雨のF1日本GPの日の天皇賞

19年前の今日です。

AD1988/10/30 F1日本GP(鈴鹿),A.セナが優勝し,初の世界チャンピオンに。また年間8勝の記録樹立

この件とこの日の気象状況については,1988年雨のF1日本GPをご覧ください。

さて,セナがはじめてワールドチャンピオンに輝いたのと同じ日,快晴に恵まれた東京競馬場では,当時の現役最強馬タマモクロスと新鋭オグリキャップとのはじめての対決となる第98回天皇賞が行なわれました。

時あたかも誰かさんが入院したために生じた自粛ブームの真っ最中。とくに天皇賞は名前が直接的すぎることもあって,広告キャンペーンは一切行なわれませんでした。にもかかわらず,折からの競馬ブームもあり,2頭の対戦はファンの注目を集め,東京競馬場には12万人の観客がつめかけ,馬券の売り上げもそれまでの秋天レコードを更新しました。

レースはよく知られているようにタマモクロスの快勝でした。

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1988年10月30日(日) 6回東京8日  天候: 晴   馬場状態: 良
10R  第98回天皇賞(秋)
3歳以上・オープン・G1(定量) (牡・牝)  芝 2000m   13頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 6  9  タマモクロス    牡 4 南井克巳  58  1.58.8 ----  2 452 (栗)小原伊佐
2 1  1  オグリキャップ   牡 3 河内洋   56  1.59.0 ----  1 492 (栗)瀬戸口勉
3 8 12  レジェンドテイオー 牡 5 郷原洋行  58  1.59.5 ----  9 524 (美)田村駿仁
4 4  5  ダイナアクトレス  牝 5 岡部幸雄  56  1.59.6 ----  3 480 (美)矢野進 
5 3  3  ランニングフリー  牡 5 菅原泰夫  58  1.59.8 ----  7 452 (美)本郷一彦
6 3  4  ボールドノースマン 牡 4 柴田政人  58  2.00.0 ----  4 470 (美)稗田研二
7 7 10  シリウスシンボリ  牡 6 加藤和宏  58  2.00.3 ----  5 518 (美)二本柳俊
8 7 11  カイラスアモン   牡 4 安田富男  58  2.00.3 ----  8 488 (美)松山吉三
9 5  8  マティリアル    牡 4 東信二   58  2.00.9 ----  6 490 (美)田中和夫
10 8 13  トウショウサミット 牡 6 柏崎正次  58  2.01.4 ---- 11 494 (美)奥平真治
11 5  7  ガルダン      牡 7 大塚栄三  58  2.01.4 ---- 13 468 (美)藤沢和雄
12 4  6  カシマキング    牡 8 的場均   58  2.01.4 ---- 10 456 (美)飯塚好次
13 2  2  パリスベンベ    牡 6 中舘英二  58  2.01.4 ---- 12 466 (栗)加藤敬二
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LAP :12.6-11.2-11.9-11.7-12.0-12.3-11.9-12.0-11.7-11.5
通過:35.7-47.4-59.4-71.7  上り:71.4-59.4-47.1-35.2  平均:1F:11.88 / 3F:35.64
単勝 9 \260    複勝 9 \130 / 1 \110 / 12 \370
枠連   1-6 \240 (1)

σ(^^;)は所用のため埼玉県の本庄まで出かけていたこともあってこのレースは見ていません。

梅雨明け取り消しと雷電ドロップ

今年の関東甲信地方の梅雨入りは6月14日に発表されましたが,15日以降しばらくは雨が降らず,次のように新聞に書かれたりしました。

関東地方で梅雨とは思えない天気が続いている。14日の「梅雨入り宣言」以来、雨が降ったのは宣言当日だけ。梅雨入りは例年8月ごろ、降水量などの観測データを分析して確定することになっている。苦情を訴える電話などが相次いで寄せられている気象庁は「結果的に見れば、予報が外れたと言わざるを得ない」と判断ミスを認め、修正は必至だ。51年以降最も梅雨入りが遅かったのは22日で、記録を更新する可能性も出てきた。(6月21日 毎日新聞)

この記事のとおり梅雨入りの時期が修正されるとしても9月になってからです。実際,6月14日の梅雨入りは今のところ修正されたり取り消されたりしていません。

ところが,かつては“その場”で,梅雨明けが取り消されたことがありました。1987年の今日,気象庁は前日発表した関東甲信地方の梅雨明けを取り消しました。ちなみに,前年の1986年にもいったん発表された近畿地方と東海地方の梅雨明けが取り消されました。

さて,もうひとつ今日に関係のあるお天気ネタを(笑)

サンダー杉山が伝家の宝刀雷電ドロップIWA世界ヘビー級のタイトルを初防衛したのは1970年の今日でした。

雷電ドロップはいわゆる必殺技であってもフィニッシュホールドではないため記録には残っていないのですが,61分3本勝負の試合で,雷電ドロップからの体固めで1本目を先取したようです。

2本目と3本目はお互いに反則で1本ずつ取り合い,2-1で防衛しました。

雷電ドロップといえば,2004年11月29日付東スポ

曙 仰天秘策 サンダー杉山の代名詞・雷電ドロップでホイスを潰す!!

という記事がありました。その12月31日のホイス戦,三角絞めから左腕へのリストロックであえなくギブアップ。秘策雷電ドロップは出せずじまいだったようです。

ついでに,雷電ドロップの話になるたびに調べようと思いつつ,いまだに実行していないテーマに“馬と雷との関係”があります。馬の名前にはどうして雷係が多いのか。

実際に多いといえるレベルかどうかはわかりませんが,少なくないことは確かです。白い稲妻=シービークロスのように雷系のニックネームをもつ馬もいます。

雷系の名前にはおもにライデン(=雷電),イナズマ(=稲妻。ちなみに“イナヅマ”は少ない),サンダー(=thunder)の3系統があります。カネヒキリのような別系統はそんなに多くはないと思います。

この中でライデンは,ライデンリーダーのようにワカオライデン一族であることが多いですが,ヤシマライデン(古すぎ?)のような独立系(?)もいます。

2系統にまたがる馬もいます。有名どころではイナズマライデン。競走成績はパッとしませんが(27戦2勝2着7回3着3回),競馬場から逃げ出してすぐ近くの川崎の風俗街を爆走し,一躍脚光を浴びました。

東京の真夏の夜にブリザード

2001年7月12日,東京の真夏の夜にブリザードが吹き荒れました。

すでに無敗で南関東三冠(羽田盃東京王冠賞東京ダービー)を達成しているトーシンブリザードがこの日行なわれた第3回ジャパンダートダービーを圧勝,無敗で南関東四冠を達成しました。

もちろん史上初。そして,東京王冠賞が廃止されたため,再び達成されることはないでしょう。

ちなみに,

東京の 真夏の夜に ブリザード圧勝!!

は及川アナの実況です。

ついでに,平年だと7月12日はまだ梅雨の時期で真夏というのは早すぎる感じですが,この年は前日(11日)に関東甲信地方の梅雨明けが発表されたばかりで,真夏になったぞーという雰囲気にあふれていました(暑いのがきらいなσ(^^;)はゲッソリしていましたが)。のちに梅雨明けは7月1日に修正され,統計開始以来最早の梅雨明け記録となりました。

TCK史上最高入場者

1996年の今日,TCKで史上最高入場者数を記録しました。

TCKの公式サイトによると,この日の入場者数は77818人。σ(^^;)もこの中のひとりでした(笑)

当時ひそかに起こっていたホクトベガ人気によるもので,当時のTCKとしては女性が多かったような記憶があります。

土砂降りの東京ダービーとコンフェデ杯

東京ダービーといっても,もちろん都下のスタジアムで行なわれる球蹴りではありません。

“ダービー”あるいは“ダービー・マッチ”のいわれについては知っているつもりですが,球蹴りの東京ダービーには違和感ありありです。東京ダービーはあくまでTCKで行なわれる3歳馬の南関東S1レースに対する固有名詞です。歴史も古いし。

百歩譲って,試合の会場が都区内にある例えば国立競技場というならまだしも,東京都下民の感覚からしても調布は東京ではありませんし,さらにいえば,ヴェルディは根無し草の余所者チームで,今さら“東京”を名乗るんじゃねえ……という感覚を持つ人も多いと思います(σ(^^;)だけか(笑))。ざまあ見ろなことにJ2に落ちているし……って今の落ちぶれたヴェルディにはとくに恨みはないですが(笑)。

さて,2001年6月7日の東京ダービートーシンブリザードが快勝して史上はじめて無敗で南関東三冠を達成しました。

雨の中のレースでした。にもかかわらず,なんと,見に行ったのです(笑) めんどくさがりのσ(^^;)がどうしてわざわざ出かけたのかはわかりません。

大雨洪水警報が出ていたのですが,σ(^^;)が出かけたころはまだ雨が降っていなかったので傘を忘れていきました(笑)

挙げ句の果て,いつものとおりモノレールで行けばいいものを何を血迷ったか乗り慣れていない京急で行ったため,立会川で降りたのはいいものの,道がわからない(^^;) しかもすでに雨が強く降りはじめていたので,人通りもまばらで人の流れについていくことができない。それでも,雨の中さまようこと30分くらいで着きました(笑) 傘はどこかのコンビニで買ったはずです。

羽田のAMeDASではこの日の15-21時に70mmの雨を観測しています。ただ,レースのはじまるころは小降りになっていました。そしてレースが終わって帰るころにはすっかり止んでいました。

この年で東京王冠賞が廃止されたため,トーシンブリザードは旧来の形(羽田盃東京王冠賞東京ダービー)での最後の南関東三冠馬となりました。1か月後,ジャパンダートダービーをも征し,おそらく最初で最後の南関東四冠馬になりました。

一方,同じころ(実際には1時間半くらい前),やはり土砂降りの雨の中,横浜の小机駅近く(笑)の横浜国際総合競技場でのコンフェデレーションズカップ準決勝前半43分,オーストラリアを相手に中田英寿が決勝進出を決めるフリーキックを決めています。このゴールは今でもある種の伝説として語られているようです。

ダービーへの人波に暴走車

1987年5月31日08時25分ごろ,東京都府中市の通称「宮町銀座通り」で,オートマ車が急発進して約50m暴走,
歩行者の列に突っ込みました。この事故で2人が死亡,6人が重軽傷を負いました。
当時しばしば発生していたオートマ車の急発進による事故です。

犯人は会社員白石順章(52)。当時の新聞は“容疑者”などという“敬称”がなく,すっきりしていて読んでいて気持ちがいいです。

この日,東京競馬場では第54回日本ダービーが行なわれました。歩行者の多くは東京競馬場に向かっていたようです。

ちなみに,勝ったのは4番人気メリーナイス,2着は今ではあり得ない22番人気サニースワローで,
連複6280円の当時としては高配当でした。

そのご京王線府中駅が高架化した影響で,このあたりの街のようすは当時とだいぶ変わっています。道も広くなっていると思います。
今は東京競馬場の行き帰りにここを通る人は多くないと思います。

ついでですが,今朝の“開門ダッシュ”で少なくとも2人が負傷,その内の1人は救急車で病院に搬送されたようです(開門は7時10分)。

5月27日の日本ダービー

今年の日本ダービーは明日,5月27日に行なわれます。大げさにいえば,5月27日は日本ダービーの歴史を語る上で重要な日です。この日に行なわれたことは過去6回ありますが,ここではそのうちの3回について取り上げます。

まず,1973年。単勝支持率史上最高66.5%のハイセイコーが敗れたのはこの日でした。

当時から思っていたのですが(ガキの分際で……(笑)),どうしてこんなに過剰人気になってしまったんでしょうねえ。弥生賞スプリングSはやっと勝ったという感じだったし,NHK杯の走りから見て,どうも左回りは苦手そうと思われた(短波放送の解説者も実際に指摘していた)し,母父カリムからくる距離不安もあったにもかかわらずです。しかもそろそろ疲れも出てくるころだと思うし。今なら,ディープなんたらのときのようにJRAがあおったりしない限り,こんなに人気にはならないと思います。

でも,ハイセイコーを除くと,ほかに勝ちそうな馬が見あたらない……という感じもありました。

ひとついえることは,単勝支持率66.5%の割に複勝の配当が140円というのは,1着,2着に人気薄が来たこともありますが,かなりおいしかったと思います。ハイセイコー複勝は元返し……という思いこみがかなりあったのでしょうか。

ハイセイコーについての記事や番組を見ると,明らかに時代考証が間違っていたりするものもあり,笑ってしまいます。

よくあるのは石油ショックとハイセイコーの中央デビューの時期の順序の取り違えです。年表などを見ればわかりますが,石油ショックのほうがあとです。

また,必ず出てくるのが自分の人生を投影してハイセイコーを応援する人が多かった……という話ですが,アンケートでも取ったんでしょうか? 基本的に誰かさんの暗い詩の読み過ぎでしょう(笑) σ(^^;)はきらいでした。

ちなみに,ちょうどハイセイコーのダービーの直後くらいに「演歌の怪物ハイセイコー」というキャッチフレーズでデビューした藤正樹という丸刈りに学生服(紫だったかな)のおよそ正気の沙汰とは思えないようなスタイルの15歳の演歌歌手がいてそこそこ話題になっていたのですが,次のような会話を何回か耳にしたことがあります。

「演歌の怪物ってのはわかるけど,ハイセイコーって何?」

「しらな~い」

ハイセイコーは国民的に有名だったというように語られていますが,実際は競馬の町福島においてさえ藤正樹以下の知名度しかなかったのです(笑)

さて,それから6年後,カツラノハイセイコが父の無念を晴らしたのもこの日です。

いななけカツラノハイセイコ」というレコードが出ましたが,なぜか歌手は増沢末夫。ヲイヲイって感じでした。しかもB面が「さらばハイセイコー」ときては,どう見ても手ヌキでした。

ちなみに,「いななけカツラノハイセイコ」はどこのカラオケにもありません。「さらばハイセイコー」なんて歌いたくないし,「いななけカツラノハイセイコ」をぜひ置いてください。いまでも歌詞を見ずにフルコーラス歌えるという,人間国宝的存在です>σ(^^;)

1990年,史上最高入場者19万6500人の大観衆による伝説の「ナカノ」コールもこの日でした。東京競馬場から4kmほど離れているσ(^^;)の家まで,聞こえてきました(爆) もちろん電波に乗ってですが(笑)

この現象について調査したある社会学者の研究があって,なかなか面白かったのですが,論文をどこかにやってしまいました。

「ナカノ」コール以降,しばらくは何とかコールが定番になりましたが,いつのころからかなくなりましたね。

何とかコールは別にあってもいいのですが,ゴールでの紙吹雪など言語道断で,やった人間は営業妨害か何かでとっ捕まえて,百叩きの刑にしてほしいと思います。ファンファーレ時の手拍子もムチ打ちの刑にして欲しいです。

泥んこダービー

日本ダービーは創設された当初から雨と無縁ではありませんでした。

1932年4月23日に目黒競馬場で行なわれた第1回の日本ダービー(当時の正式名は東京優駿大競走)は,
天候-雨,馬場状態-不良でレースがスタートしました。第2回は曇/稍不良,第3回は晴/不良,第4回は雨/不良,第5回は曇/
稍不良と続き,第6回になってやっと良馬場で行なわれました。

ただ,それもいまは昔の遠い話。最近は雨に見舞われることは比較的少なく,
雨のダービーは過去10回ありますが(小雨含む),最近のものでも 1972年まで遡ります。雨/不良となると,
なんと1959年まで遡ることになります。小雨/不良でも1965年以来ありません。天候が雨以外で馬場状態-不良で行なわれたダービーも,
1969年まで遡ります。

その1969年は,ビデオで見ても田植えができそうな泥んこ馬場です。降水量は前日が1.5mm,
当日は33.0mmとなっています(ただし,当時はアメダスがまだないので大手町のもの)。

そんな泥んこ馬場にもかかわらず,スタートして2F目のハロンタイムが10.5秒ですから,
かなり激しい位置取り争いがあったことが想像できます。それに巻き込まれる形で,
1番人気のタカツバキが落馬するというアクシデントがありました。この落馬については,
タカツバキのような抽選馬がダービーを勝ってしまっては馬産システムが崩壊するから落馬するであろう,
と予言していた人がいたという有名な謀略説があります。それと勝ったダイシンボルガードの厩務員が,
レースの最中にもかかわらず思わず馬場に飛び出して「オレの馬だ!!」とか叫んだという逸話も有名です。
この厩務員さんはきっと泥だらけになったことでしょう。

1969年よりももっと悪い馬場だったと思われるのは1965年です。ダービー前1週間の降水量を見ると,
次の表のようになっています(ただし大手町のデータ,ダービーは05/30)。

+----------+----------+---------------+
| 年月日 |降水量合計|最大1時間降水量|
|     |    mm|       mm|
+----------+----------+---------------+
|1965/05/24|   13.5|      2.5|
|1965/05/25|     -|       -|
|1965/05/26|   22.5|      5.0|
|1965/05/27|   118.0|      32.0|
|1965/05/28|    0.5|      0.5|
|1965/05/29|   12.0|      1.5|
|1965/05/30|   44.5|      11.5|
+----------+----------+---------------+

ビデオで見るとそうとう悪く見えますが,
質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”
でしたが,最後の 1F に14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

5月25日のダービー

日本ダービーが5月25日に行なわれたことは1952年,1958年,1969年,1975年,1980年,1986年の6回あります。

1952年はクリノハナが2冠達成,1958年はミナミホマレの子ダイゴホマレが父子ダービー制覇を成し遂げたのですが,あんまり古い話なので,これ以上のことは知りません。

1969年の“田植えダービー”については 泥んこダービーを見てください。ひょっとして水たまりの中をめだかやおたまじゃくしが泳いでいたかもしれません。

1975年のダービーは,前半1000m通過58.6秒でブッ飛ばしたカブラヤオーが2400mを逃げ切ってしまったという,たぶん日本ダービー史上もっとも強い勝ちかたでした。それに比べると一昨年や3年前のダービー馬なんてたんに展開がハマったとか相手が弱かっただけに見えます(笑)

ゲートが開くやいなや,菅原騎手が出ムチを入れて飛び出したのを見て,こりゃダメだ~と思った人も多かったと思います。σ(^^;)もそのひとりでした。1コーナーをまわるあたりからはテレビ馬トップジローに絡まれて,2コーナーまでに後続を10馬身以上離す,どう見ても暴走でした。

さすがに終いはバタバタになって,4コーナーは内ラチいっぱいをまわったはずなのに,右にヨレ,左にヨレ,ゴールでは馬場の6分どころを走っていました。それでも後続には抜かせませんでした。

フジテレビの盛山アナの「カブラヤオーがんばれ,がんばれ,カブラヤオー,勝てそうだ,勝てそうだ」はベルリン五輪での河西アナのいわゆる「前畑ガンバレ!!」と並ぶ放送史に残る迷実況でしょう。もっとも,盛山アナにはハイセイコーNHK杯のときの「あと200しかないよ!」という“前科”もありましたが。さらにいえば,1973年の秋の天皇賞では「トーヨーチカラ優勝」と実況していました。優勝はタニノチカラだったんですが。

ちなみに,ポニーキャニオンから出ているこのダービーを収録したビデオやDVDでは,カブラヤオーを先頭に馬群が1コーナーにかかったところあたりで,突然意味不明にも映像が観客に切り替わったりしています。実は,このとき先団を追いかけていたカメラの画像が数秒間乱れていたのでした。

一方,NHKのドラマ「男たちの旅路」のたしか「路面電車」という回で,このダービーのスタートからゴールまでがオープニングに使われていました。フジテレビのではないので1コーナーで乱れていません。

ベストダービーを選べといわれれば,間違いなくこの1975年のダービーを選びます。

雷雨の中のダービー

1967年5月14日は朝から絶好の“ダービー日和”でした。ところが,発走時刻の10分ほど前,一天にわかにかき曇り,電光が走り,
雷鳴とともに激しい雨が降り出しました。日射で空気が暖められたところに寒冷前線が南下してきたことによるもので,いわゆる“熱界雷”
です。

ダービーは雷雨の中でのスタートとなりました。最初の1ハロンこそ13.0秒でしたが,2ハロン目はなんと10.0秒。ただ,
当時のハロンタイムは数字どおりには信用しないほうがいいようです。アラジンが先頭でバックストレッチにはいりますが,そこから先,
馬の識別ができません。σ(^^;)の場合は質の悪いビデオ画面で見ているせいもありますが,
フジテレビで実況していた鳥居アナも激しい雨のためにほとんど視界が利かず,かなりの部分勘でしゃべっていたそうです。
これを実況といえるかどうかは知りませんが。

ちなみに,1996年2月10日の京都第9レース・バイオレットSでは,ゲートインがはじまるころからはかったように雪が突然強くなり,
向こう正面がまったく見えなくなりました。ラジオたんぱのアナもふつうは「スタートしました」というところを「スタートしたもようです」
と実況していました。馬群らしきものの影が移動しているのがかすかに確認できる程度で,
もちろんどの馬が先頭なのかということはまったくわからず,「ただいま,3コーナーのあたりを走っているもようです」
というような感じでした。4コーナーを回ってやっと白いベールの中から馬が1頭1頭現われてきて,ふつうの実況に戻りました。通過ラップも,
上がりタイムも,通過順位もすべてデータなし。でも,なぜか走破時計は存在します。
雪が強くなるのが1分でも早かったらきっとスタート時刻を遅らせるなどの措置がとられていたでしょう。
雪が強くなるタイミングがあまりによすぎた感じでした。

話がそれました。激しい雨をついて,馬群は向こう正面から3コーナーへと進みます。このあたりでマイクがかなり大きな雷鳴を拾っています。

4コーナーを回って先頭に立ったアサデンコウに,ヤマニンカツプが外から,
シバフジが内から並びかけて激しい叩き合いが300mほど続きましたが,アサデンコウが凌ぎきりました。

アサデンコウはレース中に左前肢第一指骨を骨折しており,しばらくして馬運車で運ばれていった――といわれていますが,
次の日に新聞に口取り写真が載っています。これはどういうわけなんでしょう?

なお,このときの雷雨によって千葉県と福島県で4人が感電死,また埼玉,栃木,群馬などでは雹の被害がありました。

というわけで,5月に競馬観戦に出かけるときは雷と雹に注意しましょう。もともと東京競馬場は雷とは縁が深いところだし……。もちろん,
紫外線対策も忘れずに。