雷とダービー

今日14時25分現在,北は北海道から南は大東島まで,いろんなところに雷注意報が出ています。九州の上空に寒冷渦(上空5700mで-20℃以下)があって大気が不安定になっていますからね。

雷とダービーといえば,有名なのは1967年です。スタート約10分前に電光や雷鳴とともに雨が降りはじめ,どしゃ降りの中でダービーが行なわれました。詳しくは雷雨の中の日本ダービー(1967年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

勝ったのはアサデンコウで,雷さまはちゃんとサインを送っていたわけですが,気づいた人がいたかどうか……(笑)

さて,1979年5月のことです。26~27日にかけて日本列島上空に寒気が流れ込み,あちこちで竜巻,降雹,落雷が起こりました。降雹は30府県,竜巻は埼玉・茨城の2県,落雷は13府県で被害がありました。

とくに目立つのが落雷による死傷事故です。9人が死亡し,8人がけがをしました。

26日は郡山でサッカーの試合中の大学生が雷の直撃を受けて死亡,神戸では野球の試合中に二塁を守っていた会社員がやはり直撃を受けて死亡しました。その他岡山,秋田,大阪の各府県で1人ずつ,この日だけで合わせて5人が落雷で死亡しています。

27日も,宮城県のゴルフ場で高さ12mの松の木への落雷の側撃で1人死亡,福島県浪江町では運動会の最中にPTA副会長が直撃を受けて死亡,尾瀬では登山者が死亡しました。

飛行機にも落雷がありました。27日16時半ごろ,大阪行きJALジャンボ機が羽田を離陸して間もなく左翼先端に落雷を受けましたが,支障がないとわかりそのまま大阪へ飛んでいきました。

ダービーは27日,こうした異常な天候の中で行なわれたわけです。しかしとくに天気の影響は見られず,カツラノハイセイコがリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきり,6年前の同じ日に3着に敗れ去った父の無念を晴らしました。

ついでに,ダービーや雷とは直接関係はありませんが,2人の女子大生が阿寒湖で手に手を取り合って心中,スナックのママ(39)が女子高生(16)に「彼との交際をヤメレ,ゴルァ」とナイフで腹を刺された――というような記事も当時の新聞にあります。

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桜の枝に雪が満開(1988年)

1988年4月7日の夜から降りはじめた雪はやむことなく降り続き,8日朝には積雪9cmに達しました。これは4月の東京としては1908年の20cmに次ぐ史上2番目の記録です。

この雪の影響で,関越,東北,常磐の各自動車道が一部で通行止めになったほか,JR各線や私鉄で運休や遅延を生じました。また,羽田空港で2cmほど雪が積もったため離着陸が乱れ,国内線11便が欠航しました。

もちろん東京で雪が積もれば相次ぐスッテンコロリン,36人がけがをしました。

東京では2日にすでにソメイヨシノが開花しており,5~6分咲きのサクラの枝や花の上に雪が積もりました。なかなかみごとな光景でした。残念ながら枝折れを起こした木もあったようです。

この年のプロ野球の開幕はセ・パとも4月8日でした。西武球場での西武-南海戦は積雪のため中止になりましたが,この年から登場した屋根つき球場がさっそく威力を発揮,巨人-ヤクルト戦は予定どおり行なわれました。

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白木屋の大招牌落ち 慶應生徒の重傷(1919年)

1919年3月20日付東京日日新聞より:

昨夜東京に 大疾風襲来

昨夜七時頃より疾風起りて猛烈に吹捲くり市内各所の招牌屋根等を吹き飛ばし電燈線も所々に故障を生じ品川附近は雹さへ降りたり同夜九時中央氣象臺の報告に據れば十九日夕刻西空に雲現はれ東方に向かつて擴張し來り恰も雷雨の襲來せんとする模樣ありしが午後七時廿分頃より急風起りて砂塵を飛ばし猛烈なる勢いを以て吹募り八時には風速廿二米突に逹し夫より漸次衰ふるに至り又八時頃より雨を伴ひ八時十五分より雷雨となれり

午後7時ごろ,白木屋呉服店の2階に掲げてあった大きさ2間半×2間の大看板が吹き落とされ,通行中の慶應普通部の生徒♂(17)の頭を直撃,生徒は重傷を負いました。

この“疾風”は日本海から北海道に進んだ低気圧(いわゆる日本海低気圧)と寒冷前線の通過によるもののようで,関東地方から北海道にかけて銚子23.5m/s,前橋26.8m/s,秋田26.7m/s,函館21.4m/s,寿都27.3m/sなどの強風が観測されています。

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未来は寒い 雨の科学万博開幕(1985年)

1985年3月17日,前日開幕した科学万博-つくば’85の一般公開がはじまりました。

開場と同時に待ちわびた人がどっと駆け出したものの,しだいに天気がくずれ,冷たい雨が降りだし,客足は鈍りました。会場近くに17000台分用意した駐車場は終日ガラ空き,東京方面からの車が殺到するはずだった常磐道谷田部インター出口近くの駐車場もすんなり駐車できました。

午後からは雨脚が強くなり,気温は終日7℃前後。

その寒さの中,テクノコスモスの大観覧車には長蛇の列。最大で1時間半の待ち時間がありました。その他,富士通館やくるま館,松下館,NEC館なども人気で,震えながら入館を待つ人々の列が続いていました。

路上のコンパニオンは決まりで傘を持てないため,使い捨てカイロで寒さに耐えていました。

この日の入場者数は66102人。ところが退場者数は81657人。15555人はどこから湧いてきたんでしょう?(笑)

ちなみに,翌18日には星丸ランドスタージェットが故障して24人を乗せたまま高さ28mで停止するトラブルがありました。また,26日には強風のため,テクノコスモスの大観覧車,KDDIテレコムランドの観覧車,星丸ランドのスタージェットなどが一時運転を中止しました。

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3月の最深積雪(1969年)

1969年3月12日の東京は,未明から雪が降りはじめ,15時には積雪が30cmに達しました。これが東京における3月の歴代最深積雪になっています。

というわけで,昨日の日記で紹介した気象庁の名誉回復をかけた思い切った雪予報は当たったかに見えますが……。

予報吹き飛ばす猛吹雪
気象庁また降参
“天気図づくりに数時間”
台湾坊主大あばれ
気象庁でもさる四日の“大はずれ予報”に泣いたばかりなので,昨日の十一日午後には「雪」をいち早く予報したものの「これほど降るとは……」と大あわて。(12日付読売新聞夕刊)

この大雪のため,例によって国電(当時)はポイント故障が相次ぎ,ダイヤは大幅に乱れました。「国鉄運休は史上最大」(13日付日経朝刊)ともいわれています。懐かしの玉電(東急玉川線)はラッセル車がなかったため,世田谷区三宿付近で13台が立往生したほか各地で電車が閉じ込められ,運転が不可能になりました。

一方,雪の影響を受けなかった地下鉄は“殺人ラッシュ”。窓が割れ,けが人続出,機動隊まで出動する始末でした。とはいうものの,殺人というわりには誰も死ななかったようです。

またこの日,東大人文系大学院(修士課程)の入試が,反代々木系学生の妨害を避けるため,学内ではなく代々木ゼミナールで行なわれましたが,この雪の影響で試験は20分遅れてはじまりました。地方からの上京組も多く,「この雪だし,場所はわからないし……」とボヤく学生も多かったとか。

ちなみに,“反代々木系”といっても別に“親身の集金 日々是決算”の予備校に反対していた集団でないことはいうまでもありません。

反代々木系といえば,日大の反代々木系のボス,日大全学共闘会議議長の秋田明大(23)という人物が,渋谷区神宮前の知人宅に潜伏中,雪かきをしているところを通報され,逮捕されたのもこの日でした。

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ハイセイコーの“都落ち”(1973年)

1973年3月4日,ハイセイコーが中央競馬に颯爽とデビューしました。

この日,南海上の移動性高気圧におおわれて午前中は晴れていましたが,日本海と九州の南海上に低気圧が進んできたため,午後からくもってきました。しかし,気温は平年並で,競馬観戦にはまずまず。こんな陽気も手伝って,第10回弥生賞が行なわれる中山競馬場には,ハイセイコーをひと目見ようと前年の有馬記念より多い12万人を超える大観衆が詰めかけました。スタンドには観客があふれ,金網を越えて観客が芝コースにこぼれ落ちたという伝説は実話で,映像にも残っています。

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1973年 3月 4日(日) 1回中山4日  天候: 曇   馬場状態: 良
10R  第10回報知杯弥生賞
4歳・オープン  芝 1800m   10頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム 人     廐舎
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1 6  6  ハイセイコー    牡 4 増沢末夫  55  1.50.9  1  鈴木勝太郎
2 5  5  ニューサント    牡 4 伊藤正徳  55  1 3/4  6  尾形藤吉
3 4  4  キクカギョクリュウ 牡 4 東信二   55  1 1/2 10  境勝太郎
4 8  9  カミノテシオ    牡 4 加賀武見  55  アタマ  3  高橋英夫
5 1  1  ベルロイヤル    牡 4 矢野照正  55  1 3/4  8  阿部正太郎
6 2  2  タケデンパワー   牡 4 岡部幸雄  55  クビ    7  稲葉秀男
7 3  3  タケホープ     牡 4 嶋田功   55  2      4  稲葉幸夫
8 7  7  ナスノオーカン   牡 4 田村正光  55  3/4     9  稲葉幸夫
9 8 10  クリアスカ     牡 4 郷原洋行  55  9      5  吉野勇
10 7  8  ユウシオ      牡 4 横田吉光  55  2 1/2  2  菊池一雄
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LAP :13.0-11.9-11.6-11.9-11.3-12.4-12.9-12.9-13.0
単勝 6 \110    複勝 6 \130 / 5 \290 / 4 \340
枠連   5-6 \760 (4)
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ところで,“地方から中央入り”などといわれたハイセイコーですが,ハイセイコーが所属していたのは大井競馬で,大井競馬場はご存知のように東京都心のど真ん中(からはちょっとハズレてはいますが)にあり,都下にある東京競馬場や千葉県にある中山競馬場なんかよりはるかに都会です。これでは“中央入り”というより“都落ち”が正しいでしょう(笑)

ついでに,ハイセイコーが引退するとき「さらばハイセイコー」というレコードが出たことはよく知られていますが,しばらくして「ハイセイコーよ元気かい」というレコードが出たことを知る人は少ないでしょう。作詞は寺山修司なのですが……(どうでもいいですが,私はこの人の詩や文章が好きじゃないです。あのなんともいえないひねくれた暗さに拒否反応が起こります)。さらにそれから4年後,「いななけカツラノハイセイコ」というレコードが出たことを知る人は,いまや絶滅寸前のレッドデータ的存在。「♪父よ見てくれ この脚を……」などと今でも歌える私は人間国宝級(爆) 残念ながらどこのカラオケにもない……。

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江戸の桜田 雪が降る(1860年)

万延元年三月三日の上巳の節句,早い話がひな祭り,頃は五ツ半時(午前9時ごろ),あかりをつけましょ ぼんぼりに――ではなくて,総勢60余人からなる大老井伊掃部頭直弼の行列が桜田門外にさしかかったとき,お花をあげましょ 桃の花――でもなくて,18人の水戸浪士らが行列に襲いかかり,五人ばやしの 笛太鼓――いいかげんシツコいですが,早い話が大老を暗殺しました。世にいう桜田門外の変です。

赤穂浪士の討ち入りや二・二六事件の襲撃のときは実際には雪は降っていなかったのですが,このときは実際に雪が降っていました。ただ,ドラマや映画で描かれているような“大雪”ではなかったようです。と,見てきたようなことをいう>σ(^^;)

60余人ものお供の者がついていながら大老をむざむざ討ち取られてしまったのは,すべてが戦闘員というわけではなかったからということもあるでしょうが,もっとも大きな理由は,この日は朝から雪が降っていたため,雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったからといわれています。さらには,テロ集団がまさか白昼堂々と襲ってくることはないだろうという,油断というより固定観念のようなものがあったのかもしれません。

万延元年三月三日は今の暦では1860年3月24日にあたります。晩雪ではありますが,現在の平年値でも東京の終雪は3月11日,3月の降雪日数は2.2日ですから,とくに珍しい現象というほどではありません。ちなみに3月の最深積雪は1969年に記録した30cmです。

なお,藤原ハカセによると,この日赤い雪が降ったといって江戸の人が騒いだそうです。(1925年1月31日付東京朝日)

井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ

桜田門外の変のあと,文久二年正月十五日に老中安藤信正がやはり水戸浪士らに襲われる坂下門外の変が起こりました。このときは老中側のテロ対策が抜かりなかった……というよりも襲撃側の計画がかなりズサンだったらしく,老中は軽傷を負っただけで,襲撃側が全滅しました。この日は現在の暦では1862年2月1日にあたり,時期から見て雪が降っていたかも……と思ったのですが,どうやら雪が降っていたという記録はないようです。

これは今の桜田門。邪魔な“内堀ランナー”の通り道になっています。

筆者は桜田門と聞くと桜田門外の変よりもむしろこれが真っ先に思い浮かびます。

土曜ワイド劇場や今はなき火曜サスペンス劇場の見すぎなのでしょうねえ。

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【付記】写真を追加。それに伴い一部書き換えました。[2015/03/02]

新幹線より雪に弱い気象庁 (1969年)

現在,外は雪です。

大手町の気温は朝から少しずつ下がってきて,11時現在2.0℃です。

雪といえば,40年前の今日,つまり1969年2月27日は東京で雪が降りました。最深積雪は7cmとたいしたことはなかったのですが,かなり混乱したようで,28日付毎日新聞朝刊には

7センチの雪でダウン マンモス東京

帰宅の足混乱,商店も早じまい

対応施設さっぱり 過密すぎる人と車

などと書かれています。

前日夕方発表の気象庁の予報は

北東のち北寄りの風曇,日中時々晴

で,みごとな大ハズレでした。

さらに3月4日,東京地方は史上初の大雪警報が出る大雪となったのですが(東京の最深積雪19cm),それもハズしており,新幹線より雪に弱い気象庁のレッテルが貼られることになりました。

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白虹日を貫く(1936年)

井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に避難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は幻日環だと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日“白虹日を貫く”のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり“白虹日を貫く”のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の“白虹日を貫く”は井伏鱒二の創作なのではないかと思います。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

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雪のフェブラリーS(1996年)

今度の日曜日(22日),フェブラリーS(GⅠ)が行なわれます。出走を予定していたダイワスカーレットが回避どころか引退までしてしまうのは残念ですが(まあ,あの厩舎だから……),カネヒキリのGⅠ8勝なるかとか,いくつかの注目点があるレースです。

フェブラリーSというと,2002年のアグネスデジタルも印象深いですが,お天気屋の立場からすればなんといっても1996年のホクトベガでしょう。

この年のフェブラリーSは2月17日(土)に行なわれました。当時はGⅡで,GⅠへの昇格は翌年からです。

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃,レースが行なわれたころの気温は-0.2~-0.4℃でした。

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1996年 2月17日(土) 2回東京7日  天候: 雪   馬場状態: 良
11R  第13回フェブラリーS
4歳以上・オープン・G2(別定) (混)(指定)  ダート 1600m   15頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 3  5  ホクトベガ     牝 7 横山典弘  57  1.36.5 37.0  3 492 (美)中野隆良
2 3  4  アイオーユー    牝 7 小野次郎  55  1.37.1 36.7  9 480 (美)高松邦男
3 7 13 $スギノガイセンモン 牡 6 岡部幸雄  57  1.37.3 36.6  6 458 (美)伊藤正徳
4 1  1  ビッグショウリ   牡 6 蛯名正義  58  1.37.5 37.4  1 492 (栗)中尾正 
5 5  8  アマゾンオペラ   牡 6 石崎隆之  57  1.37.9 37.6  4 454 [地]出川巳代
6 2  3  スピードアイリス  牝 6 的場均   55  1.37.9 38.0  8 454 (栗)森秀行 
7 5  9  メイショウヨシイエ 牡 6 村本善之  57  1.38.2 37.6 10 506 (栗)高橋成忠
8 8 14  ユーフォリア    牝 6 東信二   55  1.38.4 37.3 15 444 (美)谷原義明
9 4  7  ロイヤルハーバー  牡 7 小島太   57  1.38.4 37.7 12 516 (美)佐々木亜
10 4  6  リバーセキトバ   牡 7 小林淳一  57  1.38.5 37.9 14 510 (美)佐藤林次
11 6 10  アドマイヤボサツ  牡 7 芹沢純一  57  1.38.5 38.3  2 506 (栗)橋田満 
12 2  2  ヒカリルーファス  牡 5 早田秀治  56  1.38.7 39.2  7 540 [地]高岩隆 
13 8 15  キタサンテイオー  牡 7 大塚栄三  57  1.39.1 39.1 11 486 (美)嶋田功 
14 6 11  ビワセイハ     牡 6 内山正博  57  1.39.6 39.3  5 470 (栗)浜田光正
15 7 12  ハシノタイユウ   牡 5 高橋和宏  56  1.40.8 40.4 13 460 [地]佐藤和伸
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LAP :12.6-10.9-11.6-12.1-12.3-11.8-12.5-12.7
通過:35.1-47.2-59.5-71.3  上り:73.0-61.4-49.3-37.0  平均:1F:12.06 / 3F:36.19
単勝   5 \460
複勝   5 \220 / 4 \660 / 13 \370
枠連   3-3 \6970 (22)
馬連   04-05 \6910 (27)

アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ,ハシノタイユウなどの名が時代を感じさせてくれます。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり,翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり,観測史上3位の記録となりました。

この雪のため,東京競馬は順延,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,それも日本選手権の決勝が順延になる珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」と朝日新聞の見出しでお寒いギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後には1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう。

フェブラリーSが行なわれた17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

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