しし座流星群フィーバー

1998年11月18日の未明,全国的にしし座流星群フィーバー(フィーバー=死語?(笑))がわき起こりました。

冬型の気圧配置になって太平洋側では比較的観測条件がよかったのですが,期待されていたほどの大出現にはなりませんでした。

当時の新聞などによると,

東京湾アクアライン海ほたるパーキングエリアには,17日午後11時すぎから若い男女や親子連れが集まり始めた。約300人がライトの消された5階展望デッキの北側で,毛布にくるまったり,床に寝っころがったりして空を見つめていた。18日午前零時ごろから「あっ見えた,見えた」「明るかった」などと星が流れるたびに何度も歓声が上がった。

都内の女子高校生(15)は,同じクラスの友人3人と午後7時半から星が流れるのを待った。4人は「海が広がるところで星を見たかった。朝までいてたくさん願い事をします。そのま学校に行くつもりです」と話していた。 [1998/11/18(Wed) asahi.com]

↑未成年が深夜ほっつき歩いていいのか(笑)

中には,「しし座流星群のおかげで娘と数年ぶりで話ができた」と喜んでいた情けない中年オヤジもいたそうです。

一方で,観察中に橋から転落して自分も星になってしまった人もいました。

大出現となったのはしし座流星群も忘れられかけた(?!)2001年のことです。

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探検隊長死す

川口探検隊長の川口浩さんが50歳の若さでこの世を去ったのは1987年の今日でした。一説には霊界の探検に出かけたのではないかといわれていましたが。ちなみに,この前他界したT.T.氏は今ごろ,霊界など存在しないことにア然としているに違いありません(笑)

3年前に藤岡探検隊が結成され,長い間ほとんど忘れられていた川口探検隊も再評価?!され,DVDまで出ています。

テレビ朝日の公式サイトによると,全部で45回探検しているようです。

σ(^^;)的には,探検隊シリーズといえば,なんといっても田中信夫さんのナレーションです。かつてNHKが放送したドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」でヤラセが発覚したことがありますが,もしナレーターにこの人を起用していればそんな問題も起こらなかったのでは……(笑) さらにタイトルを「ヒマラヤの奥に禁断の王国は実在した!!」とかにすれば完ペキだったかも。川口隊長が当時すでに故人だったことが惜しまれます。

ちなみに,川口浩さんは川口探検隊がはじまる数年前に,フジテレビ系の競馬中継に夫婦でほぼレギュラーのように出演していたことがあります。

七五三台風

今日は七五三。とはいってもσ(^^;)には何の関係もない日ですが。

さて,1932年の七五三の未明,“帝都”が台風の爆撃に遭いました。七五三の日に襲ってきたので「七五三台風」とよばれます。

「気象要覧」によると発生直後のようすは次のとおりです。

此の颱風は七日正午ヤップ島南方百粁の海上に現れ(更に南方より進行し來たれる形跡あり)西北西に進行しつゝ漸次勢力を増し,十日午後フィリッピン,レガスピ付近に逹したる時はすでに七百四十粍内外となり,進路を北西より北に轉じ,十二日朝ルソン島北端を離れ進路を北東に向けた。此の頃より次第に勢力を増し,七三五粍位のものとなり十三日冲繩の南東海上を通過するに當たり同島は暴風雨と化した。

14日にはさらに発達しながら日本の南海上を北東に進み,夕方には静岡県が,夜には関東南部が暴風域にはいり,横浜36.3m/s,館山35.2m/s,銚子31.5m/sなどの最大風速が観測されました。勝浦では“風力台”が吹き飛びました。東京でも最大風速21.2m/sが観測されています。降水量も相当なもので,館山で230mm,東京で210mm,横浜で164mmの雨が降りました。まさに「到るところ倒壞浸水相次ぎ 風吼え狂ふ物淒き一夜」(東京日日新聞)でした。

おもな災害を新聞から拾ってみると,横浜の中村町の崖崩れで120人が生き埋め,東京市では蒲田と江東を中心に42000戸が浸水,同じく東京市で新築中の小学校7校が全半壊,静岡県吉原村では暴風雨の最中に火災が発生し250戸が全焼,茨城県太田町でも150戸が全焼……。17日付のなぜか北海タイムスには,静岡県の大宮町は火災と烈風のためににほとんど全滅のもよう,などという記事もあります。

台風はそのまま北東進を続け,15日00時20分には勝浦が,02時40分には銚子が眼にはいりました。勝浦と銚子ではこのとき観測された952.8hPa,952.0hPaがそれぞれの観測史上の最低気圧になっています。

このあと台風は日本列島から離れていきましたが,台風の進路に近い福島県沖が大しけとなり,40隻の漁船が遭難しました。

「理科年表」によると,全体の被害は死者146,不明111,負傷345,住家13672,浸水65081,船舶2230にのぼり,11月としては未曾有の大災害となりました。

なお,台風とは全然関係ありませんが,16日付の東京日日新聞に“トンデモ女教師”の摘発というものすご~く興味深い記事が載っています。いずれヒマを見て紹介します。

オックス失神公演

グループサウンズ「オックス」の有名な日比谷公会堂での“失神”公演は,1968年の今日のことだったようです。σ(^^;)は歴史上の事件としてしか知りませんが。

観客30人が次々に失神,そのうち15人が入院したそうです。

実は観客の失神はオックスの公演ではとくに珍しくはなく(そもそもメンバーの2人が率先して?!失神したらしい),“失神禁止曲”なるものもあったそうですが,このときの失神は,およそ失神しそうもないような演歌の,しかもイントロで起こったそうです。

この日,日本海の低気圧に南風が吹き込んで,東京の最高気温は20.3℃でした。当時の公会堂はこの時期におそらく冷房なんてないでしょうから,場内はかなりむし暑かったと思われます。まあ,直接関係があるかどうか知りませんが。

現在,観客が失神するようなコンサートってあるんでしょうか? 将棋倒しっていうのはたまに発生するようですが。

日テレ,早慶戦の中継を拒否される

1956年11月4日の東京六大学野球早慶第2回戦,この日予定されていた日本テレビ(NTV)の実況中継は連盟の拒否によって中止になりました。

  四日の早慶第二回戦のNTVの実況中継は連盟側の拒否で中止となった。これは第一戦の三日同テレビの人気番組「何でもやりましょう」に出演した若い男が早稲田側スタンドでいきなり慶応の三色旗を打ち振り早大応援団員に制止される事件があったからで,連盟側では四日朝,緊急理事会を開き「早慶戦を冒とくする行為」と認め,NTVの第二戦実況中継を拒否したもの。(毎日 1956年11月4日夕刊)

ちなみにこの試合は,NHKとKRテレビ(今のTBS)も中継を予定していました。当時,東京六大学野球のとくに早慶戦は人気のイベントでした。

日テレのスポーツ中継といえば,盗撮アナ炭谷宗佑やセクハラアナ船越雅史が登場したり,シドニー五輪サッカーの日本-南アフリカ戦で「ゴール!」を28回連呼するなど,体質に大きな問題がありますが,こういう腐った体質は50年も昔からあったということですね。

舊弊なれどお月見の眞似事に……

今日は旧暦で九月十三日です。
旧暦で九月十三日の夜は十三夜とよばれ,豆や栗を供えて月を祭る習慣がありました。「豆名月」
「栗名月」ともよばれます。

早い話が収穫祭のひとつだったようです。
中秋の名月である八月十五日の月見をしてこの日の月見をしないことを片月見といって忌む風習もありました。

また,仲秋の名月や十三夜には,他人の畑の作物を無断で取ってもよいという,今から考えるとわけのわからない風習も各地にあったそうです。

中秋の名月の月見は中国伝来の行事ですが,十三夜の月祭りは日本固有の風習のようです。

5000円札のお姉さん樋口一葉の小説,その名も『十三夜』に「今宵は舊暦の十三夜,
舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし……」とあるので,明治のはじめにはすでに“旧弊”
となっていた地方があるようです。

ところで,どうして満月でなくて「十三」夜なのでしょうか。とくに陰陽五行といったような崇高(?)な理論に基づいているわけではなく,
どうもよくわからないようです。八月十五日が仲秋の名月,九月十三日が十三夜, 十月十日が十日夜《とおかんや》と,
秋が深まるにしたがって昇ってくるのが時間的に早い月を対象としているので,気温が下がるから……
というのが最も説得力があるように思えます。