柿食えば雷落ちる法隆寺

日本書紀』によると,天智天皇の九年夏四月三十日,法隆寺が落雷によって全焼したことになっています[1]。

もともと寺院や神社は落雷の多い施設のようです。記録として残りやすいということもあるでしょうし,
たしかにふつうの民家より屋根が高いですし,しかも先がとんがっているところがあります。五重塔やらなんとかの塔はいわずもがなです。
寺院や神社のまわりに高い木を植えることが多いのは,幽玄な雰囲気をつくりあげるということもあるのでしょうが,
ひょっとして多少なりとも建造物への落雷を防ぐ意味もあったのでは……などと思ったりもしています。もし,その1本にでも雷が落ちたならば,
それは“御神木”として名物のひとつにもなり得るわけですし……。

さて,高くてとんがっている部分に落雷が多そうなのは感覚的にわかりますが,落雷のしくみから次のように説明されます。

雷雲は上層が+,下層が-に帯電しています(発達した雷雲は-の層の下に+の部分があらわれて“3極構造”になりますが,
ここでの話には関係がないので触れません)。雷雲が上空にかかると,多くの場合,この下層の-
電気に引きつけられる形で地表面に+電気が集まってきます。このとき,電場は導体面の表面に対し直交するため,
とがった部分付近の電場は平らな部分付近にくらべていちじるしく強くなり[
2],絶縁が破れやすくなります。そして絶縁が破れたとき,
先端から放電がはじまります。この放電はリーダとよばれます。とくに夜の場合はこの放電が青くぼんやりと見えることがあり,
この光をヨーロッパでは「セント・エルモの火(St. Elmo’s Fire)」とよんでいます。「セント・エルモ」
は地中海の航海者の守護聖人エラスムスのなまりだそうです。

リーダは絶縁の弱いところをさがしながら上空に上がっていきますが,雷雲の-電気の中心域に達すると,-
電気の中心域からリーダを逆に流れる放電が起き,巨大な電流が流れます。これが落雷です。

このようにとんがった部分からはリーダが発しやすくなるため,落雷の危険が大きいのです。

以上述べたのは落雷というよりは“昇雷”ですが,多くの落雷では(落雷の90%程度),リーダは雷雲から地表に向かって伸びてきます。
このときも高くとんがった部分の周辺ではリーダが引き寄せられやすいため,落雷が起こりやすくなります。

いずれにしても,高くとんがった部分は落雷に対して危険だということです。

ところで,最初に書いた法隆寺の火災ですが,この『日本書紀』の記事に基づいて全焼のあと再建されたという説と,
おもに建築史的な観点から再建を否定する説との論争がありました。1939年に火災に遭ったとみられる古い若草伽藍が見つかったことにより,
いちおう再建説が定説となってきました。

ところが2001年,奈良国立文化財研究所が法隆寺五重塔の心柱を年輪年代法で測定し,伐採されたのは594年という結果を発表しました。
火災のあとの再建だとするとこの木材は80年以上もほったらかしにされていたということになり,
再建論争が再び盛り上がりそうな気配もあります。

最後に,落雷を避ける方法としていろいろな俗説がありますが,間違っているものもあるので注意しましょう。

一度落雷のあった木は安全である。

などというのは論外ですが,次の“避雷法”は信じている人も多いのではないでしょうか。

身につけている金属製のものを即刻取り外す。

これは避雷法としてはほとんど意味がありません。雷の“標的”は金属物ではなく,人間そのものです。
金属物には落雷を受けたときにもっとも危険な体内電流を減らすという効果があるという話もあります。

[1] 原文は「夏四月癸卯朔壬申,夜半之後,災法隆寺。一屋無餘。大雨雷震」で,素直に読むと,
焼けたあと大雨が降り雷が鳴ったとなるんですが……。

[2] これは静電気に関する「ガウスの法則」によって説明されます。いちおう,元物理屋でして……(^^ゞ

おもな参考文献: 北川信一郎, 雷と雷雲の科学, 2001年, 森北出版

 

無冠の貴公子に春が訪れます

サブタイトルは,「無冠の貴公子」タイテエムが無冠を返上したゴール前での杉本アナの実況です。

1973年4月29日。第67回天皇賞。スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。馬場はかなり悪化しましたが,
なぜか発表は“良”のまま。ビデオで見ても,重か,少なくとも稍重くらいの状態にはなっています。

レースはナオキとシンザンミサキが先頭を交代しながら引っ張る形でスローの流れ。タイテエムは中団を進みます。
ところが2周目の3コーナーの坂にさしかかったところでズルズル後退。頂上では後方から2頭目まで下がってしまいました。

そのあとタイテエムが一時“行方不明”になります。いや,見失ったのは杉本アナだけだったのかもしれません。
テレビの画面には外を通って上がってくるゼッケン5が鮮やかに映し出されていました。しかし,杉本アナは「タイテエムもこの集団の中」
と実況しています。

タイテエムは4コーナーを回って大外に出たときには先団をとらえていました。しかし,
最内を回って粘り込みをはかるシンザンミサキの白いままの帽子を除いて(日本短波の高木アナ「白い帽子が印象的」の実況があります),
どの馬の勝負服も帽子も泥をかぶって真っ黒。杉本アナは突然現われたタイテエムをにわかには信用できず,なかなか「タイテエム先頭!」
とはいえかったそうです(杉本氏の著書より)。

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1973年 4月29日(祝) 3回京都4日  天候: 雨   馬場状態: 良
9R  第67回天皇賞
5歳以上・オープン  芝 3200m   15頭立
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着 枠 馬 馬名                 性齢 騎手    斤量 タイム 人 廐舎
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1  3  5 タイテエム           牡5 須貝彦三  58 3.25.0   1 橋田俊三
2  4  6 カツタイコウ         牡6 加賀武見  58 11/2    7 柄崎義信
3  1  1 シンザンミサキ       牡5 久保敏文  58 2       8 久保道雄
4  3  4 ナオキ               牡5 佐々木昭  58 アタマ   9 田中康三
5  2  3 オンワードガイ       牡6 蓑田早人  58 11/4    2 森末之助
6  7 12 ミリオンパラ         牡6 戌亥信昭  58 1/2     15 戌亥信義
7  2  2 アイチアサホマレ     牡6 西谷達男  58 1      12 上田武司
8  7 13 ハマノパレード       牡5 田島良保  58 3/4      5 坂口正二
9  6 11 ユーモンド           牡5 福永洋一  58 11/2   11 武田文吾
10  6 10 エリモカップ         牡6 松田幸春  58 1/2      4 大久保正
11  5  8 トーヨーハヤテ       牡5 稲部和久  58 1 1/4  14 諏訪佐市
12  4  7 メトロオーカン       牡6 武邦彦    58 クビ    10 中村好夫
13  8 15 ランドプリンス       牡5 川端義雄  58 11/2    3 高橋直
14  5  9 シングン             牡6 吉岡八郎  58 1      13 坂口正二
--  8 14 スガノホマレ         牡5 野平祐二  58 競走中止 6 秋山史郎
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LAP :13.2-12.5-12.4-12.7-12.7-12.8-13.3-14.2-13.2-12.8-13.2-13.0-
12.3-12.4-12.1-12.2
通過:38.1-50.8  上り:49.0-36.7
単勝 5 \280    複勝 5 \130 / 8 \390 / 1 \410
枠連   3-4 \1520
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TTG伝説のプロローグ

すべてはこれからはじまりました。

AD1951/04/22 第11回桜花賞,ツキカワが逃げ切り,
クモワカは2着と敗れる

このレースについては着順と走破タイム,それと次のような展開が多少わかる程度で,詳細は不明です。

ツキカワが巧みに飛び出しヤマニシキ,ミスローズ,クモワカ,フジトモと続く。3角からハツピーウネビ,フオードライト,
キヨフジなどが進出。しかしツキカワの逃げ脚ますます冴え,1.39.1のレコードで逃げ切り。
クモワカは向正でややつつまれる不利。

このあとクモワカが伝貧と診断されて以降の話はあなたの夢は今こそかなう: 能天気Express~新世界版~をどうぞ。

ちなみに,上に登場するキヨフジは,「エンプレス杯キヨフジ記念)」のキヨフジです。また,
にっくき(?)ツキカワの直系の子孫としては二冠馬サニーブライアンがいます。

その他のおもな事件です。

AD1934/04/22 第3回東京優駿大競走(日本ダービー)の当日,
大本命のミラクルユートピアが故障のため出走取り消し。レースはフレーモアが勝ち,無敗のダービー馬に

AD1980/04/22 前年生まれた白い毛の馬ホマレエース(ハクタイユー),日本初の「白毛」馬として認定される(世界でも12頭目)


白毛馬は非常に少ないだけに出走するだけで話題になりますね。JRAで登録された白毛馬は歴代7頭だけです。
地方競馬では何頭だかわかりませんが,南関東で8勝を挙げたホワイトペガサスあたりが全白毛馬の出世頭でしょう。

AD1990/04/22 南岸低気圧の接近による荒天の中,
九十九里浜から沖合いに出た11人が乗った無謀モーターボートが転覆,6人死亡(心中したかったんでしょうねえ)


去年もネタにしましたが(というより今日取り上げた事件はすべて去年もネタにしていたりする(^^;)),新聞によると,
「漁師も出航を避け,サーファーたちさえおじけづく天候のもとで,救命胴衣もつけずに出発した」(朝日)とのことです。

死亡の6人は小学1年から高校1年までの未成年。大人ばかりが生き残りました。まあ,親の資格のない大人たちだったということでしょう。

エボ猿(ドラマ版「海猿」。正確には「海猿EVOLUTION」)の最後の事故のモデルという感じもしないではないですが,
場所も違いますし,考えすぎですね。

 

津波注意報

津波注意報が発表されました。

平成19年 4月20日10時51分 気象庁地震火山部
津波予報をお知らせします
************** 見出し ***************
津波注意報を発表しました
 宮古島八重山地方
************ 津波予報の本文 *************
津波注意報を発表した沿岸は次のとおりです
<津波注意>
 *宮古島八重山地方
以下の沿岸(上記の*印で示した沿岸)では直ちに津波が来襲すると予想さ
れます
 宮古島八重山地方
************ 津波予報の解説 *************
<津波注意>
高いところで0.5m程度の津波が予想されますので、注意してください

 

バックスクリーン3連発のナゾ

 

AD1985/04/17 甲子園球場での阪神-巨人第2戦で,阪神のクリーンアップ,バース,掛布,岡田のバックスクリーン3連発

正確には掛布の一打はバックスクリーンからそれていましたが……。

これから書こうとしているのは野球ネタではなく,なぜかドラマネタだったりします(笑)

「ふたりっ子」第26回にこのシーンが登場します。しかし,このシーンを入れたばっかりに日付に齟齬を来すようになります。

大昔,NIFTYの「将棋&チェスフォーラム」に書いたものをそのまま引用します(ただし,整形してあります)。「ふたりっ子」を見たことがない人にはチンプンカンプンだと思いますm(_ _)m

とくに阪神タイガースファンには永久保存版(!?)の第26回です。ただし,このエピソードを入れたばかりに前後関係に少しおかしなところが生じています。

いよいよ香子の奨励会がスタートします。女ひとりということと香子の性格があいまって浮いた存在です。

対局時計が一瞬ドアップで写りますが,私の持っているものと同じものですので(笑),かなり古いものです。古いタイプのものをわざわざ倉庫から発掘したと聞きましたが,たぶんそれでしょう。

ガキ会員3人が隅のほうで「女に負けたらカッコつかんな。女に負けたヤツは丸坊主になるいうのはどうや」と話しています。その3人のうち2人は入会試験のときに香子が対戦した相手です。ひとりは墓穴を掘った「油断大敵」くん(本名は小宮),もうひとりは「負けたと言え」「諦めが肝心」の二段構えで香子を負かした車谷くんです。

香子の最初の対戦相手は「女に負けたら丸坊主や」のいいだしっぺの春山くんですが,香車に角と玉を田楽刺しにされて投了。

2人目は入会試験のときに香子を破った小宮くん。「負けたら丸坊主」がプレッシャーになってか玉と飛車の桂馬のフンドシで戦意喪失。

3人目の車谷くんもシリ金で詰まされます。

しかし,絵に描いたような決まり手の連続です。

次の例会のとき,この3人が丸坊主で登場します。よほど悔しかったのか春山くんが「野田香子対策メモ」なるものを作成して広めます。

その「野田香子対策メモ」ですが,次のような書き出しではじまります。

奨励会の淀君,唯1人の女性会員としてもてはやされている野田香子に翻弄されている我々だが,恐れることはない。彼女は要するに棒銀一本槍である。落ち着いて受ければ必ず勝機は見える。彼女の過去の(?)棋譜をもとに,その変化を含めて,対策法を伝授しよう。

このメモがどの程度有効なものかどうかわかりませんが,香子は3連敗を喫します。

そして1985年4月17日。伝説のバックスクリーン3連発です。ちなみに,実況担当はNHKの高山典久アナです。

ところで,香子が最初に参加した例会は4月15日です。香子が3連勝の結果を成績表に書き込んでいるので(正確にいうとスタンプを押しています)間違いありません。そして2回目の例会のあとバックスクリーン3連発が起こります。とすると,2回目の例会はいつだったのでしょう?

さて,一方の麗子です。ランニング,図書館を経て,海東クンへのじらし作戦が功を奏しはじめます。

そして,電話ボックス。外では土砂降りの雨が降っています。こんな雨の中呼び出す麗子も麗子ですが,誘われてのこのこと出て行く海東クンも海東クンです(笑) ちなみに,夜それらしい雨が降ったと思われるのは4月11日,12日くらいです。このときのBGMは「愛のテーマII」。海東クンのテーマといったイメージです。

ところで,この電話ボックスはどこなのでしょう? 海東クンの家の近くだと思われますが,だとすると,おそらく麗子はいったん家に帰ってからわざわざ住吉区まで出かけていったんですね,あの土砂降りの雨の中……。

ちなみに,最後に書いてある麗子が海東クンを呼び出した電話ボックス(の跡地(笑))は大阪・帝塚山の万代池にあります。詳しくは↓。
http://www.notenki.net/location/hutarikko/tezukayama.html