史上最大・最悪の海難事故発生!!

タイトルは映画「LIMIT OF LOVE 海猿
リミ猿)のうたい文句です。

しかし,これってどう見ても明らかに誇大広告です。乗員・乗客たったの620人ですよ!!(笑)

というわけで,今日はあの船が沈没した日です。ちなみに,それに合わせたのか,最初の映画「海猿」がテレビで放映されます。

AD1912/04/14 イギリスの豪華客船タイタニック号,大氷山に激突して沈没。1513人が死亡,
生存者は695人

史上最悪の海難事故といわれますが, 死者不明者の数でいえば1987年にフィリピンのタブラス海峡で起こった客船「ドニャ・パス号」
(2640t)と小型タンカー 「ヴェクター号」との衝突事故が史上最悪のようです。死者不明4000人以上といわれています。

戦争時も含めれば,ドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ号 」がソ連の魚雷によって沈没したのが最悪とされています。
死者不明9331人といわれています。

リミ猿はツッコミどころ満載の映画なので,宣伝文句にツッコんでもしょうがありません。

ツッコミどころはいくらでもありますが,海難事故ということに重点を置けば,次のような不思議があります。

・船員がひとりも出てこない不思議(真っ先に逃げたのか(笑))。もっとも,船長は登場するはずだったようですが,
そのシーンはカットされたようです。

・あのパニックのさなか,事故対策本部が船内に残っている乗客の数を正確に把握している不思議。「残り,413名です」
なんてセリフもありました。ひょっとすると数日後,くろーばー号の乗客と思われる死体が近くに打ち上げられたかも知れません(笑)
(海老原さんは仙崎が“寄り道”しなければこういう運命になったわけで)

その他の今日のおもな事件です。

AD1929/04/14 第1回モナコ・グランプリ開催

AD1995/04/14 舞鶴引揚記念館の広場のはずれで,老人男性の変死体が発見される(内田康夫『蜃気楼』)

AD1999/04/14 山口県光市のアパートに凶悪“少年”の福田孝行(当時19)が暴行目的で押し入り,抵抗されたため,主婦・
本村弥生さん(当時23)と長女の夕夏ちゃん(当時11か月)を殺害する

AD2001/04/14 第3回中山グランドジャンプ,ゴーカイJPNが2連覇

 

ガッツポーズの日

4月11日はガッツポーズの日ということになっています。

1974年4月11日,日大講堂で行なわれたWBC世界ライト級タイトルマッチで,挑戦者ガッツ石松が王者ロドルフォ・ゴンザレス(MEX)を8回KOで破り,タイトルを奪取しました。このときの勝利のポーズに対し,ある新聞記者が「ガッツポーズ」と名づけたのが最初とされています。

しかし,梅花女子大学の米川明彦教授によると,ガッツ石松の勝利のポーズの1年以上も前,ボウリング雑誌の週刊「ガッツボウル」に「自分だけのガッツポーズつくろう」というコーナーが存在していたのです。σ(^^;)もついでのときに国会図書館で確認しました。

何事にせよはじまりを決めるのは難しいものです。

ガッツ石松のタイトル奪取についていえば,ガッツポーズなんかよりも「幻の右」のほうが有名だったと思います。

若い人のためにひとこと断わっておくと(笑),ここに登場するガッツ石松はあのタレントのガッツ石松と同一人物です。想像できないかも知れませんが,すごいボクサーだったんです。バ亀田とかいうヤクザの三下奴なんかとは比べものになりません。

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「御古址」の森で鳥居の下敷きになって男死亡

1959年4月10日,滋賀県甲賀郡土山町の「御古址」の森で,倒れた鳥居の下敷きになった男の死体が発見されました。(内田康夫『斎王の葬列』)

この他にも4月10日には次のようなことが起こっています。

 

雨の中,NHK がモータースポーツをはじめて生中継

20年くらい前までNHKはモータースポーツをスポーツと認めていなかったそうで,ニュースでも無視(ただし,1977年富士スピードウェイで開かれた日本GPでの観客死亡事故は伝えたようです),当然生中継などすることはありえませんでした。大昔はプロレスを生中継したこともあるのに……。

ところが,時代の流れか,中島悟がロータスに加入したころが風向きが変わり,1987年シーズンの開幕前に子ども向け情報番組(「600こちら情報部」だと思ったら違ったようだ)でF1特集が企画され,中島悟が電話出演したりしました。

そして1989年4月8日,NHKが鈴鹿サーキットから世界スポーツプロトタイプ選手権(WSPC)第1戦の予選を中継することになりました。しかし――。

当初は13時からの公式予選2回目を生中継する予定だったようですが,日本の南海上を通過中の低気圧に伴う大雨のため,予選2回目は翌日,決勝の朝に延期になり,マシンの走行の生中継も事実上,翌日に延期になりました。

というわけで,初の生中継が行なわれたのは4月9日です。決勝レースではザウバー・メルセデスがワンツーを決め,この後しばらくメタリックシルバーのマシンがWSPCを席巻することになります。WSPCのシリーズからは外れましたが,この年のルマン24時間もワンツーフィニッシュでした。ちなみに,まだユノディエールがシケインで分断されず,テルトルルージュからミュルサンヌまで6kmの直線だった時代です。

ついでですが,この年からしばらくの間(数年前までやっていたような気が……),NHKはBS1で鈴鹿8耐を毎年生中継することになります。そういえば,この年の中継には本田美奈子さんがスポットゲスト出演したんですよねえ……。

オールそろえてさらばぞと しぶきに消えし若人よ

滋賀県高島町に「四高桜」と名づけられた桜があります。この桜はもともとは1941年に琵琶湖の萩ノ浜沖で遭難した(旧制)四高のボート部員を悼んで植えられたものだそうです(などと書いているσ(^^;)は見たことがありません……あしからず)。詳しくは四高桜の歴史 http://www.eonet.ne.jp/~takashima-kan/html/sikou_sakura.htm などをご覧ください。

この事故が起こったのは1941年4月6日のことでした。

当時,琵琶湖から流れる瀬田川はボートのメッカでした。全国大会も行なわれていました(今は知りません)。第四高等学校(今の金沢大学)のボート部員たちも,春休みには瀬田川を合宿の地に選んでいました。そして北岸まで往復の琵琶湖縦漕を行なって合宿の総仕上げとしていました。

この年も3月23日から合宿にはいっていました。3月23日から4月3日までは通常の練習に励み,4日が縦漕第1日目で石山から湖北の今津まで行き(♪瀬田の唐橋 漕ぎぬけて 夕陽の湖に 出で行きし……),5日を丸一日休養にあて, 6日に今津を出発して石山に帰ってくる予定でした。今津を出発したのが午前7時45分,そして約2時間後の9時50分ごろ,萩ノ浜沖で遭難したようです。

  新聞

この事故の気象的な原因は,「比良八荒」とよばれる地形的な強風によるものとされています。

平安時代のころから,旧暦の二月二十四日に琵琶湖西岸の比良山中で比叡山延暦寺の僧が法華経八巻を修する「比良八講」とよばれる修行が行なわれていました(現在は3月26日に形を変えて行なわれているそうです)。このころ強い北西風が吹くことがあり,「比良八荒」とよばれました。一方で,「比良八荒の荒れじまい」という諺もあり,このころが北西風(冬の風)の吹きおわりだともいわれています。

この比良八荒が吹くとき,比良山脈と野坂山地の間から琵琶湖に向かって強烈なジェット流となって吹き下りることがあります。四高のボートの11人はこのジェット流に遭遇したか,このジェット流が吹きつけて三角波が立つ湖面に翻弄されたかして,波間に飲み込まれたのでしょう。

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それから間もなく,この事故を悼んで「琵琶湖哀歌」がつくられました。東海林太郎と小笠原美都子の歌でレコードにもなりました。 2,3回聞いたことがありますが,「琵琶湖周航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」を足して2で割ったような古典的なメロディーです。いくつかMIDIデータを掲載しているサイトもあるので検索してみてください。

ところで,内田康夫センセの作品に『琵琶湖周航殺人歌』があります。『隅田川殺人事件』『紫の女殺人事件』などと並んでσ(^^;)の好きな作品のひとつだったりするのですが,それはともかくとして,はるか昔の四高ボート転覆事故がこの作品の中で起こる事件のそもそもの発端になっています。σ(^^;)がこの事故についてはじめて知ったのはこの作品によってでした。ついでながら,「琵琶湖哀歌」を知ったのもこの作品で,はじめて聞いたのも「火曜サスペンス劇場」で1990年7月3日に放送された「琵琶湖周航殺人歌~初夏の近江路に男たちへの鎮魂歌が流れる~」の中でした。好きなドラマのひとつですが,ヒロインのはずの森史絵さんが登場しなかったのはきわめて残念でした。このドラマはいわゆる“水谷光彦” シリーズの最後の作品です。

ほかのボート転覆事故としては,「七里ヶ浜の哀歌」で知られる逗子開成中のボート転覆事故がとくに有名です。1910年1月23日に七里ヶ浜沖で起こった事故で,12人全員が死亡しました。このブログにも記事があります → 七里ヶ浜DQNボート沈没事件

また,1934年12月28日に松島湾で(旧制)二高のボートが転覆して10人全員が死亡する事故が起こりましたが,『暴風・台風びっくり小事典』以外では見たことがありません。このあたり,時代背景もあるのでしょう。

東山ドライブウェイの橋の下に男の死体

1995年4月4日の夜,東山ドライブウェイの沢にかかる小さな橋の下で,男の死体が発見されました。(内田康夫『華の下にて』)

ついでにもうひとつ。

1982年4月4日,東京の不動産会社の社長秘書が刑事の尾行の中,特急「南風1号」のトイレで殺されました。(西村京太郎
『四国連絡特急殺人事件』)

寒くて眠~いサマータイム

夏時間サマータイム)は日本では現在はもちろん採用されていませんが,敗戦後の一時期,導入されたことがあります。

1948年5月2日に“サンマータイム”という名称でスタートしました。銀座の大時計が正午過ぎまで古い時刻で鐘を鳴らしていたくらいで,
とくにトラブルはなかったようです。

夏時間2年目は1か月繰り上げて1949年4月3日からスタートしました。58年前の今日です。ところが,この日は全国的に冷え込み,
4日付の朝日新聞には

冬オーバーで花見の宴
こたつで迎えた“夏時刻”
北海道では雪まで降った

という見出しが見えます。また,同日付の毎日新聞には

三日の第一日曜はサマータイムであけた。上るはずの水銀柱が低気圧のいたずらでぐーんと下り,富士山に雪が降る,
帯広は零下九度平年より六,七度低い九州はお日様が出たのが朝七時,東京は平年より二度三分低い三度六分,
咲きそめた上野の桜もつぼみを閉じるという冬姿の夏時間初日だった。

と書かれています。

こんなこともあり,夏時間は不評で,1951年を最後に廃止されました。導入してはならんといういい教訓でしょう(笑)

 

ウォーターライド転落事故

 

AD1990/04/02 花の万博会場内でウォーターライドが高架水路から約7m下に転落。23人重軽傷

この事故のことはよく知りませんが,内田康夫センセの『御堂筋殺人事件』はこの事故をヒントにしたところがあるそうです。

このような博覧会会場内の交通施設の事故としては,他には横浜博覧会YES’89のゴンドラ「スカイウェイ」が強風であおられて宙づりになり,乗客39人が1~1.5時間閉じこめられたことがあります(1989年4月16日)。

絶叫マシンの事故は挙げればきりがないですが,最近では2004年3月27日,岡山・倉敷市の遊園地「鷲羽山ハイランド」で,「チューピーコースター」が強い向かい風を受けて上り坂を越えられずに逆走,高さ約7mの軌道上で停止するという事故が起こっています。また,ナガシマスパーランドの「スチールドラゴン2000」で2003年8月23日,走行中のコースターの車輪88個のうち半分に相当する44個が落下,乗客1名とコースター下のプールサイドにいた客1名が重傷となる事故も起こっています。

浦安ディズニーランドでも2003年12月5日,「スペース・マウンテン」の車輪を支える車軸が折れて車輪がはずれるという事故が起こっています。

ちなみに,このスペース・マウンテンでは,事故といえるかどうかわかりませんが,乗客が死亡したことが少なくとも3回あります。そのうちの1つはかなり有名です↓。
http://blog.notenki.net/2006/12/post_e52f.html


20070402133600-1

ついでですが,写真のラクーアの「サンダードルフィン」では,できたばかりの2003年4月16日,招待客を乗せてスタート地点に上る途中,地上高50~60mのところで突然停止するというトラブルがありました。実はこのとき下で見ていました(笑) 残念ながら当時カメラつきケータイは持っていなかったので(というよりケータイ自体持っていなかったのでしたが),そのときの写真はありません。