東京で積雪22cm(1984年)

1984年1月19日,本州の南海上を低気圧が発達しながら通過,このため九州から関東地方にかけて大雪となりました。

大分では1月の最深積雪となる14cmを記録しました。東京の22cmは1969年以来15年ぶり,1月としては第5位の記録です。

この影響で首都高,中央・東名の各高速道路は全面閉鎖,東海道・山陽新幹線のダイヤも大きく乱れました。また,雪による転倒者が続出しました。σ(^^;)はこのとき,いい歳したオトナが雪で滑って転ぶのをはじめて見ました。

この年の冬は首都圏でとにかく雪が降りまくり,東京の冬季の降雪日数は29日に達しました。

中でも1月31日の3度目の雪,2月17~18日の5度目の雪は受験にも大きな影響を及ぼしました。このことについては雪と入試(2) | 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。

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122年前の大雪

気象庁のサイトから東京における1月の最深積雪のベスト10をあげると,次のようになります。

1887/01/18    31cm
1954/01/25    30
1925/01/30    27
1923/01/25    23
1984/01/19    22
1978/01/03    21
1897/01/14    19
1998/01/15    16
2006/01/21     9
1971/01/05     9

というわけで,122年前の今日,東京で1月の最深積雪が観測されました。この記録は通年でも第5位の記録です。

この日は明け方から雪が降りはじめたようで,読売新聞に「細かくして灰の如き降り方ゆゑ……」とあるので,今の東京ではまずお目にかかれないパウダースノーに近い雪だったと思われます。

往来は雪かき人以外人影が消え,鉄道馬車は朝1便だけ運転しただけで運休になりました。

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122年前の大雪

気象庁のサイトから東京における1月の最深積雪のベスト10をあげると,次のようになります。

1887/01/18    31cm
1954/01/25    30
1925/01/30    27
1923/01/25    23
1984/01/19    22
1978/01/03    21
1897/01/14    19
1998/01/15    16
2006/01/21     9
1971/01/05     9

というわけで,122年前の今日,東京で1月の最深積雪が観測されました。この記録は通年でも第5位の記録です。

この日は明け方から雪が降りはじめたようで,読売新聞に「細かくして灰の如き降り方ゆゑ……」とあるので,今の東京ではまずお目にかかれないパウダースノーに近い雪だったと思われます。

往来は雪かき人以外人影が消え,鉄道馬車は朝1便だけ運転しただけで運休になりました。

急行が廿時間遅延

1936年1月17日,奥羽線板谷峠で除雪車が吹雪により脱線しました。このため奥羽線は不通になり,16日12時50分青森発の急行列車が米沢から引き返し,陸羽線を通って小牛田経由で上野に向かうことになったため,20時間以上延着することになりました。

これは当時の延着の記録のようです。この記録は1963年に急行「越路」によって破られることになります。急行「越路」の旅についての概略は新潟-上野112時間列車の旅 | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。

1935年12月~1936年2月は,本州の日本海側各地と福島・滋賀・岐阜各県を中心にところによっては1881年以来という豪雪に見舞われました。このため,吹雪や雪崩による家屋の倒壊,交通障害が相次ぎました。

2月2日,福井県大野郡下穴馬村で雪崩が起き,亜鉛鉱山事務所が崩壊して死者16,負傷12。2月5日未明には馬県草津町の谷所鉱山で大雪崩が発生,宿舎7棟が倒壊して42人が犠牲になりました。

板谷峠付近では最深積雪が6.6mに達して雪崩が頻発,1か月あまりも奥羽線が不通になりました。

この豪雪による被害は死者158,負傷844,家屋損壊961などと伝えられています。

ちなみに,麻生とかいうどっかのバカ総理なら,「急行が廿十時間遅延」と書き初めに書くかもしれません(笑)

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急行が廿時間遅延

1936年1月17日,奥羽線板谷峠で除雪車が吹雪により脱線しました。このため奥羽線は不通になり,16日12時50分青森発の急行列車が米沢から引き返し,陸羽線を通って小牛田経由で上野に向かうことになったため,20時間以上延着することになりました。

これは当時の延着の記録のようです。この記録は1963年に急行「越路」によって破られることになります。急行「越路」の旅についての概略は新潟−上野112時間列車の旅 | 能天気Express〜新世界版〜をご覧ください。

1935年12月〜1936年2月は,本州の日本海側各地と福島・滋賀・岐阜各県を中心にところによっては1881年以来という豪雪に見舞われました。このため,吹雪や雪崩による家屋の倒壊,交通障害が相次ぎました。

2月2日,福井県大野郡下穴馬村で雪崩が起き,亜鉛鉱山事務所が崩壊して死者16,負傷12。2月5日未明には馬県草津町の谷所鉱山で大雪崩が発生,宿舎7棟が倒壊して42人が犠牲になりました。

板谷峠付近では最深積雪が6.6mに達して雪崩が頻発,1か月あまりも奥羽線が不通になりました。

この豪雪による被害は死者158,負傷844,家屋損壊961などと伝えられています。

ちなみに,麻生とかいうどっかのバカ総理なら,「急行が廿十時間遅延」と書き初めに書くかもしれません(笑)

日川高校の生徒が集団万引き

1986年,山梨県立日川高校の♂39人が学校の授業でスキー合宿に来ていた長野県北安曇郡白馬村の土産物店で集団万引きをはたらいたとして,大町署は17日までにこの生徒たちを盗みと贓物収受の疑いで補導しました。

39人のうち29人(2年生25人,3年生4人)は13日19時半から22時ごろまでの自由時間に4,5人ずつのグループに分かれ,白馬村北城の土産物店5店でスキー用品など計約200点,40万円相当を万引きし,残りの10人(2年生,3年生とも5人)は盗品と知りながら一部を受け取っていました。「長野の田舎に行けば簡単に万引きができる」と上級生から聞かされていたということです。

日川高校は11の競技でかいじ国体の強化指定校になっており,補導された生徒には国体候補選手約20人や野球部員もいました。

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日川高校の生徒が集団万引き

1986年,山梨県立日川高校の♂39人が学校の授業でスキー合宿に来ていた長野県北安曇郡白馬村の土産物店で集団万引きをはたらいたとして,大町署は17日までにこの生徒たちを盗みと贓物収受の疑いで補導しました。

39人のうち29人(2年生25人,3年生4人)は13日19時半から22時ごろまでの自由時間に4,5人ずつのグループに分かれ,白馬村北城の土産物店5店でスキー用品など計約200点,40万円相当を万引きし,残りの10人(2年生,3年生とも5人)は盗品と知りながら一部を受け取っていました。「長野の田舎に行けば簡単に万引きができる」と上級生から聞かされていたということです。

日川高校は11の競技でかいじ国体の強化指定校になっており,補導された生徒には国体候補選手約20人や野球部員もいました。

若い娘は家出する

タイトルは,1952年1月15日付朝日新聞の見出しです。続けて

新年からもう76名

昨年中に千名 15-19歳が大部分

とあります。

さて,日記にしるされた恐怖の文字 | 能天気Express~新世界版~で書いた「三鷹女子中学生失踪事件」ですが,14日になって急展開します。

12日に失踪して誘拐された疑いもある智佳子さん(=仮名)が新宿の旅館で無事保護されたのです。智佳子さんの語る足取りはおおよそ次のとおりでした。

  • 12日朝ピアノのおけいこに行く途中,40過ぎの大阪弁の男に捕まった。そして四谷付近の家に連れて行かれた。
  • その家には不良っぽい男が4人ほどいて,「両親に,金を持って助けに来てください,と書け」と脅された。
  • 書かずにがんばっていると,夜8時ごろ男たちは外に出て行った。そのすきに逃げたが捕まった。
  • 13日になって再びすきを見て逃げ出し,四ツ谷駅から国電(=死語)に乗り,新宿の旅館に泊まった。

まあ,女子中学生や女子高校生がストーカーに捕まったとき真っ先にされることはだいたい決まっているので(<おい(^^;)),かなり無理のある供述であることは本人以外には誰でもわかるでしょう。

警察もそういう見かたをしたかどうかはわかりませんが,裏づけ捜査を行なったところ,四ツ谷駅付近には智佳子さんが述べたような家はない,智佳子さんと思われる少女が京都駅前の旅館に宿泊した……というような事実が判明しました。それに基づいて事情を聞いたところ,智佳子さんは次のように白状しました。

  • ストーカーされていたのは作り話で,家出するための口実だった。
  • 智佳子さんは養女で,生みの親に会いたかった。ただ,そこに行くと家出がバレるので,遠く離れたところに行って自活するつもりだった。

智佳子さんは水戸市内に住むY氏の四女で,9歳のときに子どものいない実弟の大手建設会社役員の家に養女にはいったそうです。よくはしてもらっているものの実家も懐かしく,それが募っての計画的家出――というのが真相でした。

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若い娘は家出する

タイトルは,1952年1月15日付朝日新聞の見出しです。続けて

新年からもう76名
昨年中に千名 15-19歳が大部分

とあります。

さて,日記にしるされた恐怖の文字 – 能天気Express(Hatena版)で書いた「三鷹女子中学生失踪事件」ですが,14日になって急展開します。

12日に失踪して誘拐された疑いもある智佳子さん(=仮名)が新宿の旅館で無事保護されたのです。智佳子さんの語る足取りはおおよそ次のとおりでした。

  • 12日朝ピアノのおけいこに行く途中,40過ぎの大阪弁の男に捕まった。そして四谷付近の家に連れて行かれた。
  • その家には不良っぽい男が4人ほどいて,「両親に,金を持って助けに来てください,と書け」と脅された。
  • 書かずにがんばっていると,夜8時ごろ男たちは外に出て行った。そのすきに逃げたが捕まった。
  • 13日になって再びすきを見て逃げ出し,四ツ谷駅から国電(=死語)に乗り,新宿の旅館に泊まった。

まあ,女子中学生や女子高校生がストーカーに捕まったとき真っ先にされることはだいたい決まっているので(<おい(^^;)),かなり無理のある供述であることは本人以外には誰でもわかるでしょう。

警察もそういう見かたをしたかどうかはわかりませんが,裏づけ捜査を行なったところ,四ツ谷駅付近には智佳子さんが述べたような家はない,智佳子さんと思われる少女が京都駅前の旅館に宿泊した……というような事実が判明しました。それに基づいて事情を聞いたところ,智佳子さんは次のように白状しました。

  • ストーカーされていたのは作り話で,家出するための口実だった。
  • 智佳子さんは養女で,生みの親に会いたかった。ただ,そこに行くと家出がバレるので,遠く離れたところに行って自活するつもりだった。

智佳子さんは水戸市内に住むY氏の四女で,9歳のときに子どものいない実弟の大手建設会社役員の家に養女にはいったそうです。よくはしてもらっているものの実家も懐かしく,それが募っての計画的家出――というのが真相でした。

愛と希望と勇気の日

きょうは愛と希望と勇気の日らしいです。

由来は次のできごとです。

1959/01/14 第3次南極観測隊昭和基地に1年間放置されていたカラフト犬のタロとジロが生きていたことを確認

犬が2頭生存していることはすぐに確認できたみたいですが,あまりの変わりようにどの犬かはしばらくわからなかったようです。第一報では別の名前が報じられています。

あまりの変わりようというのはやせ細っていたということではなく,まったくの逆で,丸々と太っていたとのことです。基地に置いてきた食糧にはまったく手をつけておらず,おそらくペンギンなどを捕獲していたのでは……と想像されていますが,何を食べていたのか本当のところはいまだによくわからないそうです。

タロとジロ以外の13頭は死亡,または行方不明ということになっています。

第1次越冬隊で犬の担当だった北村泰一氏の『南極越冬隊タロジロの真実』によると,第4次越冬中に行方不明になった福島隊員の遺体を第9次越冬隊が発見した直後,基地の近くから白い犬の遺体が発見されたそうです。行方不明になった犬のうち色が白かったのはシロとリーダー犬リキだけで,北村氏はリキではないかと書いています。

リキは映画「南極物語」では最後まで残った4頭のうちの1頭で,シャチの襲撃からタロとジロを守った傷がもとで力尽きたことになっています。もとの飼い主だった姉妹の姉を荻野目慶子が演じていました。当時はまだかわいい(笑)

ちなみに,4頭のうちのもう1頭は“風連のクマ”で,一匹狼のクマは確かタロとジロを基地近くまで“送り届けた”あと,いずこともなく去っていきました。

なお,置き去りにしたことについて今も昔も批判がありますが,事態が急を要しており,連れ帰るにも薬殺するにも時間的余裕がなかったようです。

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