1967年5月14日の東京地方は朝から絶好の“ダービー日和”でした。ところが,発走時刻の10分ほど前,一天にわかにかき曇り,電光が走り,雷鳴とともに激しい雨が降り出しました。日射で空気が暖められたところに寒冷前線が南下してきたことによる,いわゆる熱界雷 です。
“波乱”を予告するかのように,スタート13分前に大粒の雨が降った。しっかりと馬券を手に立ち見席でかたずをのんでいたファンは“天候のいたずら”にハンカチや新聞紙を頭にスタンドへ逃げる。スタンドは一瞬か“静”ら“動”にかわった。ところが場所を“確保”するためにカサをさして動かないファンもポツポツ。
雨が強くなってくると,だんだんと小さくなり懸命に雨をふせいでいた。すさまじい執念!
(5月15日付サンケイスポーツ)
ダービーは雷雨の中でのスタートとなりました。最初の1ハロンこそ13.0秒でしたが,2ハロン目はなんと10.0秒。ただ, 当時のハロンタイムは数字どおりには信用しないほうがいいようです。アラジンが先頭でバックストレッチにはいりますが,そこから先,馬の識別ができません。私の場合は質の悪いビデオ画面で見ているせいもありますが,フジテレビで実況していた鳥居アナウンサーも激しい雨のためにほとんど視界が利かなかったそうです。
リユウズキはちょっとわかりませんが……
人気馬のポジションを正確に伝えていた鳥居アナにしては珍しい実況だと思います。
激しい雨をついて馬群が向こう正面から3コーナーへと進んだところでマイクがかなり大きな雷鳴を拾っています。
4コーナーを回って先頭に立ったアサデンコウに,ヤマニンカツプが外から,シバフジが内から並びかけて激しい叩き合いが300mほど続きましたが,アサデンコウが凌ぎきりました。
アサデンコウはレース中に左前肢第一指骨を骨折しており,しばらくして馬運車で運ばれていった――ともいわれていますが,次の日の新聞に口取り写真が載っています。これはどういうわけなんでしょう?
その後(それ以前も?),日本ダービーが雷雨の中で行なわれたことはありません。
なお,5月14日の日本ダービーは東京優駿大競走として創設されたころはともかくとして,5月下旬~6月上旬に定着して以降は異常に早い日程です。とくに調べてはいませんが,東京競馬場の改修によるものと思われます。
ところで,この日は東北地方南部から関東地方にかけてのやや広い範囲で積乱雲が発生しました。落雷により千葉県と福島県で5人が死亡,重傷6人,また埼玉,栃木,群馬などでは雹の被害がありました。5月15日付読売新聞より:
熱界雷大あばれ
四人感電死,降ヒョウ被害
十四日午後“五月の雷”が関東・東北をあばれまわり,千葉,福島両県で計四人が落雷のために死んだ。初夏の日ざしで気温が上がったところへ,北から冷たい空気がもぐりこんで起こした熱界雷というあばれん坊。
同日の毎日新聞:
雷雨,ヒョウ,大暴れ
四人感電死 農作物にも被害
十四日の日曜日午後,東北南部から関東一円にかけて各地で雷雨やヒョウが降り,感電死や農作物の被害を出した。これは同日朝からのむし暑い陽気で地表の空気があたたまったところへ,北から寒冷前線が早いスピードで南下してきたため各地で雷雲が発生,雷雨やヒョウを降らせたもので,群馬,栃木,茨城,埼玉,東京などでは,ことしはじめての雷雨注意報が発令された。気象庁は毎年五月の十五日から雷雨予報を出しているが,ことしは予報を待たずに一日早く“夏の訪れ”をふれ回った。
ついでにこの日の天気図を載せておきます(日本時間21時)。
- 地上天気図
- 500mb天気図
- 850mb天気図