青の洞門とたつまき博士

青の洞門」は大分県の山国川,耶馬溪にあるトンネルです。

今から約250年前,ここは「鎖渡し」と呼ばれる難所で,深い谷底に転落して命を落とす人馬が跡を絶ちませんでした。たまたま諸国遍歴の旅の途中,ここを通りかかった僧,禅海が一念発起してトンネルを掘って安全な道をつくることを決意,苦節30年,宝暦十三年四月十日にやっと完成させたと伝えられています。

菊池寛の『恩讐の彼方に』のモデルにもなっています。こちらの了海,俗名市九郎[*1]は不義密通の果てに主人を殺害,その上追いはぎに強盗とどうしようもない悪人ですが,禅海上人は悪人ではなかったようです。

禅海上人にしても了海にしても,真の協力者もなく,たったひとりで(了海には中川実之助という“協力者”が現われますが)信念を貫いて青の洞門を完成させた……と考えられることが多いようです。

さて,昭和のはじめのころのことです。青の洞門を福岡の中学校の修学旅行御一行様が訪れました。引率の教師は禅海上人の聞くも涙語るも涙の見てきたようなお話を聞かせ,忍耐の大切さを切々と説いたことでしょう。するとそのとき,ひとりの生徒が次のようなことをいいました。

「ぼくならはじめの15年間はトンネルを掘らずにトンネルを掘るための機械を開発し,次の15年でその機械を使ってトンネルを掘ります。そうすればトンネルはでき,機械は残り,一石二鳥です」

いうまでもなく,教師は激怒らしいです。

この生意気そうな?!生徒は,現在では気象関係者なら知らない者はないという人物……1998年に亡くなった藤田哲也博士でした [*2]。ちなみに,この人を知らない気象関係者はモグリです(笑)

藤田博士は日本では気象関係者を除くと一般にはあまり知られていませんが,竜巻やダウンバーストといった現象の世界的な権威でした。1971年に博士が考案した竜巻の強さを表わす尺度「藤田のスケール」あるいは「Fスケール」は,今でも使われています。

藤田博士の業績などについては次のサイトがあるので,興味があるかたは見てみてください。

たつまき博士の研究室 http://www.fujita-scale.com/

どうでもいいですが,σ(^^;)は“たつまき博士”から「少年ジエット」に出てきたハリケーン博士を連想してしまいますが(^^;)

禅海上人についていえば,青の洞門の開通後は通行料を徴収して財をなし(てお寺に寄付し)たらしいですし,トンネルを最後までひとりで掘ったのではなく,村人も途中からかなり協力的になったようです。年齢もあって体力的に劣る禅海上人は,トンネルを掘る職人を雇うために托鉢にまわることが多かったという話もあります。

[1] こいつの姓は何なんでしょう?
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2] このエピソードは倉嶋厚『季節つれづれ事典』を参考にしました。