台風11号が上陸

2001年8月21日,台風11号が和歌山県串本町付近に上陸しました。

平成13年 台風第11号に関する情報 第74号
 平成13年8月21日19時20分 気象庁予報部発表
(見出し)
台風第11号の中心は、21日19時過ぎ、和歌山県南部(串本町付近)
に上陸しました。
(本文)
なし

最近のことにはあんまり興味が起こりませんので,ネットで拾った新聞記事から。

<台風11号>和歌山・串本付近に上陸 22日朝、関東直撃か(毎日新聞)

 台風11号は21日午後7時すぎ、和歌山県串本町付近に上陸した。和歌山県に台風が上陸したのは98年9月の台風8号以来。四国東部や近畿の中・南部地方、三重県南部が相次いで暴風域に入り、各地でがけ崩れや床下浸水などの被害が出た。大阪管区気象台によると、台風は勢力をやや弱めながら22日午前6時には、甲府市の南西約30キロを中心とする半径110キロの円内に達し、関東地方から東北、北海道へと北上する見込み。

 気象庁の観測(21日午後6時現在)では、中心気圧は970ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は30メートル、中心から半径130キロ以内では風速25メートル以上の暴風となっている。また、中心から半径460キロ以内は風速15メートル以上の強い風が吹いている。

 降り始めから21日午後7時までの雨量は、奈良県・大台ケ原で742ミリに達したほか、和歌山県・那智勝浦717ミリ▽滋賀県彦根市53ミリ▽奈良市33ミリ▽和歌山市29ミリ▽京都市27ミリ▽大阪市19ミリ――などを記録した。

 最大瞬間風速は高知県室戸市の51・3メートル(21日午前9時7分)を最高に、神戸市35・7メートル(同11時32分)▽和歌山県串本町38・2メートル(同午後0時半)▽岡山市30・1メートル(同3時51分)――などを記録した。

 台風による被害は21日午後6時現在、死者が三重で1人、けが人が兵庫、奈良、広島、高知、大阪などで計16人。床下浸水は愛媛、京都などで127戸、建物の一部損壊は香川などで3戸に達した。がけ崩れは奈良県などで10カ所、道路損壊は和歌山、奈良などで3カ所。自主避難を含む避難者は、和歌山、香川、徳島などで計延べ7359人。停電は近畿、四国各地で延べ4万220世帯に上った。

 交通機関にも影響が出た。JRは関西空港線で強風のため朝から深夜まで運転を見合わせたほか、夕方には東海道新幹線の静岡―浜松間が一時運休した。道路では台風の上陸した和歌山県内の国道42号が古座町内で波をかぶり、断続的に通行止めになるなど、和歌山、奈良県両県内で山間部を中心に通行止めが相次いだ。

 空の便は九州、四国方面を中心に欠航が相次いだ。航空各社によると22日は早朝から名古屋、羽田発着の便を中心に欠航が増える見込みという。

[毎日新聞8月21日] ( 2001-08-21-21:49 )


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東京砂漠に干天の慈雨

東京五輪の1964年。この年の夏の東京は空梅雨に加え梅雨明け後は猛暑となって雨はほとんど降らず,7月22日からは最高気温31℃以上の日が延々と続いていました。このため水源地である小河内,村山,山口などの貯水場は湖底が現われ,干上がる寸前にまで追い込まれる状態。東京都は7月21日から35%節減の第三次給水制限,さらに8月6日からは45%節減の第四次給水制限を実施しました。

8月20日の予報も「にわか雨のち晴」。ところが,予報に反して雨はいっこうに降り止まず,21日00時まで61.9mmの大雨となりました。

水源地周辺でもかなりの雨が降り,8月下旬にはいると断続的に雨が降るようになったこともあって,水飢饉の危機はいちおう去りました。

ところで,東京五輪の日程について,はじめのころに出された東京都の案は,7月下旬~8月上旬に開催するというものでした。こんな日程で開催していたらどうなっていたか,想像するだけで楽しいです。

ちなみに,東京五輪の開会式が10月10日に決まった経緯については,当ブログ能天気Express~新世界版~  10月10日は晴れの特異日ではなかったをご覧下さい。晴れの特異日だから10月10日に決まったというのは真っ赤なデタラメです。

ついでですが,代々木につくられた東京五輪の選手村がこのあと9月に台風に襲われることになります。

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予報裏切りまた降った

1977年8月19日の東京は,“晴れ”の予報だったのに,朝から雷雨。

これだけなら単なる予報ハズレ――ですみますが,12日に発表した月遅れのお盆を含む期間の週間予報がみごとなまでのハズれまくりで,「1977年お盆豪雨」と異名をとった雨の連続。やっと青空が戻ると期待した矢先のまたまたハズレでした。

19日付毎日新聞夕刊に

予報裏切りまた降った
板橋で千百戸浸水
「峠越した」はずが…今夏一番の大荒れ

とあります。

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台風5号が鹿児島県西部に上陸

1954年8月18日02時ごろ,台風5号が鹿児島県西部に上陸しました。

台風はその後九州を横断,四国・近畿から中部地方を通過して三陸沖に抜けました。(下図=気象庁HPより作成=参照)

1954年台風5号経路図

この台風によって九州と四国で400mmにのぼる雨が降り,各地で死・不明61,家屋損壊5442,同浸水32265などの被害がありました。

ところで,この台風の進路について,中央気象台と大阪管区気象台は違った観測を発表していました。最も食い違ったのは19日02時前後で,中央気象台の「台風の中心は淡路島付近を北東進中」に対し,大阪管区気象台は「台風は和歌山県御坊付近に上陸し,紀伊半島中部を東北東に進んでいる」としていました。距離にすると100kmも違っていました。

結局,19日05時半ごろ大阪管区側が中央の観測に乗り換えて観測の食い違いは終息するのですが,「台風進路予想の当り外れは毎度繰返すが,現に進行している中心位置を取り違え,同じ天気図に全く違った台風コースを書き入れたのは珍しいという」(8月24日付朝日朝刊)。

これに限らず,1950年代までは中央気象台と大阪管区気象台との“対立”はしばしばあったようです。

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再び,全般気象情報

本日16時00分,気象庁から全般気象情報第1号が発表されました。

大雨と雷及び突風に関する全般気象情報 第1号
平成20年8月18日16時00分 気象庁予報部発表
(見出し)
東北地方から九州地方にかけての広い範囲で、19日の未明から夜にかけて
雷を伴って局地的に1時間に40から60ミリの非常に激しい雨となるでし
ょう。河川の急な増水、低地の浸水、土砂災害に警戒して下さい。落雷や竜
巻などの激しい突風、降ひょうにも注意が必要です。
(本文)
[気象状況等]
 朝鮮半島付近にある低気圧からのびる前線が19日に本州を通過し、前線
に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定と
なる見込みです。
[防災上事項]
 東北地方から九州地方の広い範囲で、19日未明から19日夜にかけて雷
雨となり、局地的に1時間に40から60ミリの非常に激しい雨となるでし
ょう。
 河川の急な増水、低地の浸水、土砂災害に警戒して下さい。
 また、積乱雲の急な発達に伴い天気が急変し、急な強い雨、落雷、竜巻な
どの激しい突風、降ひょうとなることがありますので、十分注意して下さい
。
 
[補足事項]
 地元気象台の発表する注意報、警報、気象情報に留意してください。
 次の「大雨と雷及び突風に関する全般気象情報」は、19日05時頃に発
表する予定です。


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陸・海・空で災害

1963年8月17日は陸・海・空で呪われた一日となりました。

陸では――:

15日からこの日にかけて熊本県南部に局地的な豪雨。土石流により八代市で住宅7戸が損壊,住民9人が死亡,7人が負傷。五木村で123戸が被災,10人が死亡するなど,全体で死19,負傷7,被災住宅130戸などの被害

海では――:

乗客ら241人を乗せて久米島に向けて那覇市の泊港を出港した「みどり丸」(302.8トン)が大波を受けて転覆,チービシ(神山島)近海で沈没。86人が死亡,26人が行方不明に

空では――:

羽田に向けて八丈島空港を飛び立った藤田航空の旅客機がが濃霧の中,八丈富士の八合目付近の雑木林に墜落。乗員乗客19人全員死亡


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台風7号のVターン

1968年8月15日,それまで沖縄の西の東シナ海でゆっくり西進していた台風7号が突然北東進を開始,16日になるとスピードを上げました。(下図=気象庁HPより作成=参照)

1968年台風7号経路図

気象庁はもちろんこの急変を予測できず,そのせいもあって漁船の遭難が続出,18人が犠牲になりました。

7号はこののち日本海を経て,17日18時沿海州で温帯低気圧に変わりましたが,その途中で次の災害の種をまいていきました。

AD1968/08/18 岐阜県白川町の国道41号で観光バス2台が集中豪雨による土砂崩れにあい飛騨川に転落。死者104人


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ジュディス台風が上陸

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ……から4年後の1949年8月15日,ジュディス台風が鹿児島県志布志湾付近に上陸しました。

この台風による被害は,死・不明179,負傷213,家屋損壊2561,同浸水10万1994,田畑被害10万1889ha,船舶被害124など。

とくに九州各地では16日から60時間大雨が降り続き,霧島では総雨量600mmに達して温泉旅館街が大きな被害を受けたもようです。

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女性名台風初登場?!

1946年8月14日付の読売新聞にある次の記事が,女性名台風の新聞への初登場と思われます。

颱風 本土を狙ふか 今夏最大 廿日前後十分ご注意

外局發表によればグアム島の艦隊中央氣象部ではマリアナに發生した颱風を「リリイ」と名付けてゐるが目下「リリイ」は時速十ノツトの速度でジグザグの進路をとつて進んでゐる


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与謝野晶子と「颱風」

与謝野晶子に「颱風」と題する随筆があります。

八月十三日。
昨夜は夜通し蒸暑くて寝苦しかつた。夕刊の新聞に台風が東京をも襲ふ筈だと書いてあつたが、夜の十時頃から果してそれらしい風が吹き出した。併し雨はまだ小降であつた。蚊遣線香が無くなつたので十一時で筆を止めて蚊帳の中に入つたが、寝苦しいままに何時しかうとうととすると、アウギュストが啼いたので目が覚めた、もう夜明である。白んだ戸の隙間から吹き込む風で蚊帳が凄《すさま》じい程煽《あふ》られて居る。

ではじまります青空文庫より。新字旧仮名になっています)

すぐにわき上がる疑問――これはいったいいつの台風なのか。もちろん調べてあります。

ヒントは次の部分にあります。

今日の新聞にある電報では独逸の大軍が仏蘭西と白耳義の国境へ集中され、カイゼル自身が国境戦の声援に出馬したやうである。リエイジュの一敗位に懲りる様な独逸ではないから、英仏の連合軍を相手に激しい大会戦が行はれるであらう。

これは第一次世界大戦のいわゆる「リエージュの攻城戦」のことで,このことから1914年であることがわかります。

リエージュの攻城戦というのは,ものの本によると,第一次世界大戦の初っ端,中立国ベルギーが侵入してきたドイツ軍をリエージュ要塞で迎え撃った戦いで,当時の新聞に

勇ましきリエジユ魂
婦女老幼悉く剱を拔いて
祖國の爲めに獨軍と鬪ふ

などとあります(8月13日付東京朝日)。はじめはドイツ軍を撃退しましたが,炸裂する42センチ砲の威力の前に徐々に形勢が不利になり,8月16日ついに陥落しました。

ちなみに,リエージュといえば,リエージュ風ワッフルがあります。丸い形とサクッとした食感が特徴だそうです。

さて,このときの台風について「気象要覧」には

此颱風ハ十日小笠原列島ノ南方海上ニ顯ハレ北北西ノ進路ヲ採リテ進行シ十一日ノ午後父島ノ西方ヲ通過シ十三日ノ朝駿河灣ニ殺到シ遂ニ沼津付近ヨリ上陸シテ北東ニ轉向シ熊谷前橋間ヲ經テ十四日ノ朝金華山ノ東方洋上ニ出テ十五日根室冲ニ去ル

とあります。台風が上陸し関東地方を通過しているちょうどそのころに「颱風」が書かれたことになります。

長津呂で08時に最低気圧720.4mmHg(≒960.5hPa)を観測したように,上陸時,この台風はおそらく今流にいえば“強い”台風でした。八丈島では05時に最大瞬間風速58.8m/sを観測しています。

東京都心では13日の朝から“暴風雨”が吹き荒れました。14日付の東京日日新聞には「十三日早暁から満都に荒れ廻つた暴風雨は日一杯其兇暴を肆《ほしいまま》にした……」とあります。この暴風により,銀座の柳が枝折れを起こし,各地で板塀,垣根,煙突の倒壊が相次ぎました。

ほかには,六郷橋が増水と上流からの流木によって流失,茅ヶ崎の沖合では22人乗りの漁船が転覆し,12人が行方不明になりました。

また,この台風との関係は不明ですが,富山県の神通川流域を中心に大きな水害が発生し,死者156,不明84,家屋流失250,全壊59,半壊56などの被害が出ています。

ところで,この随筆に「台風(原文おそらく“颱風”=引用者注)と云ふ新語が面白い」と書かれており,このころまだ颱風ということばが新しかったことがわかります。実際,“颱風”が使われはじめたのは明治も終わりの1908年で,広まりはじめたのは大正にはいってからです。詳しいことはそのうち書くかもしれません。

与謝野晶子には「颱風」という題の詩もあり,この年の9月22日付の読売新聞に載っています。これも青空文庫で読めます。

ついでに,与謝野晶子が実は“バーゲンおばさん”だった件については能天気Express~新世界版~  ある火災の都市伝説をご覧ください。

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