高知・須崎市で潮位8m? (2010年)

asahi.com(=リンク切れ)より引用。

高知・須崎市で潮位8m? 気象庁HPに原因不明の数値

2010年3月1日20時17分

気象庁ホームページの「潮位観測情報」で、高知県須崎市の須崎港の潮位が1日午前0時ごろに約8メートルになった、と表示されたことがわかった。南米チリの大地震による津波警報が高知沿岸に出ていた時間帯だが、高知地方気象台は「前後の波の状況や他の観測地の情報と比べても、明らかにおかしい」としている。国土交通省が管理する計器で測ったデータを気象庁がそのまま掲載しており、同省などが原因を調べている。

ホームページを見てこの数値を疑問に思った人から、1日未明、同気象台に問い合わせがあったという。

話はこれだけです(笑)

なお,南米チリの大地震による津波については,津波警報と東京マラソン (2010年) | Notenki Express 2014沖縄で震度5弱の地震 (2010年) | Notenki Express 2014などをご覧ください。

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沖縄で震度5弱の地震 (2010年)

2010年2月27日05時31分ごろ,沖縄本島近海の深さ約37kmを震源とするM7.21の地震が発生しました。

地震情報(震源・震度に関する情報
平成22年2月27日5時37分 気象庁発表
きょう27日05時31分ころ地震がありました。
震源地は、沖縄本島近海(北緯26.3度、東経128.2度、那覇の東5
0km付近)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)
は6.9と推定されます。
[震度3以上が観測された地域]
震度5弱  沖縄県本島中南部
震度4    鹿児島県奄美南部  沖縄県本島北部  沖縄県大東島
震度3    鹿児島県奄美北部  沖縄県久米島
[震度4以上が観測された市町村]
震度5弱  糸満市
震度4    与論町  名護市  国頭村  東村  今帰仁村  本部町  恩納村
          那覇市  宜野湾市  浦添市  読谷村  北谷町  北中城村
          中城村  西原町  豊見城市  与那原町  南風原町  座間味村
          うるま市  南城市  北大東村
津波警報等(警報あるいは注意報)を発表中です。
この地震について、緊急地震速報を発表しています。
情報第1号=

震度5以上の揺れが沖縄本島で観測されたのは1911年以来99年ぶりとのことです。

この地震に伴って津波警報・津波注意報が発表されました。

津波警報・注意報
平成22年 2月27日05時33分 気象庁発表

************** 見出し ***************
津波警報を発表しました
 沖縄本島地方
これらの沿岸では、直ちに安全な場所へ避難してください
なお、これ以外に津波注意報を発表している沿岸があります

************** 本文 ****************
津波警報を発表した沿岸は次のとおりです
<津波>
 *沖縄本島地方
これらの沿岸では、直ちに安全な場所へ避難してください

津波注意報を発表した沿岸は次のとおりです
<津波注意>
 *奄美諸島・トカラ列島、大東島地方、宮古島・八重山地方

以下の沿岸(上記の*印で示した沿岸)では直ちに津波が来襲すると予想さ
れます
 沖縄本島地方、奄美諸島・トカラ列島

*************** 解説 ***************
<津波の津波警報>
高いところで2m程度の津波が予想されますので、警戒してください
<津波注意報>
高いところで0.5m程度の津波が予想されますので、注意してください

asahi.com(=リンク切れ)より:

沖縄で震度5弱 世界遺産の石垣、一部崩落

2010年2月27日13時28分

 27日午前5時31分ごろ、沖縄本島近海を震源とする地震があり、沖縄県糸満市で震度5弱を観測した。気象庁によると、震源は那覇市の東約50キロ付近で震源の深さは約10キロ。地震の規模を示すマグニチュードは6.9と推定される。沖縄本島は比較的地震活動が少ない地域で、震度5以上の強い揺れが観測されたのは1911年以来99年ぶり。県によると、女性2人が軽傷を負った。

 また、うるま市教育委員会によると、世界遺産にも登録されている同市の勝連城(かつれんぐすく)跡の石垣の一部が崩落した。

 同庁は地震の直後に沖縄本島に津波警報、奄美諸島・トカラ列島、大東地方、宮古島・八重山地方に津波注意報を発表したが、午前6時半に警報を注意報に切り替え、午前7時に注意報をすべて解除した。同県南城市では午前6時ごろに約10センチ、南大東島では数センチの津波が観測された。

 今回の地震では、最大震度5弱以上で発表される緊急地震速報が出され、震度5弱を観測した糸満市では発表から強い揺れが到達するまでに約3秒の猶予時間があった。

 同庁によると、今回の地震は北東方向と南西方向からそれぞれ押す力がかかり水平方向に地面がずれる横ずれ断層型の地震だった。横ずれ型の地震は、上下にずれる縦ずれ型に比べて海面の変動が少ないため津波が起きにくいという。同庁の関田康雄・地震津波監視課長は記者会見で「海上での作業などに影響はないが、27日午前中は若干の海面変動が起きる可能性がある。今後1日程度は余震にも注意する必要がある」と話した。

 京都大学の梅田康弘名誉教授(地震学)によると、沖縄本島で地震が少ないのは、本島の南東にあるプレートの境目の固着が弱く地殻のひずみがたまりにくいためとの説があるという。

   ◇

 震度4以上を観測したのは次の通り。

 震度5弱=糸満市

 震度4=南城市、うるま市、豊見城市、浦添市、宜野湾市、那覇市、名護市、南風原町、与那原町、西原町、北谷町、本部町、北大東村、座間味村、中城村、北中城村、読谷村、恩納村、今帰仁村、東村、国頭村、鹿児島県与論町

 県によると、27日午前11時半現在、この地震で、ベッドから床に転落した那覇市の女性(74)と自宅で転倒した浦添市の女性(66)の計2人が病院に搬送された。いずれも腰の打撲など軽傷という。

 建物の被害は計7件あり、うるま市で民家の屋根が壊れるなどした。住宅屋上の水タンクの落下や水漏れなどのトラブルが53件、水道管破裂などの報告も61件あった。

ところで,2010年2月27日といえば,同じ日に地球の反対側で巨大地震が発生しています。

asahi.com(=リンク切れ)より:

チリでマグニチュード8.8の地震、複数の建物が崩壊

2010年2月27日19時6分

 米地質調査所(USGS)によると、南米チリ中部の都市コンセプシオン近郊で27日午前3時34分(日本時間同午後3時34分)、マグニチュード(M)8.8の強い地震が起きた。震源は、コンセプシオンの北北東約115キロの地点で深さは約35キロ。チリのバチェレ大統領は地元テレビに、少なくとも6人の死亡が確認されたと語った。震源近くは電話が通じず、被害の規模は不明。

 AP通信は、震源から約300キロ離れた首都サンティアゴでも強い揺れがあり、複数の建物が倒壊したと伝えている。停電も起きた。震源の近くでは余震が続いている。ロイター通信によると、強いものはM6.9に達した。

 太平洋津波警戒センターは、チリとペルー沿岸を対象に津波警報を、エクアドル、コロンビア、パナマなどに津波注意報を出した。同センターは、震源に近いチリのバルパライソで約1.3メートルの津波を観測。太平洋で広範な津波が起きる可能性があるとしている。

 チリでは1960年5月にM9.5の激しい地震が起き、日本に津波が到達して三陸沿岸などで死者・行方不明者が計約140人にのぼった。

 コンセプシオンは、チリ有数の商工業都市。人口約21万人(2002年国勢調査)。内陸との輸送に便利なビオビオ川の河口に近く、繊維や食品加工、製材、鉄鋼などの工場が集まる。コンセプシオン大学があり、教育・文化の中心地としても知られる。

この地震によって津波が発生し,日本でも津波警報(大津波および津波)が発表されました。にもかかわらずのんきに東京マラソンが行われたわけですが,これについては津波警報と東京マラソン (2010年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

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  1. 速報値ではすぐ下に引用してある地震情報のようにM6.9でした。 

兵庫県南部地震の第一報

当時常連だったDEN-NETという草の根パソコン通信への私の投稿:

23-01  DEN186 95/01/17 22:46   370 信じられない
----------------------------------------------------------------------------

    私が聞いた第一報は,午前7時ちょっと前ごろで, 神戸付近で停電の
    ため新幹線の運転を見合わせています,というようなものでした。だ
    から,神戸や洲本で震度6と聞いてもピンと来なかった。

    地続きのところで,街が壊滅しているなんて信じられない。

    いーちゃんはだいじょうぶだろうか?

                                                              Kink

以前からラジオをつけっぱなしで寝ていたため,ラジオで地震情報は流れていたはずですが,まったく気がつかないで寝ていたようです。

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大仏の頭が落ちる

斉衡二年五月二十三日(ユリウス暦で855年7月10日),東大寺から都に,大仏の頭が落ちた,との報告がありました。

この前,五月十日,十一日に地震の記録があることもあり(六月二十一日,二十五日にも地震の記録がある。ついでに六月一日には日食の記録がある),地震によって落ちたとされることがありますが,『文徳実録』には

毘盧舍那大佛頭自落在地

とあるだけで,地震で落ちたとは書いてありません。

誰かが故意にやったのだとしても,もうとっくの昔に時効が成立していますね(笑) 奈良県警というと,2時間サスペンスでは誰だろう?

直接関係ないですが,5月23日というと,1960年5月22日のチリ沖地震(M9.5)によって発生した津波は太平洋を渡っている最中で,まだ日本には到達していません。すでに到達したハワイでは最大波高10.5mを記録しています。

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稲村ヶ崎の奇跡?! (1333年)

鎌倉」と題する唱歌があります(芳賀矢一作詞)。鎌倉の観光ガイドのような長い歌で,次の歌詞ではじまっています。

♪七里ヶ浜の いそ伝い
稲村ヶ崎 名将の
剣投ぜし 古戦場

ここに歌われている名将とは,もちろん新田義貞です。元弘三(1333)年五月,分倍河原での一時的な退却あったものの稲村ヶ崎まで順調に攻めのぼってきた新田義貞も,天然の要害,鎌倉への侵入路を捜しあぐねていました。五月二十一日の夜半過ぎ,意を決して稲村ヶ崎の浜で数万の自軍を背にしてひとり馬から降り,兜を脱いで沖合いを伏し拝み,龍神に祈りを捧げます。

……仰願ハ内海外海ノ竜神八部,臣ガ忠義ヲ鑒テ,潮ヲ万里ノ外ニ退ケ,道ヲ三軍ノ陣ニ令開給ヘ

祈りおわって,黄金づくりの太刀を海中に投じると,なんと不思議なことに,今まで潮の干いたことがない稲村ヶ崎の海が二十余町にわたって干いたではありませんか。

どうでもいいですが,TBSの世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリーでこの場面を再現したときはなぜか真っ昼間に太刀を投げ入れていました。

いずれにしても,こうして生じた干潟から義貞軍は一気に鎌倉に攻め入り,鎌倉幕府の要人はもはやこれまでとほとんどが自害。ここに鎌倉幕府は滅びるのです。

以上は太平記に載っている話です。果たして潮が干いたのはほんとうなのか? 真実や如何に?

これについては諸説あり,いちばんもっともらしい(と私が以前思っていた)のは,義貞は潮の満ち干を知っていて,士気を鼓舞するためにひとり芝居を演じたという説です。

ところが,この説には致命的な欠点があります。この日は旧暦の五月二十二日ですから,稲村ヶ崎あたりの干潮は午前2時から3時ごろです。したがって潮が干いたのは事実でしょうが,これはいつでも起こっていることで,“今まで潮の干いたことがない”稲村ヶ崎が干上がったことを説明できません。それに上州育ちの義貞が潮の満ち干についてそれほど詳しかったとも思えません。

さらに潮が干いたあとは歩きにくく,海というものに慣れていない上州の軍勢がスムーズに通れたかどうか疑問です。江戸時代の詠史川柳に

義貞の勢はアサリを踏みつぶし

というのがあります。

ということで,ドラえも~ん,なんとかしてよ~とタイムマシンでも借りない限りほんとうのところはわかりませんが,私的にはこの話は作り話で,義貞軍の本軍は稲村ヶ崎を通ったのではなく,別のところを通って鎌倉に攻め込んだのだと思います。

ただ,義貞軍本隊が化粧坂路を進んでいたころ,大館宗氏率いる右翼軍の一隊が由比ヶ浜を突破しており(ただし,大館宗氏はその後の戦いで討死),このときにひょっとして潮が干いたのを利用したのが,話を面白くするためか軍記物にありがちな針小棒大癖のためか誤ってか義貞軍本隊の話として伝えられたのでは……と思えないことはありません(根拠はないです)。

ところで,鎌倉といえば,大仏です。唱歌「鎌倉」にもあります。

♪極楽寺坂 越え行けば
長谷観音の 堂近く
露座の大仏 おわします

ここに歌われているように,奈良の大仏さんと違って鎌倉の大仏さんは露座,早い話が雨ざらしです。

もちろん,つくられた当時は大仏殿のようなものがそれなりにあったようです。ところが,3回の大風(そのうちの1回は『吾妻鏡』に載っている台風と思われますが,他は確認していません)によって倒壊,追い撃ちをかけるように1495年の津波によって流され,それ以来露座となったのでした。

この津波は,1498年の明応東海地震によるものとされてきました。しかし,最近の研究では1495年の相模湾を震源とする地震に伴う津波と考えられるようになっているようです。

それにしても,大仏殿が流されたのに大仏さんはよく踏みとどまったものです。

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九十九里で津波被害(1877年)

1877年5月11日,九十九里に津波が襲来し,犠牲者が出たもようです。

この津波は1877年5月10日にチリ沖で発生したM9.0のイキケ地震による津波がはるばる太平洋を越えて到達したものです。

『日本被害津波総覧[第2版]』によると,太平洋沿岸各地で津波が観測され,チリ北部で死者多数,ハワイでは死者5人,家屋破壊37棟などの被害がありました。日本でも函館2.4m,釜石3m,東京湾0.7mなどの津波が観測されています。

14日付の読売新聞には次のようにあります。

午後四時過ぎ滿潮で凡そ一尺あまりも引汐になると又だんだんと二尺ほども揚て來たゆゑ海邊や川筋の者は膽をつぶし大地震でも有はしまひか何だか氣味の惡い變亊だと云てゐるうちに引てしまいひました・・・・

15日付の読売新聞には九十九里での被害のようすが次のように書かれています。

・・・・午後四時ごろに再び冲の方から大波を打よせ老若男女の周章は大たならず見る間に海岸が平ら一面の浪になり其内老人子供は泣々浪に引込まれ其きり命を捨たもあり九死をのがれて小高い所へ逃のびたも有て村々は死人怪我人が餘ほど有ツた樣子で實に眼も當られぬ憐れな亊なほ委しくハ跡よりと?して來ました

北上川で12日から洪水が起こり,13日には水位が“一丈”も上がったようですが,これについては11日の大雨による影響もあるかもしれません。

具体的な被害については『日本被害津波総覧[第2版]』にも

函館と三陸沿岸で被害があった。また房総半島で死者を含む被害があった。

とあるだけです。おそらく自治体編纂の地域誌にも記述がないのでしょう。

ちなみに,当時の新聞の同じ面には

二月十七日ハ西郷隆盛が鹿児島出立にて・・・・

などという記事があり,歴史を感じます。

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