春一番とは
春一番というのは簡単にいってしまえば春になってはじめて吹く南風のことです。これだけだとアイマイなので,気象庁の天気相談所では次のような基準を設けています(基準であって定義のような厳密なものと捉えないほうがいいようです)。
立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s以上)が吹き,気温が上昇する現象
いつごろこの基準ができたのかイマイチ判然としないのですが,どうも1980年代のようです。
発表の開始も判然としないのですが,1997年2月21日付の朝日新聞によると,1975年ごろ気象庁本庁と福岡管区気象台でなし崩し的にはじまった……ということです。
春一番は,気象庁の本庁のほかに,鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,(富山),新潟の各気象台で発表しています。各官署によって若干基準が違います。
フライング・出遅れ
春一番は賞味期限つきの現象であるため,観測されないこともあります。また,期間から1日でも外れれば資格を失います。
例えば,1986年には節分に吹いてしまったため,フライング失格となりました。
もちろん遅くてもダメで,1974年3月22日に東京で最大瞬間風速29.9m/sを観測し,最高気温も前日より上がりましたが,1日違いで出遅れ失格となりました。
また,1988年には,2月2日に最大瞬間風速21.8m/s(SW),最高気温14.9℃(前日比+6.4℃)でも2日早すぎたばかりに春一番にならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)で春一番となりました。たった3日違いでのこの待遇の違いは,なんか変……といえないこともありません。
この2月5日が関東地方の春一番の最早記録になっています。
今のような基準ができる前はもっとおおらか?!でした。
1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」という見出しがあります。しかし,この年の春一番の公式記録は2月10日となっています。ところが公式の春一番に関する新聞記事は見当たりません。気象庁の見解はともかく,マスコミ的にはこの年の春一番は2月3日に吹いたのでしょう。
また,1964年3月1日付朝日新聞の「あなたも予報官 新聞天気図の見方・第二部」という解説コラムに「「春一番」は,一月中のこともあるが……」とあります。
この時代には出遅れ春一番や春〇・五番といった珍語まで登場しました。青森で春一番が吹いたこともあります。
最早・最晩・平年日
春一番は立春から春分の間と決まっているため,当分の間,理論上の最早は2月4日,最晩は3月21日になります。しかし,東京では運よく立春や春分に吹いたことはまだありません。最早は上に述べたように2月5日(1988年),最晩は1972年3月20日となっています。
この最晩春一番をもたらした低気圧によって,富士山では死亡・不明24人という史上最大(当時。その後これを超える事故があったかどうかは興味がないので知りません)のパンパカ遭難事故,また九州西方の男女群島付近で漁船が座礁し,死亡・不明13人という海難事故が発生しました。
春一番は,発達しながら通過する低気圧による現象であるため,このように常に災害や事故の危険と隣り合わせです。また,発達する低気圧の背後には強い寒気が控えていることが多く,低気圧が日本の東の海上に抜けたあとは西高東低の冬型の気圧配置になり,強い寒気がはいってきて真冬に逆戻りすることも少なくありません。次に紹介する1978年の春一番が典型的な例です。
なお,平年日については,根拠も意味も不明確であるとして1995年以来気象庁では発表していません。それを承知の上で単純に1989-2004年の16年間の平均をとると,2月27日前後になります(関東地方の場合)。
東西線横転事故
1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのも何かしっくりきませんが,それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。
これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2?2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。
この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。
初出
今のような形で“春一番”が使われるようになったのは,1950年代以降のようです。しかしあちこち調べても初出はよくわかりません。
『’56~’65天気図10年集成』(1966年発行)収録の天気図日記の1956年2月7日の解説文に
“春一番”!低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年にはいっての最高温を示した。いわゆる“春一番”である!
とあり,これが初出だとする説がありますが,この天気図日記をもともと掲載していた「天文と気象」1956年5月号の天気図日記の同じ日の解説文は
低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年に入っての最高を示した。きのう東シナ海に発生した低気圧は発達しなかった。
となっており,“春一番”は使われていません。のちに書き換えられたのでしょう。
ちなみに,『’56~’65天気図10年集成』では1956年3月に“春二番”も見られるのですが,「天文と気象」にはありません。
新聞の初出は,1997年2月21日付朝日夕刊によると,1962年2月11日付朝日新聞夕刊の天気の解説欄の次の文だそうです。
発達した日本海低気圧に向って強い南風がどっと吹き込んだ。これが今年の春風一号,これを地方の漁師たちは春一番と呼ぶ。
しかし,同じ日付の読売新聞夕刊にも春一番が使われています。
公的な文書では,1964年3月の「気象要覧」が初出だそうで,実際に見てみると,いきなり「春一番」という中見出しがあります。
ちなみに,「気象要覧」では春三番が使われたこともありますが,春二番は少なくとも私は見たことがありません。
春一番の都市伝説
春一番の起源として,安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した隠岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,全員が帰らぬ人となった惨事があり,これ以来年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には春一番の塔がつくられ,さらには,壱岐市のホームページ壱岐市観光案内:歴史・文化:春一番の塔(=リンク切れ)には
この言葉の発祥の地は壱岐である。
などと書かれていたりします。
これは都市伝説(離島伝説?!)のひとつで,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。これ以前に“春一番”を使った文献が存在するからです。一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに
夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る
とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。
※2015/02/05(Thu) 一部修正