【2023年版】日本ダービーの芝コース草丈史

約1年ぶりのブログ更新になります。

最近は多くて年に数回程度の更新になってしまっていますが,だがしかし,この時期恒例のこれをやらないわけにはいきません。サボった年もありましたけどね(笑)

開催週の金曜日にJRAの公式サイトで発表される馬場情報から,ダービー週の芝コースの草丈を抜き出して並べてみました。

芝コースの草丈
2023 野芝約6~8センチメートル,洋芝約12~16センチメートル
2022 野芝約8~10センチメートル,洋芝約12~16センチメートル
2021 野芝約8~10センチメートル,洋芝約14~18センチメートル
2020 野芝約10~12センチメートル,洋芝約14~18センチメートル
2019 野芝約10~12センチメートル,洋芝約14~18センチメートル
2018 野芝約10~12センチメートル,洋芝約12~16センチメートル
2017 野芝約10~12cm,洋芝約12~16cm
2016 野芝約10~12cm,洋芝約12~16cm
2015 野芝約10~12cm,洋芝約12~16cm
2014 野芝約10~12cm,洋芝約12~16cm
2013 野芝約6~8cm,洋芝約14~18cm
2012 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2011 野芝約8~10cm,洋芝約12~16cm
2010 野芝約6~8cm,洋芝約12~14cm
2009 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2008 野芝約6~8cm,洋芝約14~18cm
2007 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2006 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2005 開催日の草丈は洋芝12~16cm,野芝6~8cmの予定です。
2004 開催日の草丈は,洋芝12~16cm,野芝11~14cmの予定です。
2003 開催日の草丈は10~12cmの予定です。
2002 開催日の草丈は約10cmの予定です。

昨年に比べて野芝が若干短く設定されるようです。どのような影響があるかはわかりません。

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クラーベセクレタ引退

クラーベセクレタが引退式でファンにお別れ – 競馬ニュース : nikkansports.comより一部引用:

牡馬クラシック2冠制覇など名牝として活躍したクラーベセクレタ(牝6、船橋川島正行)の引退式が19日、地元の船橋競馬場で行われた。

長い間お疲れさまでした。

クラーベセクレタで思い出すのは,2010年大晦日に行なわれた第34回東京2歳優駿牝馬。詳しいレース結果はNARの公式サイトなどを見ていただくとして,2着チェリペタルに3馬身の差をつける圧勝でした。

このレース,競馬場で生で見ていました。例年だと帰省しているのですが,この年は年末~年始に某公営競技(残念ながら(?)競馬ではありません)の予報業務があったので帰省せず,たまたま休みの大晦日に大井競馬場に行ってみたのでした。

大した写真もありませんが,何枚か紹介します。

坂本競馬ゆかりの地をウリにしている立会川駅:

IMG_1026

駅から競馬場のほうにちょっと行ったところにある坂本競馬像:

IMG_1027

レースの写真はこの1枚だけ:

IMG_1040

いちおう,1着と2着の間にシャッターが切られたということにしてあります(笑)

この日は夕映えがきれいでした。

IMG_1042

表彰式:

IMG_1043

語られることもないですが,表彰式前に次のようなハプニング(?)がありました。

ちなみに,私の収支はどうだったかというと……,

東京2歳優駿牝馬は確か2着がいなかったような記憶があります。

2010年はこうして穏やかに暮れていったのでした。

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もう有馬記念ですねぇ

今さらですが,もう有馬記念なんですね。

今では日曜日が1日早くて21日の年は有馬記念は28日になりますから(来年がそう),現行のルールではもっとも早い有馬記念ということになりますね。

史上もっとも早い有馬記念は1975年の12月14日です。当時はラスト1週前に行なわれていて,最終週の定番は中山はステイヤーズステークス中山大障害,阪神は阪神大賞典でした。

有馬記念を12月28日に行なうことができるようになったのは2003年からで,それ以前は協定で中央競馬は12月28日~1月4日は開催できないことになっていました。

その2003年の有馬記念の前日の天気図です。

20131222122454

中山競馬場には未明から雪が降りました。

27日に中山競馬で予定されていた中山大障害(J・GI)は積雪のため中止、来年の1回中山2日目10R(1月10日)に代替開催されることになった。芝コースで行う予定だった平地全5レースもすべてダートに変更。発走時刻も1Rを10時45分に繰り下げ、昼休みなしで全11競走を行った。

中山競馬場のある千葉県北西部は27日未明から雪が降り約5センチ積雪。ダートコースはハロー(馬場整備)をかけ続けたため積もることはなかったが、芝コースはすっかり雪に覆われた。「中山大障害は28日に行うのか」。「代替もせず中止になるのでは?」と厩舎関係者は一時、戸惑いを見せたが、JRAは午前8時、中山大障害の中止とダート変更を決定した。ビッグテースト騎乗で有力視されていた常石騎手は「残念ですが仕方ないこと」と話し、中山を後にした。「GI競走が積雪によって延期となったことは記憶にない」とJRA報道室。なお交流GIでは98年ダービーグランプリ盛岡競馬場)が14センチの降雪のため順延となったことがある。

一面雪景色となった芝コースは除雪作業が行われ、正午までには内、外回りともに雪が取り除かれた。
(スポーツニッポン)

雪が1日遅れていたら面白いことになっていたと思うのは,おそらく私だけでしょう(笑)

さて,今日の有馬記念ですが,次のような印です。

ゴールドシップナカヤマナイトオルフェーヴル
△アドマイヤラクティ
×デスペラード
×ラブイズブーシェ
×トーセンジョーダン

オルフェーヴルが有終の美を飾るのは結果としてそうなるのは喜ばしいと思わないことはないですが,ひねくれ者としては今からそれを期待することはできません。まあ,池添でG1は去年の宝塚記念以来勝ってないわけですし。

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企画展示「名勝負!!」

IMG_5746.JPG

昨日久しぶりに国立国会図書館に行ったら,名勝負!!という企画展示が開催されていました。

どんな展示かというと,企画展示 「名勝負!!」|国立国会図書館―National Diet Libraryより一部引用:

国立国会図書館では、新聞や週刊誌等も含め、様々な資料を文化的資産として収集し、保存しています。このたび、所蔵するスポーツ新聞やスポーツ専門誌等から、20世紀を彩る「名勝負」を伝える資料を集めた展示会を開催します。

野球、サッカー、相撲、柔道、テニス、ラグビー、ゴルフ、競馬、ボクシング、プロレス等のスポーツ競技やオリンピック、さらに、囲碁、将棋の世界から、約90の「名勝負」を選びました。今では貴重となった、昔のスポーツ新聞や懐かしいスポーツ専門誌等々、珍しい資料約160点が一堂に会する、国立国会図書館ならではの展示をお楽しみください。

どうしても野球や相撲が中心になりがちですが,けっこう幅広い種目の“名勝負”が集められています。もっとも,どうしてモータースポーツやK1とかがないんだ? と思う人もいるかもしれません。

私的には,競馬があるのがうれしかったです。次の4つが紹介されています。

そういえば,JRA競馬博物館でも現在,秋季特別展「ライバルの記憶~中央競馬史に刻まれた激闘譜」が開催されていますね。これにはタケホープシンザンも登場していないようです(未確認情報)。1位がウオッカvs.ダイワスカーレットなんて,見る目がないよなあ……(笑)

プロレスに力がはいっているのは意外でした。

猪木がいない(爆)!!

でも,考えてみると,猪木が絡んでいる名勝負ってタイガー・ジェット・シン戦くらいじゃないかなあって気もします。アンドレ・ザ・ジャイアントにはやられっぱなしだったし,モハメド・アリ戦はプロレスじゃないですからね。

帰ってからパンフレットを見て,見逃しがあったのに気づきました。もう1回見にいってもいいし,出典リストが公表されているので,必要があればその資料を見てもいいし,でも結局なにもしないんじゃないかなあ……(笑)

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史上最強のダービー馬

史上最強の日本ダービー馬はカブラヤオーです。異論は認めません(笑)

ゲートが開くやいなや菅原騎手が出ムチを入れて飛び出したのを見て,こりゃダメだ~と思った人も多かったと思います。私もそのひとりでした。1コーナーをまわるあたりからはテレビ馬トップジローに絡まれて,2コーナーまでに後続を10馬身以上離し,前半1000mの通過は58.6秒という,誰が見ても暴走でした。

さすがに終いはバタバタになって,4コーナーは内ラチいっぱいをまわったはずなのに,右にヨレ,左にヨレ,ゴールでは馬場の4分どころを走っていました。それでも後続には抜かせませんでした。

フジテレビの盛山アナウンサーの

カブラヤオーがんばれ,がんばれ,カブラヤオー,勝てそうだ,勝てそうだ

ベルリン五輪での河西アナの前畑ガンバレ!!と並ぶ放送史に残る迷実況でしょう。

もっとも,盛山アナにはハイセイコーNHK杯のときの

あと200しかないよ!

という“前科”もありました。さらにいえば,1973年の秋の天皇賞では

トーヨーチカラ優勝~!!

と実況していました。優勝はタニノチカラだったんですが。

ちなみに,ポニーキャニオンから出ているこのダービーを収録したビデオやDVDでは,カブラヤオーを先頭に馬群が1コーナーにかかるあたりで,突然意味不明にも映像が観客に切り替わったりしています。実はこのとき先団を追いかけていたカメラの画像が数秒間乱れていたのでした。こういうことはリアルで見ていないとわかりません。

一方,NHKのドラマ「男たちの旅路」のたしか「路面電車」という回で,このダービーのスタートからゴールまでがオープニングに使われていました。フジテレビのではないので1コーナーで乱れていません。

カブラヤオーは史上最強の日本ダービー馬ですが,もちろんベストダービーもこの1975年のダービーです。

ふと思い出しましたが,かつてターフサウンドステーション(TSS)という競馬場内のミニFM放送がありました。ダービー前日の土曜日,「記憶に残るダービー馬は?」というようなテーマでメッセージを募集していたことがありました。もちろんカブラヤオーで投稿したら,なんと読んでいただきました。ラジオへの投稿が読まれたのはこれがはじめてでした。

ただ,前半1000mの通過タイムを間違って58.7秒と書いてしまったのが悔やまれます。

日本ダービーの芝コース草丈史

開催週の金曜日にJRAの公式サイトで発表される馬場情報から,ダービーの週の芝コースの草丈を抜き出して並べてみました。それだけです。

芝コースの草丈
2013 野芝約6~8cm,洋芝約14~18cm
2012 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2011 野芝約8~10cm,洋芝約12~16cm
2010 野芝約6~8cm,洋芝約12~14cm
2009 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2008 野芝約6~8cm,洋芝約14~18cm
2007 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2006 野芝約6~8cm,洋芝約12~16cm
2005 開催日の草丈は洋芝12~16cm,野芝6~8cmの予定です。
2004 開催日の草丈は,洋芝12~16cm,野芝11~14cmの予定です。
2003 開催日の草丈は10~12cmの予定です。
2002 開催日の草丈は約10cmの予定です。

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日本ダービーと雨

台風と日本ダービーについては前々回取り上げましたが(日本ダービーと台風 – NotenkiExpress 2013),今回は台風以外の雨と日本ダービーについて取り上げます。

1969年の泥んこダービーの話

雨と日本ダービーといえばなんといっても1969年でしょう。

1969年の5月は,

  • 17日……メイストーム,東京で瞬間風速20.4m/s
  • 19~20日……“新緑寒波”,日光0.1℃,長野4℃,舞鶴5℃,岡山6℃

などなど,“天候異変”が続いていました。5月というより,この年は1月からおかしいといえばおかしかったのですが,詳細は省きます。

そして24日,気象庁から低気圧に関する情報が発表されました。

海山は大荒れ,ダービーは重馬場 「低気圧情報」出る

「二十五日は海,山は大荒れ,ダービーは重馬場」――と気象庁は二十四日午前十一時十分,日曜行楽や競馬ファンには気になる低気圧情報を発表した。黄海にある低気圧(九八八ミリバール)が二十四日午後から発達しながら南岸沿いに進む見込み。西日本はすでに風雨が強まっている。
低気圧が進むにつれ,東海から関東地方も風雨が強まり,二十五日いっぱい山は大荒れ,海は大シケ。関東地方平野部も二十四日夜半から二十五日午前中は雨になり雨量は二,三〇ミリに達する見込み。
このため,同庁は二十五日の登山は見合わせるよう警告,海上でも十五メートル以上の風が吹くので厳重注意を呼びかけている。
(24日付毎日夕刊)

ダービー当日の東京競馬場は,この低気圧と前線の影響で前夜から雨が降り続き,レース直前には小降りになったものの田植えのあとの田んぼのような不良馬場。1968年以降はカラー映像が残っていますが,私が見た限りその中で最も悪い馬場と思われる馬場です。

そんな泥んこ馬場にもかかわらず,スタートして2F目のハロンタイムが10.5秒ですから,かなり激しい位置取り争いがあったことが想像できます。それに巻き込まれる形で,1番人気のタカツバキが落馬するというアクシデントが発生しました。1番人気といっても,道悪得意ということで祭り上げられた感のある1番人気です。2番人気はやはり道悪得意のギャロップでした。

このタカツバキの落馬については,タカツバキのような抽選馬がダービーを勝ってしまっては馬産システムが崩壊するから落馬するであろう,と“予言”していた人がいたという有名な謀略説があります。

ゴール前でも珍事が発生。ダイシンボルガードの石田厩務員がレースの最中にもかかわらず思わず馬場に飛び出して「オレの馬だ!!」と叫びながら走っている姿がニュース映像として残っています(フジテレビの中継映像には写っていない。ついでにいえばタカツバキの落馬も写っていません。さすがフジテレビ)。あんな泥んこ馬場を走ったのでは,この厩務員さんはかなり泥だらけになったことでしょう。

ちなみに,1968年12月に近くで起こった3億円事件の記憶も新しく,売上金56億円などの現金輸送は厳戒態勢で行なわれそうです。

創設当初の話

日本ダービーは創設された当初から雨と無縁ではありませんでした。

1932年4月23日に目黒競馬場で行なわれた第1回の日本ダービー(当時の正式名は東京優駿大競走)は,天候―雨,馬場状態―不良でレースがスタートしました。
これについては東の風 雨(1932年) – NotenkiExpress 2013をご覧ください。
第2回は曇/稍不良,第3回は晴/不良,第4回は雨/不良,第5回は曇/稍不良と続き,第6回になってやっと良馬場で行なわれました。

最近の話

次の表に1951年以降の10年ごとの馬場状態の出現数をまとめてみました。

稍重 不良
1951-1960 5 1 2 2
1961-1970 7 1 0 2
1971-1980 9 1 0 0
1981-1990 9 0 1 0
1991-2000 8 2 0 0
2001-2012 7 1 2 2

これを見ると21世紀になって“雨馬場”の出現率が増えていることがわかります。とくに過去5年に限ると2009年,2011年と2回も不良馬場で行なわれています。これは傾向というより,たまたまそうなんでしょう。

今年は今のところ良馬場で行なわれそうです。

※この記事は泥んこダービー | 能天気Express Hyperを大幅に書き直したものです。

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日本ダービーと台風

5月に台風が上陸することはあまりないし,日本ダービーは最近では5月の最終日曜日(または6月の第1日曜日)に定着していることもあり,日本ダービーが台風の直撃を受けたことはありません。

直撃ではないにせよ史上もっとも台風の影響を受けたと思われるのが1965年5月30日のダービーです。

ダービーの直前の5月27日,潮岬の南方海上にある定点観測点付近を通って北東に65~85km/hの速い速度で進んできた台風6号が12時ごろ東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年5月30日以来51年ぶりのことでした。

196506

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことを暴露したほか,かなりの被害が出ました。

この日東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。
(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

単騎で逃げるキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の200mに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

最近では,まず2003年があげられます。

5月31日05時ごろ台風4号愛媛県宇和島市付近に上陸しました。上記の1965年の台風6号以来38年ぶりとなる5月の台風上陸です。

200304

翌6月1日にダービーが行なわれましたが,この台風から変わった低気圧と前線の影響による雨のため,馬場状態は重でした。府中のアメダスでは31~1日にかけて83mmの降水量が観測されています。

4角で各馬外をまわる中,エイシンチャンプと逃げたエースインザレースが最内をついたシーンをおぼえている人も多いでしょう。

勝ったのはネオユニヴァース,鞍上はミルコ・デムーロでした。

2011年は,四国に向かって北上していた台風2号がダービー当日の15時に温帯低気圧に変わりました。

201102

西日本~東日本はちょうど梅雨入りしたばかりで,西日本を中心に大雨になりました。

東京競馬場でも26日(木)から断続的に雨が降りはじめ,府中のアメダスでは28日(土)に17.5mm,ダービー当日の29日(日)には91.0mmの降水量が観測されました。

ダービーの馬場状態は2009年以来となる不良。2冠を達成したオルフェーヴルの勝ちタイムは2.30.5でした。

あれから2年,今年の日本ダービーは台風の影響を受けずに行なわれそうです。

なお,今年の台風の発生状況については当ブログの台風の発生間隔 – NotenkiExpress 2013をご覧ください。

※この記事はダービーと台風 | 能天気Express Hyperを少し書き直したものです。

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ダービーはなぜ5月下旬か[再]

1956年の日本ダービーは6月3日に行なわれました。

この年は5月下旬から早くも前線が日本の南海上に貼りつき,九州南部では5月1日,九州北部では5月21日,中国では5月29日,近畿では5月24日に梅雨にはいりました。

ダービー前日の2日は雨。この雨のため東京六大学野球早慶戦が順延になりました。

ダービー当日,東京の天気予報は「くもり一時晴」。しかし予報は大ハズレ,朝から雨が降りはじめました。昼ごろからは降ったりやんだりになりましたが,早慶戦は2日続けての順延になりました。

ちょうど6月1日に中華人民共和国中共)が気象管制を解き,暗号を使わずに平文で気象放送を送りはじめました。天気予報がもっと当たるようになる……という期待をもったニュースの直後の大ハズレでした。

ついでですが,日本もアメリカも太平洋戦争中は気象電報を暗号を使って送信していました。しかし末期になると,アメリカは航空機による観測データを暗号化しないで送るようになりました。完全に制空権を掌握していたため,航空機の位置を知られてもまったく危険がなかったからです。

ブリンカーをつけていないため話がズレましたが,こうして東京競馬場は2日続けて雨に見舞われ,ダービーは重馬場で迎えることになりました。人気を見てみると,NHK盃を勝ったキタノオーが1番人気,皐月賞馬ヘキラクが2番人気,ハクチカラが3番人気,オークスからの連闘で臨んだフエアマンナが4番人気でした。本来ならキタノオーが人気をかぶってもおかしくはなかったのですが,外ワクと道悪がきらわれたようです。

スタート直後,内からハクチカラ,タメトモ,ミナトリユウが飛び出し,外からはヘキラク,キタノオーが先団にとりつこうと内側に切れ込んできました。そしてこの2頭に押圧される形となったエンメイが転倒,これに躓いたトサタケヒロも転倒しました。トサタケヒロは人馬とも無事でしたが,エンメイは左肩胛骨を骨折して予後不良,鞍上の阿部正太郎騎手も再起不能の重傷を負いました。

これがダービー史上最大といわれる事故です。ちなみに,阿部正太郎騎手は騎手としては再起できませんでしたが,のちに調教師となり,加賀武見騎手を育てることになります。

これだけの事故にもかかわらず,スンナリと通過順どおりに確定,しかしキタノオーの勝尾騎手,ヘキラクの蛯名騎手には過怠金が課せられるという不可解な決定に納得しなかった人も多かったようです。また,馬主が吉川英治氏ということもあってか,当時の競馬にしては大きく伝えられました。このため,競馬史上はじめて事故調査のための審議会が開かれました。しかし,事故のようすがハッキリ写っているはずの新聞社のニュースフィルムが証拠として検討されないなど,はじめから結論ありきで,予想どおり原因不明の事故というウヤムヤ決着でした。吉川英治氏が馬主をやめたのは,事故そのもののショックというよりはこの不透明さにイヤ気がさしたからではないでしょうか。

その後,事故防止対策のひとつとして,ダービーの開催日を梅雨がはじまる前の5月末にという提案があり,これによってダービーの5月下旬開催が定着したといわれています。

しかし,この年の関東甲信地方の梅雨入りは6月9日で,エンメイの事故は梅雨にはいる前に起こっていたんですけどねえ……。

それはともかく,ダービーが5月下旬に行なわれる理由としてはこの説明が定着しています。

しかし,これは話の半分に過ぎません。

東京優駿(大)競走の施行日を見てみると,第1回の1932年から1937年までは4月に行なわれていて,従来の目黒競馬は4月に行なわれていたのでこれは当然の流れでしょう。しかし1938年に5月29日に行なわれてからはほぼ5月下旬~6月上旬に定着しています。なぜこの時期が選ばれたのでしょう?

おそらくモデルとしたイギリスのダービーの日程を参考にしたのだろうと推測はできますが,あくまで推測の域を出ません。1930~1940年代はいちばん嫌いな時期なので,調べる気になりません。どなたか,かわりにどうぞ。

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雷雨の中の日本ダービー(1967年)

1967年5月14日は朝から絶好の“ダービー日和”でした。ところが,発走時刻の10分ほど前,一天にわかにかき曇り,電光が走り,雷鳴とともに激しい雨が降り出しました。日射で空気が暖められたところに寒冷前線が南下してきたことによるもので,いわゆる“熱界雷” です。

“波乱”を予告するかのように,スタート13分前に大粒の雨が降った。しっかりと馬券を手に立ち見席でかたずをのんでいたファンは“天候のいたずら”にハンカチや新聞紙を頭にスタンドへ逃げる。スタンドは一瞬“静”から“動”にかわった。ところが場所を“確保”するためにカサをさして動かないファンもポツポツ。
雨が強くなってくると,だんだんと小さくなり懸命に雨をふせいでいた。すさまじい執念!
(5月15日付サンケイスポーツ)

ダービーは雷雨の中でのスタートとなりました。最初の1ハロンこそ13.0秒でしたが,2ハロン目はなんと10.0秒。ただ, 当時のハロンタイムは数字どおりには信用しないほうがいいようです。アラジンが先頭でバックストレッチにはいりますが,そこから先, 馬の識別ができません。私の場合は質の悪いビデオ画面で見ているせいもありますが,フジテレビで実況していた鳥居アナも激しい雨のためにほとんど視界が利かなかったそうです。

リユウズキはちょっとわかりませんが……

人気馬のポジションを正確に伝えていた鳥居アナにしては珍しい実況だと思います。

激しい雨をついて馬群が向こう正面から3コーナーへと進んだところでマイクがかなり大きな雷鳴を拾っています。

4コーナーを回って先頭に立ったアサデンコウに,ヤマニンカツプが外から, シバフジが内から並びかけて激しい叩き合いが300mほど続きましたが,アサデンコウが凌ぎきりました。

アサデンコウはレース中に左前肢第一指骨を骨折しており,しばらくして馬運車で運ばれていった――ともいわれていますが, 次の日の新聞に口取り写真が載っています。これはどういうわけなんでしょう?

なお,このときの雷雨によって千葉県と福島県で5人死亡,重傷6人,また埼玉,栃木,群馬などでは雹の被害がありました。5月15日付読売新聞より:

熱界雷大あばれ
四人感電死,降ヒョウ被害
十四日午後“五月の雷”が関東・東北をあばれまわり,千葉,福島両県で計四人が落雷のために死んだ。初夏の日ざしで気温が上がったところへ,北から冷たい空気がもぐりこんで起こした熱界雷というあばれん坊。

今の新聞とは表現がかなり違います。

その後(それ以前も?),ダービーが雷雨の中で行なわれたことはありません。

ついでに,この日の天気図を載せておきます(日本時間21時)。

  • 地上天気図

  • 500mb天気図

  • 850mb天気図