅付近で落雷があり、付近の信号機がすべて赤表示となった。このため、青梅線などで運転を中止した。

 午後7時20分ごろには、都内の小金井市と横浜市を結ぶ送電線に落雷。首都圏7路線への送電が一斉に止まり、中央、山手、京浜東北、高崎線などがストップした。別の変電所からの送電に切り替え、1時間から2時間後に順次運転が再開された。

 しかし、中央快速線豊田駅近くの信号故障で再開に手間取り、運転再開は25日午前零時半過ぎとなった。満員の乗客を乗せた電車数本が、3時間以上にわたって駅間で立ち往生したり、飯田橋駅付近で一部の乗客を線路上に降ろしたりした。埼京線も保安装置の故障で再開が遅れた。
 横浜線や南武線も別の落雷の影響で運転を中止したほか、営団地下鉄東西線や西武拝島線も乱れた。

 東京都の午後11時現在のまとめによると、あきる野市でほぼ全域にあたる2万3000戸、青梅市で3万戸、八王子市で2万戸など計7万4000戸余りが停電した。また、練馬区や青梅市などで9棟が床上、25棟が床下まで浸水したほか、14カ所の道路が冠水し、瑞穂町の都道2カ所が通行止めになった。
 東京電力によると、神奈川県内では午後7時すぎから横浜市鶴見区と川崎市中原区で延べ8920世帯が、埼玉県内でも午後6時半ごろから浦和、所沢、川越などで延べ6750世帯が停電した。(01:09)
asahi.com 1999/08/25(Wed)

ちなみに,中央線が止まったのはσ(^^;)が駅を出た直後でした。というわけで,間一髪で難を逃れました。

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船遊び中 娘二人溺る

1922年8月23日,北西に進んできた颱風が,小笠原諸島の西を通って八丈島の南西まで達していました。

中央気象台ではこのまま北西に進むと予想しており,新聞にも

東京は助かった 問題の颱風は土佐沖に
四國九州は今日大荒れだらう
(1922.08.23 東京朝日朝刊)

稀有の颱風襲来
大正六年のより更に猛烈でけふ思ひやる關西方面の被害
(1922.08.24 東京朝日朝刊)

などとあります。藤原ハカセは「上陸しないだろう」とも語っています。

ところが,予想に反して颱風はこのあと北東に転向し,24日に東京湾から房総半島に上陸し鹿島灘に抜けることになります。

さて,颱風が東京湾を目指して(?)接近していた23日の夕方,千葉県の寒川海岸(今の千葉市中央区のどこかにあったらしい)から1艘の舟を漕ぎ出した2人の“才媛”がいました。木嶋眞由美(20=仮名)さんと松田倫子(20=仮名)さんです。

風が出てきたので他の友だちが注意を与えたにもかかわらず漕ぎ出してしまった,との証言もあり,これだけを見ると今流にいえば“DQNの船出”のようなものですが,一方で「兩人は海の荒れるのを知りつゝボートで乘出したので或は同性の戀に落ちて情死を計つたのではないか」(1922.08.25 時事新報夕刊)との噂もありました。

2人はのちに水死体となって発見されたこともあり(ただし,残念ながら別々に),今となっては真相はわかりません。

なお,このときの颱風はこの時点ではこの程度の颱風でしたが,約1週間後には台風史に名前を残す颱風になります。日本海軍史に詳しい人なら誰でも知っているはず……だそうです。


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天気予報は黒星スタート

1945年8月22日,天気予報が復活しました。この日12時にラジオで放送された予報についてはいろんな本に出ていますので,ここでは17時に発表された翌日の予報を紹介しておきます。

[關東地方]
北東の風,曇り勝で山岳地方ではなほ驟雨がありませう

というようなものでした。

ところが,すでに房総半島の南東沖に接近していた豆台風が,当時の観測網から完全に漏れていました。

この台風は22日20時ごろ房総半島に上陸,横浜から関東地方北西部を通過し,翌23日能登半島付近からから日本海へ抜けました。東京では,台風が最も接近したと思われる23日00時,風速20.3m/sが観測されました。

豆颱風,關東を荒す
帝都の壕舎三百吹飛ぶ
(8月24日付朝日新聞)

かくして天気予報の復活第1号は惨憺たる黒星となりました。

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台風11号が上陸

2001年8月21日,台風11号が和歌山県串本町付近に上陸しました。

平成13年 台風第11号に関する情報 第74号
 平成13年8月21日19時20分 気象庁予報部発表
(見出し)
台風第11号の中心は、21日19時過ぎ、和歌山県南部(串本町付近)
に上陸しました。
(本文)
なし

最近のことにはあんまり興味が起こりませんので,ネットで拾った新聞記事から。

<台風11号>和歌山・串本付近に上陸 22日朝、関東直撃か(毎日新聞)

 台風11号は21日午後7時すぎ、和歌山県串本町付近に上陸した。和歌山県に台風が上陸したのは98年9月の台風8号以来。四国東部や近畿の中・南部地方、三重県南部が相次いで暴風域に入り、各地でがけ崩れや床下浸水などの被害が出た。大阪管区気象台によると、台風は勢力をやや弱めながら22日午前6時には、甲府市の南西約30キロを中心とする半径110キロの円内に達し、関東地方から東北、北海道へと北上する見込み。

 気象庁の観測(21日午後6時現在)では、中心気圧は970ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は30メートル、中心から半径130キロ以内では風速25メートル以上の暴風となっている。また、中心から半径460キロ以内は風速15メートル以上の強い風が吹いている。

 降り始めから21日午後7時までの雨量は、奈良県・大台ケ原で742ミリに達したほか、和歌山県・那智勝浦717ミリ▽滋賀県彦根市53ミリ▽奈良市33ミリ▽和歌山市29ミリ▽京都市27ミリ▽大阪市19ミリ――などを記録した。

 最大瞬間風速は高知県室戸市の51・3メートル(21日午前9時7分)を最高に、神戸市35・7メートル(同11時32分)▽和歌山県串本町38・2メートル(同午後0時半)▽岡山市30・1メートル(同3時51分)――などを記録した。

 台風による被害は21日午後6時現在、死者が三重で1人、けが人が兵庫、奈良、広島、高知、大阪などで計16人。床下浸水は愛媛、京都などで127戸、建物の一部損壊は香川などで3戸に達した。がけ崩れは奈良県などで10カ所、道路損壊は和歌山、奈良などで3カ所。自主避難を含む避難者は、和歌山、香川、徳島などで計延べ7359人。停電は近畿、四国各地で延べ4万220世帯に上った。

 交通機関にも影響が出た。JRは関西空港線で強風のため朝から深夜まで運転を見合わせたほか、夕方には東海道新幹線の静岡―浜松間が一時運休した。道路では台風の上陸した和歌山県内の国道42号が古座町内で波をかぶり、断続的に通行止めになるなど、和歌山、奈良県両県内で山間部を中心に通行止めが相次いだ。

 空の便は九州、四国方面を中心に欠航が相次いだ。航空各社によると22日は早朝から名古屋、羽田発着の便を中心に欠航が増える見込みという。

[毎日新聞8月21日] ( 2001-08-21-21:49 )


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東京砂漠に干天の慈雨

東京五輪の1964年。この年の夏の東京は空梅雨に加え梅雨明け後は猛暑となって雨はほとんど降らず,7月22日からは最高気温31℃以上の日が延々と続いていました。このため水源地である小河内,村山,山口などの貯水場は湖底が現われ,干上がる寸前にまで追い込まれる状態。東京都は7月21日から35%節減の第三次給水制限,さらに8月6日からは45%節減の第四次給水制限を実施しました。

8月20日の予報も「にわか雨のち晴」。ところが,予報に反して雨はいっこうに降り止まず,21日00時まで61.9mmの大雨となりました。

水源地周辺でもかなりの雨が降り,8月下旬にはいると断続的に雨が降るようになったこともあって,水飢饉の危機はいちおう去りました。

ところで,東京五輪の日程について,はじめのころに出された東京都の案は,7月下旬~8月上旬に開催するというものでした。こんな日程で開催していたらどうなっていたか,想像するだけで楽しいです。

ちなみに,東京五輪の開会式が10月10日に決まった経緯については,当ブログ能天気Express~新世界版~  10月10日は晴れの特異日ではなかったをご覧下さい。晴れの特異日だから10月10日に決まったというのは真っ赤なデタラメです。

ついでですが,代々木につくられた東京五輪の選手村がこのあと9月に台風に襲われることになります。

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予報裏切りまた降った

1977年8月19日の東京は,“晴れ”の予報だったのに,朝から雷雨。

これだけなら単なる予報ハズレ――ですみますが,12日に発表した月遅れのお盆を含む期間の週間予報がみごとなまでのハズれまくりで,「1977年お盆豪雨」と異名をとった雨の連続。やっと青空が戻ると期待した矢先のまたまたハズレでした。

19日付毎日新聞夕刊に

予報裏切りまた降った
板橋で千百戸浸水
「峠越した」はずが…今夏一番の大荒れ

とあります。

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台風5号が鹿児島県西部に上陸

1954年8月18日02時ごろ,台風5号が鹿児島県西部に上陸しました。

台風はその後九州を横断,四国・近畿から中部地方を通過して三陸沖に抜けました。(下図=気象庁HPより作成=参照)

1954年台風5号経路図

この台風によって九州と四国で400mmにのぼる雨が降り,各地で死・不明61,家屋損壊5442,同浸水32265などの被害がありました。

ところで,この台風の進路について,中央気象台と大阪管区気象台は違った観測を発表していました。最も食い違ったのは19日02時前後で,中央気象台の「台風の中心は淡路島付近を北東進中」に対し,大阪管区気象台は「台風は和歌山県御坊付近に上陸し,紀伊半島中部を東北東に進んでいる」としていました。距離にすると100kmも違っていました。

結局,19日05時半ごろ大阪管区側が中央の観測に乗り換えて観測の食い違いは終息するのですが,「台風進路予想の当り外れは毎度繰返すが,現に進行している中心位置を取り違え,同じ天気図に全く違った台風コースを書き入れたのは珍しいという」(8月24日付朝日朝刊)。

これに限らず,1950年代までは中央気象台と大阪管区気象台との“対立”はしばしばあったようです。

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