1959年12月1日10時40分ごろ,後楽園競輪場で予想屋の5人のグループにテキ屋一家の20数人が刃物を持って襲いかかりました。大乱闘となり,予想屋グループの1人が重傷,4人軽傷を負いました。
この騒ぎでテキ屋一家の5人が逮捕されました。
どうやら予想屋どうしのナワバリ争いだったもようです。
当時の後楽園競輪場はといえば,ゴロツキのたまり場だったようで,1960年1月13日付の読売新聞によると,後楽園競輪場の場内には予想屋300人,コーチ屋100人,ノミ屋多数,場外にカイキ屋(あやしげな機械を使って予想を立てる)4組,新聞立ち売り100人,白タク多数,その他場内外にダッコ屋(風呂敷包みを抱いてのり巻きや大福を売る)50~60人などの“ダニ”がいたそうです。
刃物くらいならまだいいほうで,1955年2月26日付の読売新聞には
短銃持って競輪場へ 後楽園 鮮人一人逮捕
という記事があります。嫌チoンな人の喜びそうな記事ですが,残念ながら実際には“鮮人”ではなくただの暴力団の組員で(在日でもなかったもよう),警備員への報復だったようです。この警備員も別の組の組員だったというのですから,後楽園競輪場がどんなところだったかは想像に難くありません。
後楽園競輪場ばかりではなく,他の競輪場も似たようなものだったのかもしれません。中でも有名な鳴尾競輪暴動事件については能天気Express~新世界版~ ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件をご覧ください。