木枯らし1号
その年の秋から冬にかけてはじめて吹く北風を木枯らし1号とよぶことがあります。
“木枯らし1号”を公式に発表しているのは東京(関東)と大阪(近畿)だけですが,基準が微妙に違います。
冬型の気圧配置のときにその年はじめて吹く風速8m/s以上の北~西北西の風
というのは共通なんですが,期間は関東では“10月半ばから11月末まで”,近畿では“おおむね二十四節気の霜降から冬至まで”となっています。今日は10月18日ですから,関東の基準では期間内ですが,近畿の基準では期間にはいっていません。ここ2,3日のうちに大阪でこのような風が吹いたとしても“フライング”となり,“木枯らし1号”にはなりません。
気象庁天気相談所によると,東京の“木枯らし1号”の最早は10月13日(1988年),2番目は10月17日(1957年),3番目は10月18日で1986年と2000年に観測されています。最晩は11月28日(1969年と1981年)です。
“木枯らし1号”の平年日は現在は発表されていません。要するに賞味期限のある現象で発現しない年もあるし,平年日に科学的な根拠がないから,ということらしいです。春一番と同様です。
ただ,科学的な根拠云々を別にして平均をとると,だいたい二十四節気の立冬前後,11月7日前後になるようです。
1号があれば当然2号,3号,……もあると考えるのがふつうの感覚でしょう1。ところが,木枯らしに関するかぎり2号,3号,……は聞いたことがありません2。かなり不自然です。“木枯らし1号”なんてそもそもからしてセンスのかけらもないネーミングですよねえ。
“木枯らし1号”がいつごろから使われたのかわかりませんが,新聞記事の見出しとしての初登場は,当方調べでは1975年11月11日付朝日新聞夕刊です。ただ,1973年11月2日付朝日新聞夕刊掲載の倉嶋厚さんのコラム「お天気衛星」のタイトルが“木枯らし1号”なので,このころにはすでにぼちぼち使われていたのでしょう。
『天気図集成』を調べると,「天気図日記」では意外に早く,1956年10月20日に登場しているように見えます。
木枯らし1号
きのうバイカル湖の東にあった高気圧が南下して本州は快晴になったが,東日本では木枯し第一号が吹いて気温が急降し関東の山々に初雪がふった.
ところが,当時「天気図日記」を掲載していた今はなき月刊誌「天文と気象」を見ると,見出しの“木枯らし1号”はありません。見出しは『天気図集成』に収録するときにつけられたもののようです。
今では死語となっている木枯らし第1号の登場はもっと早いです。
1955年10月9日付朝日新聞に次のようにあります。
……この寒さは全国的なもので,八日は九州で三,四度,北海道で五度,中部山岳地帯で五度,中国近畿地方では六,七度も平年より低かった。西高東低という冬型の気圧配置だそうで,七日晩から全国各地に吹き出した北風は冷たい季節風のはしり。つまりは〝木枯らし第一号〟だったわけで,この吹きはじめも平年より一月近く早いと中央気象台ではいっている。
同じ日の天気について,「天文と気象」の「10月の天気図」には8日の記事に次のようにあります。
北日本に低気圧が発達,大陸高気圧が押し出してきて冬の季節風型があらわれはじめた. 武蔵野にも〝木枯し〟第1号がふき初めたが,これは平年より1ヶ月も早い. 各地に初霜,初雪しきり.
ただし10月8日は現在の基準では“フライング”であるため,“木枯らし1号”とは認定されていません。この年の“木枯らし1号”の発現日は10月30日となっています。
木枯らし2号?!
「天気図日記」で木枯らし2号が使われた例が当方調べでひとつだけあります。1966年10月29日の日記:
西日本に木枯らし
きょうは関東にも木枯らし2号が吹くとみられたが,強い北風は西日本のみでおわった. Hが南下してはりだしたためだが,土星のリング消失の観測に表日本は絶好の晴夜.
これは月刊「気象」,『天気図集成』に共通です。
記録によるとこの年の“木枯らし1号”の発現日は11月15日でまだ吹いておらず,意味不明です。“1号”の誤植なのでしょうかねえ。