5月の“五月雨”

五月晴れとなりは何をする人ぞ

話の順序として五月晴れから。

サツキバレという競走馬がいましたが,ここでは取り上げません。さつきばれを『大辞林』で引くと次のように載っています。

(1) 新暦五月頃のよく晴れた天気。
(2) 陰暦五月の,梅雨の晴れ間。梅雨晴れ。[季]夏。《男より女いそがし―/也有》

もともとは(2)の意味で,いつのころからか(1)の意味に変わったといわれています。

それがいつごろのことなのかはハッキリとはわかりませんが,倉嶋厚さんの『季節ほのぼの事典』によると,1961年発行の『広辞苑』に

[1] さみだれの晴れ間 [2] 転じて五月の空の晴れわたること

とあるそうなので,1960年代のはじめにはすでに一般化していたものと思われます。

私自身は俳句以外で『大辞林』の(2)の意味で使われた例を見たことがありません。お天気番組などの「今日は五月晴れの一日でした」というような表現に文句をいっている人も,(2)の意味で使われた例を実際に見たことがあっていっているのか,はなはだ疑問です。

ちなみに,今の時期に「さわやかな五月晴れ」というのは俳句的にいえば二重の間違いになっているようです。

まず“五月晴れ”は,俳句では今もって(2)の意味でしか使われない(らしい)から×。次に“さわやか”は本来,どういうわけか秋の季語なので×。まあ,私は俳句には何の興味もないのでどうでもいいですが。

五月雨をあつめて早し××川

意味を変えて生き残っている(再生した!?)“五月晴れ”に対し,ほとんど死語になっているのが五月雨《さみだれ》です。

旧暦は平均的に見れば今の暦よりも30日あまり遅いですから,旧暦の五月は今の暦の6月くらいに相当し,ちょうど梅雨の時期です。だから,五月雨《さみだれ》は梅雨どきの雨,あるいは梅雨そのものです。ただ,今は“さみだれ式××”という表現を除いてめったに使われなくなりました。ちなみに“五月雨式”は『大辞林』によると

(梅雨時の雨のように)途中,途切れながらもだらだらと長く物事が続くこと。また,そのようなやり方。「一か月間―に会議がある」

という意味らしいです。

ついでですが,五月雨といえば,蕪村の

さみだれや大河を前に家二軒

には,俳句の好きでない私も圧倒される迫力を感じます。同じ蕪村の句でも

さみだれや名もなき川のおそろしき

は,だから何なの?とかそれがどうしたの?と反応したくなります。

なお,五月雨で増水した川を五月川《さつきがわ》とよぶそうです。

5月の“五月雨”

沖縄や奄美地方では5月の梅雨は当たり前です。しかしそれより北では,もっとも早い九州南部でも梅雨入りの平年日は5月31日ごろですから,梅雨といえばふつうは6~7月です。5月に梅雨のような状態になったときは通常梅雨のはしりあるいははしり梅雨とよばれます。

ところが,5月がほとんどまるまる梅雨にはいってしまった年があります。

1963年の5月は,4日に移動性高気圧が三陸沖に去って東シナ海に前線を伴った低気圧が現われてから,早くも“はしり梅雨もよう”になりました。10日には気象庁が

例年より約十日早く“はしり梅雨”にはいった。とくに,下旬から六月はじめにかけては全国的に曇雨天が多く,しかも,低温が予報される

という向こう1か月の予報を発表しています(新聞からの孫引き)。

その後も前線が日本付近に貼りつき,気象庁は28日,“梅雨入り”を発表しました。ただ,当時の発表は今とは違っていたようで,新聞には取り上げられていません。今だったら必要以上に大騒ぎするでしょう。号外が出るほどのバカ騒ぎにはならないでしょうけれど。

梅雨入りの時期はのちに修正され,東海が4日,関東甲信が6日,中国が8日,九州南部が28日,北陸が29日,九州北部が30日,四国と近畿は特定できない――となりました。梅雨入りの日が特定できなかったのはこの年だけです。また,沖縄の梅雨入りが6月になったのも東北地方(南部)より遅かったのもこの年だけです。

これだけ早いとどこまでがはしり梅雨でどこからがホンモノの梅雨なのか区別できません。もともと自然現象に明確な境界などあろうはずはなく,はしり梅雨とホンモノの梅雨の区別もあくまで便宜的,人為的なものです。

ちなみに,この年の梅雨の時期の新聞には気違い梅雨前線という,今ではまずお目にかかれない表現が出てきます。だから昔の新聞の社会面は面白い(笑)

気違い梅雨前線

1963年7月1日付朝日新聞朝刊より:

“気違い梅雨前線”
抜打ち豪雨
死者は16人に 九州北部

記事を読んでもどこが“気違い”なのかわかりません。

ただ,同日の読売新聞朝刊の見出しにも

狂った天候
二時間に一一四ミリ降った北九州の豪雨
16人死に,23人が不明
福岡の浸水,三万戸を越《ママ》える

とあるので,当時の感覚で何か狂った感じがしたのかもしれません。あるいは気象庁の記者発表にそのような表現が使われたのかもしれません。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ