津波警報と東京マラソン (2010年)

チリ沖の巨大地震

2010年2月27日,現地時刻で03時34分ごろ(日本時間では17時34分ごろ),南米のチリ沖でMw8.8の巨大地震が発生しました。

チリ沖で発生した巨大地震では,1960年のチリ地震津波や1877年のイキケ地震など日本沿岸にも津波が押し寄せてきました。イキケ地震については九十九里で津波被害(1877年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

今回も日本沿岸に津波が到達すると予想されたことから,気象庁は津波警報・津波注意報を発表しました。

津波警報・注意報
平成22年 2月28日09時33分 気象庁発表

************** 見出し ***************
大津波・津波の津波警報を発表しました
 東北地方太平洋沿岸、北海道太平洋沿岸、青森県日本海沿岸、関東地方、
 伊豆・小笠原諸島、東海地方、近畿四国太平洋沿岸、岡山県、
 有明・八代海、九州地方東部、鹿児島県、沖縄県地方
これらの沿岸では、直ちに安全な場所へ避難してください
なお、これ以外に津波注意報を発表している沿岸があります

************** 本文 ****************
津波警報を発表した沿岸は次のとおりです
<大津波>
 青森県太平洋沿岸、岩手県、宮城県
<津波>
 北海道太平洋沿岸東部、北海道太平洋沿岸中部、北海道太平洋沿岸西部、
 青森県日本海沿岸、福島県、茨城県、千葉県九十九里・外房、
 千葉県内房、東京湾内湾、伊豆諸島、小笠原諸島、相模湾・三浦半島、
 静岡県、愛知県外海、伊勢・三河湾、三重県南部、淡路島南部、
 和歌山県、岡山県、徳島県、愛媛県宇和海沿岸、高知県、有明・八代海、
 大分県瀬戸内海沿岸、大分県豊後水道沿岸、宮崎県、鹿児島県東部、
 種子島・屋久島地方、奄美諸島・トカラ列島、鹿児島県西部、
 沖縄本島地方、大東島地方、宮古島・八重山地方
これらの沿岸では、直ちに安全な場所へ避難してください

津波注意報を発表した沿岸は次のとおりです
<津波注意>
 北海道日本海沿岸南部、オホーツク海沿岸、陸奥湾、大阪府、
 兵庫県瀬戸内海沿岸、広島県、香川県、愛媛県瀬戸内海沿岸、
 山口県瀬戸内海沿岸、福岡県瀬戸内海沿岸、福岡県日本海沿岸、
 長崎県西方、熊本県天草灘沿岸

*************** 解説 ***************
<大津波の津波警報>
高いところで3m程度以上の津波が予想されますので、厳重に警戒してくだ
さい
<津波の津波警報>
高いところで2m程度の津波が予想されますので、警戒してください
<津波注意報>
高いところで0.5m程度の津波が予想されますので、注意してください

ついでですが,当時は大津波警報というものはなく,青森県太平洋沿岸,岩手県,宮城県に発表されたのは大津波警報ではなく大津波の津波警報です。大津波の津波警報をマスコミなどが勝手に大津波警報とよんでいただけです。3.11の際に発表されたのも大津波警報ではなく大津波の津波警報です。

“強行”された東京マラソン

地震の翌日の28日には東京マラソンが予定されていました。

大会を盛り上げるため,次のような白々しいイベントが事前に行なわれたりしていました。

因縁ライバル 瀬古&中山が“和解”の握手

1月27日7時1分配信 スポニチアネックス

 日本の男子マラソン界で一時代を築き、強烈なライバル関係にあった瀬古利彦氏(53)と中山竹通氏(50)が26日、都内でトークショーを開催し、ともに笑顔で現役時代はできなかったという“和解”の握手を交わした。

 2月28日の東京マラソンを盛り上げるイベントで実現したトークショーの冒頭で、瀬古氏が「オレは中山のことが好きだけど、中山は(オレのことが)嫌いだった」と先手を打つと、中山氏は「ずっと雲の上の存在。それと勝負とは違う」とやり返す場面も。

 中山氏は87年12月のソウル五輪代表選考会となった福岡国際で優勝した際、瀬古氏が故障で欠場したことについて「はってでも出てこい!」と発言したとされ、以後、両者は距離を置くようになっていた。

記事中にある1987年の福岡国際マラソンについては「這ってでも出てこい!!」 (1987年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

28日朝,気象庁は津波警報または津波注意報を発表するという会見を開きました。ところが,そんなことはお構いなしに東京マラソンのスタートが切られました。

【東京マラソン】速報(1)3万5000人スタート
2010.2.28 09:15

 今年で4回目となるアジア最大級の市民マラソン「東京マラソン」(主催・日本陸上競技連盟、東京都、共催・産経新聞社など)は28日、号砲が鳴った。約3万5000人のランナーは都庁前をスタート。都心を駆け抜け、東京ビッグサイトのゴール地点を目指す42・195キロの長いレースが始まった。
 スタート地点では、今年も石原慎太郎知事が号砲を鳴らし、午前9時5分に車いすのランナーがスタート。同10分にはフルマラソンと10キロのランナーが都心へと走り出した。冷たい雨が降る悪天候の中、レインコートを着用してレースに臨む市民ランナーの姿が多くみられた。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/100228/oth1002280915001-n1.htm=リンク切れ

同じころ,三陸沿岸では行事を中止して避難に備える動きがありました。

大津波、半世紀前の教訓 三陸、行事中止し避難の備え

2010年2月28日10時6分

 1960年のチリ地震津波で大きな被害を受けた宮城県の三陸沿岸では、大津波警報が発令される前から災害対策本部を立ち上げるなどの動きが広がった。

 60年に死者41人、負傷者約500人の被害が出た旧志津川町を含む宮城県南三陸町では、午前8時45分に「津波警戒対策本部」を設置。町内で開かれる予定だった「南三陸志津川かきまつり」や防火イベントの中止を決め、防災無線などで町内に通達した。水門を閉鎖したり、避難を勧告するなどの対応をするという。

 気仙沼市では大津波警報の発令と同時に、沿岸部の6千世帯1万5千人に避難命令を出し、防災無線と消防の広報車を使って「高台に避難してください」などと周知した。
http://www.asahi.com/national/update/0228/TKY201002280082.html=リンク切れ

東京マラソンの“強行”については当然のことながら疑問の声が上がりました。

防災担当相が東京マラソン開催に疑問呈す

 中井洽防災担当相は2日の記者会見で、チリ大地震で津波警報が出た中で東京マラソンが行われたことについて「警報を出しても意味がないということになると、次回の警報が信用されなくなる」と発言、開催の判断に疑問を呈した。

 中井防災相は、東京マラソンについて「悠々とやっていた。東京都の判断なのだろう。都の担当者は(当時のマスコミ取材に)『1メートル以上は来ないので決行した』と言っていたが、津波警報は1メートル以上(の可能性があるとの予測)だ」と反論。

 「やったことに文句を言っているわけではない」としながらも、開催は警報の信用性に影響を及ぼしかねないとの見方を示した。

 その上で、中井防災相は「(国民や自治体などに)もう少しきちっと対応をお願いできるよう(津波予測は)さらに厳密なやり方を考えたらどうだろう」と述べ、一例として大津波警報と津波警報の間の警報レベルを設置するなどの考えを示した。

 東京マラソンは2月28日、約3万5000人の市民ランナーらが参加。コースには津波警報が出た東京湾内湾に近い部分も含まれていた。

 東京マラソン組織委員会事務局の早崎道晴事務次長は「津波警報は出ていたが、東京湾の予報は1メートル。ゴール地点の東京ビッグサイトは海抜約6メートルあり、安全と判断した。開催中も津波情報は収集し、不測の事態に備えていた」としている。

 [2010年3月2日12時41分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20100302-601781.html=リンク切れ

この記事によると,開催側には

  1. 東京湾の予報は1m
  2. ゴール地点の東京ビッグサイトは海抜約6m
  3. よって安全

という程度の認識しかなかったんですねぇ。想定外を想定していないどころか,遡上高を考慮に入れてないという……。

当時の津波認識

東京マラソンの担当者もそうでしたが,認識の甘い人は他にもいたようです。

津波、最大波到達前に帰宅 警報発令した釜石と尾鷲

2010年3月2日14時27分

 南米チリの大地震で発生した津波で、大津波警報や津波警報が出ていた沿岸部の住民の多くが、第1波の到達を確認したあとで、避難所から帰っていたことが専門家の調査で分かった。津波は第1波の到達後により大きくなっており、避難のあり方や行政からの情報提供をめぐって課題が浮かび上がった。

 災害時の住民避難の問題を研究している群馬大学の片田敏孝教授のグループが、大津波警報が出た岩手県釜石市と、津波警報が出た三重県尾鷲市で、避難所に来た住民の動きを調べた。

 釜石市では、28日の午後1時半に津波が到達すると予想され、その時間に合わせて住民の数は増えていった。この時刻に最も多い950人が集まった。避難指示が出た地区全体の人口の6%だった。

 しかし、午後2時過ぎ、20センチの第1波が観測されると住民は帰宅を始めた。津波は第2波以降大きくなり、午後3時39分の第4波と、午後6時24分の第5波で最大の50センチを観測したが、避難住民の数は午後6時過ぎには240人程度まで減っていた。

 尾鷲市では、避難所には午後3時の時点で238人が避難。高さ30センチの第1波が午後3時8分に到達。その後、午後4時までに41人減り、午後5時までにさらに55人が帰宅し、避難者数は142人になった。午後5時5分に最大の60センチの波を観測した。一方、避難住民は午後6時には99人になったという。

 片田教授は「テレビなどで津波の到達時間や高さはよく見ているが、第2波や第3波の方が大きいことへの警戒ができていない。津波に対する理解をもっと深める必要がある。日本近海で発生する地震津波では時間はない。揺れたらすぐ逃げるなど、自分で判断することが大切だ」と話している。
http://www.asahi.com/national/update/0302/TKY201003020243.html=リンク切れ

そしてアレの典型はこれ:

サーファー、津波警報無視 全国で1100人確認

2010年3月4日5時5分

 南米チリの大地震による津波が心配された2月28日、全国各地の海岸では、海上保安庁や警察などの避難指示にもかかわらず、波乗りを続ける人がいた。海に出ていたサーファーらは海保が確認しただけで全国で約1100人。津波はサーフィンに適した大波とは形や威力が違い、極めて危険だ。無謀な行為に、サーフィン愛好者からも非難の声があがる。

 千葉県館山市の平砂浦(へいさうら)海岸。当日の午後、上空を哨戒飛行していた第3管区海上保安本部のヘリコプターが、波乗りをしているサーファー約30人を確認した。拡声機で避難を呼びかけると、何人かは陸に上がったが、約1時間後に戻ったところ、サーファーは約50人に増えていた。拡声機で呼びかけても、反応はほとんどなかったという。

 館山市布良では、午後2時16分に20センチの津波の第1波を観測。気象庁は「津波は後の方が大きい可能性がある」として、引き続き高所への避難を呼びかけていた。

 ヘリはぎりぎりまで海面に近づき、潜水士2人が飛び込んだ。泳いでサーファーに近づき懸命に説得したが、波の音に打ち消されて声は届きにくかったという。

 陸上からは、地元の消防団員162人が消防車で海岸付近を巡回して避難を呼びかけた。千葉県警館山署も、サーファーの多かった平砂浦と同県南房総市の和田浦海岸に警察官を派遣して、午後2時ごろに、いったんほぼ全員を陸に呼び戻した。しかし、警官の姿が見えなくなると再び海に出るサーファーが相次ぎ、暗くなるまでいたちごっこが続いたという。館山市では午後5時52分に80センチの最大波を観測した。

 地元のサーフィン愛好家で会社員の宇田川公正さん(45)は「首都圏のサーファーは、時間と金をかけて来たのだから少しでも長く波乗りをしたいと、危険を無視して海に出がちだ」と話した。

 年間約6万人のサーファーが訪れる北海道厚真(あつま)町の浜厚真海岸にも、28日早朝から見物人も含めて100人ほどが訪れていた。

 苫小牧海上保安署は午前9時30分から正午すぎにかけ、浜辺からと海上からの二手に分かれ、避難を呼びかけた。警報を知らなかった人や、子ども連れの多くは素直に聞き入れたが、「ビッグウエーブに乗ってみたい」と無視するサーファーも少なくなかったという。浜厚真海岸から約2キロの苫小牧東港では午後4時45分に約30センチの津波を観測している。

 海上保安庁によると、神奈川県や福島県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、沖縄県の海岸でも、海に出たサーファーが確認された。呼びかけに応じないケースも目立ったという。海保では「台風の際にも多くのサーファーが浜に集まる傾向がある。指示には必ず従って」と訴える。

 日本サーフィン連盟は、「津波はサーフィンに適した波とは質も力も全く異なるもので、非常に危険」と指摘。「海の危険性を学ばないまま、道具だけ買って何となく始めるサーファーが出てきている」として、ルールやマナー順守を呼びかけていく方針だ。

http://www.asahi.com/national/update/0304/TKY201003030535.html=リンク切れ

おまけ

この日(28日)の夜,日本地図入り龍馬伝が放送されました。

また,バンクーバー冬季五輪のカーリング中継では,日本地図に隠れてストーンが見えなかったり……。

兵庫県ではこんなミスも。

津波予想時刻を誤配信 県の防災ネット 

 チリ大地震で、兵庫県の淡路島南部、瀬戸内海沿岸に津波警報や注意報が出された28日、県の情報ネットワークシステム「ひょうご防災ネット」が、「28日午後4時」だった津波の到着予想時刻を「30日午後1時半」と誤って送信していたことが1日、分かった。約7分後に訂正した。

 県は2005年度から、携帯電話のメール機能を使って災害情報を県民に伝える同ネットを整備。最大で34万5千件に配信できる。

 県によると、28日午前11時21分、津波注意報が出ていた瀬戸内沿岸の津波到着予想時刻などについて、作成者が書き込みミスをした内容を、そのまま確認せずに送ったという。約13万件に配信されていた。津波警報が出ていた淡路島南部の情報は正確だった。

 県災害対策課は「今後は複数チェックを行い、正確な情報発信に努めたい」としている。

 (藤原 学)

(2010/03/01 20:16)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002751270.shtml=リンク切れ

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「這ってでも出てこい!!」 (1987年)

前回伝説の雪の早明戦から引き続き1987年12月6日の話です。

12月の第1日曜には福岡国際マラソンもあります。

この日行なわれた福岡国際マラソンは,中山竹通が悪コンディションの中,5kmごとのスプリット14.35-14.30-14.35-14.57-15.11-15.14-15.23と,35kmまで当時の2.07.12の世界最高時の通過タイム1.45.40を上回るペースで快走,後半の冷たい雨(みぞれ?)でスタミナを奪われて記録更新はならなかったものの,2時間8分18秒でぶっちぎりで優勝しました。このタイムはシーズンの世界最高,歴代(当時)でも10位の好タイムで,ソウル五輪への切符を事実上手中にしました。

当初,ソウル五輪の男子マラソン代表は事実上この福岡国際での一発選考といわれていました。ところが, 瀬古利彦1が足をケガして出場できなくなった途端に,選考は翌年3月のびわ湖毎日マラソンまでと変更される始末。このとき中山は瀬古に対し

這ってでも出てこい!!

といったといわれています。実際には

ボクなら這ってでも出る!!

といった――という話もあります。真相はわかりませんが,本当は何といったかはどうでもよく,中山は怒りをこの福岡国際でぶっちぎって勝つことで示したのでしょう。

這ってでも出てこなかった瀬古は翌年3月13日,選考最後――というより瀬古のためにあとから選考レースとして設定されたびわ湖毎日マラソンに出場,優勝はしたもののレース内容はシロウト目にも評価に値しないレベルでした。タイムもごく平凡なら(2時間12分41秒), 35-40kmのスプリットが17分01秒というのは,いくら向かい風だったとはいえ女子マラソン並みです。もう瀬古の時代は終わっていたのでしょう。それでも昔の名前でソウル五輪に出ましたが,予想どおりの惨敗に終わりました。

ちなみに,今日行なわれる福岡国際マラソンの中継の解説のひとりがこのとき這って出てこなかった瀬古。民放のロードレース中継というとなぜかほとんど毎度毎度解説に出てくるので別に驚きはしませんが,這ってでも出てこなかった年と同じ12月6日にどのツラ下げて……。

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※この記事は「這ってでも出てこい」 | Notenki Express 2014を少し書き直したものです。


  1. いうまでもなく,日テレの箱根駅伝中継やその他のマラソン中継になぜか頻繁に出てきてはワセダの応援やピントはずれな発言でヒンシュクを買っている人物。いつぞやは“ビoコ”発言もありました。 

伝説の雪の早明戦 (1987年)

12月第1日曜の初雪

1987年12月の最初の日曜,すなわち1987年12月6日,低気圧が発達しながら鳥島付近を通過,この低気圧に向かって北東から冷たい空気がはいってきました。

このため東京は最低気温0.9℃と冷え込み,前夜からの雨が06時から雪に変わりました。

これがこのシーズンの初雪で,戦後では1962年に次いで2番目に早い初雪です(当時)。そして09時には積雪2cmを記録しました。東京以外の積雪は八王子2cm,宇都宮4cm,軽井沢25cm,日光23cm,秩父7cmなどとなっています。

この雪の影響で,奥多摩有料道路が09時から全面通行止めになったほか,東北,関越,常磐などの自動車道路でも一時チェーン規制や速度制限が行なわれました。

また,中山競馬は11日に順延になり,この日予定されていたミホシンザンの引退式も次週に延期になりました。

東京で雪が降ればおきまりの相次ぐおむすびコロリンスッテンコロリン。東京消防庁の調べでは,この日だけで28人が重軽傷を負いました。私は大のおとながこれしきの雪で滑って転ぶのがいまだに信じられないのですが。

神宮外苑では,ほどよい感じで雪が降り,「思わぬ都心の雪景色に若者たちはちょっぴり“ロマンチック気分”」(毎日新聞)

雪の早明戦

12月の第1日曜といえばラグビー早明戦です。

今では12月の第1日曜と決まっているようですが,以前は12月の第1日曜以外に行なわれたこともあり,例えば1957年と1973年などは12月の第2日曜に行なわれています。

この日,国立競技場でも朝から雪が降り,グラウンドには一面の雪――。しかし,何があろうと中止にならないタテマエのラグビー,中止にしてはなるまじと約200人が雪かきに動員され,なんとかキックオフができる状態にこぎつけました。ビデオで見ると,それでもグラウンドのあちこちに雪が残っています。

試合は,先制した早稲田が一時は逆転されたものの今泉の2つのペナルティーゴールで再逆転,最後の明治の重量フォワードの猛攻を必死のディフェンスで凌ぎ,10-7で逃げ切りました。

ロスタイムにはいってからゴール前に釘づけとなった早稲田がオフサイドの反則を犯しペナルティーキックで同点という場面が2回あったのですが,明治は引き分けを潔しとしませんでした。

コンディションがコンディションだけにミスも多かったことは確かですが,とにかく白熱した名勝負でした。とくに最後の10分などはいまビデオで見ても力がはいります。

早稲田はこのシーズン,大学選手権も制し,さらには日本選手権で東芝府中も破り,学生としては(おそらく)最後の日本チャンピオンになりました。ちなみにこのときのNo.8が清宮・現ヤマハ監督です。当時は大学2年でした。

なお,ラグビーが何があろうと中止にならないというのはあくまでタテマエです。それが証拠に1996年2月18日には雪のために日本選手権の決勝が順延,1998年1月には同じく雪のために日本選手権の1回戦が順延になっています。また,1989年1月にはおよそ説得力があるとは思えない理由で全国高校大会の決勝は中止,大学選手権の決勝は順延になりました。

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※この記事は伝説の雪の早明戦 | Notenki Express 2014を少し書き直したものです。

同一日に行なわれる皐月賞と早慶レガッタの傾向

隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年) | Notenki Express 2014を上げたときに,そろそろ早慶レガッタだなと思って調べたら今度の日曜日(4月19日),つまり皐月賞と同じ日だとわかり,そういえば以前同じ日に行なわれた皐月賞と早慶レガッタについて調べたことがあったなあとハードディスクを検索したところ,ありました,ありました。

2003年04月15日に発行したメルマガ能天気Express (Active Weather Express)No.071競馬歳時記で取り上げていました。そのまま引用します。

■競馬歳時記

  この前ちょっと部屋の整理をしていたら(かえって散らかったかも),何本か古
  いビデオテープを発掘しました。1989年 WSPC シリーズ第1戦(実はこれをさが
  していた)や火曜サスペンス劇場「琵琶湖周航殺人歌」(これもさがしていた)
  などに混じって,1992年の皐月賞と早慶レガッタが録画されているテープがあり
  ました。

  この1992年もそうなんですが,皐月賞と早慶レガッタは同じ日に行なわれること
  があります。今年の4月20日も両方行なわれます。

  そこで,同じ日に行なわれた年の早慶レガッタと皐月賞の傾向を調べてみました。
  おそらく史上初の試みでしょう(爆)

  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+
  | 年 |月|日|優勝校|1着馬             |枠|馬番|人気|
  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+
  |1939| 4|29|早大  |ロツクパーク      | -|   2|   7|
  |1947| 5|11|慶大  |トキツカゼ        | -|   2|   1|
  |1965| 4|18|早大  |チトセオー        | 6|  14|   8|
  |1966| 4|17|早大  |ニホンピローエース| 2|   6|   2|
  |1969| 4|20|慶大  |ワイルドモア      | 1|   1|   1|
  |1970| 4|12|早大  |タニノムーティエ  | 8|  11|   1|
  |1973| 4|15|早大  |ハイセイコー      | 4|   7|   1|
  |1977| 4|17|早大  |ハードバージ      | 2|   3|   8|
  |1978| 4|16|慶大  |ファンタスト      | 3|   3|   3|
  |1979| 4|15|早大  |ビンゴガルー      | 2|   3|   3|
  |1983| 4|17|慶大  |ミスターシービー  | 5|  12|   1|
  |1986| 4|13|同着  |ダイナコスモス    | 8|  19|   5|
  |1990| 4|15|早大  |ハクタイセイ      | 7|  15|   3|
  |1992| 4|19|早大  |ミホノブルボン    | 2|   4|   1|
  |1994| 4|17|慶大  |ナリタブライアン  | 1|   1|   1|
  |1995| 4|16|慶大  |ジェニュイン      | 3|   6|   3|
  |1998| 4|19|早大  |セイウンスカイ    | 2|   3|   2|
  |1999| 4|18|慶大  |テイエムオペラオー| 6|  12|   5|
  |2000| 4|16|慶大  |エアシャカール    | 8|  16|   2|
  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+

  ハッキリいえば,なんの傾向も見あたりません。まあ,だいたいこんなもんでし
  ょう。かりに何か傾向のようなものがあったとしても,それはデータの偏りです。

翌年2004年4月16日発行のNo.116でもシツコくこの話題を取り上げ,さらに五輪が重なった年について書いています。途中から引用します。

  さらに五輪年が重なったことは2回あり,そのひとつが1992年でした。

  1992年4月19日,第52回皐月賞。寒冷前線の通過により,船橋アメダスでは,気
  温が12時18.9℃から13時12.6℃と6.3℃も降下。風向が南南西から西北西に変わ
  り,雨が降り出しました。しかし,馬場状態の発表は良のまま。今はなき大川慶
  次郎さんはテレビ中継の中で「ことばがあれば‘やや良’というとこ(ろ)なんで
  しょうけどね,(リャイアンッ!!)」といっています。

  レースはミホノブルボンのひとり舞台でした。

  ----------------------------------------------------------------------
  1992年 4月19日(日) 3回中山8日  天候: 雨   馬場状態: 良
  10R  第52回皐月賞
  4歳・オープン・G1(定量) (牡・牝)  芝 2000m   17頭立
  ----------------------------------------------------------------------
  着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人 廐舎
  ----------------------------------------------------------------------
  1 2  4  ミホノブルボン   牡 4 小島貞博  57  2.01.4 37.1  1 戸山為夫
  2 3  5  ナリタタイセイ   牡 4 南井克巳  57  2.01.8 37.0  4 中尾謙太
  3 1  1  スタントマン    牡 4 角田晃一  57  2.02.1 37.2  5 渡辺栄
  3 3  6  アサカリジェント  牡 4 柴田政人  57  2.02.1 37.2  2 河野通文
  5 4  7  マヤノペトリュース 牡 4 田原成貴  57  2.02.2 36.4  6 坂口正大
  6 6 12  セキテイリュウオー 牡 4 田中勝春  57  2.02.3 37.6  3 藤原敏文
  7 7 15  マチカネタンホイザ 牡 4 岡部幸雄  57  2.02.4 37.0  7 伊藤雄二
  8 5  9  ライスシャワー   牡 4 的場均   57  2.02.8 38.0 11 飯塚好次
  9 1  2  ホクセツギンガ   牡 4 藤田伸二  57  2.02.9 37.7  9 白井寿昭
  10 7 13  カミノエルフ    牡 4 横山典弘  57  2.03.1 37.7  8 小林常泰
  11 8 16  サウスオー     牡 4 柴田善臣  57  2.03.3 37.8 12 高橋祥泰
  12 6 11  ダッシュフドー   牡 4 谷中公一  57  2.03.4 38.7 10 阿部新生
  13 5 10  マイネルコート   牡 4 関口睦介  57  2.03.8 38.4 15 梶与四松
  14 2  3  リワードガルソン  牡 4 岡山定夫  57  2.04.1 39.5 14 野平祐二
  15 7 14  クリトライ     牡 4 河内洋   57  2.04.2 39.6 13 阿部新生
  16 8 17  マイネルトゥルース 牡 4 加藤和宏  57  2.04.8 39.3 16 河野通文
  17 8 18  セイショウマインド 牡 4 江田照男  57  2.05.0 39.2 17 古賀史生
  消 4  8  マーメイドタバン  牡 4 大塚栄三  57  ------ ---- -- 和田正道
  ----------------------------------------------------------------------
  LAP :12.7-11.1-11.6-12.5-11.9-12.1-12.4-12.4-12.1-12.6
  通過:35.4-47.9-59.8-71.9  上り:73.5-61.6-49.5-37.1
  単勝 4 \140    複勝 4 \100 / 5 \230 / 1 \190 / 6 \130
  枠連   2-3 \360 (1)
  馬連   04-05 \1210 (4)
  ----------------------------------------------------------------------

  一方,隅田川の早慶レガッタは,スタート直後こそ慶應がリードしたものの,土
  手評の高かった早稲田がじりじりと差を詰め,厩橋付近(1160m 地点)で慶應をと
  らえると,3艇身の差をつけて前年の雪辱を果たしました。

  さて,今年はどうなりますか。なんとなく3番の勝ち馬が多いように見えるのは
  σ(^^;)だけかな……。ということはコスモのもう1頭のほう?(笑) まあ,偶然で
  しょうけれど。

  どうでもいいですが,何かと理屈をつけて1992年を取り上げたのは,たまたま皐
  月賞,早慶レガッタともビデオが残っていたからです(笑)

2004年以降についても調べようと思えば簡単に調べられるのですが,これを書いたころとは関心のベクトルの向きが変わっていて,こっち方面には向いていません。

ちなみに,早慶レガッタはかつてはラジオで生中継が行なわれていて1,テレビでも地上波で生中継が行なわれていたことがあります。ところが,いつしか録画になり,今では地上波では放送されなくなっています。注目度が変わっているのでしょうねえ。

ネット中継(もちろんLIVE)が行なわれていた年もありましたが,今年はどうなんでしょう。今のところアナウンスはないようです。

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  1. 毎年というわけではなかったようです。 

隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年)

※この記事は初代ブログ(ココログ)に2006年4月13日に書いたものですが,今のブログになぜかインポートされていないのでそのまま投稿します。

春のうららといえば今は高知競馬場が有名ですが(というのは2年前までの話で,今では完全に忘れられた存在(笑)),大昔は隅田川でした。その隅田川の春の風物詩といえばやはり「早慶レガッタ」。

早慶レガッタは1905年に隅田川ではじまり,敗戦後,1947年に復活したときも隅田川でした。1957年の“あらしのボートレース”も隅田川。このように隅田川で多く行なわれていましたが,川の汚染や首都高の向島線の架設工事などによって,隅田川はボートレースのできる環境ではなくなり,1961年を最後に隅田川を離れました。江戸時代から続く夏の風物詩「両国花火大会」も1961年で廃止になっています。

時は過ぎ,1970年代の後半になると,汚染対策も若干進んで隅田川にも魚が戻るようになり,関係者の努力もあって早慶レガッタは隅田川に帰ってきました。

その隅田川復活の早慶レガッタは1978年4月16日に行なわれました。コース設定などの苦労話については公式ページhttp://www.the-regatta.com/ に詳しいです。

この日は,関東の南東海上の高気圧と日本海の低気圧の間で気圧の傾きが急な領域が関東南部にかかっており,東京では朝から南~南南西の風が吹き荒れていました。大手町の最大風速は14.8m/s,最大瞬間風速は24.5m/sでしたが,隅田川の川面ではもっと強かったかもしれません。

レースは予定より遅れて15時17分に永代橋をスタート。スタート直後こそ早稲田が出たものの,早稲田の「韋駄天号」にはスタート前から水がたまっており,スピードが乗らないばかりかコントロールを失っていました。その後も清洲橋(615m地点)で2艇身ほどリードした慶應艇の水しぶきを受け,ますます浸水が進むという悪循環。結局,なんとか沈めないようにゴールまでもたせるのが精一杯,レースは慶應が55ストローク,距離にして500mもの大差で圧勝しました。

勝った慶應クルーはコックスを水に“投げ込んだ”後,われ先にと隅田川に飛び込みましたが,水はとくに汚くはなかったそうです。

このレースを見に隅田川に集まった観衆は18000人。ただし,川岸のマンションやビルの屋上の見物人,通りすがりの通行人を含めると10万人になるとか。

早慶レガッタの隅田川復帰大成功も呼び水となり,7月29日,両国の花火大会が17年ぶりに開かれることになります。ただ,当初の予定は7月22日だったようですが,1週間のびたのはなぜなんでしょう……?1

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  1. 潮回りの影響だったようです。ちなみに1週間延びたせいで板橋区と戸田市の花火大会と同じ日になり,丁々発止の果たし合い的展開になるのですが,それはまた別の機会に。[20150416付記] 

ゴミを拾って表彰されるサポーターとゴミをまき散らせた総理大臣

東京新聞:「日本人の行動、文化的遺産」 W杯ごみ拾い表彰 リオ州政府:国際(TOKYO Web)より一部引用:

【リオデジャネイロ=共同】サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、日本代表の試合後に日本人サポーターが観客席のごみ拾いをしたことをたたえ、リオデジャネイロ州政府は十一日、サポーター代表として駐リオ日本総領事や地元日系団体代表を表彰した。

リオ州政府のカルロス・ポルチニョ環境局長は再生紙で作った表彰状を高瀬寧(やすし)総領事に手渡し「言葉が通じなくても動作だけで素晴らしさが伝わってきた。日本人の行動は文化的な遺産だ」とたたえ「リオ五輪ではブラジル人にも見習ってもらいたい」と訴えた。

一方,2007年6月4日付日刊ゲンダイにはこんな記事が。

「安倍がゴミ拾い」のためにゴミ戻す (ゲンダイネット)

アララ、安倍首相のゴミ拾いパフォーマンスのために、小学生らがしかられちゃった――安倍首相は3日午前、地元小学生らに交じり、丸川珠代ら参院東京選挙区候補者と東京・世田谷区の多摩川河川敷でゴミ拾いの清掃活動に参加した。

冒頭、「美しい日本をつくっていくため、きれいな日本をつくっていくことが大切だ」と得意満面で挨拶した首相だが、安倍首相が作業を始めるとゴミがない……。河川敷は先日も清掃したばかりで、しかも先に作業した人たちがゴミを拾ってしまっていた。それに気付いた関係者が「ダメだよ拾っちゃ! ここは総理が拾うところだ!」と絶叫。拾った人は渋々ゴミを袋から地面に戻した。

安倍首相の当日の姿はシャツと革靴。参加者の中には首相のやる気を疑問視する声もあった。ゴミ拾いに挑戦してゴミをまいてきた小学生たちは、首相が叫ぶ「美しい国」をどうとらえるのだろうか。

同日付のスポーツニッポンより:

首相とゴミ拾い…丸川さんナイスフォロー

丸川珠代さんは3日午前、安倍首相らとともに東京都世田谷区の多摩川河川敷で地元の小学生らに交じり清掃活動に参加した。約1メートルの長さの角材を拾ってきた小学生に「これ、ありました」と差し出された安倍首相が「それは(ゴミ袋に)入らないよ」と受け取りに難色を示すと、すかさず丸川さんがフォロー。「私が持ってあげる」と小学生に話しかけて、担いでみせる一幕もあった。

機転が利かないというか,早い話がバカである安倍にあきれる一方で,小泉前首相だったら感動した!!とかなんとかいってその場を盛り上げたんじゃないかともいわれていましたね。

どうやらこのゴミ・パフォーマンスの元祖は東条英機らしいという話。

ゴミ・パフォーマンス 元祖は東条英機 (ゲンダイネット)

東条英機か、安倍晋三か――。支持率回復のために、多摩川河川敷で「ゴミ拾い」のパフォーマンスをしてみせた安倍首相。安倍首相のゴミ拾いのために、わざわざきれいな河川敷にゴミを戻したことが発覚して問題になっているが、別の方から批判が飛んでいる。まるで戦前の東条英機のようだというのだ。

東条英機が、夜な夜な市井のゴミ箱を開けて「贅沢品を食べてないか」「ムダがないか」とチェックしたのは有名な話。ゴミをパフォーマンスに使うのは、東条首相以来だという。

新聞の投書欄には、「時代の差こそあれ、一国の首相が、ゴミに目を付けだしたら、その国の末期的症状の表れ、とみえてならない」という声まで載り始めている。

(2007年6月9日付日刊ゲンダイ)

W杯日本代表大阪の悲劇

2002年6月14日,次のような記事がネットに流れました。

快挙達成目前で夢散る 日本代表「大阪の悲劇」(6/14 共同通信)

日本サッカー史に、大きな1ページが加えられるはずだった舞台が、暗転した。決勝トーナメント進出を目前にしながらの完敗。トルシエ監督に率いられた若い日本代表にとっては、悔やみきれない「大阪の悲劇」となった。・・・・・・

実際には,チュニジアに2-0で勝って決勝トーナメント進出を決めており,おそらく想定記事を間違って流してしまったのでしょう。

ちなみに,この日は次のようなことが心配されていました。

W杯で「道頓堀ダイブ」どうする 禁止する法見当たらず

 大阪府警が、14日のW杯対チュニジア戦で予想される大阪・ミナミの「道頓堀ダイブ」に悩んでいる。試合会場は、ミナミに近い長居スタジアム。横浜の対ロシア戦でさえ、飛び込んだ数は阪神タイガース優勝時の数十人を超えて140人に達した。だが、規制に法的な根拠はない。「けが人を出したくないが、あまりものものしくなるのも避けたい」と、気をもんでいる。

 日本がロシアに勝った9日夜、ミナミの戎橋で起きた騒ぎは府警の予想をはるかに上回るものだった。試合終了直後から若者が続々と集まり、「だれか飛び込めや」という声で1人がダイブ。歓声の後は、ニッポンコールを背に次々と川に落ちた。やじ馬も集まって身動きが取れなくなり、午後11時には機動隊員ら450人が出て、橋を通行止めにした。

 戎橋付近の道頓堀川の水深は約3.5メートル。意外に深いが、川底は自転車でいっぱいだ。大阪市河川管理事務所によると、半年に1度の浚渫(しゅんせつ)で、酔っぱらいが投げ込んだ自転車が100台以上出て来る。河川工事の関係でこの2年近く浚渫しておらず、沈んだ自転車でけが人が出かねない。1月には、酒を飲んで飛び込んだ男性がおぼれ死んでもいる。

 ただ、ダイブを阻止する法的根拠はない。警察官職務執行法で、「犯罪が行われようとするのを認めたとき」は制止できるが、川に飛び込むのは犯罪ではない。河川法が禁じるのは、川の流れを変えたり水を汚したりする行為で、「法的には、川はだれもが自由に利用できる」(大阪府)

~asahi.comより一部引用

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まぼろしのワールドカップ台風上陸 (2002年)

日本で国際的な大きなイベントが開かれたとき,決まって台風がやってきたものです。1964年の東京五輪しかり,1970年の大阪万博しかり。

2002年のW杯もそうでした。

W杯サッカー開催中の2002年6月11日12時05分,気象庁から次のような台風情報が発表されました。

平成14年 台風第4号に関する情報 第60号

 平成14年6月11日12時05分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第4号の中心は、11日12時前に、高知県東部(安芸市付近)に上陸
しました。

(本文)
なし。

6月11日の京都新聞のWebニュースから――:

台風4号高知に上陸 W杯に水差さないで

台風4号は十一日正午前、高知県東部の安芸市付近に上陸した。今年の台風上陸は初めて。台風は勢力を弱めながら紀伊半島方面に進んでおり、午後に熱帯低気圧に変わる見通しだが、四国から東海にかけて大雨の恐れがあり、気象庁は警戒を呼び掛けている。

・・・(中略)・・・

▽台風接近に備え避難所確保

十一日夜、カメルーン-ドイツ戦が行われる静岡県に台風4号の接近が予想されることから、同県やW杯日本組織委員会(JAWOC)などは十一日、避難所の確保など準備を始めた。

同県は、新幹線が運転停止した場合、スタジアム近くの袋井市の三つの体育館に分散して避難させることを決め、同市に協力を要請した。

JAWOC静岡県支部は、強風に備えてスタジアム周辺に設営したテントや看板を撤去。試合終了前後にJRが不通になった場合は、復旧するまでの間、観客にスタジアム内にとどまってもらうことも検討している。

JAWOCは、強風で物が飛んだり、雷が激しくなったりした場合は、試合の中断もあり得るとしている。試合は同日午後八時半から始まり、午後十時半ごろ終了する見込み。

ところが7月2日,W杯の終了を待っていたかのように(?),この台風について気象庁から次のような報道発表がありましたとさ。

台風第4号の上陸について

気象庁は、台風第4号が本年6月11日に高知県東部(安芸市付近)に上陸したと 発表しました。しかし、その後の各種気象資料による詳細な解析の結果、この台風は 上陸前にすでに勢力が熱帯低気圧に弱まっていたことが判明しましたのでお知らせ します。この結果、台風第4号は「日本本土への上陸台風」ではなくなりました。

※この記事はまぼろしのワールドカップ台風上陸 | 能天気Express Hyperを少し手直ししたものです。

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ジャンプ団体の忘れられた過去!?

1994年2月22日,リレハンメル冬季五輪のジャンプ団体,「途中で落ちてしまったぁ~!!」(工藤アナ)の原田の失敗ジャンプばかりが有名になっていますが,この中継の最中にNHKが大失態をやらかしたことをおぼえている人は今ではあまりいないでしょう。

かくいうσ(^^;)もすっかり忘れていたのですが,去年,別用でパソコン通信の某ネットの古いログを見ていて思い出しました。

その某ネットでのσ(^^;)の書き込み:


71     DEN186 94/02/22 21:23   171 やいNHKその2
----------------------------------------------------------------------------

    BSが止まっているぞ!!

    WOWOWは映っているみたいだが。

    せっかくいいところなのに。

                                                              Kink

なんと,中継の最中,BSの電波が止まってしまったのです。しばらくして別のチャンネルで復帰し,原田のジャンプは電波に乗りましたが,大事なときにやってはいけない大失態でした。

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慶應艇2回目の沈没~早慶レガッタ~

早慶レガッタの歴史を見ると,1957年1の他にもう1回慶應艇が沈没したことがあります。

それは1980年4月20日の第49回大会でした。

当日09時の天気図を見ると,中国東北部に発達した低気圧があり,寒冷前線が日本海側の沿岸沿いにのびていて,日本の東海上にある高気圧との間で気圧の傾きが急になっています。このため,東京では朝から南南西~南西の強い風が吹いていました。次の表は,大手町で観測された1時間ごとの風速と風向です。この日の最大風速は11.4m/s(SSW),最大瞬間風速は24.8m/s(SSW)でした。データがないのでハッキリとはわかりませんが,隅田川の川面ではもっと強かったかもしれません。

+-------+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+
|時刻   |  8|  9| 10| 11| 12| 13| 14| 15| 16| 17| 18|
|風速m/s|  6|  9| 10| 10|  8|  8|  8|  8|  8| 10|  8|
|風向   |SSW| SW| SW|SSW|SSW|SSW|SSW|SSW|SSW| SW|SSW|
+-------+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+

隅田川は,水神橋付近から早慶レガッタのスタート地点(当時)である両国橋付近までおよそ南南西に流れています。そのため南~南西の風が吹くと水の流れと風が逆向きになり,波が立ちやすくなります。

この日も30~40cmの波が立っていました。この悪コンディションのため,レースは4000mから3300mに短縮されて行なわれることになりました。

レースは14時55分にスタート。ところが,ふつうのレースのような競り合いが見られたのは100mまででした。慶應艇「サスケハンナ号」はスタート直後から浸水が激しく,漕ぎ手を6人にして残り2人はアルミ椀を使って水を汲み出していました。一方の早稲田艇「いだてん2世号」は波除け板を艇の先端につけたのが功を奏して浸水をかなり防ぐことができ,すいすい進んで行きます。

慶應は漕ぎ手を6人から4人にし,ついにはコックスも水の汲み出しに参加しますが,ゴール前100mでついに沈没しました。

早稲田艇も終盤は浸水がはじまったので漕ぎ手を6人にしましたが,14分36秒で余裕でゴールしました。

ちなみにこの日,強風の影響を受けたのは早慶レガッタばかりではありません。横須賀沖では学生のヨット3隻が転覆する事故が起こり,鉄道関係では強風で飛ばされたビニールが架線に引っかかって東海道新幹線15本に遅れが出ました。また,前日の19日にはフェーン下の出雲市で23戸を焼く火災が発生しています。

ところで,この早稲田の勝利には,実は2年前の苦い経験がありました。それについては次回で2

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  1. あらしのボートレースとよばれる早慶レガッタ史上最も有名なレース。あらしのボートレース | Notenki Express 2014参照。[20150419付記] 
  2. 隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年) | Notenki Express 2014参照。[20150419付記]