隅田川で16日,今年で第75回目を迎える「早慶レガッタ」が行なわれます。隅田川ではじまり,敗戦後隅田川で復活し,汚染などの影響で荒川や相模湖で行なわれた時期もありましたが,1978年に戻ってきてからはすっかり隅田川の春の風物詩として定着しています。
午前中からいろいろなレースが行なわれる中で,メインは対校エイト。今年は14時50分両国橋スタート予定です。
過去,いろいろなドラマが展開されてきました。第55回(1986年)では4000mを漕いで同着!!ということもありました。
その中で最も有名なのは,教科書にも載った1957年のレースでしょう。
昭和三十二年五月十二日,伝統の第二十六回早慶ボートレースが行われました。前夜からの雨は,まだやまず,さらに,春特有の強風に加えて,隅田川の水面には,かなり大きな波が立っていました。……
1961年から1970年まで使われた学校図書発行の教科書「小学校国語六年上」の中の「あらしのボートレース」の書き出しです。比較的マイナーな教科書ですが(小学校用の国語のメジャーな教科書はやっぱり光○とかT書とかでしょう),約300万人が読んだといわれています。
この日,二ツ玉低気圧が日本列島を通過していました。その影響で,東京でも前日の夜から雨が降りはじめ,風が出ていました。レースの当日も雨が断続的に降り続き,昼過ぎから風が南西に変わって強まりました。13時15分に大手町で最大瞬間風速15.8m/sを観測しています。さらにレース前には北西~北北西に変わり,ボートの進行方向に対して逆風になりました。
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当時,対校エイトは6000mで行なわれていました(現在は菊花賞と同じ?!3000m)。スタート地点は永代橋。スタートと相前後して降り出した激しい雨の中,慶應がダッシュを決め,リードして行きます。早稲田は艇を安定させるためにスタート時点から6人で漕いでいた(シックスワーク)こともあり,置かれていきます。
土手評では,前年のメルボルン五輪に出場した選手が5人残っている慶應が有利という見かたでおおかた一致していました。その土手評どおり,清洲橋で1艇身,中洲カーブで2艇身,新大橋で3艇身と慶應は順調に差を広げていきました。
このあたりから雨足がさらに強くなり,早稲田はエイトサイドの2人があらかじめ積んでおいたアルミ製の食器を使って水の汲み出しをはじめました。そのせいもあり,両国橋にかかるころには両艇の差は5艇身に広がっていました。
厩橋を通過するころにはさらに6艇身差まで広がり,一見快調のように見えた慶應でしたが,当初使うつもりであった「ケンブリッジ号」のかわりに荒れたコンディションを考慮して使用した「フィレンツェ号」にも水が溜まってきて,2人が水を汲み出しはじめました。しかし,早稲田と違ってあらかじめ排水用具を準備していなかったため,シャツをぞうきんがわりにして,汲み出すというより絞り出さざるを得ませんでした。
早稲田があらかじめ排水用のアルミ食器を積んでおいたのに対し,慶應は排水用具の準備をしていなかった……ここのところは,ボートを沈めてはならないという考えの早稲田に対し,8人で漕ぐからエイトだという考えの慶應という,両校の違いがハッキリと現われたところといわれています。しかし,この考えからすると,慶應は2人が一時的にせよ水を汲み出すために手からオールを離した時点でレースを放棄したことになるとシロウトには思えるんですが,どうなんでしょう。一時的ならいいのでしょうか。もっとも,当時の新聞によると,慶應OBの水ノ江審判長は慶應クルーにカン詰めの空きカンでもいいから持って乗るように勧めていたということなので,何が何でもオールから手を離してはいけないというわけではなさそうです。
さて,慶應のシックスワークを見た早稲田は,チャンスとばかり漕ぎ手を8人に戻して追撃を開始,あわてた慶應も8人に戻しますが,排水が不十分で艇は水面すれすれの状態,なかなかスピードが上がりません。差はたちまち2艇身,1艇身と縮まり,その上浸水はますます激しくなり,駒形橋付近でついに沈没しました。スタート地点から3800mでのできごとでした。
ひとり残った早稲田は,その後も悪戦苦闘しながら,24分02秒0でゴールしました。このタイムは6000mで行なわれた歴代の対校エイトの中で最も遅く,1艇になったせいもあるでしょうが,いずれにしてもこの日のレースがいかに苦しいものであったのかを物語っています。
「あらしのボートレース」は,次のように結んでいます。
岸に上がった早稲田の選手は,しんぱん長に,試合のやり直しを申し出ました。「これは真の勝利ではない。この悪天候では,ほんとうの力は出せない」というのです。しかし,しんぱん員の相談の結果,申し出は採用されず,早稲田の勝利と認められました。
慶応の選手たちは,「試合に対する準備が足りなかったのだから,早稲田の勝利は正しい。明らかに負けたのだ」と言って,早稲田の勝利に,心からの拍手を送りました。