南海丸消息絶つ(1958年)

1958年1月26日03時,東シナ海に1020mbの低気圧が発生しました。発達しながら速いスピードで九州西方海上から山陰沖を北東に進み,同日21時に能登半島沖に達したときは中心示度は1006mbを示していました。

一方,この低気圧が鳥取沖にあった同日15時,この低気圧から南西にのびる前線上の瀬戸内海西部に低気圧が発生し,近畿,中部地方を経て27日03時には金華山沖で先の低気圧と併合してさらに発達しました。

さて,26日17時30分に乗客139人を乗せて小松島を出航した南海丸(494トン)が和歌山に向けて航行中,18時28分に危険を知らせる無線連絡をした後,消息を絶ちました。28日16時,紀伊水道島の南西端から260度2.4海里の水深約40mの地点に沈没している船体が発見されました。旅客および乗組員167人のうち生存者は1人もいませんでした。

当時,付近海上には強風注意報が出されており,平均17~20m/sの風が吹き,平均4?5mの波があったと推定されるので,強風とシケのために沈没したと考えられていますが,生存者が1人もいないこともあり,海難審判の裁決は,

主文
本件遭難は,その発生原因が明らかでない。

となっています。

ついでに,今日は次のような事件があった日でもあります。

AD2001/01/26 19:18ごろ,山手線の新大久保駅で,ホームから転落した酔っぱらい坂本某を助けようとして関根史郎さんともうひとりが飛び降りたが,間に合わず3人とも死亡

このとき坂本某といっしょに酒を飲んでいてドサクサまぎれにトンズラした連中って,今ごろどうしているんでしょうね?

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アリバイに使われかけた“台湾坊主”(1974年)

台湾坊主というのは,このブログでは何回も登場してきたとおり(これからも登場するでしょう(笑)),台湾近海で発生する低気圧のことです。新聞でも好んで使われ,もしかすると台風の次に有名な総観スケールの気象現象だったかも知れません。1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,新聞でも使われなくなったようです。ただ,あくまで気象庁では使わないというだけです。私のような部外者が使う分にはまったく差し支えありません。

さて,1986年6月16日,ロッキード裁判丸紅ルート控訴審の最終弁論が行なわれました。その弁護側の最終弁論に,なんと台湾坊主が登場します。

16日付朝日新聞夕刊より,弁論要旨:

【第三回(49年1月21日)の授受や搬送時間に関する原判決の不自然性,不可能性】

当日の気象は「台湾坊主」といわれる悪天候で,都内では強風を伴うみぞれや雪が降っていた。このような日に授受を行うのは不自然で,現実性に欠ける。

3回目の現金受け渡しが行なわれたとされる1974年1月21日,つまり35年前の今日,低気圧が発達しながら本州付近を通過していました。ただし,この低気圧は華中から東シナ海を通ってやってきたもので,残念ながら台湾坊主ではなく,いうなればニセ台湾坊主あるいは台湾坊主モドキです。

この低気圧のおかげで関東から東北地方にかけて雪が降り,前年11月11日以来71日間続いていた東京の無降水記録はやっと終息しました。

ところが,当初の予想以上に雪が降り,東京ではとくに21-22時の1時間に3cm積もる“短時間強雪”になりました。この影響で首都圏の交通は大混乱,東海道線,横須賀線,京浜東北線,常磐快速線,総武線などが相次いでストップ,首都高も22時20分に全面閉鎖となりました。

“台湾坊主”の悪天だからカネの受け渡しは現実的でないというのは,当時は“台湾坊主=荒天”の図式が成り立っていたとしてもバカバカしい論拠ですが(実際荒天だったわけですけど),メインはそこではなく,いわゆる榎本アリバイの補強のようです。第一審で退けられた榎本アリバイについて,独自の走行実験に基づいて次のように主張しています。

弁護人の実験によると,この往復にかかる自動車走行の時間だけで,高速道路利用の場合に六十六―八十二分,一般道路だと六十―八十二分を要した。本件当日は悪天候で積雪もあり,通常日の何倍もの渋滞があったことは容易に推定でき,一審認定によっては田中邸への現金搬入は不可能。

これに対する検察側の弁論要旨は次のようになっています。

第三回授受に関し,参院議員会館往復の時間を根拠にした弁護人主張は,本件当時とは交通事情が格段に異なる現時点の走行実験をもとに一審判決を論難するもので,失当である。また,当時,降雪があったことは認められるが,高速道路が通行不能であったとの立証はない。

上記の“ニセ台湾坊主”によるアリバイ主張が判決ではどのように扱われたのでしょうね? 今さら興味もありませんが。

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礼拝所不敬罪

昨日から礼拝所不敬というあまり聞き慣れない罪が話題になっています。

葬式妨害:知人の葬儀で大声、棺押し倒す 42歳男を逮捕 – 毎日jp(毎日新聞)から一部引用:

知人の葬儀を妨害したとして、東京都世田谷区の会社役員、新保修洋(にいほ・のぶひろ)容疑者(42)が葬式妨害容疑で逮捕されていたことが警視庁世田谷署への取材で分かった。葬式の妨害は刑法の「礼拝所不敬及び説教等妨害罪」にあたり、1年以下の懲役か禁固、または10万円以下の罰金が科せられるが、同容疑での摘発は異例だという。

以前,1998年1月の大雪についての新聞記事を調べていたときに,1998年1月13日付読売新聞の次の記事が目にはいりました。

通り魔殺人 哀悼の花・お菓子
「まだ食えるで」と盗む 大阪 若者ら数人

1998年1月8日に殺人鬼・北口誠が起こした通り魔事件の現場での話です。

板倉宏・日大教授(刑法)の話として,

法的には微妙だが,供えられた花束の所有者を被害者の遺族とすれば窃盗罪,供えた道路上を礼拝所の類と考えれば礼拝所不敬罪などが考えられる

この大阪のバカども,まだ生きているんでしょうかねえ……?

最近では,去年6月に鬼畜・加藤智大が起こした秋葉原事件の献花台からの盗みが問題になりましたが,礼拝所不敬罪の適用は検討されなかったのでしょうかねえ?

若い娘は家出する

タイトルは,1952年1月15日付朝日新聞の見出しです。続けて

新年からもう76名
昨年中に千名 15-19歳が大部分

とあります。

さて,日記にしるされた恐怖の文字 – 能天気Express(Hatena版)で書いた「三鷹女子中学生失踪事件」ですが,14日になって急展開します。

12日に失踪して誘拐された疑いもある智佳子さん(=仮名)が新宿の旅館で無事保護されたのです。智佳子さんの語る足取りはおおよそ次のとおりでした。

  • 12日朝ピアノのおけいこに行く途中,40過ぎの大阪弁の男に捕まった。そして四谷付近の家に連れて行かれた。
  • その家には不良っぽい男が4人ほどいて,「両親に,金を持って助けに来てください,と書け」と脅された。
  • 書かずにがんばっていると,夜8時ごろ男たちは外に出て行った。そのすきに逃げたが捕まった。
  • 13日になって再びすきを見て逃げ出し,四ツ谷駅から国電(=死語)に乗り,新宿の旅館に泊まった。

まあ,女子中学生や女子高校生がストーカーに捕まったとき真っ先にされることはだいたい決まっているので(<おい(^^;)),かなり無理のある供述であることは本人以外には誰でもわかるでしょう。

警察もそういう見かたをしたかどうかはわかりませんが,裏づけ捜査を行なったところ,四ツ谷駅付近には智佳子さんが述べたような家はない,智佳子さんと思われる少女が京都駅前の旅館に宿泊した……というような事実が判明しました。それに基づいて事情を聞いたところ,智佳子さんは次のように白状しました。

  • ストーカーされていたのは作り話で,家出するための口実だった。
  • 智佳子さんは養女で,生みの親に会いたかった。ただ,そこに行くと家出がバレるので,遠く離れたところに行って自活するつもりだった。

智佳子さんは水戸市内に住むY氏の四女で,9歳のときに子どものいない実弟の大手建設会社役員の家に養女にはいったそうです。よくはしてもらっているものの実家も懐かしく,それが募っての計画的家出――というのが真相でした。

都立中央図書館

先週新装オープンした都立中央図書館に今日はじめて行ってきました。

公式サイトなどには前よりも便利になった風に書かれていますが,あんまり変わっていません。むしろ次の2点に関しては悪くなりました。

  • 無線LANが4階でしか使えなくなった。以前は1階でも使えたのですが。
  • 5階の食堂,ドサクサで値上がりしています。すべてのメニューのチェックなどできませんが,少なくともカツ丼は値上がりしていました。

もちろん便利になったところもあり,都内自治体の公式資料が開架資料になっていること(とくに「東京市史稿」と「××区史」が1か所に集まっているのはσ(^^)的には非常にうれしい),数は少ないながら机タイプの書見台ができたことなどは評価できます。

国会図書館と相補的に利用することになると思います。

252 ネタバレあり

「252 生存者あり」を見てきました。

いやあ,予想以上にツッコミどころ満載で楽しめました。

まず,設定ミスと思われる点から。首都圏直下地震でどうして小笠原付近からメタンハイドレートが湧出するんでしょう? もしかするとσ(^^;)の状況把握が間違っているのかな?

それと海水温上昇との因果関係も不明。さらにいえば,台風の“巨大化”との因果関係はもっと不明です。

次に,なんといってもあの高潮でしょう。あの高潮は変です。津波ならありえますが,高潮はあんなに急激にやってくるものではないでしょう。それに,あれだけの高潮ならいわゆる東京低地全体が水に浸かってもおかしくないはずで,そうするとゼロメートル地帯は水の底,死者・不明1300人なんてケタが2~3ケタは違うでしょう。新橋でたった5人にかまけている場合ではないはず。

しかも,台風がまだ去ってもいないのに潮が引いていったぞ。

この台風もナゾです。かつてない規模の台風の割には吹き返しがはじまってからずいぶん早く風が収まりました。あれなら眼の通過時に無理して救助に向かうことはなかったのに。

なお,中心気圧870hPaの台風というのはかつてない規模の台風というわけではなく,1979年の20号TIPが同じ気圧を記録しています。場所はかなり違いますが。

仙崎大輔……じゃなかった篠原祐司が地中から出てくる最後のシーンは爆笑モノでした。σ(^^;)は爆笑を通り越してシラケましたが。

ツッコミどころが多すぎておぼえきれないので,あとはおぼえていることを箇条書きで。

  • スローモーがけっこうウザい。時間稼ぎか,と思ってしまう。稼いでどうなるものでもないでしょうけど。

  • あの女の子(篠原しおりちゃん。けっこうかわいい),トラウマで一生地下鉄には乗れないでしょう。

  • 気象庁の女性職員(海野咲。パンフレットには“気象予報士”となっていますが,法律上,気象予報士にはあの業務はできません),出しゃばりすぎ。というよりジャマなだけで何の役にも立っていない。それにどうやって新橋まで行ったんだ? ノートパソコン抱えて。ネットのインフラは生きていたのか?

  • 気象庁の予想はしょせんハズれるんですね(笑)

  • 生存を知らせるために「2, 5, 2」ってたたく必要があったのでしょうか? なにがしかたたいていれば伝わるでしょうに。もしなんかの間違いで「8, 5, 2」ってたたいていたら,「252は852。救助の要なし」となったのでしょうか?(笑)

  • あのキムチ姉ちゃん,キムチである必然性があるのか?

  • ルー大柴は何のために出てきたんだ? 累々たる死体のひとつになったのであれば,それはそれで意味があるかもしれないけれど。

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颱風が房総半島に上陸

1894年12月11日,颱風が房総半島に上陸したもようです。

「東京市史稿」より:

明治颱風誌ニ據レハ,十一月二十七日ヨリ十二月十二日ニ至ル颱風有リ。十二月十一日房総半島ヲ過グ。

また同記録によると,東京では10日には最大風速10.3m/s,降水量61.8mm,11日には最大風速13.5m/s,最低気圧735.9mmHg,降水量39.2mmを観測しています。

この颱風による強風雨のさなか,赤坂区権田原の民家から衣類数点を盗んだ泥棒が皇宮警手に怪しまれて跡をつけられたことから狼狽し,こともあろうに青山御所の土塀を乗り越えて御所の中に逃げ込みました。もちろんすぐに取り押さえられたことはいうまでもありません。「そゝつかしい奴もあるものかな」(東京朝日)。

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毎時1.5ノットって?

今日,かつて月曜ドラマスペシャルで放送された「水上署の源さん 東京運河−信州斑尾高原連続殺人事件」をBS-iで見ていたら,源さんから次のようなセリフが

事件当夜の潮の流れは毎時1.5ノット,1時間に2km

毎時1.5ノットって何なんでしょう? ノットがすでに速さの単位なので,毎時をつけるとディメンジョン的には加速度の単位になってしまいますが。

しかも1.5ノットを時速に換算すると,2km/hではなくて2.8km/hのはずです。

このような“毎時××ノット”という間違いはよく見かけます。

血染めの目黒競馬場2

競馬世界という競馬雑誌の創刊第2号(1907年12月発行)に,「目黒競馬會の混亂」と題する記事があり,次のような書き出しではじまっています。

初日はベンテンの銃殺亊件があつて,少からず看客を驚かした目黒競馬會は,二日目に,而も宮殿下の御前で,忌はしき血染沙汰を引起こしたのは甚だ遺憾な亊である

この2日目が1907年12月8日です。

ここで園田実徳なる人物が登場します。目黒競馬を実質的に運営する競馬会社,東京馬匹改良株式会社の創立委員長で当時の競馬界一の実力者です。

さて,騒動の第1ラウンドは第6レース「内国産馬競走」(距離1哩4分の1)。

出立点でスターチングの信号をしない中,鐘を鳴らしたので騎手は皆鞭を加へたが途中から引返して遺直しとは馬鹿気ていた
(12月9日付東京朝日)

要するにスタートミスがあり,カンパイ。その結果,人気だったキンカザンやハクウンが敗れ,穴馬のキキヨウが勝ちましたが,その馬主は岡田実徳でした。しかもカンパイの理由は

此竸馬を遣り直せし理由はキキヨウが一頭出遅れし爲めなりと云ふ
(12月9日付報知)

キンカザンやハクウンの馬券を買った連中は口々に「火を附けて建物を焼いて了はう」「やあい,擲つて了へ」と叫び,暴動の一歩手前。ことばだけを見ると何かノンビリしているような感じがしますが(笑)

騒動第2ラウンドは第9レース「内国産馬競走」(距離1哩2分の1)2頭立て。ハナゾノとクヰンタツのマッチレースでしたが,クヰンタツは6月の帝室御賞典を勝った名馬ハナゾノの敵ではなく,どうしてこんなレースが組まれたのか,園田実徳が恣意的にレース番組をつくっているのでは……? という不信感がありました。実際,この日の第8レースまでの内国産馬競走5レースのうち,園田実徳の持ち馬がすでに2勝を挙げていました。

こうした伏線があったため,第9レースにハナゾノが勝利した直後,檜山鐵三郎なる人物が酒気を帯びて記者席に闖入,「園田の馬は已に屡々勝てり,然るに又ハナゾノを出して勝を貪れり,こは寧ろ園田の名の為に惜しむべきに非ずや……」と演説をはじめました。記者たちが相手をしないでいると,それを見ていた群衆が檜山に同調して騒ぎ出し,場内が混乱しはじめました。そこに園田に雇われていた“馬丁”があらわれ,檜山の頭をビールびんで殴って大ケガを負わせる流血沙汰に発展しました。

競馬会はすでにハナゾノの当たり馬券を5円の元返しで払い戻ししはじめていました。しかし群衆が「クヰンタツはもっと売れていたはずだ」と金網や木板,ガラスなどを壊しはじめたのを見て,未払い分については50銭の割り増しをつけることになりましたが,今度はすでに払い戻しを受けた人々が騒ぎ出す始末。それでも鳴尾競輪暴動事件1のような大事にはいたらなかったようで,事態はすぐに収束したようです。

ちなみに,騒動のおおもととなった園田実徳の弟が,元近衛少尉武清澄の家に養子にはいり,武彦七となります。彦七の長男芳彦の三男が武邦彦で,武邦彦の三男が武豊です。

早い話が,武豊は明治の日本競馬を恣意的に操っていた人物の一族なのです。その武豊をJRAがどう遇しているかは,いわずとも明らかでしょう。

ついでに,のちに廃場となった目黒競馬場では目黒競馬場と大井×× | Notenki Express 2014のような事故が起こっています。

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  1. この事件についてはジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014を参照してください。 

東南海地震とインチキ報道

1944年12月7日13時半過ぎ,東海道沖を震源域とするマグニチュード8.0の地震が発生しました。東南海地震です。『理科年表』には

静岡・愛知・三重などで合わせて死・不明1223,住家全壊17599,半壊36520,流失3129.このほか,長野県諏訪盆地でも住家全壊12などの被害があった.津波が各地に襲来し,波高は熊野灘沿岸で6〜8m,遠州灘沿岸で1〜2m.紀伊半島東岸で30〜40cm地盤が沈下した.

とあります。

当時の新聞はどう伝えたかというと,例えば翌8日付の朝日新聞には次のようにあります。

十二月七日十五時五十分発表(中央気象台)―本日午後一時三十六分ごろ遠州灘に震源を有する地震が起つて強震を感じて被害を生じたところもある

この部分は各新聞共通です。

続いて各地のようす。マイクロフィルムから複写してからスキャナで取り込んだものを読んでいる関係で判読できない文字もあるので,引用ではなく要約します(「」の部分は引用。漢字は今の漢字)。

  • 浜松……「空襲の体験を得て来た一般人の待避はまづ順調であった」浜松市内外の工場では,地震によって生産力を落としては相済まない,今日8日は平常どおりの作業を行なうばかりかさらに能率を上げようと生産増強に結束して立ち上がった。疎開学童に異常はない。

  • 静岡……県はただちに対策本部を設け,「学徒等の応援を求めて逞しき復興に乗り出した」また,賀茂郡下田町では14時30分ごろに津波があり,「浸水家屋を生じた」

  • 東海……「東海地方を襲つた七日の地震は意外な強震だったが一部に倒半壊の建物と死傷者を出したのみで大した被害もなく郷土防衛に挺身する必勝魂ははからずもここに逞しい空襲と戦ふ片鱗を示し復旧に凱歌を上げた」

当局の厳しい報道管制のために実態を曲げて伝えているのは確かですが,今の視線で読めば,隠そうとしても隠しきれない被害のようすが見え隠れしている感じです。あくまで今だからわかることでしょうけれど。

ちなみに,アメリカの大新聞などはこの地震を大きく伝え,例えば,8日付ニューヨークタイムスの1面トップにはJAPANESE CENTERS DAMAGED BY QUAKEという大きな見出しがあります。また,9日付の同紙には

Though they disclosed that great war-production centers, including Osaka, Nagoya, Hamamatsu, Shizuoka, Nagano and Shimizu were in the destruction area, they attempted to minimize damage.

とあり,完全に見透かされています。このことだけを見ても,およそ勝てそうもない戦争だったことがよくわかります。こんな戦争をおっぱじめた首脳の責任は地球より重いです。

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