星落秋風五丈原

AD0234/08/23 諸葛亮五丈原で陣没。54歳

土井晩翠に「星落秋風五丈原」と題する詩があります。

祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか

丞相病あつかりき
……

ではじまる400行にも及ぶ長い詩ですが,その昔,三国志フリークだったころ,全部暗記していました(爆)

一方で,「昭和維新の歌」という歌があります。以前は右翼が街宣車で流していましたが,最近はほとんど聞かなくなりました。平成になったこともあるでしょうが(ヘイセイイシンじゃプロレスだし(笑)→平成維震軍),歌詞が難しくてチンプンカンプンだからでしょう。平成のゆとり教育の最大の犠牲者は彼らかも知れません(笑)

ググればいくらでもヒットするので歌詞全部を引用することはしませんが,確かに難しい歌詞です。いきなり汨羅とか巫山とか,中国の故事がぽんぽん出てきます。日本ではなくてなぜか中国です。作詞・作曲の三上卓って中国のシンパだったのでしょうか(爆)

実はこの歌,「星落秋風五丈原」からのパクリで成り立っているといっても過言ではありません。3番,7番,9番が顕著ですが,他にもあるかも知れません。

まず3番。パクリ率40パーセント。後半の

治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

治亂興亡おもほへば
世は一局の棊《き》なりけり

のパクリ。

7番はパクリ率46パーセント。前半の

見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫《おたけ》びて

見よ九天の雲は垂れ
四海の水は皆立(ち)て

のパクリです。

このくらいならまだいいほうで,9番に至ってはパクリ率99パーセントです(笑)

功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらふ

前半が

功名いづれ夢のあと
消えざるものはたゞ誠

のパクリ,後半も

人生意気に感じては
成否をたれかあげつらふ

のパクリです。

よくもまあ恥ずかしげもなくこれだけパクったものです。昔は許されたんですかねえ……。

四面台風

1960年8月23日09時,日本列島は台風に包囲され,「夜聞く,漢軍四面に皆楚歌す」(史記項羽本紀)という状態でした。(天気図参照)

1960082309

さらに,23日15時にはマーカス島の南東海上で台風18号も発生し,14号から18号まで5つの台風が存在するという前代未聞の事態になりました。

饒村曜『台風物語』によると,当時台風観測を行なっていた米軍の飛行機観測隊もお手上げ,

Physically impossible due to Personnel shortage.

という通知を関係各局に出したそうです。

折しもローマ五輪開幕の直前,1964年東京五輪開催も決まっており,オリンピック気分も盛り上がりつつあるときで,5つの台風を五輪に例える新聞記事もありました。

マリアナ東方海上にあった熱帯低気圧がとうとう二十三日台風十八号になった。日本は十四号から十八号まで台風オリンピックさながら五つの台風の輪にがっちりと囲まれたかたちで,こんな現象は二十五年八月以来のこと。(8月24日付読売朝刊)

この台風は今では「五輪台風」とよばれ,マスコミが名づけたことになっていますが,毎日,朝日,読売,なぜか赤旗(気象関係の記事がよく載っていました)などの新聞を見ても“五輪”や“オリンピック”が出てくるのは上の読売の記事だけで,名づけ親についてはわかりません。

24日09時には大陸に上陸した台風15号温帯低気圧に変わったため,台風五輪は本物の五輪の開幕を待たずに早くも閉会式を迎えました。