4月29日は春天の日

古い人間なので,4月29日は春の天皇賞……という条件反射がいまだに起こります。歴史を見てみると1957年以降,ストなどで順延した年を除けば1990年まで連綿と4月29日に行なわれてきたので,しかたがないでしょう。4月29日は昭和の日などというくだらない名前ではなく,春天の日あるいは天皇賞の日と名づけましょう(笑)

4月29日に行なわれた天皇賞の中から6レースほど。

  • AD1973/04/29 第67回天皇賞,突然降り出した激しい雨の中,2周目の3角の坂で最後方に下がったタイテエムが,直線大外から先頭に立つ。「四白流星,無冠の貴公子に春が訪れます」(by 杉本アナ)
  • AD1976/04/29 第73回天皇賞,エリモジョージが逃げ切り,なんにもないえりもに春を告げる
  • AD1977/04/29 第75回天皇賞,4歳時無冠に終わったテンポイントが夢に見た栄光のゴールを駆け抜ける
  • AD1978/04/29 第77回天皇賞,グリーングラスが亡きライバル,テンポイントに捧げる勝利
  • AD1981/04/29 第83回天皇賞,カツラノハイセイコが直線で馬群を割って先頭に立ち,父の果たせなかった天皇賞を制覇。「見てくれ,この根性だ」(by 杉本アナ)
  • AD1985/04/29 第91回天皇賞,シンボリルドルフ,シンザンに次ぐ史上2頭目の五冠馬に

お天気屋の立場からもっとも興味深いのは1973年のレースで,スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。いわゆる熱界雷です。馬場はかなり悪化しましたが,なぜか発表は“良”のままでした。成績公報の天候はさすがに“雨”になっています。

シンザンミサキの最後まで白いままの帽子が印象的でした。詳しくは無冠の貴公子に春が訪れます | Notenki Express 2014をご覧ください。

最近では

  • AD2001/04/29 第123回天皇賞・春,テイエムオペラオー,史上初の天皇賞3連覇,G1の6連勝

このレースもスタート前に(というより昼ごろから)雨が降り出しました。これは低気圧の接近によるものでした。

ところで,敗戦前の1935年から1938年までは4月29日に東京優駿(大)競走が行なわれていました。

  • AD1935/04/29 第4回東京優駿大競走(東京競馬場)2戦2勝のガヴアナーが優勝。ガヴアナーは2週間後の調教中に骨折し安楽死。さらにその数日後,担当していた廐務員も事故死
  • AD1937/04/29 第6回東京優駿大競走(東京競馬場),ヒサトモが制し,牝馬として初の東京優駿の勝ち馬となる

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ガッツボーズ列伝

今日はガッツポーズの日なので,ハードディスク内のテキストファイルなどから“ガッツポーズ”を検索してみました。

競馬と箱根駅伝がやたら多いのですが,そういう記事を多く収集しているからでしょう(笑)

まずはあのテイエムオペラオーのジャパンカップ(2000年):

「僕がミスさえしなければ大丈夫だと思っていた。本当にすごい馬です。最後も抜かせないと信じていた」と和田が歓喜のガッツポーズをすれば,岩元師も「一瞬,負けも覚悟したけど,最後の最後で抜け出してくれた。いい根性しとるわ。この馬には頭が下がる」と満面の笑みで最大級の賛辞を贈った。

現場で見ていました。

よくガッツポーズをする池添騎手。聖剣デュランダルが木枯らしを切り裂いたマイルチャンピオンシップ(2003年):

ゴールを過ぎた瞬間,池添騎手は何度も派手なガッツポーズ。左手人差し指を突き立て,「この馬が1番や!」とアピール。そんな興奮状態は馬上から「メッチャ最高!」と雄叫びを上げながら検量室に引き揚げて来るまで続いた。

2008年のオークス:

トールポピーでレースを制した池添は鞍上でガッツポーズ

これを見て,馬から引きずりおろして袋だたきにしてやりたいと思った人は多かったことでしょう。社台の馬だから降着にならなかったともいわれています。

一方で,ガッツポーズがなくても記事になることがあります。2002年のフェブラリーステークス。

四位騎手にガッツポーズはなく,風のように駆け抜けたゴール板。世界を転戦するアグネスデジタルは史上初,GI4連覇の偉業をいとも簡単になし遂げた。

競馬のガッツポーズといえば,第1回黒船賞でリバーセキトバに騎乗していた北野騎手の「早すぎるガッツポーズ」は有名です。他には1995年春天での蛯名騎手の「幻のガッツポーズ」もありました。(残念ながらともに記事はありません)

箱根駅伝からは2006年の大手町:

悪夢も呪縛(じゅばく)も,一丸となって断ち切った。順大の10区,松瀬元太(4年)が大きなガッツポーズをとって,ゴールへ飛び込む。往路に続き,復路も制す完全優勝。あれから365日…。長く暗いトンネルからついに抜けるときがやってきた。

懐かしいアテネ五輪(2004年)からは女子柔道:

 つり手を取り,引き手の右手が相手の袖をつかんだ瞬間だった。豪快な上野の袖釣り込み腰がボス(オランダ)の1メートル83の長身をゆっくりと回転させた。きれいな,金メダルにふさわしい,完ぺきな一本。ガッツポーズし,跳びはねた。開始線に戻った上野の目に,涙があふれてきた。

刻一刻と迫るその瞬間を待つ間,塚田は「絶対に離すもんか」と力を込めていた。決勝は,ベルトランに大外刈りで技ありを奪われ,抑え込まれた。すぐに逃げた。すかさず後ろけさ固めに移行した。大ピンチがチャンスに変わった運を逃すわけにはいかない。ブザーとともに,相手の体の上で塚田はこん身のガッツポーズをした。

いやあ,ベルトランさん,重かったでしょうねえ(^^;)

ちなみに,「最高でカネ,最低でもカネ」のおばさんについてはσ(^^;)のハードディスク内に記事はありません。ガッツポーズをしたかどうか知りません。

試合前にガッツポーズを求められることもあります。トリノ冬季五輪に臨む女子カーリングチーム。(写真は掲載しません)

記者会見後にガッツポーズするカーリング女子の日本代表。
(左から)小野寺歩,林弓枝,本橋麻里,目黒萌絵,寺田桜子の各選手=2月10日,トリノ市のメーンメディアセンター(共同)

外国人もやるみたいです。2005年のF1ブラジルGPのアロンソ。

伸ばしていたひげをそり,5番手から気合を込めてスタートしたアロンソ。6月のカナダGP以来8戦ぶりの今季7勝目に派手なガッツポーズで喜びを表現した。2位のシューに決定的な10ポイント差をつけ,2年連続総合王者に王手をかけた。

2006年のドイツW杯。

「今のチームには,何かをやってのける力がある」と信じていたクリンスマン監督が,ガッツポーズをくり返して喜びを爆発させた。決勝トーナメント1回戦のウクライナ-スイスに続く今大会2度目となったPK戦決着。ドイツが4強へ駒を進めた。

最後に,世の中には絶対にやってはいけないガッツポーズがあります。

2000/03/22 山口県光市で1999/04に主婦と幼児が殺害された事件で,殺人罪などに問われ,死刑を求刑された同市の殺人鬼,福田孝行(犯行当時19)に対し山口地裁,無期懲役判決というあまりにも軽すぎる判決。なお,無期懲役の判決が下されたとき,傍聴席の被害者の遺族の見ている前でバカ弁護人・中光弘治がガッツポーズをしたという

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もうすぐ春一番?

春一番とは

春一番というのは簡単にいってしまえば春になってはじめて吹く南風のことです。これだけだとアイマイなので,気象庁の天気相談所では次のような基準を設けています(基準であって定義のような厳密なものと捉えないほうがいいようです)。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s以上)が吹き,気温が上昇する現象

いつごろこの基準ができたのかイマイチ判然としないのですが,どうも1980年代のようです。

発表の開始も判然としないのですが,1997年2月21日付の朝日新聞によると,1975年ごろ気象庁本庁と福岡管区気象台でなし崩し的にはじまった……ということです。

春一番は,気象庁の本庁のほかに,鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,(富山),新潟の各気象台で発表しています。各官署によって若干基準が違います。

フライング・出遅れ

春一番は賞味期限つきの現象であるため,観測されないこともあります。また,期間から1日でも外れれば資格を失います。

例えば,1986年には節分に吹いてしまったため,フライング失格となりました。

もちろん遅くてもダメで,1974年3月22日に東京で最大瞬間風速29.9m/sを観測し,最高気温も前日より上がりましたが,1日違いで出遅れ失格となりました。

また,1988年には,2月2日に最大瞬間風速21.8m/s(SW),最高気温14.9℃(前日比+6.4℃)でも2日早すぎたばかりに春一番にならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)で春一番となりました。たった3日違いでのこの待遇の違いは,なんか変……といえないこともありません。

この2月5日が関東地方の春一番の最早記録になっています。

今のような基準ができる前はもっとおおらか?!でした。

1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」という見出しがあります。しかし,この年の春一番の公式記録は2月10日となっています。ところが公式の春一番に関する新聞記事は見当たりません。気象庁の見解はともかく,マスコミ的にはこの年の春一番は2月3日に吹いたのでしょう。

また,1964年3月1日付朝日新聞の「あなたも予報官 新聞天気図の見方・第二部」という解説コラムに「「春一番」は,一月中のこともあるが……」とあります。

この時代には出遅れ春一番春〇・五番といった珍語まで登場しました。青森で春一番が吹いたこともあります。

最早・最晩・平年日

春一番は立春から春分の間と決まっているため,当分の間,理論上の最早は2月4日,最晩は3月21日になります。しかし,東京では運よく立春や春分に吹いたことはまだありません。最早は上に述べたように2月5日(1988年),最晩は1972年3月20日となっています。

この最晩春一番をもたらした低気圧によって,富士山では死亡・不明24人という史上最大(当時。その後これを超える事故があったかどうかは興味がないので知りません)のパンパカ遭難事故,また九州西方の男女群島付近で漁船が座礁し,死亡・不明13人という海難事故が発生しました。

春一番は,発達しながら通過する低気圧による現象であるため,このように常に災害や事故の危険と隣り合わせです。また,発達する低気圧の背後には強い寒気が控えていることが多く,低気圧が日本の東の海上に抜けたあとは西高東低の冬型の気圧配置になり,強い寒気がはいってきて真冬に逆戻りすることも少なくありません。次に紹介する1978年の春一番が典型的な例です。

なお,平年日については,根拠も意味も不明確であるとして1995年以来気象庁では発表していません。それを承知の上で単純に1989-2004年の16年間の平均をとると,2月27日前後になります(関東地方の場合)。

東西線横転事故

1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのも何かしっくりきませんが,それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2?2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

初出

今のような形で“春一番”が使われるようになったのは,1950年代以降のようです。しかしあちこち調べても初出はよくわかりません。

『’56~’65天気図10年集成』(1966年発行)収録の天気図日記の1956年2月7日の解説文に

“春一番”!低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年にはいっての最高温を示した。いわゆる“春一番”である!

とあり,これが初出だとする説がありますが,この天気図日記をもともと掲載していた「天文と気象」1956年5月号の天気図日記の同じ日の解説文は

低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年に入っての最高を示した。きのう東シナ海に発生した低気圧は発達しなかった。

となっており,“春一番”は使われていません。のちに書き換えられたのでしょう。

ちなみに,『’56~’65天気図10年集成』では1956年3月に“春二番”も見られるのですが,「天文と気象」にはありません。

新聞の初出は,1997年2月21日付朝日夕刊によると,1962年2月11日付朝日新聞夕刊の天気の解説欄の次の文だそうです。

発達した日本海低気圧に向って強い南風がどっと吹き込んだ。これが今年の春風一号,これを地方の漁師たちは春一番と呼ぶ。

しかし,同じ日付の読売新聞夕刊にも春一番が使われています。

公的な文書では,1964年3月の「気象要覧」が初出だそうで,実際に見てみると,いきなり「春一番」という中見出しがあります。

ちなみに,「気象要覧」では春三番が使われたこともありますが,春二番は少なくとも私は見たことがありません。

春一番の都市伝説

春一番の起源として,安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した隠岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,全員が帰らぬ人となった惨事があり,これ以来年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には春一番の塔がつくられ,さらには,壱岐市のホームページ壱岐市観光案内:歴史・文化:春一番の塔(=リンク切れ)には

この言葉の発祥の地は壱岐である。

などと書かれていたりします。

これは都市伝説(離島伝説?!)のひとつで,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。これ以前に“春一番”を使った文献が存在するからです。一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに

夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る

とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

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※2015/02/05(Thu) 一部修正

ガッツポーズの日

4月11日はガッツポーズの日ということになっています。

1974年4月11日,日大講堂で行なわれたWBC世界ライト級タイトルマッチで,挑戦者ガッツ石松が王者ロドルフォ・ゴンザレス(MEX)を8回KOで破り,タイトルを奪取しました。このときの勝利のポーズに対し,ある新聞記者が「ガッツポーズ」と名づけたのが最初とされています。

しかし,梅花女子大学の米川明彦教授によると,ガッツ石松の勝利のポーズの1年以上も前,ボウリング雑誌の週刊「ガッツボウル」に「自分だけのガッツポーズつくろう」というコーナーが存在していたのです。σ(^^;)もついでのときに国会図書館で確認しました。

何事にせよはじまりを決めるのは難しいものです。

ガッツ石松のタイトル奪取についていえば,ガッツポーズなんかよりも「幻の右」のほうが有名だったと思います。

若い人のためにひとこと断わっておくと(笑),ここに登場するガッツ石松はあのタレントのガッツ石松と同一人物です。想像できないかも知れませんが,すごいボクサーだったんです。バ亀田とかいうヤクザの三下奴なんかとは比べものになりません。

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