ダービーデーの週間予報が出ましたね

日本ダービーまでちょうど1週間となり,今日,ダービーデーの気象庁発表の週間予報が出ました。11時発表のは忘れましたが,17時発表の東京地方の予報は,天気くもり,降水確率40%となっています。信頼度Cですから早い話があまり信用しないでね,ってことです。

その週間予報の資料のひとつ,週間アンサンブル予報によるダービーデー15時の気圧配置,前6時間降水量(mm),500hPaジオポテンシャル高度(m)を示します(初期値は今日の09時)。

500hPaのトラフがかなり深そうです。これからどう変わっていくのでしょうか。

そういえば,ダービーウイーク2015がこの日佐賀競馬場で行なわれる九州ダービー栄城賞で開幕しますが,佐賀も天気があやしそうです。

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オークスデーとダービーデーの天気

明日は優駿牝馬(オークス)ですね。いくらなんでもこれをすっ飛ばすのは失礼なので,今までとくに触れなかった1オークスの天気について最初に簡単に触れておきます。

とはいうものの,いろんなサイトの予報が出そろっているし,私個人は予報業務許可を取っていないので2,独自予報はできません。だからといってそのへんからコピペしてくるのもなんなので,次の図を掲示しておきます。

この図は,今日の18時初期値のMSMによる明日16時の予想気圧配置に16時の中層雲量,前6時間降水量(mm)を重ねたものです。雲量と降水量が重なって見にくいですが,東京競馬場あたりにはどちらもかかっていないように見えますねえ。まあ,どうなりますか。

さて,来週はいよいよダービーですね。ダービーデー09時の予想天気図類を示します。

  • 今日09時初期値の週間アンサンブル予報による気圧配置,前6時間降水量(mm),500hPaジオポテンシャル高度(m)。

  • 昨日21時初期値のGSMによる気圧配置,中層雲量,500hPaジオポテンシャル高度(m)。

  • ついでに,昨日21時初期値のGSMによる850hPa相当温位(K)

モデルによって違いがあるのはいつものことです。

楽しみですねえ<何が?

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  1. Twitterには何回か上げていました。例えば https://twitter.com/yagikei/status/598389328746680320 
  2. 会社はもちろん予報業務許可を取っているので会社の名前で予報を出すことはできますけどね。ただ,家でやってよいものかどうか法律的に微妙だったり……。 

日本ダービー直前の気圧配置

次の図は2015年05月31日15時,つまり日本ダービー直前の予想気圧配置です1。(予想)前降水量も合わせて表示してあります。

昨日の予想気圧配置と比べると,千島付近に低気圧のようなものが忽然と現われています。どこから湧いたんでしょう?――ということで,上の図と同じ初期値の2015年05月29日15時の予想気圧配置を見てみると,

どうも南岸低気圧が発達したもののようです。

このように,はるか先の予想はコロコロ変わります。今からダービーの予想をする以上に,天気の予想なんて意味がないのですよ(笑)

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  1. 今日09時初期値の気象庁週間アンサンブル予報による。 

日本ダービー当日の天気は?

Twitterにも上げていますが,次の図は2015年05月31日09時,つまりダービーデーの09時の予想気圧配置です。(予想)前降水量も合わせて表示してあります。

Twitterと同じでは芸がないので,こちらはポーラーステレオ図法にしてみました。

これは気象庁の週間アンサンブル予報GPV1をGrADSで描画したものです。週間アンサンブル予報は週間といいながら今では11日先の予想まであります。

この予想図を見てどう判断しますかねえ……? 11日も先なので,てるてる坊主さんにお願いするのはまだ早計でしょう。

それにしても,日本ダービーはもう来週末なんですねえ。早いものです。

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  1. 初期値は今日の09時(JST) 

東の風 雨 (1932年) (目黒競馬場跡探訪記つき)

「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません1。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。

レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。

馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),残されている記録映画からもなんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。翌日の東京日日新聞によると,

生憎の雨で最悪のコンジションであつたため好記録を得られなかつたのは遺憾であつたが十九頭もの優駿が一團となつてもみ合つた壯觀は全く本邦においてはじめてみるものであつた

多少(かなり?)ヨイショ感のただよう記事ですが(笑)

東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。

目黒競馬場跡

目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡か外周道路の名残と思われる道路があるほかはバス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。

  • バス停元競馬場前

  • トウルヌソル像

  • 第1コーナーあたり

  • 第2コーナーから向正面

  • 向正面中ほど

    当時の代表的な競馬場,例えば根岸競馬場や池上競馬場などは向正面が直線ではなく,ゆるやかにカーブを描いていました2。これに対し目黒競馬場は今では当たり前の陸上競技場型につくられました。大江志乃夫『明治馬券始末』によると,この形状に対しては当時批判があったそうです。あえてこの形にしたのにはちゃんとした意図があったようなのですが,そのあたりについては『明治馬券始末』をご覧ください。

  • 第3コーナー手前にあるさくらの里まちかど公園

    公園にあるサクラの由来という説明板によると,

    このサクラは,目黒競馬場があった当時の樹木だといわれており,平成9年秋,台風の影響により倒木したときも,地元の熱い要望により区が復旧したもので,区民に愛されています。

    ここに出てくる台風は,秋ということですから20号でしょうか。1997年の台風といえば7月の9号が有名ですが,それについては雨のバカヤロー!!の8年後 | Notenki Express 2014をご覧ください。

第3コーナーから第4コーナーにかけてはコースの面影はほとんど残っていません。

  • 第4コーナーを回って最後の直線

というわけで,軽く1周してきました。

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  1. よく知られているように,実際に放送されたのは「西の風 晴れ」でしたが,これは対英関係が危険になったときの暗号で,対米関係危険化の暗号は本来は「東の風 雨」でした。 
  2. 松戸競馬場は地形の関係で逆くの字に曲がっていました。 

花魂を驚かして柳楊を壓す 交通機關を奪て勤人を泣す (1908年)

この『南総里見八犬伝』あるいは『水滸伝』風のタイトルは,1908年4月10日付の東京日日新聞に使われていた見出しです。

一昨八日夜十時頃より滿都花なる今日この頃奇しくも降り出せる妖雪《ゆき》は終夜《よもすが》ら花魂を驚かして降りしきり明けて昨朝となるも尚降り歇《や》まず春の泡雪と思ひしは違ひて世は白妙の目の行く限り白皚々たるのみか量《かさ》さへ尺と積もりて寒中にも都には容易《たやす》く見られぬ大雪

そして,

されば其が爲めの被害も少からず先づ第一に惜しまるゝは今を盛りの櫻花にて都大路は是よりなる各所の櫻花は枝もたわゝの雪に壓せられて紅褪せ白散じて見るも無殘の姿痛々しく……

とあり,桜の被害もかなり大きかったようです。

東京の積雪は20cmで,今でも4月の最深積雪となっています。

この日の雪は晩雪という点では過去数十年なかった大雪だったらしく,東京日日新聞でも東京朝日新聞でも桜田門外の変を引き合いに出しています。当時はまだ江戸末期の動乱の記憶が残っていたんですね。

4月10日付の時事新報には「氣象臺設置以來三十二年間」にあった4月の降雪日が載っています。

明治十三年四月三日
同十八年1四月二日
同三十五年四月十日
同四十年2四月一日

いずれも積雪には至らなかったようです。

なお,この雪の影響で,11日から開催予定だった目黒競馬場での春季恒例競馬は12日からの開催に変更になりました。私の知る限り,4月の競馬の開催中止はこれがはじめてで,これ以降は2010年4月17日の福島競馬まで飛びます。

ちなみに,福島競馬は2013年4月21日にも雪のために中止になっています。(福島競馬がまたまた雪のために中止 | Notenki Express 2014をご覧ください)

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※この記事は花魂を驚かして柳楊を壓す 交通機關を奪て勤人を泣す | Notenki Express 2014に少し加筆したものです。


  1. 4月10日付の読売新聞では“十九年”になっています。 
  2. 4月10日付の読売新聞では“四十八年”になっています。明らかに間違いですね。 

台風5号雑記

次は発生の早い台風5号ベスト10です。

順位 発生日時
1 1965/04/12 15時
2 2014/04/28 09時
3 1971/04/30 09時
4 1951/05/08 09時
5 1967/05/10 15時
6 1976/05/13 15時
7 1980/05/22 21時
8 1979/05/23 15時
9 2008/05/27 15時
10 1997/05/29 09時

ということで,今年の5号は1951年以降ではもっとも早い発生ということになります。

ついでに,発生のおそい台風5号ベスト10です。

順位 発生日時
1 1998/09/14 03時
2 2010/08/23 09時
3 1975/08/12 15時
4 1954/08/12 09時1
5 1995/08/09 15時
6 1983/08/05 15時
7 2007/07/29 15時
8 1977/07/27 21時
9 1953/07/27 15時
10 1993/07/26 03時

当ブログの台風5号関連の記事:

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  1. 1954年の2号は欠番のため,5号とは名乗っていますが実質的には4番目の台風です。 

春三番の大嵐 (1972年)

1972年の3月31日から4月1日にかけて,日本近海で春三番の大嵐が吹き荒れました。海は大シケになり,3000トン級の船舶を含む海難50件が発生し,合わせて死者・不明100人以上という戦後3番目の海難となりました。

“春三番”の語は1972年4月1日付朝日新聞朝刊の見出しに登場しました。

死者10,不明65人に
春三番の海難事故48件

そればかりか,気象庁の公式記録である「気象要覧」でも次のように使われています。

春三番があるなら春二番,春一番も当然あったわけで,春二番は3月24日が該当しそうです。また,この年の関東地方の春一番は3月20日に観測され,観測史上もっとも遅い春一番だったわけですが,この春一番をもたらした低気圧によって富士山では死亡・不明24人という史上最大(=当時1)のパンパカ遭難,また九州西方の男女群島付近で死亡・不明13人という漁船の座礁事故がありました。

なお,俗に

花おこしの春二番,花散らしの春三番

などといわれることもありますが,調べてみるとほとんど一致しません。

※以上,この記事は春三番の大嵐 | Notenki Express 2014の画像へのリンク切れなどを直したものです。

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  1. その後これを超えるパンパカ遭難があったかどうかは興味がないので知りません。 

函館大火と函館颴風

次は1934年3月21日18時の地上天気図です。なんかすごそうな低気圧があります。中心気圧724粍1≒965hPa程度でしょうか。

この直後,函館で火災が発生しました。天気図から想像できるように強風にあおられ,火はみるみる燃え広がります。

函館大火 – Wikipediaより一部引用:

当日、北海道付近を発達中の低気圧が通過し、函館市内は最大瞬間風速39mに及ぶ強風に見舞われていた。早春の日が落ちて間もない午後6時53分頃、市域のほぼ南端に位置する住吉町で1軒の木造住宅が強風によって半壊し、室内に吹き込んだ風で囲炉裏の火が吹き散らされ、瞬く間に燃え広がった。さらに強風による電線の短絡も重なり、木造家屋が密集する市街地20箇所以上で次々と延焼したため、手が付けられない状態となった。時間の経過とともに風向きは南から南西、そしへ西風へと時計回りに変っていったため火流もそれに従い向きを変え、最終的には市街地の1/3が焼失する規模となった。死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして、あるいは市域東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって逃げ場を失い溺死した者(917名)、また溺死しないまでも凍死した者(217名)もいた。

そして,死者2166人,焼損棟数11105棟を数える大惨事となりました。

この函館大火の記録映像があります。

低気圧はさらに発達しながら北東に進み,12時間後の22日06時には中心気圧704粍≒938hPaまで発達しました。12時間で約27hPaも中心気圧が下がったわけで,今流にいえば爆弾低気圧です。当時は低気圧ということばも一般化してはおらず,温帯低気圧は(大陸)颴風とよばれていました。ちなみに,“颴”はShift_JISにはなく,メルマガを出していたころは青空文庫風に<風|旋>と書いていました。

そういえば去年の12月16日,次の17日09時の予想天気図を見て,こんな低気圧見たことない,などとツイートしていたお天気キャスターがいましたが,函館颴風は宮澤清治『近・現代日本気象災害史』にも載っていることですし,不勉強のそしりを免れないでしょう。

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  1. 粍=mmHg,760mmHg=1013.25hPa。 

東京地方に史上初の大雪警報 (1969年)

1969年3月4日の東京。前日夕方に発表されたこの日の天気予報は「北ないし東の風曇のち午後から一時雨」でした。

ところが,予報に反して夜明け前から雪が降り出し,09時には2cm積もりました。この段階ではまだ気象庁は大雪になるとは予想しておらず,11時30分になってやっと大雪注意報を発表しました。積雪はすでに9cm,東京を大混乱させた2月27日の7cmを超えていました。

雪は予想を上回ってさらに降り続き,積雪が15cmに達した14時になってついに東京地方に大雪警報が発表されました。東京地方の同警報の発表は史上初です。

この日の最深積雪は3月としては観測史上第2位(=当時。現在では第3位)の19cmを記録,まったくの不意打ちの大雪になりました。たった5日前の2月27日も不意打ちの雪に見舞われており,新幹線より雪に弱い気象庁のレッテルが定着することになります。

不意打ちだろうがなんだろうが東京に雪が積もればおきまりのパターンが待っています。鉄道は大混乱,道路は渋滞,人はスッテンコロリン。

さらにこの日は国立大学の一期校の入試の日でした。大きな影響を受けたのは間違いないですが,当時の大学はちょうどゼンキョートーだかなんだか,今となっては意味不明の団体が入試反対を叫んであばれていたころで(東大の入試が中止になったのはこの年),雪が降らなくても混乱していました。

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まさか8日後にこの日を上回る大雪になるとは……。3月の最深積雪(1969年) | Notenki Express 2014をご覧ください。