泥んこダービー

日本ダービーは創設された当初から雨と無縁ではありませんでした。

1932年4月23日に目黒競馬場で行なわれた第1回の日本ダービー(当時の正式名は東京優駿大競走)は,
天候-雨,馬場状態-不良でレースがスタートしました。第2回は曇/稍不良,第3回は晴/不良,第4回は雨/不良,第5回は曇/
稍不良と続き,第6回になってやっと良馬場で行なわれました。

ただ,それもいまは昔の遠い話。最近は雨に見舞われることは比較的少なく,
雨のダービーは過去10回ありますが(小雨含む),最近のものでも 1972年まで遡ります。雨/不良となると,
なんと1959年まで遡ることになります。小雨/不良でも1965年以来ありません。天候が雨以外で馬場状態-不良で行なわれたダービーも,
1969年まで遡ります。

その1969年は,ビデオで見ても田植えができそうな泥んこ馬場です。降水量は前日が1.5mm,
当日は33.0mmとなっています(ただし,当時はアメダスがまだないので大手町のもの)。

そんな泥んこ馬場にもかかわらず,スタートして2F目のハロンタイムが10.5秒ですから,
かなり激しい位置取り争いがあったことが想像できます。それに巻き込まれる形で,
1番人気のタカツバキが落馬するというアクシデントがありました。この落馬については,
タカツバキのような抽選馬がダービーを勝ってしまっては馬産システムが崩壊するから落馬するであろう,
と予言していた人がいたという有名な謀略説があります。それと勝ったダイシンボルガードの厩務員が,
レースの最中にもかかわらず思わず馬場に飛び出して「オレの馬だ!!」とか叫んだという逸話も有名です。
この厩務員さんはきっと泥だらけになったことでしょう。

1969年よりももっと悪い馬場だったと思われるのは1965年です。ダービー前1週間の降水量を見ると,
次の表のようになっています(ただし大手町のデータ,ダービーは05/30)。

+----------+----------+---------------+
| 年月日 |降水量合計|最大1時間降水量|
|     |    mm|       mm|
+----------+----------+---------------+
|1965/05/24|   13.5|      2.5|
|1965/05/25|     -|       -|
|1965/05/26|   22.5|      5.0|
|1965/05/27|   118.0|      32.0|
|1965/05/28|    0.5|      0.5|
|1965/05/29|   12.0|      1.5|
|1965/05/30|   44.5|      11.5|
+----------+----------+---------------+

ビデオで見るとそうとう悪く見えますが,
質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”
でしたが,最後の 1F に14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

5月25日のダービー

日本ダービーが5月25日に行なわれたことは1952年,1958年,1969年,1975年,1980年,1986年の6回あります。

1952年はクリノハナが2冠達成,1958年はミナミホマレの子ダイゴホマレが父子ダービー制覇を成し遂げたのですが,あんまり古い話なので,これ以上のことは知りません。

1969年の“田植えダービー”については 泥んこダービーを見てください。ひょっとして水たまりの中をめだかやおたまじゃくしが泳いでいたかもしれません。

1975年のダービーは,前半1000m通過58.6秒でブッ飛ばしたカブラヤオーが2400mを逃げ切ってしまったという,たぶん日本ダービー史上もっとも強い勝ちかたでした。それに比べると一昨年や3年前のダービー馬なんてたんに展開がハマったとか相手が弱かっただけに見えます(笑)

ゲートが開くやいなや,菅原騎手が出ムチを入れて飛び出したのを見て,こりゃダメだ~と思った人も多かったと思います。σ(^^;)もそのひとりでした。1コーナーをまわるあたりからはテレビ馬トップジローに絡まれて,2コーナーまでに後続を10馬身以上離す,どう見ても暴走でした。

さすがに終いはバタバタになって,4コーナーは内ラチいっぱいをまわったはずなのに,右にヨレ,左にヨレ,ゴールでは馬場の6分どころを走っていました。それでも後続には抜かせませんでした。

フジテレビの盛山アナの「カブラヤオーがんばれ,がんばれ,カブラヤオー,勝てそうだ,勝てそうだ」はベルリン五輪での河西アナのいわゆる「前畑ガンバレ!!」と並ぶ放送史に残る迷実況でしょう。もっとも,盛山アナにはハイセイコーNHK杯のときの「あと200しかないよ!」という“前科”もありましたが。さらにいえば,1973年の秋の天皇賞では「トーヨーチカラ優勝」と実況していました。優勝はタニノチカラだったんですが。

ちなみに,ポニーキャニオンから出ているこのダービーを収録したビデオやDVDでは,カブラヤオーを先頭に馬群が1コーナーにかかったところあたりで,突然意味不明にも映像が観客に切り替わったりしています。実は,このとき先団を追いかけていたカメラの画像が数秒間乱れていたのでした。

一方,NHKのドラマ「男たちの旅路」のたしか「路面電車」という回で,このダービーのスタートからゴールまでがオープニングに使われていました。フジテレビのではないので1コーナーで乱れていません。

ベストダービーを選べといわれれば,間違いなくこの1975年のダービーを選びます。