早慶レガッタの歴史を見ると,1957年1の他にもう1回慶應艇が沈没したことがあります。
それは1980年4月20日の第49回大会でした。
当日09時の天気図を見ると,中国東北部に発達した低気圧があり,寒冷前線が日本海側の沿岸沿いにのびていて,日本の東海上にある高気圧との間で気圧の傾きが急になっています。このため,東京では朝から南南西~南西の強い風が吹いていました。次の表は,大手町で観測された1時間ごとの風速と風向です。この日の最大風速は11.4m/s(SSW),最大瞬間風速は24.8m/s(SSW)でした。データがないのでハッキリとはわかりませんが,隅田川の川面ではもっと強かったかもしれません。
+-------+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+ |時刻 | 8| 9| 10| 11| 12| 13| 14| 15| 16| 17| 18| |風速m/s| 6| 9| 10| 10| 8| 8| 8| 8| 8| 10| 8| |風向 |SSW| SW| SW|SSW|SSW|SSW|SSW|SSW|SSW| SW|SSW| +-------+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+---+
隅田川は,水神橋付近から早慶レガッタのスタート地点(当時)である両国橋付近までおよそ南南西に流れています。そのため南~南西の風が吹くと水の流れと風が逆向きになり,波が立ちやすくなります。
この日も30~40cmの波が立っていました。この悪コンディションのため,レースは4000mから3300mに短縮されて行なわれることになりました。
レースは14時55分にスタート。ところが,ふつうのレースのような競り合いが見られたのは100mまででした。慶應艇「サスケハンナ号」はスタート直後から浸水が激しく,漕ぎ手を6人にして残り2人はアルミ椀を使って水を汲み出していました。一方の早稲田艇「いだてん2世号」は波除け板を艇の先端につけたのが功を奏して浸水をかなり防ぐことができ,すいすい進んで行きます。
慶應は漕ぎ手を6人から4人にし,ついにはコックスも水の汲み出しに参加しますが,ゴール前100mでついに沈没しました。
早稲田艇も終盤は浸水がはじまったので漕ぎ手を6人にしましたが,14分36秒で余裕でゴールしました。
ちなみにこの日,強風の影響を受けたのは早慶レガッタばかりではありません。横須賀沖では学生のヨット3隻が転覆する事故が起こり,鉄道関係では強風で飛ばされたビニールが架線に引っかかって東海道新幹線15本に遅れが出ました。また,前日の19日にはフェーン下の出雲市で23戸を焼く火災が発生しています。
ところで,この早稲田の勝利には,実は2年前の苦い経験がありました。それについては次回で2。
- あらしのボートレースとよばれる早慶レガッタ史上最も有名なレース。あらしのボートレース | Notenki Express 2014参照。[20150419付記] ↩
- 隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年) | Notenki Express 2014参照。[20150419付記] ↩