パウロ回心の日

1月25日はキリスト教ではパウロ回心の日になっています。伝道者パウロがキリスト教に改宗したのを記念する日ですが,1月25日に回心したという記録があるわけではなく,なぜこの日なのかは不明のようです。

イングランドには,この日のお天気でその年の天候や災害を占う次のような詩があります(八木谷涼子『キリスト教歳時記』より)。

聖パウロの日が明るく晴れたなら,この年,幸《さいわい》多かろう
雪や雨が降ったなら,穀物みんな不作だろう
曇や霧で暗ければ,鳥や家畜が死ぬだろう
風が空を吹くならば,国が戦《いくさ》で忙しい

また,この日は冬の真ん中とされています。

冬を短い単位でみれば,冬至または12/25のクリスマスからこの日までが冬の前半,この日から02/22の聖ペテロの日が冬の後半になります。冬を長い単位でみれば,11/25の聖カタリナの日からこの日までが冬の前半,この日から03/25のマリアの受胎告知日または春分までが冬の後半になります。

これを考えると,パウロ回心の日は季節的にうまい時期に配置されていることがわかります。ドイツには

パウロの回心で大地の中で根は向き直る

ということわざもあるそうです。

パウロ回心の日については,フランスに次のようなことわざもあります。(堀田郷弘ほか『フランスことわざ歳時記』より)

聖ヴァンサンの祝日には,冬は牙をなくす。近親の聖ポール(=パウロ)に牙を譲るか,売り渡すから。

聖ヴァンサンとは聖ウィンケンティウスのことで(ちなみに,「焼き肉焼いても家焼くな!」はバンサンカン(笑))――といっても聖ウィンケンティウスなんてσ(^^;)も聞いたことがなかったのですが,聞くところによると,ぶどう栽培業者の守護聖人とされています。その聖ウィンケンティウスの日は01/22。その日に寒さがやわらいだとしてもパウロ回心の日にはまた寒さがぶり返すから油断するな,ということらしいです。

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愛と希望は勇気のしるし?!

きょうは愛と希望と勇気の日らしいです。クサい単語を3つ並べただけのしょうもない名前の日です。

由来は次のできごとです。

1959/01/14 第3次南極観測隊,昭和基地に1年間放置されていたカラフト犬のタロとジロが生きていたことを確認

犬が2頭生存していることはすぐに確認できたみたいですが,あまりの変わりようにどの犬かはしばらくわからなかったようです。第一報では別の名前が報じられています。

第一便が基地から船に帰る途中,無線電話で「クマ」と「モク」が生きていたと報告してきた
(朝日新聞1959/01/15付夕刊)

あまりの変わりようというのはやせ細っていたということではなく,まったくの逆で,丸々と太っていたとのことです。基地に置いてきた食糧にはまったく手をつけておらず,おそらくペンギンなどを捕獲していたのでは……と想像されていますが,何を食べていたのか本当のところはいまだによくわからないそうです。

タロとジロ以外の13頭は死亡,または行方不明ということになっています。

第1次越冬隊で犬の担当だった北村泰一氏の『南極越冬隊タロジロの真実』によると,第4次越冬中に行方不明になった福島隊員の遺体を第9次越冬隊が発見した直後,基地の近くから白い犬の遺体が発見されたそうです。行方不明になった犬のうち色が白かったのはシロとリーダー犬リキだけで,北村氏はリキではないかと書いています。

リキは映画南極物語では最後まで残った4頭のうちの1頭で,シャチの襲撃からタロとジロを守った傷がもとで力尽きたことになっています。もとの飼い主だった姉妹の姉を荻野目慶子が演じていました。当時はまだかわいい(笑)

また,2011年にTBSで放映された日曜劇場南極大陸でも,タロとジロが発見される直前まで生存していました。

リキはリーダー犬だったということもあってか,フィクションではクライマックスを盛り上げるための“ダシ”として使われやすいようです。

4頭のうちのもう1頭は風連のクマで,「南極物語」ではタロとジロを基地近くまで“送り届けた”あと,いずこともなく去っていきました。

「南極大陸」ではなんかよくわからないうちに流氷に乗って流されたんではなかったかな。「南極物語」での去っていくシーンがあまりにもかっこよかっただけになんかなあという感じでした。

なお,置き去りにしたことについて今も昔も批判がありますが,事態が急を要しており,連れ帰るにも薬殺するにも時間的余裕がなかったようです。

どうでもいいですが,“愛と希望と勇気”と聞くと次を思い出してしまいます(笑)

以上,愛と希望と勇気の日 | 能天気Express Hyper (2009/01/14)に少し書き足しただけの手抜き記事でした。

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水平投射の日

今日6月6日は水平投射の日です。

ちょうど10年前の今日,自ら水平投射を実践し,高校物理の文字どおり生きた教材となった奇特な人の奇行すばらしい行ないを記念した日です。

もっとも,本人はどうも自由落下を主張していたようですが。

窪塚26メートル落下、全身打撲で面会謝絶

俳優窪塚洋介(25)が6日午後0時10分ごろ、神奈川県横須賀市のマンション9階の自宅ルーフバルコニーから転落した。約26メートル下のフェンスに激突して芝生に落ちたが、意識はあり、病院に搬送された時も「痛い」と訴えた。全身打撲と数カ所の骨折のため、面会謝絶状態という。事務所は「こいのぼりの器具を外す作業の際、不注意で転落した」と説明したが、浦賀署は飛び降り自殺を図った可能性があるとみている。

浦賀署の調べなどによると、窪塚はマンション東側向きの9階にある自宅のルーフバルコニーから転落した。高さは地上約26メートルもあったが、植栽や芝生を取り囲むマンションから約9メートル離れた高さ約1メートルの金属フェンスに当たって芝生に落ちたため、衝撃が和らいだとみられる。目撃したマンション住人が110番通報。救急車が現場に駆けつけたときは芝生にあおむけに倒れ、意識もあって「痛い」などと話すこともできたという。
(2004/06/07 日刊スポーツWebサイトより)

ちなみに,クボヅカが降った2004年6月6日は,近畿,東海,関東甲信の各地方に梅雨入りしたと見られます発表がありました。翌7日には北陸,東北南部・北部の梅雨入りしたと見られます発表があり,もともと発表のない北海道を除き日本列島はすべて梅雨入りしたと見られる状態になりました。

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6月6日にUFOが

今日はUFOがあっちいってこっちいって落っこちた日です。

6月6日に UFOが あっちいって こっちいって おっこちて
お池が2つできました
…………

mixiにはこんなコミュニティがあります → [mixi] 6月6日はUFOが…の日。 なんと今年で10周年\(^o^)/

そういえば,ドラえもんも放送が終了して7年以上になりますね……。

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虎が雨

阪神タイガースとかいう名前の野球チーム関係の涙雨ではありません。プロ野球には全然興味がないからわからないんですけど,阪神って今年も最下位なんですか?

さて,虎が雨とは五月二十八日(旧暦)に降る雨です。今日降る雨ではありません。

建久四年五月二十八日,ユリウス暦で1193年6月28日のことです。源頼朝が催した富士山麓での大巻狩の深夜, 曽我十郎祐成曽我五郎時致の兄弟が月のない真っ暗な闇の中,松明を手に父の仇である工藤祐経の陣屋に討ち入りました。

寝込みを襲われた祐経はあっけなく討ち取られましたが,その後の十番切りとよばれる乱戦の中で兄十郎は朝比奈四郎に討たれ, 弟五郎は捕らえられました。そして翌日,頼朝による尋問ののち処刑されました。

十郎には虎御前という愛人がいました。五月二十八日にその虎御前が十郎の死を悲しんで流す涙が雨となって降るのが「虎が雨」 であると伝えられています。

兄弟の敵討ちの記憶と梅雨という気象現象が結び付き, そこに田植えのために雨を乞う人々の思いが重なって徐々に用いられるようになったもの
~『曽我物語の史実と虚構』

のようです。

『吾妻鏡』には仇討ちの日の天気について次のように書かれています。

小雨降る。日中以後霄《は》れ。……

まず,はじめ小雨が降っていたが,日中から晴れたとあります。そして,祐経を討ち取ったあとの「十番切り」 のときは

雷雨,鼓を撃ち,暗夜に燈を失ひ……。

とあり,激しい雷雨だったようです。

江戸時代には,兄弟の仇討ちのときに雨が降っていたことは常識になっていたらしく,次のような詠史川柳があります。

泥足で工藤が夜具をはね除ける

しかし,『吾妻鏡』や真名本『曽我物語』では「十番切り」に雷雨の記述があるので, 兄弟が工藤の陣屋に向かう途中はまだ雨は降っていなかったと思われます。そうでないと“なけなしの銭”で買ったらしい松明が消えてしまいます。

なけなしの銭で松明二本買ひ

これもまた,江戸時代の詠史川柳です。曽我兄弟は貧乏だったというのも江戸時代の常識だったようです。

今では曽我兄弟なんかよりウルトラ兄弟とか宇宙兄弟なんかのほうが有名みたいですが,六代目宝井馬琴さんの夜討曽我 紋づくし,機会があったら聞いてみて下さい。思わず引き込まれます。

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5月の“五月雨”

五月晴れとなりは何をする人ぞ

話の順序として五月晴れから。

サツキバレという競走馬がいましたが,ここでは取り上げません。さつきばれを『大辞林』で引くと次のように載っています。

(1) 新暦五月頃のよく晴れた天気。
(2) 陰暦五月の,梅雨の晴れ間。梅雨晴れ。[季]夏。《男より女いそがし―/也有》

もともとは(2)の意味で,いつのころからか(1)の意味に変わったといわれています。

それがいつごろのことなのかはハッキリとはわかりませんが,倉嶋厚さんの『季節ほのぼの事典』によると,1961年発行の『広辞苑』に

[1] さみだれの晴れ間 [2] 転じて五月の空の晴れわたること

とあるそうなので,1960年代のはじめにはすでに一般化していたものと思われます。

私自身は俳句以外で『大辞林』の(2)の意味で使われた例を見たことがありません。お天気番組などの「今日は五月晴れの一日でした」というような表現に文句をいっている人も,(2)の意味で使われた例を実際に見たことがあっていっているのか,はなはだ疑問です。

ちなみに,今の時期に「さわやかな五月晴れ」というのは俳句的にいえば二重の間違いになっているようです。

まず“五月晴れ”は,俳句では今もって(2)の意味でしか使われない(らしい)から×。次に“さわやか”は本来,どういうわけか秋の季語なので×。まあ,私は俳句には何の興味もないのでどうでもいいですが。

五月雨をあつめて早し××川

意味を変えて生き残っている(再生した!?)“五月晴れ”に対し,ほとんど死語になっているのが五月雨《さみだれ》です。

旧暦は平均的に見れば今の暦よりも30日あまり遅いですから,旧暦の五月は今の暦の6月くらいに相当し,ちょうど梅雨の時期です。だから,五月雨《さみだれ》は梅雨どきの雨,あるいは梅雨そのものです。ただ,今は“さみだれ式××”という表現を除いてめったに使われなくなりました。ちなみに“五月雨式”は『大辞林』によると

(梅雨時の雨のように)途中,途切れながらもだらだらと長く物事が続くこと。また,そのようなやり方。「一か月間―に会議がある」

という意味らしいです。

ついでですが,五月雨といえば,蕪村の

さみだれや大河を前に家二軒

には,俳句の好きでない私も圧倒される迫力を感じます。同じ蕪村の句でも

さみだれや名もなき川のおそろしき

は,だから何なの?とかそれがどうしたの?と反応したくなります。

なお,五月雨で増水した川を五月川《さつきがわ》とよぶそうです。

5月の“五月雨”

沖縄や奄美地方では5月の梅雨は当たり前です。しかしそれより北では,もっとも早い九州南部でも梅雨入りの平年日は5月31日ごろですから,梅雨といえばふつうは6~7月です。5月に梅雨のような状態になったときは通常梅雨のはしりあるいははしり梅雨とよばれます。

ところが,5月がほとんどまるまる梅雨にはいってしまった年があります。

1963年の5月は,4日に移動性高気圧が三陸沖に去って東シナ海に前線を伴った低気圧が現われてから,早くも“はしり梅雨もよう”になりました。10日には気象庁が

例年より約十日早く“はしり梅雨”にはいった。とくに,下旬から六月はじめにかけては全国的に曇雨天が多く,しかも,低温が予報される

という向こう1か月の予報を発表しています(新聞からの孫引き)。

その後も前線が日本付近に貼りつき,気象庁は28日,“梅雨入り”を発表しました。ただ,当時の発表は今とは違っていたようで,新聞には取り上げられていません。今だったら必要以上に大騒ぎするでしょう。号外が出るほどのバカ騒ぎにはならないでしょうけれど。

梅雨入りの時期はのちに修正され,東海が4日,関東甲信が6日,中国が8日,九州南部が28日,北陸が29日,九州北部が30日,四国と近畿は特定できない――となりました。梅雨入りの日が特定できなかったのはこの年だけです。また,沖縄の梅雨入りが6月になったのも東北地方(南部)より遅かったのもこの年だけです。

これだけ早いとどこまでがはしり梅雨でどこからがホンモノの梅雨なのか区別できません。もともと自然現象に明確な境界などあろうはずはなく,はしり梅雨とホンモノの梅雨の区別もあくまで便宜的,人為的なものです。

ちなみに,この年の梅雨の時期の新聞には気違い梅雨前線という,今ではまずお目にかかれない表現が出てきます。だから昔の新聞の社会面は面白い(笑)

気違い梅雨前線

1963年7月1日付朝日新聞朝刊より:

“気違い梅雨前線”
抜打ち豪雨
死者は16人に 九州北部

記事を読んでもどこが“気違い”なのかわかりません。

ただ,同日の読売新聞朝刊の見出しにも

狂った天候
二時間に一一四ミリ降った北九州の豪雨
16人死に,23人が不明
福岡の浸水,三万戸を越《ママ》える

とあるので,当時の感覚で何か狂った感じがしたのかもしれません。あるいは気象庁の記者発表にそのような表現が使われたのかもしれません。

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メイストーム・デーとメイストーム

メイストーム・デー

昨日も書いたとおり,きょう5月13日はメイストーム・デーです。

この日に何かきっかけになるような事件があったわけではなく,2月14日のバレンタインデーから88日後にあたり,“八十八夜の別れ霜”のごとくそろそろ別れ話が出てくるころ,裏を返せば別れ話を切り出すには手ごろな時期ということです。誰が考え出したのか知りませんが,よくできていると思います。

別れを告げるにせよ告げられるにせよ,備えあれば憂いなしです(ホントか?)。たとえきょうは乗り切れたとしても,次なるXデーに備えて今から準備しておきましょう。

メイストーム・デーの嵐を乗り切ると,6月12日は恋人の日,そのあとには7月7日のラブスターズデー(サマーラバーズデー,サマーバレンタインデーともいう。早い話が七夕)も控えています。

ちなみに,メイストーム・デーの翌日の5月14日はグリーン・デーですが,ほとんど広まっていないようです。ついでに4月14日のオレンジ・デーもほとんど知られていませんね。

なお,八十八夜は立春から数えて88日目,つまり87日後で,バレンタインデーから数えて88日目は前日の5月12日です。メイストーム・デーを考えた人はあまり深くは考えなかったのでしょうねぇ。閏年もとくに考えられていないようです。

メイストーム

というわけでメイストームです。May Stormなのでしょうが[ついでにドイツ語ではMaisturm],もちろん和製英語[和製独語?!]です。モノによって多少意味するところが違うのですが,比較的新しい『気象科学事典』には

4月後半から5月にかけて,日本海や北日本方面で発達する低気圧,またはそれに伴う暴風雨。

とあります。4月のメイストームってのは違和感ありありですが。

きっかけとなったのは,1954年5月8日09時に黄海に発生した1008mbの低気圧です。この低気圧は9日09時に朝鮮半島の東に進み 988mb。その後,北海道を横断し,10日09時にエトロフ島の北に進んだときは950mbまで発達しました。北海道を通過した低気圧としては,1934年3月に函館大火を引き起こした函館颴風と並んで観測史上もっとも強いもののひとつでした。

この低気圧によって海難事故が相次ぎ,数字は資料によって異なりますが,『理科年表』によると,死者31,不明330,住家全半壊12359,船舶の沈没・流失・破損348などの大惨事となりました。

当時の新聞から見出しをひろってみましょう。

暴風雨全道を襲う
家屋の倒壊続出
通信,交通施設も被害甚大
白老で五十戸全壊
(1954年5月11日付北海道新聞夕刊)

海陸に被害増大 全道を襲った暴風雨禍
六百九十戸全半壊 死傷十九,行方不明一
沈没三十八消息不明十六
遭難漁船二百六十九隻に達す
ひしひしと飢え,寒さ 壊滅的被害の御影村
(1954年5月11日付北海道新聞朝刊)

当時は日本で数値予報の研究がスタートしたばかりのころでした。その研究グループがモデルとして研究したのがこの1954年5月の低気圧で,これに「メイストーム」と名づけたのがメイストームの起源とされています。

この低気圧については宮澤清治『近・現代日本気象災害史』(イカロス出版)が詳しいです。

メイストーム・デーのメイストーム

以前メルマガを発行していたとき,メイストーム・デーに低気圧が日本付近を通過したことはないか調べたことがあります。

1968年,1976年,1980年,1988年,1995年,2004年などがめぼしいところですが, 1968年と1988年以外は低気圧がそれほど発達したわけではなく,メイストームといえるほどではありません。なお,最近のことには興味がないため,その後については調べていません。

調べてわかったことですが,なぜかこの日は移動性高気圧におおおわれることが多いです。そのせいで 東京では特異日というほどではないにしても晴れが多いです。別れ話を切り出すなら, メイストームのドサクサまぎれより,さわやかな五月晴れのもとでのほうがカラッとしていいかもしれませんね。

どうでもいいですが,“さわやかな五月晴れ”に文句をつける化石のようなヤカラって今でもいるんでしょうかね?

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メイストーム・イブ

1961年5月12日付読売新聞夕刊より:

五月のアラシ けさ最大風速20メートル

○…けさ出勤間ぎわの午前9時ごろから東京地方では横なぐりの強風とともにはげしいにわか雨があり,サラリーマン,BGなどがズブぬれになった。これは一昨日から記録破りのむし暑さをつづける“天候異変”とつながる現象。
○…日本海から北海道にかけて大きな低気圧があり,この谷間に向かってしめっぽい南の風が吹き込んでいるためだ。強風はけさ五時には瞬間二十・一メートルにもなる“メー・ストーム”(五月のアラシ)となった。

これが私が調べた範囲でのメイストームの新聞初出です。

というわけで,あす5月13日はメイストーム・デーです。したがって今日はメイストーム・イブ(ホントか?)。

5月13日は2月14日のバレンタインデーから88日目にあたり,“八十八夜の別れ霜”のごとく,そろそろ別れ話が出てくるころ,裏を返せば別れ話を切り出すには手ごろな時期(ホントか?)。誰が考え出したのか知りませんが,よくできていると思います。

別れを告げるにせよ告げられるにせよ,備えあれば憂いなしです(ホントか?)。明日に備えて今日のうちから準備しておきましょう。それが防災の心得です(ホントか?)。

でも,いくら備えてもダメなときはダメです。

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ゴールデンウィークとお天気

今日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが,NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

“ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば安近短,なんてもう死語かも。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)と七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

遭難事故(いわゆるパンパカ)

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難,いわゆるパンパカが目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ1人や2人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

そのパンパカですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。1958年が“空前の登山ブーム”だったそうで,そのあたりから記事がぼちぼち目立ってきます。

そして1965年,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量パンパカが起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量パンパカがあったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,パンパカの可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。自分のフトコロが痛まないからねえ。

この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

ちなみに,現在は民間気象会社にも10日先までの予報が認められていて,それはそれはスバラシイ精度です。信用するとエラい目が見られます。7日先と8日先の間で時空の谷間を通過するんじゃないかと思われるほど全然違うことも多いです。

連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

本当の「啓蟄」?

先日,不倫が取りざたされているお天気おばさんの書いた『半井小絵のお天気彩時記』がブックオフにたまたまあったので,105円だったし,買ってみました。パラパラッとめくったら,「啓蟄――さらば,冬ごもり」に次のような一節が。

実際,虫が活動するのは4月の声を聞いてから,1日の最高気温が15℃くらいのころですので,旧暦ならドンピシャリ,現在の暦では,本当の啓蟄は1ヵ月ほど先なのです。薄手のコートもそれまでお預けです。

このおばさん,もしかして啓蟄には“旧暦の啓蟄”と“現在の暦の啓蟄”があると思っているのでしょうか。そうでも解釈しない限り意味不明です。二十四節気が何なのか理解していない?

さらに適当にページをめくったら,他にもわけのわからない箇所が多々見つかりました。よくもまあ恥ずかしげもなくこんな本を出版しましたねえ……。

2006年に出版された本なので,この点についてすでに指摘している人がいるかも知れないと思ってググったら,やはりすでにいらっしゃいました。

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