旭光製菓社長,自宅から拉致

3月18日,旭光製菓の盛田精二社長が自宅から「怪盗X団」に拉致されました。(内田康夫『白鳥殺人事件』)

もちろんモデルは次の事件です。

AD1984/03/18 江崎グリコ社長,自宅から拉致される=グリコ森永事件(警察庁指定114号事件)のはじまり

 

余部橋梁を通過中の列車から人が落下

3月17日,余部橋梁を通過中の大阪発「だいせん5号」から中年の男が落下して死亡しました。(西村京太郎
『余部橋梁310メートルの死』)

余部鉄橋では1986年12月28日,回送中の列車がポーラーロー(寒冷低気圧)による突風にあおられて鉄橋から転落して工場を直撃,
6人死亡するという事故が起こっており,これがモデルだと思っていたら, 『余部橋梁310メートルの死』の発表のほうが先だったんですね。

σ(^^;)は読んでいませんが (西村作品はここ10年くらい読んでいない(笑)),西村京太郎氏には『十津川警部 哀しみの余部鉄橋
という作品もあるようです。

川口探検隊デビュー

29年前の今日,1978年3月15日,テレビ朝日「水曜スペシャル」の「20世紀の奇跡を見た!!ミンダナオ島人跡未踏の密林に石器民族は1000年前の姿そのままに存在した!」で川口探検隊が鮮烈なデビューを飾りました。

川口探検隊は,尻尾から落ちてくるヘビや,動かないサソリ,無人島にいる人食いトラなどの敵と戦ったり,隊長自ら手をピラニアに噛まれたりしながら,タイヤの跡のある未開の密林やジャングル(同じや~)を半袖シャツで踏破したり,照明さんとカメラマンを先頭に洞窟やほらあな(これも同じや~)を探検したりして,常に新しい発見をして大成功をおさめて帰還したものでした。

探検は1985年11月20日放送の「珍獣王国ガラパゴス炎上!火災現場大捜査!」まで続きました。

テレビ朝日の公式サイトによると,川口探検隊シリーズは45回放送されたことになっています。2回に分けて放送した探検があるので,探検は44回ということになります。全部かどうかはわかりませんが,DVDも出ています。

川口探検隊をヤラセなどといってはいけません。見るほうもああいうものだということをわかった上で見ていたのです。

ああいうものだという気分にさせたのは,なんといっても田中信夫さんのナレーションの功績が大です。

NHKが1992年に放送したドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」でヤラセが発覚したことがありますが,もしナレーターにこの人を起用していればそんな問題も起こらなかったのではと思います。さらにタイトルを「ヒマラヤの奥に禁断の王国は実在した!!」とかにすれば完ペキだったかもしれません。もちろん川口探検隊を派遣すればいうことなしだったのですが,存念ながらそのころすでに川口浩隊長は故人となっていました。

3月の最深積雪

記録を見ると,東京で3月にいちばん雪が積もったのは1969年の今日(3月12日)の30cmということになっています。
明治時代が多いこの手の記録の中で,燦然と輝く?!最近の記録です。

この日の雪は,太平洋岸を通過する発達中の低気圧(当時の表現では台湾坊主
に北から寒気が吹き込んだことによるもので,東京に雪が降るときのよくあるパターンです。

東京では12日の朝から降り出し,夕方まで降り続きました。例によって国電(当時)はポイント故障が相次ぎ,ダイヤは大幅に乱れました。
懐かしの玉電(東急玉川線)はラッセル車がなかったため,世田谷区三宿付近で13台が立往生したほか各地で電車が雪に閉じ込められ,
運転が不可能になりました。

一方,雪の影響を受けなかった地下鉄は“殺人ラッシュ”。窓が割れ,けが人続出,機動隊まで出動する始末でした。とはいうものの,
殺人というわりには誰も死ななかったようです。

またこの日,東大人文系大学院(修士課程)の入試が,反代々木系学生の妨害を避けるため,
学内ではなく代々木ゼミナールで行なわれましたが,この雪の影響で,試験は20分遅れてはじまりました。地方からの上京組も多く,
「この雪だし,場所はわからないし……」とボヤく学生もいたとか。

ちなみに,今では完全に死語になっている“反代々木系”。“親身の集金 日々是決算”
の予備校に反対していた集団でないことはいうまでもありません(笑)

ライオンと羊と月光仮面

けっしてイソップ物語ではありません。といいつつ,イソップ物語に「ライオンと羊」というようなお話があったかどうかは知りませんが(笑)

さて,イギリスのことわざに“3月はライオンのようにやってきて羊のように去っていくMarch comes in like a lion and goes out like a lamb. というのがあります。ライオンはもちろん嵐のことで,3月は嵐とともにやってきて,おだやかな季節となって去っていくということらしいです。

イギリスだけではなく日本でも,3月はたしかに風の強い日が多いですが,調べてみると,日本海側では3月よりはむしろ冬季のほうが強い日が多いことがわかります。日本では“3月のライオン”はおもに太平洋側の地域にやってくるようです。

ところで,疾風のように現われて疾風のように去っていくのは月光仮面のおじさんです。“疾風”はもちろん“はやて”と読みます。“はやて”は今では東北新幹線の名前にもなっていますが,もともとはお天気ことばで,「寒冷前線の通過に伴う突風で,しゅう雨を伴うこともある」(平凡社版『気象の事典』)。“春はやて”ということばもあります。

それにしても月光仮面のおじさんはかなり無責任な人です。「♪この世の悪に かんぜんと 戦いいどんで 去ってゆく」のですから。戦いを挑む=相手を挑発するだけじゃなくてちゃんと退治してから去っていってくれよ。ったく……。

ハチ公,没

1935年の今日,“忠犬”ハチ公が生涯を閉じました。享年(?)13歳。実際には死んでいるところを発見されたのが今日ということで,死んだのは昨日かも知れません。

なぜかハチ公は秋田犬ということになっています。でも,ハチ公の生まれたころに血統書はすでに存在したのでしょうか。というか,そもそもハチ公の生まれたころに“純血の秋田犬”という実体が存在したのでしょうか。

例えばダーレーアラビアンやフライングチルダーズをサラブレッドとよぶのと同じような気がしますが。