5月25日のダービー

日本ダービーが5月25日に行なわれたことは1952年,1958年,1969年,1975年,1980年,1986年の6回あります。

1952年はクリノハナが2冠達成,1958年はミナミホマレの子ダイゴホマレが父子ダービー制覇を成し遂げたのですが,あんまり古い話なので,これ以上のことは知りません。

1969年の“田植えダービー”については 泥んこダービーを見てください。ひょっとして水たまりの中をめだかやおたまじゃくしが泳いでいたかもしれません。

1975年のダービーは,前半1000m通過58.6秒でブッ飛ばしたカブラヤオーが2400mを逃げ切ってしまったという,たぶん日本ダービー史上もっとも強い勝ちかたでした。それに比べると一昨年や3年前のダービー馬なんてたんに展開がハマったとか相手が弱かっただけに見えます(笑)

ゲートが開くやいなや,菅原騎手が出ムチを入れて飛び出したのを見て,こりゃダメだ~と思った人も多かったと思います。σ(^^;)もそのひとりでした。1コーナーをまわるあたりからはテレビ馬トップジローに絡まれて,2コーナーまでに後続を10馬身以上離す,どう見ても暴走でした。

さすがに終いはバタバタになって,4コーナーは内ラチいっぱいをまわったはずなのに,右にヨレ,左にヨレ,ゴールでは馬場の6分どころを走っていました。それでも後続には抜かせませんでした。

フジテレビの盛山アナの「カブラヤオーがんばれ,がんばれ,カブラヤオー,勝てそうだ,勝てそうだ」はベルリン五輪での河西アナのいわゆる「前畑ガンバレ!!」と並ぶ放送史に残る迷実況でしょう。もっとも,盛山アナにはハイセイコーNHK杯のときの「あと200しかないよ!」という“前科”もありましたが。さらにいえば,1973年の秋の天皇賞では「トーヨーチカラ優勝」と実況していました。優勝はタニノチカラだったんですが。

ちなみに,ポニーキャニオンから出ているこのダービーを収録したビデオやDVDでは,カブラヤオーを先頭に馬群が1コーナーにかかったところあたりで,突然意味不明にも映像が観客に切り替わったりしています。実は,このとき先団を追いかけていたカメラの画像が数秒間乱れていたのでした。

一方,NHKのドラマ「男たちの旅路」のたしか「路面電車」という回で,このダービーのスタートからゴールまでがオープニングに使われていました。フジテレビのではないので1コーナーで乱れていません。

ベストダービーを選べといわれれば,間違いなくこの1975年のダービーを選びます。