1479年5月16日,犬坂毛野胤智が対牛楼で仇敵,馬加大記を討ちました(『南総里見八犬伝』)。いわゆる「対牛楼の大仇討ち」です。 (文明11)
八犬伝関係でもうひとつ。
AD1441/05/16 春王・安王,美濃国垂井で斬首。大塚匠作は刑場で討たれる。大塚番作は兩公達と父の首をもって逃走(嘉吉1)
1967年5月14日は朝から絶好の“ダービー日和”でした。ところが,発走時刻の10分ほど前,一天にわかにかき曇り,電光が走り,
雷鳴とともに激しい雨が降り出しました。日射で空気が暖められたところに寒冷前線が南下してきたことによるもので,いわゆる“熱界雷”
です。
ダービーは雷雨の中でのスタートとなりました。最初の1ハロンこそ13.0秒でしたが,2ハロン目はなんと10.0秒。ただ,
当時のハロンタイムは数字どおりには信用しないほうがいいようです。アラジンが先頭でバックストレッチにはいりますが,そこから先,
馬の識別ができません。σ(^^;)の場合は質の悪いビデオ画面で見ているせいもありますが,
フジテレビで実況していた鳥居アナも激しい雨のためにほとんど視界が利かず,かなりの部分勘でしゃべっていたそうです。
これを実況といえるかどうかは知りませんが。
ちなみに,1996年2月10日の京都第9レース・バイオレットSでは,ゲートインがはじまるころからはかったように雪が突然強くなり,
向こう正面がまったく見えなくなりました。ラジオたんぱのアナもふつうは「スタートしました」というところを「スタートしたもようです」
と実況していました。馬群らしきものの影が移動しているのがかすかに確認できる程度で,
もちろんどの馬が先頭なのかということはまったくわからず,「ただいま,3コーナーのあたりを走っているもようです」
というような感じでした。4コーナーを回ってやっと白いベールの中から馬が1頭1頭現われてきて,ふつうの実況に戻りました。通過ラップも,
上がりタイムも,通過順位もすべてデータなし。でも,なぜか走破時計は存在します。
雪が強くなるのが1分でも早かったらきっとスタート時刻を遅らせるなどの措置がとられていたでしょう。
雪が強くなるタイミングがあまりによすぎた感じでした。
話がそれました。激しい雨をついて,馬群は向こう正面から3コーナーへと進みます。このあたりでマイクがかなり大きな雷鳴を拾っています。
4コーナーを回って先頭に立ったアサデンコウに,ヤマニンカツプが外から,
シバフジが内から並びかけて激しい叩き合いが300mほど続きましたが,アサデンコウが凌ぎきりました。
アサデンコウはレース中に左前肢第一指骨を骨折しており,しばらくして馬運車で運ばれていった――といわれていますが,
次の日に新聞に口取り写真が載っています。これはどういうわけなんでしょう?
なお,このときの雷雨によって千葉県と福島県で4人が感電死,また埼玉,栃木,群馬などでは雹の被害がありました。
というわけで,5月に競馬観戦に出かけるときは雷と雹に注意しましょう。もともと東京競馬場は雷とは縁が深いところだし……。もちろん,
紫外線対策も忘れずに。
今日5月13日はメイストーム・
デーです。詳しくは↓
http://blog.notenki.net/2006/05/post_6f31.html
例によって以前メルマガを発行していたとき,メイストーム・デーに低気圧が日本付近を通過したことはないか調べたことがあります。
1968年,1976年,1980年,1988年,1995年,2004年などがめぼしいところですが,
1968年と1988年以外は低気圧がそれほど発達したわけではなく,メイストームといえるほどではありません。
調べてわかったことですが,なぜかこの日は移動性高気圧におおおわれることが多いです。そのせいで,
東京では特異日というほどではないにしても晴れが多いです。別れ話を切り出すなら,
メイストームのドサクサまぎれより,さわやかな“五月晴れ”のもとでのほうがカラッとしていいかもしれませんね。
どうでもいいですが,「さわやかな“五月晴れ”」は575の定型詩にケンカ売ってます(笑)
5月10日の深夜,井の頭公園で女性週刊誌の記者の他殺死体が発見されました。(内田康夫『幸福の手紙』)
1978年5月9日,東京メッツ-阪神タイガースの北陸シリーズ第3戦(新潟第1球場),5年目にして1軍入りした富樫平八郎がふるさとの地でプロ入り初完封勝利。その勝利を見守りながら父が息を引き取る
5月8日,赤坂ワイドホテルで,弘前の古本店主の変死体が発見されました。(内田康夫『津軽殺人事件』)
5月7日 浅見家の菩提寺聖林寺の鳴らないはずの鐘が鳴りました。(内田康夫『鐘』)
柱のきずは おととしの
五月五日の背くらべ
粽《ちまき》たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐《ひも》のたけ
海野厚作詞,中山晋平作曲の「背くらべ」です。子どものころから,どうして“おととし”なのか,
去年はどうして背くらべをやらなかったのだろう……
という疑問をもっていたのですが,メルマガを出していたころネタ探しのためにちょっと調べたことがあります。
ちまき食べ食べ背のたけを計ってくれた“兄さん”は作詞者の海野厚さんその人。静岡県出身で,当時は早稲田大学の学生だったそうですが,
“去年”は体調を崩していて帰省できなったため,弟たちの背のたけを計ることができなかったのだそうです。
そしてこの背くらべの次の年に肺結核で亡くなりました。享年28歳。
つまり“きのう”の背くらべが最後の背くらべだったわけです。そういうことを知って2番の歌詞を見ると,ノーテンキそうな歌詞の裏に,
この見慣れた景色を生きて再び見ることができるかどうか……という作者の漠然とした不安な思いが,
なんとなく隠されているような気がしないでもありません。まあ,なんとでもいえますが。それはともかく,
ゴールデンウィークなど存在しなかったその時代,(新)端午の節句に帰省するという習慣があったのでしょうか。謎は謎を呼びます。
どうでもいいですが,3月3日と5月5日は曜日が同じになります。ついでに7月7日も同じですが,4月4日の「オカマの日」
は残念ながら違います。
5月3日,長野県南佐久郡相木村の親王塚前で中年男性の死体が発見されました。(内田康夫『菊池伝説殺人事件』)