伝説の雪の早明戦

1987年12月6日,低気圧が発達しながら鳥島付近を通過,この低気圧に向かって北東から冷たい空気がはいってきました。このため,東京は最低気温0.9℃と冷え込み,前夜からの雨が06時から雪に変わりました。

これがこのシーズンの初雪で,戦後では1962年に次いで2番目に早い初雪です(当時)。そして,09時には積雪2cmを記録しました。東京以外の積雪は,八王子2cm,宇都宮4cm,軽井沢25cm,日光23cm,秩父7cmなどとなっています。

この雪の影響で,奥多摩有料道路が09時から全面通行止めになったほか,東北,関越,常磐などの自動車道路でも一時チェーン規制や速度制限が行なわれました。

東京で雪が降ればおきまりの相次ぐおむすびコロリンスッテンコロリン。東京消防庁の調べでは,この日だけで28人が重軽傷を負いました。σ(^^;)は,大のおとながこれしきの雪で滑って転ぶのがいまだに信じられないのですが。

神宮外苑では,ほどよい感じで雪が降り,「思わぬ都心の雪景色に若者たちはちょっぴり“ロマンチック気分”」(毎日新聞)

初雪のデートといえば,サンさまだかヨンさまだかゴさまだかロクさまだか知りませんが,そんな名前のマッチョ男優(書いてから気づいたのですが,“男優”はアレもののビデオ以外ではあまり使わないような気も(^^;))のあのドラマの有名なシーンらしいです。あちらには“初雪のときに好きな人と一緒にいると結ばれる”というような迷信があるそうで,あのシーンにはこの迷信が背景にあるのでしょう。最近では初雪の日にはケータイの回線がパンクする――という話も聞いたことがあります。

ついでに大晦日,チュンサンとかいう高校生が交通事故で死んだことになっていますが(ちょっと違うかも),これは大晦日というのがポイントです。大晦日は年の境界なので時空の裂け目が現われるという古くからの民族的な信仰があり(あの国にもあるのかどうかは知りませんが),のちの展開が暗示されているような気がします。それにしてもあの国の高校では元旦に学校に行くことになっているのでしょうか。

なお,σ(^^;)はキムチが大っ嫌いなので,あの国のキムチの悪臭漂うドラマは見ません。ついでにひとこと,キムチ食ったら電車に乗るな!!あんな臭いものが人の食いもんとは思えんが。

ところで,明日は12月の第1日曜日。12月の第1日曜日といえば,ラグビー早明戦です。

今では12月の第1日曜と決まっているようですが,以前は12月の第1日曜以外に行なわれたこともあり,例えば1957年と1973年などは12月の第2日曜に行なわれています。

1987年12月6日は12月の第1日曜でした。国立競技場は一面の雪――。しかし,何があろうと中止にならないタテマエのラグビー,中止にしてはなるまじと約200人が雪かきに動員され,なんとかキックオフができる状態にこぎつけました。ビデオで見ると,それでもグラウンドのあちこちに雪が残っています。

コンディションがコンディションだけにミスも多く,好試合だったとは必ずしもいえませんが,歴史に残る名勝負だったことは確かです。とくに最後の10分などはいまビデオで見ても力がはいります。

試合は,先制した早稲田が一時は逆転されたものの今泉の2つのペナルティーゴールで再逆転,最後の明治の重量フォワードの猛攻を必死のディフェンスで凌ぎ,10-7で逃げ切りました。

早稲田はこのシーズン,大学選手権も制し,さらには日本選手権で東芝府中も破り,学生としては(おそらく)最後の日本チャンピオンになりました。ちなみに,このときのNo.8が清宮・早稲田大前監督です。

なお,ラグビーが何があろうと中止にならないというのは,あくまでタテマエです。それが証拠に,1996年2月18日には雪のために日本選手権の決勝が順延,1998年1月には同じく雪のために日本選手権の1回戦が順延になっています。また,1989年1月にはおよそ説得力があるとは思えない理由で全国高校大会の決勝は中止,大学選手権の決勝は順延になりました。

〜能天気Express 2006/12/02〜

シベリア高気圧

今日は,冬の天気図の華?!のひとつ,シベリア高気圧の知られざる素顔(?)に迫ります。

シベリア高気圧の素顔

シベリア高気圧とは,『気象科学事典』によると

寒候期にモンゴル北部からシベリア付近で発達する冷たい高気圧。

です。シベリアといってもいささか広うござんすが,中心はバイカル湖付近に現われることが多いです。シベリア高気圧から北東に気圧の尾根が延びて東シベリアに高気圧が現われることがありますが,この東シベリアの高気圧をシベリア高気圧とはふつうよびません。

シベリア高気圧の中心気圧は,1040~1050hPa台は当たり前,1060hPaを超えることも珍しくありません。かつては1080mbを超えたこともあります。最高記録はσ(^^;)が調べた限りでは1947年12月17日の1085mbです。(※hPaとmbを混用していますが,妥協の産物です)

最近は,残念ながら(?!)1060hPa台がせいぜいです。これは天気図の解析法の変化や気候変動などの原因が考えられますが,おそらく前者の影響のほうが大きいでしょう。

シベリア高気圧は冬の天気図の華?!のひとつ……といいながらも,テレビの気象情報番組や新聞に掲載されている天気図は範囲が狭いので,残念ながら北西の隅に一部が顔をのぞかせるだけです。しかし実際にはかなり広大な高気圧で,最盛期にははるかヨーロッパ東部にまで張り出し,ユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置くといっても過言ではありません。

とはいっても,一般に高気圧は相対的に,中心の東側では冷たく,西側では暖かくなっているので,ヨーロッパ東部にまで張り出した場合でも,シベリア高気圧がその方面に直接寒気をもたらすわけではありません。

シベリア高気圧の成因

冬季,海陸分布による熱的作用とチベット高原による力学的作用で,東経90°付近の上空(5000m付近)に超長波のリッジ(気圧の尾根)が形成されます。これに対するトラフ(気圧の谷)が大陸東岸から東海上に形成され,リッジからトラフにかけては北からの寒気がはいりやすい場になります。ちなみに,このトラフがどこに形成されるかによって,日本列島への寒気にはいりかたが違ってきます。

一方,シベリア付近の地表では,太陽の南中高度が低くなるために日射が弱くなり,また日照時間も短くなるので,温度が下がります。すると地面に接している空気の気温も下がります。空気は気温が下がると重くなる(密度が大きくなる)ので,下から溜まっていきます。空気が重いので,地表付近の気圧(正確には海面の高度に換算した気圧)は高くなります。

重い空気がある程度蓄積するとまわりに吹き出すはずで,上に述べた場の作用も手伝って南下するのですが,シベリアの南にはチベット高原があってスムーズに流れず,寒気が蓄積されていきます。このようにして形成されるのがシベリア高気圧です。

バイカル湖とシベリア高気圧

σ(^^;)はなぜかバイカル湖が好きで,バイカル湖が描かれていない天気図なんて天気図ではない,と思っていたものです。今のASASに相当する天気図をはじめて見たときはいたく感激しました。

一般に使われている天気図では,共同通信社から各新聞社に配信されている「共同天気図」にはバイカル湖があるのに対し,雑誌「気象」(すでに廃刊)に載っていた天気図にはバイカル湖がありませんでした。どちらも同じところで原版を作成していたはずですが,この違いは……?

現在,気象庁のHPに上げられている天気図には,バイカル湖が3分の2程度描かれています。

テレビの気象情報番組の天気図はさらに範囲が狭いので,バイカル湖が描かれているものを見たことがありません。

さて,上にバイカル湖付近に中心が現われることが多いと書いたシベリア高気圧ですが,実はバイカル湖を中心にすることはほとんどありません。それはバイカル湖がまわりよりも相対的に暖かく,したがってその付近の気圧がまわりよりも低くなっているからです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

シベリア高気圧

今日は,冬の天気図の華?!のひとつ,シベリア高気圧の知られざる素顔(?)に迫ります。

シベリア高気圧の素顔

シベリア高気圧とは,『気象科学事典』によると

寒候期にモンゴル北部からシベリア付近で発達する冷たい高気圧。

です。シベリアといってもいささか広うござんすが,中心はバイカル湖付近に現われることが多いです。シベリア高気圧から北東に気圧の尾根が延びて東シベリアに高気圧が現われることがありますが,この東シベリアの高気圧をシベリア高気圧とはふつうよびません。

シベリア高気圧の中心気圧は,1040〜1050hPa台は当たり前,1060hPaを超えることも珍しくありません。かつては1080mbを超えたこともあります。最高記録はσ(^^;)が調べた限りでは1947年12月17日の1085mbです。(※hPaとmbを混用していますが,妥協の産物です)

最近は,残念ながら(?!)1060hPa台がせいぜいです。これは天気図の解析法の変化や気候変動などの原因が考えられますが,おそらく前者の影響のほうが大きいでしょう。

シベリア高気圧は冬の天気図の華?!のひとつ……といいながらも,テレビの気象情報番組や新聞に掲載されている天気図は範囲が狭いので,残念ながら北西の隅に一部が顔をのぞかせるだけです。しかし実際にはかなり広大な高気圧で,最盛期にははるかヨーロッパ東部にまで張り出し,ユーラシア大陸のほとんどを勢力下に置くといっても過言ではありません。

とはいっても,一般に高気圧は相対的に,中心の東側では冷たく,西側では暖かくなっているので,ヨーロッパ東部にまで張り出した場合でも,シベリア高気圧がその方面に直接寒気をもたらすわけではありません。

シベリア高気圧の成因

冬季,海陸分布による熱的作用とチベット高原による力学的作用で,東経90°付近の上空(5000m付近)に超長波のリッジ(気圧の尾根)が形成されます。これに対するトラフ(気圧の谷)が大陸東岸から東海上に形成され,リッジからトラフにかけては北からの寒気がはいりやすい場になります。ちなみに,このトラフがどこに形成されるかによって,日本列島への寒気にはいりかたが違ってきます。

一方,シベリア付近の地表では,太陽の南中高度が低くなるために日射が弱くなり,また日照時間も短くなるので,温度が下がります。すると地面に接している空気の気温も下がります。空気は気温が下がると重くなる(密度が大きくなる)ので,下から溜まっていきます。空気が重いので,地表付近の気圧(正確には海面の高度に換算した気圧)は高くなります。

重い空気がある程度蓄積するとまわりに吹き出すはずで,上に述べた場の作用も手伝って南下するのですが,シベリアの南にはチベット高原があってスムーズに流れず,寒気が蓄積されていきます。このようにして形成されるのがシベリア高気圧です。

バイカル湖とシベリア高気圧

σ(^^;)はなぜかバイカル湖が好きで,バイカル湖が描かれていない天気図なんて天気図ではない,と思っていたものです。今のASASに相当する天気図をはじめて見たときはいたく感激しました。

一般に使われている天気図では,共同通信社から各新聞社に配信されている「共同天気図」にはバイカル湖があるのに対し,雑誌「気象」(すでに廃刊)に載っていた天気図にはバイカル湖がありませんでした。どちらも同じところで原版を作成していたはずですが,この違いは……?

現在,気象庁のHPに上げられている天気図には,バイカル湖が3分の2程度描かれています。

テレビの気象情報番組の天気図はさらに範囲が狭いので,バイカル湖が描かれているものを見たことがありません。

さて,上にバイカル湖付近に中心が現われることが多いと書いたシベリア高気圧ですが,実はバイカル湖を中心にすることはほとんどありません。それはバイカル湖がまわりよりも相対的に暖かく,したがってその付近の気圧がまわりよりも低くなっているからです。

〜(M)2005/12/06〜

西高東低

これからの季節,“西高東低”あるいは“西高東低型”ということばを耳にすることが多くなってきます。

“西高東低”はもちろん,気圧配置を表わす気象用語です。『気象科学事典』には“西高東低型”として次のように書いてあります。

日本付近に現れる気圧配置型の1つ。図(略=引用者)のように,大陸に高気圧,東海上に低気圧があり,等圧線が南北に走る気圧配置。冬の代表的な気圧配置であり,冬型ともよばれる。(以下略)

典型的な西高東低では,西には1050hPa以上のシベリア高気圧があり,日本の東海上には発達しながら進む低気圧があります。この低気圧はふつう,低気圧の墓場とよばれるベーリング海やアリューシャン近海まで進んでいきます。

いろいろなところに顔を出す“西高東低”

もともと冬型の気圧配置を表わす“西高東低”は,今ではいろいろなところで使われています。

まず思い浮かぶのは競馬です。関東より関西のほうが強い馬が多いという傾向が,1988年ごろからずうっと続いています。統計の取りかたによって,この傾向が弱まってきたとか,いやむしろ強まっているとかいった話がときどき出てきますが,基本的には西高東低が続いているといっていいでしょう。

次に,気圧配置と競馬以外の“西高東低”について,新聞の見出しで見てみましょう。

  • のぼる もぐる 西高東低の新宿(1970年7月2日朝日朝刊)……新宿周辺の西の高層ビル街,東の地下街の開発についての記事です。
  • 競輪・馬・ボート ファンの収支は“西高東低”(1979年1月23日朝日朝刊)……全国モーターボート競走会連合会のアンケートの結果の記事で,大阪に比べて東京のファンは約10万円も赤字が多いという結果が出たそうです。また,ギャンブルをやる理由では,東京は気分転換,大阪は金が欲しいからがトップだったそうです。ただしあくまで四半世紀も前の話で,今はどうなのかわかりません。
  • きょう土用の丑 人気ウナギのぼり 食べる量西高東低(1990年7月23日朝日朝刊)
  • 初回視聴率は西高東低型? NHK「ぴあの」(1994年4月7日朝日夕刊)
  • OLの課長評価は「西高東低」(1997年6月20日朝日朝刊)
  • 西高東低,外国人の採用 地方自治体(1998年3月16日朝日夕刊)

東日本 vs 西日本,関東 vs 関西という構図で使われることが多いようですが,もっとローカルな,例えば東京23区の東部と西部,さらにローカルになって新宿東部と西部などというケースでも使われるようです。

ちなみに,西高東低の逆“東高西低”も新聞の見出しでは劣らず使われています。しかし,お天気サイドでいえば,古い本には夏型の一種として載っていましたし,たまにあらわれる変形の気圧配置として“東高西低型”が現在も使われることもありますが,西高東低に比べるとかなりマイナーです。

なぜか辞書には載っていない西高東低

このように多くの場面で使われている“西高東低”ですが,国語辞典系の辞書を見てみると,意外なことに「広辞苑」,「大辞林」には“西高東低型”は載っていますが“西高東低”は載っていません。手元の辞書で“西高東低”が載っているのは「新明解国語辞典」だけです。

しかもすべて気圧配置に関する意味しか載っておらず,いろいろな場面で使われている西高東低についてはひとことも触れていません。これはどうしたことなのか理解に苦しみます。

津軽竜飛岬風の殺意(おまけ)

西高東低の話題で,サブタイトル「吹き荒れる西高東低の気圧配置はかなしい女の季節風」のこのドラマを無視するわけにはいきません。詳しくは津軽竜飛岬風の殺意 – 能天気Express(Hatena版)をご覧下さい。

西高東低はいつから使われはじめたか?

きちんと調べたわけではありませんが,σ(^^;)が見た文献の中で最も古いのは1931年1月の「気象要覧」です。次のようにあります。

氣壓の配置は西高東低の形式を現し全く冬季の状態となつた,……

新聞では1933年1月31日付の読売新聞で,次のようにあります。

モノ知り博士 西高東低

この頃ラヂオや新聞の天氣豫報を見るとよく「いよゝいよゝ氣壓は西高東低の標準型となりましたから寒さは一段ときびしく表日本は天氣は當分續く見込みです云々」とでてゐる

西高東低とは何のことであらうか,これは氣壓がシベリア,滿洲に高く北太平洋方面に低いことの意味で,毎年冬になると大陸方面が著しく冷えて此形になる,之は冬の常態)とも云ふべきものでこの形になると北の猛烈に寒冷な風が日本方面に吹いて來る……

きちんと調べれば,おそらくこれより古い用例が見つかるでしょう。

そういえば,1901年12月の「気象要覧」に次のようにあります。

本月ノ氣象ハ全ク冬季ノ状態ヲ呈シ氣流頗ル沈靜シ氣壓ハ概ネ西高北低ノ配置ヲ保持シ北西風卓越シテ寒氣甚シク……

かつては“西高北低”が冬型の気圧配置だったのでしょうか。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

西高東低

これからの季節,“西高東低”あるいは“西高東低型”ということばを耳にすることが多くなってきます。

“西高東低”はもちろん,気圧配置を表わす気象用語です。『気象科学事典』には“西高東低型”として次のように書いてあります。

日本付近に現れる気圧配置型の1つ。図(略=引用者)のように,大陸に高気圧,東海上に低気圧があり,等圧線が南北に走る気圧配置。冬の代表的な気圧配置であり,冬型ともよばれる。(以下略)

典型的な西高東低では,西には1050hPa以上のシベリア高気圧があり,日本の東海上には発達しながら進む低気圧があります。この低気圧はふつう,低気圧の墓場とよばれるベーリング海やアリューシャン近海まで進んでいきます。

いろいろなところに顔を出す“西高東低”

もともと冬型の気圧配置を表わす“西高東低”は,今ではいろいろなところで使われています。

まず思い浮かぶのは競馬です。関東より関西のほうが強い馬が多いという傾向が,1988年ごろからずうっと続いています。統計の取りかたによって,この傾向が弱まってきたとか,いやむしろ強まっているとかいった話がときどき出てきますが,基本的には西高東低が続いているといっていいでしょう。

次に,気圧配置と競馬以外の“西高東低”について,新聞の見出しで見てみましょう。

  • のぼる もぐる 西高東低の新宿(1970年7月2日朝日朝刊)……新宿周辺の西の高層ビル街,東の地下街の開発についての記事です。
  • 競輪・馬・ボート ファンの収支は“西高東低”(1979年1月23日朝日朝刊)……全国モーターボート競走会連合会のアンケートの結果の記事で,大阪に比べて東京のファンは約10万円も赤字が多いという結果が出たそうです。また,ギャンブルをやる理由では,東京は気分転換,大阪は金が欲しいからがトップだったそうです。ただしあくまで四半世紀も前の話で,今はどうなのかわかりません。
  • きょう土用の丑 人気ウナギのぼり 食べる量西高東低(1990年7月23日朝日朝刊)
  • 初回視聴率は西高東低型? NHK「ぴあの」(1994年4月7日朝日夕刊)
  • OLの課長評価は「西高東低」(1997年6月20日朝日朝刊)
  • 西高東低,外国人の採用 地方自治体(1998年3月16日朝日夕刊)

東日本 vs 西日本,関東 vs 関西という構図で使われることが多いようですが,もっとローカルな,例えば東京23区の東部と西部,さらにローカルになって新宿東部と西部などというケースでも使われるようです。

ちなみに,西高東低の逆“東高西低”も新聞の見出しでは劣らず使われています。しかし,お天気サイドでいえば,古い本には夏型の一種として載っていましたし,たまにあらわれる変形の気圧配置として“東高西低型”が現在も使われることもありますが,西高東低に比べるとかなりマイナーです。

なぜか辞書には載っていない西高東低

このように多くの場面で使われている“西高東低”ですが,国語辞典系の辞書を見てみると,意外なことに「広辞苑」,「大辞林」には“西高東低型”は載っていますが“西高東低”は載っていません。手元の辞書で“西高東低”が載っているのは「新明解国語辞典」だけです。

しかもすべて気圧配置に関する意味しか載っておらず,いろいろな場面で使われている西高東低についてはひとことも触れていません。これはどうしたことなのか理解に苦しみます。

津軽竜飛岬風の殺意(おまけ)

西高東低の話題で,サブタイトル「吹き荒れる西高東低の気圧配置はかなしい女の季節風」のこのドラマを無視するわけにはいきません。詳しくは津軽竜飛岬風の殺意 – 能天気Express(Hatena版)をご覧下さい。

西高東低はいつから使われはじめたか?

きちんと調べたわけではありませんが,σ(^^;)が見た文献の中で最も古いのは1931年1月の「気象要覧」です。次のようにあります。

氣壓の配置は西高東低の形式を現し全く冬季の状態となつた,……

新聞では1933年1月31日付の読売新聞で,次のようにあります。

モノ知り博士 西高東低

この頃ラヂオや新聞の天氣豫報を見るとよく「いよゝいよゝ氣壓は西高東低の標準型となりましたから寒さは一段ときびしく表日本は天氣は當分續く見込みです云々」とでてゐる
西高東低とは何のことであらうか,これは氣壓がシベリア,滿洲に高く北太平洋方面に低いことの意味で,毎年冬になると大陸方面が著しく冷えて此形になる,之は冬の常態)とも云ふべきものでこの形になると北の猛烈に寒冷な風が日本方面に吹いて來る……

きちんと調べれば,おそらくこれより古い用例が見つかるでしょう。

そういえば,1901年12月の「気象要覧」に次のようにあります。

本月ノ氣象ハ全ク冬季ノ状態ヲ呈シ氣流頗ル沈靜シ氣壓ハ概ネ西高北低ノ配置ヲ保持シ北西風卓越シテ寒氣甚シク……

かつては“西高北低”が冬型の気圧配置だったのでしょうか。

〜(N)2003.11.25〜

津軽竜飛岬風の殺意

冬になると思い出すドラマが「火曜サスペンス劇場」で放送された「津軽竜飛岬風の殺意」です。

火曜サスペンス劇場の作品からなんでもいいから印象の強い作品をひとつだけ選べといわれたら,たぶんこれを選ぶと思います。名作というわけではないんですが,かなり強い印象が残っている作品です。

サブタイトルは「吹き荒れる西高東低の気圧配置はかなしい女の季節風」。1991年2月12日に放送されました。

“凶器”は風です。竜飛岬に吹く局地的な突風(前線の通過か季節風の吹き出しに伴うもののようです)を場所も時刻もほとんど誤差なく予測して,その時刻に殺したい相手を竜飛岬におびき出し,転落死させるのです。もちろん自分は別な場所にいるので,アリバイは鉄ペキです。σ(^^;)の知る限り,気象現象を積極的に凶器に使う唯一のサスペンスドラマです。

ドラマ中に出てくる用語はかなりメチャクチャです。とくにクライマックスではほとんど意味不明になります。それでもNHKの朝ドラ「まんてん」よりはマシでしたが。

また,突風の予測のもとになる杉本圭吾氏の論文「竜飛岬における突風のメカニズム」の2ページ目はなんと,「天気図日記」だったりします。こんな論文σ(^^;)は見たことがありません(笑) しかも,使われている「天気図日記」は1988年10月のもので,これでは論文が書かれた時期についてつじつまが合わなくなります。というのは,この論文は14,5年前の学生時代に書かれたことになっているからです。1990年ごろの14,5年前なら1975年前後になるはずで,どう考えても1988年の天気図日記は使えません。

気象観測装置も,リアルタイムで衛星雲画像を映し出すコンピューターが登場しています。現在でも実用化されていないスバラシイ超最先端の技術です。

〜(M)2005/10/04〜

津軽にはホントに“七つの雪”が降るのか?

新沼謙治さんが歌った「津軽恋女」(1987年)の中に

♪津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪

という歌詞があります。

この“七つの雪”の出典が太宰治『津軽』であることはよく知られています。その『津軽』では,巻頭に「津軽の雪」としてこの“七つの雪”が並べて書いてあり(ただし順序は“こな雪,つぶ雪,わた雪,みづ雪,かた雪,ざらめ雪,こほり雪”),最後に「東奥年鑑より」とあります。

その『東奥年鑑』(1941年)を見てみると,「積雪ノ種類ノ名稱」として次のように説明されています(ほぼ原文のまま。ちなみに,国会図書館ではこの書物は破損防止のために複写禁止なので,人力複写です(笑))

こなゆき 濕氣の少い輕い雪で息を吹きかけると粒子が容易に飛散する
つぶゆき 粒状の雪(霰を含む)の積つたもの
わたゆき 根雪初頭及び最盛期の表層に最も普通に見られる綿状の積雪で餘り硬くないもの
みづゆき 水分の多い雪が積つたもの又は日射暖氣の爲積雪が水分を多く含む樣になつたもの
かたゆき 積雪が種々の原因の下に硬くなつたもので根雪最盛期以降下層に普通に見られるもの
ざらめゆき 雪粒子が再結晶を繰返し粒子が肉眼で認められる程度になつたもの
こほりゆき みづゆき,ざらめゆきが氷結して硬くなり氷に近い状態になつたもの

つまり“七つの雪”は降ってくる雪ではないのです。

『東奥年鑑』をよく見ると,続いて「降雪ノ種類ノ名稱」として次の4つが挙げられています。

こなゆき,つぶゆき,わたゆき,みづゆき

おわかりでしょう。ほんとうは津軽には四つの雪しか降らないのです(笑)

〜能天気Express 2006/11/29〜

隠岐で大旋風

1886年12月1日18時ごろ,隠岐近海で竜巻が発生しました。

折から出漁中の島後の漁民が巻き込まれ,100戸ばかりの大久村では29人が死亡,西郷町周辺の町村では6人が死亡,48人が行方不明になったもようです。

隠岐で大旋風

1886年12月1日18時ごろ,隠岐近海で竜巻が発生しました。

折から出漁中の島後の漁民が巻き込まれ,100戸ばかりの大久村では29人が死亡,西郷町周辺の町村では6人が死亡,48人が行方不明になったもようです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

ひそかにあらわれた史上最強台風?

1949年11月25日付の読売新聞より:

台風アリーンは廿四日あさ鳥島北方をかすめ北東洋上に抜けたため本土は暴風圏内からはずれたが台風の余波をうけた豪雨によつて電力事情は一息入れた??である,八丈島では台風の中心点になつたため廿四日午前七時ごろ最高風速四十三・七メートル,雨量三三二ミリ,気圧七四〇ミリバールの暴風雨となり・・・・

気圧七四〇ミリバールって……。

ちなみに,「気象要覧」によると24日09時の台風Eileenの中心気圧は965mbで,七四〇ミリバールには遠くおよびません。

ふつうに考えればmmHgの間違いだと思われますが,気圧の単位がmmHg(粍)からミリバールに変更になって4年近くもたっている時期だけに,詳細は不明です。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ