雪の降る街を

雪の降る街をという古典的な名曲があります。

この歌は,もともとはNHKの連続放送劇「えり子と共に」の挿入歌としてラジオのスピーカーから流れた曲でした。「えり子と共に」については以前このブログにも書いたことがありますが,1949年10月5日から1952年4月3日まで放送された連続ラジオドラマです。ちなみに,あと番組として1952年4月10日から放送されたのが,女湯が空になったという伝説をもつ,忘却とは忘れ去ることなりのあの「君の名は」です。

「えり子と共に」がどのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,えり子さんが結婚するところで終わっていました。「これからどういう生活になるのか,わかりません」というようなセリフがありました。

さて,「雪の降る街を」ですが,1952年1月,「えり子と共に」のリハーサル後にどうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです。どのような場面で流れたのかはわかりませんし,誰が歌ったのかもわかりません。

そういうわけで,はじめは1番の歌詞しかありませんでした。

ところが,急造の曲にしては意外に好評だったため,2番,3番をつけ足して,シャンソン歌手の高英男さんが歌い,1953年2月にNHKの「ラジオ歌謡」として放送されました。

雪の降る街を」の歌詞は,「えり子と共に」の原作者でもある作詞者の内村直也さんがかつて訪れたことのあるいくつかの雪の降る街をイメージしてつくったもので,特定のモデルはないそうです。

作曲者の中田喜直さんは山形県鶴岡市の出身で,鶴岡市は「雪の降る街を」の“発祥の地”といわれることがありますが,発祥の地というのはハチ公が秋田犬だというようなもので(発祥の地はあくまでNHKのスタジオ(笑)),せいぜい“発想の地”でしょう。実際,鶴岡市のホームページでは“発想の地”となっています。

高英男さんはサハリン生まれ,11歳までサハリンに住んでいたそうで,雪のサハリンのイメージを重ねて歌ったと,いつだったかラジオで話していました。