10月10日は晴れの特異日ではなかった

今日は体育の日。今はさまようよろいと化していますが,もともとは10月10日で,1964年の東京五輪の開会式を記念した日だということも,もう忘れられつつあるかもしれません。

東京五輪の開会式が10月10日に決まった理由については,10月10日が晴れの特異日だからとする俗説がいまだにはびこっていますが,ちょっと調べるだけで面白いことがわかります。開会式が10月10日になったのは,きわめて簡単にいうと,単に9日の次の日だったから,あるいは11日の前の日だったからです(笑)

まず,1961年6月のアテネでのIOC総会で,東京五輪の日程は大枠として10/11開会式,10/12休み,10/13競技開始と決まります。開会式の次の日に休みを入れたのは,開会式は疲れるから1日開けて欲しいという要望が一部からあったかららしいです。

そして,1962年5月,日本の東京オリンピック組織委員会は具体的な競技の日程などと照らし合わせて,日程を10/09開会式,10/10休み,10/11競技開始と決定し,6月にモスクワで開かれるIOC総会に提出します。

このように,10月10日開会式という案ははじめは存在しなかったのです。したがって,晴れの特異日だから10月10日になったというのはまったくのデタラメであることがわかります。

東京五輪の日程は1962年6月のモスクワでのIOC総会で最終的に決まるのですが,そのとき10日の休みはやっぱり要らないという話になり,10日が開会式と決定したのです。

ちなみに,東京五輪の開催が10月に決まるまではすったもんだの連続で,なかったのは9月案くらいで,5月案,6月案,7月案,8月案が出ては消え出ては消えしてなかなか面白いです。なんと,一番最初の案(東京都の案)は7月下旬~8月上旬開催でした。いっとき,6/14からの15日間に決まりかけたこともあります。

なお,最近では10月10日は晴れることが多いのは事実ですが(ただし,アンハッピーマンデー化で体育の日の座を奪われてからはスネたのか,晴れが少なくなっています),東京五輪が計画された1960年代前半まではそれほど晴れは多くはありませんでした。

結果を早く知りたくないこともある?

今日は8月に行なわれた第28回気象予報士試験の合格発表の日です。番号がWeb上に発表されるほか,配達日指定の圧着式ハガキで受験者に通知されます。

σ(^^;)が受けたころは合格者には大きな封筒が,不合格者には小さな封筒が届いたそうですが,σ(^^;)には大きな封筒しか届いたことがないので,詳細は知りません。

ところで,去年の合格発表では次のようなできごとが。

 気象予報士試験を実施している気象業務支援センターは5日、試験結果の通知はがきが、郵政公社のミスによって発表日の6日より早く受験者に届いていたと発表した。
 同センターによると、8月27日に行われた気象予報士試験の受験者5074人に対し、配達日を10月6日に指定した合否の通知はがきを2日夜、委託していた印刷業者が羽村郵便局(東京都羽村市)に持ち込んだが、郵便局側が誤って一般郵便物として扱い、各地の郵便局に発送したことが原因とみられる。
 通知はがきを4日に受け取った受験者からの抗議や問い合わせが同センターにあり、発覚した。
(毎日新聞) – 10月5日12時29分更新

問い合わせはともかく,早くわかったのに抗議するというのはねえ……? 心の準備ができてなかった?

台風15号列伝(2)

1961年の台風15号は8月15日21時,硫黄島の西方海上で発生しました。少し発達しながら北~北西に進み,宮崎上陸は時間の問題と思われましたが,宮崎市に接近するころから急速に衰え,上陸する前に弱い熱帯低気圧(死語)になりました。

最近ではまずお目にかかれない新聞記事。

ごく弱い台風とはいえ,まともに上陸すれば油断はできぬと警戒していた気象庁もいささか拍子抜けの形だった。(1961.08.18 朝日朝刊)

最近はほとんどワンパターンの記事しか見ないだけに,新鮮に映ります。