燃える雲 ~昭和のうた~

写真はイメージです(笑)

大昔「燃える雲」という映画がありました。

燃える雲 | 映画-Movie Walkerによると,1967年製作,監督は野村孝となっています。

航空検察官という架空のプロフェッショナルの活躍(?)を描いた映画で,渡哲也高橋英樹二谷英明宍戸錠十朱幸代などそうそうたる俳優が出演しています。しかもみんな若い。当たり前ですが。

10年ほど前,確かファミリー劇場だったかで放送されたのをたまたま見たのですが,いやあ,ストーリーがかなりブッ飛んでいます。クライマックスで流れる「赤とんぼ」がいやが上にも雰囲気を盛り下げます。

しかしもっとスゴいのは主題歌。タイトルは映画と同じ「燃える雲」。滝田順作詞,伊達政男作曲。主演の渡哲也が歌っています。

めったにない壊れっぷりです(笑) とくに2番の

山がじゃまなら 吹き飛ばせ
雲がじゃまなら 吹き飛ばせ

とかねぇ~。雲はともかく,山を吹き飛ばすって……。その昔,宇宙戦艦ヤマトのパロディで,ヤマトが地球帰還の軌道にはいるときに減速できなくなって波動砲で地球をブッ飛ばすというのがありましたが。

今ではほとんど知る人もなく,私もたまたまテレビで見なかったら知ることもなかった歌だと思いますが,昭和の時代にこんな歌もあったということをメモしておきます。

ブログランキング・にほんブログ村へ

【ネタバレない範囲で】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(以下,DQYSと略)を封切り初日に観てきました。感想をネタバレのない範囲で書きたいと思います。

自分のブログだし,ドラクエ系のブログランキングにも参加していない――というよりそもそもドラクエ系のブログではないので,別にネタバレしてもかまわないのですが,観たのが5日前で,ネタバレするほど正確にはおぼえていない(笑)という実情もあります。

なお,この文章は某所の冒険日誌とほとんど同じです。

というわけで,DQYSを封切り初日(8月2日)に観てきたわけですが,片田舎の映画館にしても,封切り初日なのに5分の1もはいっていませんでした。平日なのでこんなもの? あるいは観なくても皆さんわかっていらっしゃる?

観たあとにリュカ搾取問題を知り,そんな程度の製作姿勢だったのか――と納得した次第です。

ストーリー以前に私は中途半端にリアルな映像が嫌いなもこともあり,とくにキャラがアップになると画面を直視できませんでした。ヒゲ面のキャラはもちろん,ビアンカの気持ち悪さったらありゃしませんでした。

誰とはいいませんが(というか,誰か忘れた(笑)),棒読みちゃんがいて,オマエもうしゃべらなくていいよ,と思ったりしました。

サンタローズが雪の季節ばかりなのはなぜ?

あるおばあさんが出てくるのですが,あのおばあさんにそっくりなのです。他のキャラは似ても似つかないのに,このおばあさんだけなぜ?

ネタバレなしで今思い出せる範囲ではこのくらいですかね。これ以上とくに思い出そうとも思いません。思い出したらこの記事に追記するかもしれません(気が向けば)。

というわけでおススメはしませんが,百聞は一見にしかずかもしれません。

なお,私はドラクエナンバーシリーズをすべてクリアしていますが(まだ終わっていないDQ10を除きます),その中でDQ5は下から3番目の評価です。そんなわけでDQ5にはほとんど思い入れがないことを断わっておきます。

最後にひとこと:

“ユア・ストーリー”なのに,ストーリーを強制するのはやめてください!!

ブログランキング・にほんブログ村へ

トトロバス停が倒壊 (2004年)

大分県宇目町轟《ととろ》にその名もととろというバス停があります。昔からあったようですが,名前が「ととろ」である上に,雨の中サツキがメイを背負ってお父さんの帰りを待っていた「稲荷前」バス停に雰囲気が似ているというので,有名になりました。

さて,2004年8月28日09時,カロリン諸島の東に台風18号が発生しました。その後ゆっくりと西北西~北西に進み,日本列島に近づいてきます。

そして9月5日17時半ごろ沖縄本島付近を通過,7日09時半ごろ長崎市付近に上陸しました。

平成16年 台風第18号に関する情報 第73号

 平成16年9月7日09時40分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第18号の中心は、7日9時半頃に長崎市付近に上陸しました。

(本文)
なし。

この台風18号の強風によって,ととろバス停が吹き倒されてしまいました。

 宇目町轟(ととろ)地区の「ととろの里」で、台風18号のため、「ととろ」バス停の待合所が倒壊した。町では建て替えを検討しているが、「ピカピカのバス停にしてもイメージが壊れるし…」と頭を悩ませている。

 「ととろ」バス停は大分バスの現役のバス停。「となりのトトロ」のブームで一躍、有名になり、多くの観光客が訪れるようになった。

 地区の人によると、待合所は五十年ほど前に建てられたもの。今月七日の台風18号で小屋ごと飛ばされ、ひっくり返った状態で数メートル後ろに倒れた。現在、「メイ」と「サツキ」姉妹の看板だけが雨ざらしのまま待合所の跡に立っている。

 待合所は二平方メートル余りの小屋。昔懐かしい雰囲気が売り物だけに、町企画商工課は「新しい材料を使えばすぐにでも建て替えられるのだが…。イメージに合う古材がなかなか見つからず、困っています」と話している。
[大分合同新聞]

ところが意外に早く,この年の9月17日には復活しました。

 台風18号で倒壊した宇目町轟(ととろ)地区の「ととろ」バス停待合所が十七日、新しい小屋に建て替えられた。

 大きさは以前のものとほぼ同じ。町企画商工課によると、古い雨戸を壁に使うなど、できるだけ古材を用いたが、手に入らなかった部分は新しい木材を使用。ボランティアの協力を得て、古い雰囲気が出るような色に仕上げた。以前はトタンだった屋根は杉皮ぶきに。地区の人からも「前のよりいいわあ」と好評だ。

 小屋の左右に付いていた絵も元のままだが、以前の待合所に立てられていた「トトロ」の看板は、台風で割れてしまった。「トトロがいなくなって、バス停がちょっと寂しくなっちゃったかなぁ」と町職員。[大分合同新聞]

ところで,このととろバス停,写真で見る限り“田舎”にあるというだけでアニメの「稲荷前」バス停と似ている感じはまったくしません。そもそもアニメのバス停には“待合所”はありません。もしあったら,サツキは傘を差したままメイを背負っている必要はなく,またトトロも雨の中に立っている必要がなかったわけで,トトロとの出会いも違ったものになっていたでしょう。もっとも,あのデカいトトロがバス停の中で座ってねこバスを待っているという状況は想像できませんが(笑)

このサツキとメイのトトロとの出会いがいつだったかという考察についてはサツキとメイ,トトロに会う | Notenki Express 2014をご覧ください。

この記事は「ととろ」バス停が倒壊 | 能天気Express Hyperに加筆・修正したものです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

サツキとメイ,トトロに会う

1952年6月23日,雨の中,サツキとメイがバス停でトトロに会いました。

6月23日というのは小学校の黒板に書いてありますが,問題は1952年のほうです。実は1952年とするにはかなり矛盾もあるのです。

お母さんが入院している病室のカレンダーがたびたび映ることがあり,それによると8月1日が金曜日になっています。また,同じことですが,7月1日が火曜日になっています。8月1日が金曜日になるのは 1947年,1952年,1958年といったところなので(今年も8月1日が金曜日です),1952年とするのがもっとも妥当だと思います。1958年の可能性が消えるのは,当時のデータを見ると1958年6月23日に雨が降ったとは考えられないからです。

ところが,となりのトトロの世界が1952年だとすると,6月23日は月曜日になります。しかし,黒板には

6月23日(水)

とハッキリ書かれています(原文はタテ書き)。この矛盾は説明がつきません。
日直が間違えて書いたのだろう……ということで(カレンダーはウソつかない(笑)),スッキリはしないのですが,σ(^^;)は1952年ということにしています。1952年説を唱えているのはおそらくσ(^^;)ひとりでしょう。1958年と考えている人が多いようです。

ちなみに,他の解決策がないことはありません。7月23日の間違いとすることです。かなり無理がありますが。このあたりは7月11日に予定されている放送を見てから考えることにしましょう。

ところでこの日(6月23日),ダイナ台風が紀伊半島に上陸しています。その影響もあって東京では39.8mmの雨が降りました。

そしてお父さんの帰りが遅くなったいいわけ。

電車が遅れてね,バスに間に合わなかったんだ。

もうおわかりでしょう。大雨の影響で電車が遅れたのです(ナットク(笑))

さらに,ダイナ台風は東京の真上を通過していきましたが,その実体はトトロが乗ったねこバスだったのかも知れません(笑)

※この記事はサツキとメイ,トトロに会う | 能天気Express Hyperを一部書き直したものです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

数寄屋橋での出会い (1945年)

1945年5月24日の夜,米軍による爆撃の最中の数寄屋橋で後宮春樹と氏家真知子が出会い,半年後の11月24日の夜にこの橋の上での再会を約束するというのが,映画君の名はの冒頭のシーンです。放送時間中は女湯が空になったという都市伝説のあるラジオの連続放送劇も同様なんだと思いますが,聞いたことはありません。

しかし,実際には5月24日の夜には空襲はなく,このころ東京に空襲があったのは24日未明と25日夜~26日未明でした。

このうち数寄屋橋付近に空襲があったのは25日夜~26日未明です。

奥住喜重・早乙女勝元『新版東京を爆撃せよ―米軍作戦任務報告書は語る』によると,この作戦命令は第21爆撃機集団野戦命令79号で,発令は25日02時00分(日本時間),爆撃は25日22時38分にはじまりました。

原作者が日にちを間違えたのか,そうでないとすればなんらかの理由で変えたのでしょう。

ちなみに,1991年にNHKの連続テレビ小説で「君の名は」(ヒロイン鈴木京香)が放送されたときは“5月のある日の夜”にボカされていました。

さて,半年後の11月24日,下心いっぱいの春樹は約束どおり数寄屋橋のたもとの交番の前に行きますが,真知子にスッポカされます。それもそのはず,この交番は1944年6月から1946年6月まで閉鎖されていたため行きたくても行けなかったのです。ではなくて,確か四ツ谷の家が空襲で焼けたため佐渡の親戚宅に身を寄せていたのではなかったかな。

あきらめのつかない春樹は,未練がましく1年後の1946年11月24日にその場所に行ってみると,なんとそこに真知子があらわれるというつくられたような展開。再会を約束したときに今年会えなかったら来年,来年会えなかったら再来年……と春樹がいっているので,まあ不自然ではないですが。

春樹がシメシメと思ったのつかの間,真知子から重大発表が!!

……私,明日……明日……結婚するんです。

ここから春樹の人妻追っかけ人生がはじまります。

次の写真は現在の……ではなくて(笑)5年前の数寄屋橋。

DSCF0961

それにしても,この君の名はにしても愛染かつらにしても独身男が人妻を追っかけるという話なのはどうしてなんでしょうねえ? しかも「愛染かつら」の高石かつ枝は子持ちだし……。真知子もどこかで妊娠するんですよね,確か。

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

252 ネタバレあり episode 0

252 ネタバレあり | Notenki Express 20141でレビューした爆笑映画「252 生存者あり」には,公開前日にテレビで放送された「252 生存者あり episode0」というスピンオフドラマがあります。

録画し忘れて見ることができず,今年の3月に日本映画専門チャンネルで放送されたときに録画しておいたのですが,震災のゴタゴタでほったらかしてありました。ちなみに,録画したのは3月6日で,たしか2回目以降の放送は中止になったはずです。

それで,昨日は土曜ワイド劇場がなかったので2,DVDを引っ張り出して見てみました。

ドラマの中では語られていないのですが3,映画(2008年)の2年前が舞台のようです。

兵庫県南部地震で両親を失った早川勇作と,新潟県中越地震で倒壊した家屋に閉じ込められ4第8方面本部ハイパーレスキュー隊の篠原兄弟に救助された経験をもつ西村純が主役です。2人の対立軸を中心に展開するあたり,最初の「海猿」やいまテレ朝で放送中の「陽はまた昇る」と似ています。さらに最後のほうで規則を破って訓練生を救助に向かわせるところなど,「海猿」とまったく同じです。

とまあ,設定はありがちですが,よくまとまっていて本編の「252 生存者あり」よりはるかにおもしろいです。

ドラマの後半,飯田橋駅近くにあるCANAL CAFE5で地震雲を見たと気象庁に電話をかける頭のおかしいねーちゃんが,本編映画ではなぜか気象庁本庁の予報部に勤務していて,いろいろ出しゃばって救出活動を引っかき回すことになります。

※2015/09/11(Fri) リンク先を変更しました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村


  1. “巨大台風直撃”が9月16日なのでそれに合わせて書き換える予定です。 
  2. 「砂の器」とかいうのが放送されましたが,清張モノはつまらないと相場が決まっているのではじめから見る気なし。 
  3. ドラマの中のポスターなどを見ればわかるようにはなっている。 
  4. このときのショックで「狭いよ,暗いよ,恐いよ」の面堂終太郎のようなトラウマが残っている。 
  5. よくドラマのロケに使われるが,料金高め,味は?? 

稲村ジェーンのナゾ

稲村ジェーンジェーン台風については稲村ジェーン | Notenki Express 2014ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014で取り上げていますが,ググっていろいろ見てみると,例えば稲村ジェーン | Movie Walkerにはひとこともジェーン台風は登場せず,「20年前に伝説の大波に乗った」とあるだけ。

また,Wikipediaによると,舞台は1965年らしい。

このあたりは映画を見ないことにはなんともいえませんが,もしかするともともとジェーン台風は関係ないのかも知れません。

1965年の20年前というと1945年。こんなときにのんきに波乗りをやっていた人間がいたとは思えません。サーフボードはどこから調達したんでしょう?

1945年には“大型”としては申し分のない枕崎台風がやって来ましたが,沖ノ鳥島のはるか南海上から時計回りのコースを描いているので,稲村ヶ崎にいい波をもたらしたとは考えにくいです。

なお,ちょっと前の湘南海岸がどんなところだったかについては,片瀬海岸モモ切り魔 | Notenki Express 2014をご覧ください。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

252 ネタバレあり

「252 生存者あり」を見てきました。

いやあ,予想以上にツッコミどころ満載で楽しめました。

まず,設定ミスと思われる点から。首都圏直下地震でどうして小笠原付近からメタンハイドレートが湧出するんでしょう? もしかするとσ(^^;)の状況把握が間違っているのかな?

それと海水温上昇との因果関係も不明。さらにいえば,台風の“巨大化”との因果関係はもっと不明です。

次に,なんといってもあの高潮でしょう。あの高潮は変です。津波ならありえますが,高潮はあんなに急激にやってくるものではないでしょう。それに,あれだけの高潮ならいわゆる東京低地全体が水に浸かってもおかしくないはずで,そうするとゼロメートル地帯は水の底,死者・不明1300人なんてケタが2~3ケタは違うでしょう。新橋でたった5人にかまけている場合ではないはず。

しかも,台風がまだ去ってもいないのに潮が引いていったぞ。

この台風もナゾです。かつてない規模の台風の割には吹き返しがはじまってからずいぶん早く風が収まりました。あれなら眼の通過時に無理して救助に向かうことはなかったのに。

なお,中心気圧870hPaの台風というのはかつてない規模の台風というわけではなく,1979年の20号TIPが同じ気圧を記録しています。場所はかなり違いますが。

仙崎大輔……じゃなかった篠原祐司が地中から出てくる最後のシーンは爆笑モノでした。σ(^^;)は爆笑を通り越してシラケましたが。

ツッコミどころが多すぎておぼえきれないので,あとはおぼえていることを箇条書きで。

  • スローモーがけっこうウザい。時間稼ぎか,と思ってしまう。稼いでどうなるものでもないでしょうけど。

  • あの女の子(篠原しおりちゃん。けっこうかわいい),トラウマで一生地下鉄には乗れないでしょう。

  • 気象庁の女性職員(海野咲。パンフレットには“気象予報士”となっていますが,法律上,気象予報士にはあの業務はできません),出しゃばりすぎ。というよりジャマなだけで何の役にも立っていない。それにどうやって新橋まで行ったんだ? ノートパソコン抱えて。ネットのインフラは生きていたのか?

  • 気象庁の予想はしょせんハズれるんですね(笑)

  • 生存を知らせるために「2, 5, 2」ってたたく必要があったのでしょうか? なにがしかたたいていれば伝わるでしょうに。もしなんかの間違いで「8, 5, 2」ってたたいていたら,「252は852。救助の要なし」となったのでしょうか?(笑)

  • あのキムチ姉ちゃん,キムチである必然性があるのか?

  • ルー大柴は何のために出てきたんだ? 累々たる死体のひとつになったのであれば,それはそれで意味があるかもしれないけれど。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

稲村ジェーン

1950年8月30日09時に小笠原の西方海上で確認された熱帯性低気圧(当時の用語)が西北西に進み,9月1日15時に台風となりました。これがジェーン台風です。このときの中心気圧は975mbと推定されています。 台風は発達しながら北西~北北西に進み,2日15時に四国の南方海上に達したときには940mbまで発達しました。

このあたりで進路を北に変え,3日の午前中には室戸岬をかすめ,速度を速めながら正午ごろ神戸市垂水付近に上陸しました。神戸では3日12時10分に964.3mb,最大風速33.4m/s,最大瞬間風速47.6m/sを観測しました。

気圧の低下と吹き寄せる風の影響で,大阪での潮位は満潮面上2.1mに達したと推定され,これに満潮が重なったために,西大阪から兵庫県南東部にかけては一面の海と化しました。

ジェーン台風による被害は,死者336,不明172,負傷10930,住家破損56131,浸水166605などとなっています。

稲村ジェーン(1990年)という映画は,ジェーン台風のときに稲村ヶ崎にやってきたという伝説のビッグウェーブ「稲村ジェーン」を待つ1960年代中ごろの若者たちの夏を描いた映画(らしい)です。私はサーフィンには何の興味もないので,ホントに「稲村ジェーン」なるビッグウェーブがやってきたかどうかは知りませんし,波にも詳しくありませんが,ジェーン台風の発生位置や進路から考えると,とくにいい波がやってきたとは思えません。いい波をもたらしそうな台風なら他にいくらでもあったと思います。伝説はあくまで伝説でしょう。

某著名ミュージシャンが監督を務めたこの映画は,今では伝説ともいえる駄作中の駄作で,やはり天は二物を与えなかったとか,本来ならタダで見せるべきプロモーション映画をカネを取って見せるとはとんでもないとかいわれていました。映画の評判はともかくサントラ盤はバカ売れしたそうなので,某著名ミュージシャンはウッシッシッだったことでしょう。

1953年から女性名は日本国内では使われなくなりましたが,米国では使われ続けていて,気象庁も海外に台風情報を発信するときはこの女性名も記載していました。

ところが,台風とは比べものにならない異次元(ヤプールか(笑))の恐ろしさを持つ女性団体の圧力で,1979年の台風3号から男女名が交互に使われるようになりました。その後,2000年からはわけのわからないアジア名が使われるようになって現在に至っています。

なお,ジェーン台風については次もご覧ください。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

※2015/09/03(Thu) リンク先追加