雪の成人の日の珍事

今日は成人の日。今はさまようよろいと化している成人の日は,以前は1月15日でした。

その1月15日の恒例行事として,かつてはラグビー日本選手権,「NHK青春メッセージ」(またはその前身の「NHK青年の主張コンクール」)などが行なわれ,NHKで生中継されていました。

「NHK青春メッセージ」の視聴率は平均して3~4%ってところでしたが,1998年だけ突然10.9%にはね上がっています。朝6時~深夜0時の総世帯視聴率も歴代9位の59.5%を記録しました。

この日1998年1月15日,関東地方は未明から大雪に見舞われ,東京の積雪は1月としては1984年以来の16cmに達しました。

“雪の成人式”となった各地の会場の参列者はいつもの年よりもかなり少なく,さびしい式典となりましたが,そのおかげで,当時すでに問題になっていた式典会場やそのまわりなどで大騒ぎするバカもほとんどあらわれなかったようです。

汚れるのを気にしながらも,一生に一度の機会だからと晴れ着にブーツ姿の女性も多く見られました。

成人式以外を見てみると,神奈川県大和市のOLは午前11時ごろ,3年前に買ってからほとんど使っていないスキー板を持ち出し,「あんた,信じられない」という母親のあきれた声をものともせず,坂道に何度もシュプールを描きました(16日付朝日新聞より)。

16日付読売新聞には,新宿駅西口からスキーで帰宅するオッサンの写真が載っています。

このように屋外に娯楽を見いだす人も一部にはいましたが,多くの人は外出もままならず,娯楽といえばテレビでした。この日の総世帯視聴率や「NHK青春メッセージ」の視聴率がはね上がった原因はこんなところでしょう。

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雪の成人の日の珍事

今日は成人の日。今はさまようよろいと化している成人の日は,以前は1月15日でした。

その1月15日の恒例行事として,かつてはラグビー日本選手権,「NHK青春メッセージ」(またはその前身の「NHK青年の主張コンクール」)などが行なわれ,NHKで生中継されていました。

「NHK青春メッセージ」の視聴率は平均して3〜4%ってところでしたが,1998年だけ突然10.9%にはね上がっています。朝6時〜深夜0時の総世帯視聴率も歴代9位の59.5%を記録しました。

この日1998年1月15日,関東地方は未明から大雪に見舞われ,東京の積雪は1月としては1984年以来の16cmに達しました。

“雪の成人式”となった各地の会場の参列者はいつもの年よりもかなり少なく,さびしい式典となりましたが,そのおかげで,当時すでに問題になっていた式典会場やそのまわりなどで大騒ぎするバカもほとんどあらわれなかったようです。

汚れるのを気にしながらも,一生に一度の機会だからと晴れ着にブーツ姿の女性も多く見られました。

成人式以外を見てみると,神奈川県大和市のOLは午前11時ごろ,3年前に買ってからほとんど使っていないスキー板を持ち出し,「あんた,信じられない」という母親のあきれた声をものともせず,坂道に何度もシュプールを描きました(16日付朝日新聞より)。

16日付読売新聞には,新宿駅西口からスキーで帰宅するオッサンの写真が載っています。

このように屋外に娯楽を見いだす人も一部にはいましたが,多くの人は外出もままならず,娯楽といえばテレビでした。この日の総世帯視聴率や「NHK青春メッセージ」の視聴率がはね上がった原因はこんなところでしょう。

日記にしるされた恐怖の文字

1952年1月13日付朝日新聞社会面に

女学生,誘かいさる?

日記にしるされた恐怖の文字

という気になる見出しがあります。

1952年1月12日,三鷹市の会社役員宅から,長女のK塩女子学院中等科2年の智佳子さん(15=仮名)が誘拐されたらしいと警察に届け出がありました。

智佳子さんは同日父兄会があるので学校が休みだからといつわりピアノを習いに行くと午前九時ごろ,小型化粧箱をもって家を出たもので,正月七日,八日両日の日記には「きょうもあの男につけられた」と書かれ,母芙美子さん(46)がこれに気づいて注意したところ,十日の日記には「自分が云ったことを他人に話すと殺すぞ」といわれたと恐怖の文字がつづられており,日ごろ明るい智佳子さんもこゝ数日すっかりふさぎ込んでいたという。

恐怖のストーカーの特徴は「四十歳ぐらいの人相の悪い,強い大阪弁」の男とのことです。

果たしてこの事件の顛末はどうなったでしょうか。それはいずれ……。(ヒント:思いもつかない意外な結末です)

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日記にしるされた恐怖の文字

1952年1月13日付朝日新聞社会面に

女学生,誘かいさる?
日記にしるされた恐怖の文字

という気になる見出しがあります。

1952年1月12日,三鷹市の会社役員宅から,長女のK塩女子学院中等科2年の智佳子さん(15=仮名)が誘拐されたらしいと警察に届け出がありました。

智佳子さんは同日父兄会があるので学校が休みだからといつわりピアノを習いに行くと午前九時ごろ,小型化粧箱をもって家を出たもので,正月七日,八日両日の日記には「きょうもあの男につけられた」と書かれ,母芙美子さん(46)がこれに気づいて注意したところ,十日の日記には「自分が云ったことを他人に話すと殺すぞ」といわれたと恐怖の文字がつづられており,日ごろ明るい智佳子さんもこゝ数日すっかりふさぎ込んでいたという。

恐怖のストーカーの特徴は「四十歳ぐらいの人相の悪い,強い大阪弁」の男とのことです。

果たしてこの事件の顛末はどうなったでしょうか。それはいずれ……。(ヒント:思いもつかない意外な結末です)