のちのセクハラアナの凶状

2000年9月14日,シドニー五輪サッカー1次リーグで日本は南アフリカに2-1で逆転勝ち。

それはいいのですが,この試合のテレビ実況で,のちにセクハラ事件を起こすことになる日本テレビのバカアナウンサー船越雅史が,「ゴール!」を28回連呼するという恥さらし。

このテレビ局には,盗撮アナ炭谷宗佑もいたりするわけで,まともなスポーツアナはいませんね。

ちなみに,このテレビ局は51年前に東京六大学早慶戦の放送をめぐってとんでもない事件を起こしています。

鈴鹿のいちばん暑い日

7月29日に第30回鈴鹿8時間耐久ロードレース(通称,8耐)の決勝レースが行なわれます。「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」といわれ,炎天下で行なわれるレースとして有名です。もちろん“暑い[熱い]”には気象条件以外の意味もあります。

次の表は,第1回から去年までの決勝レース当日の津地方気象台のデータ(最高気温,日中の天気概況。天気概況は1989年以降とそれ以前では表現が違います)と優勝ペアです。このような簡単なデータだけからでも,「鈴鹿のいちばん暑い[熱い]日」にウソがないことがわかります。

年月日 最高℃ 天気概況(日中) 優勝ペア
1 1978/07/30 31.7 クーリー/ボールドウィン
2 1979/07/29 32.0 ハットン/コール
3 1980/07/27 31.6 クーリー/クロスビー
4 1981/07/26 30.7 ボールドウィン/アルダナ
5 1982/08/01 24.3 大雨 飯島茂男/萩原紳治
6 1983/07/31 34.1 モアノー/ユービン
7 1984/07/29 30.8 晴一時雨 ボールドウィン/マーケル
8 1985/07/28 32.4 ガードナー/徳野政樹
9 1986/07/27 30.2 ガードナー/サロン
10 1987/07/26 35.1 ウイマー/マギー
11 1988/07/31 31.0 マギー/レイニー
12 1989/07/30 28.6 曇時々晴 サロン/ビエラ
13 1990/07/29 31.8 晴一時曇 平忠彦/ローソン
14 1991/07/28 29.5 曇一時雨,雷を伴う ガードナー/ドゥーハン
15 1992/07/26 35.9 晴後薄曇 ガードナー/ビーティー
16 1993/07/25 27.6 晴一時曇 ラッセル/スライト
17 1994/07/31 33.8 晴時々曇 ボーレン/スライト
18 1995/07/30 34.6 スライト/岡田忠之
19 1996/07/28 33.5 エドワーズ/芳賀紀行
20 1997/07/27 26.0 雨一時曇 伊藤真一宇川徹
21 1998/07/26 29.5 曇時々晴 伊藤真一宇川徹
22 1999/07/25 31.8 晴後時々雨,雷を伴う 岡田忠之/バロス
23 2000/07/30 32.6 晴一時雨 宇川徹加藤大治郎
24 2001/08/05 31.9 晴一時薄曇 ロッシ/エドワーズ
25 2002/08/04 33.8 曇一時雨 加藤大治郎/エドワーズ
26 2003/08/03 30.4 生見友希雄/鎌田学
27 2004/07/25 31.8 曇一時晴 宇川徹/井筒仁康
28 2005/07/31 29.8 曇一時雨,雷を伴う 清成龍一宇川徹
29 2006/07/30 34.1 辻村猛/伊藤真一

昼なお暗き鈴鹿サーキット

お天気サイドから見た8耐としてもっとも興味深い1982年の“6耐”については前々回詳しく(?)取り上げたので,ここでは1991年を取り上げます。

南西諸島付近に台風9号があり,西日本に停滞している前線に向かって湿った空気が流れ込むという状況で,予選が行なわれた土曜日から不安定な天気が続いていました。決勝当日も夜明け前ににわか雨が降り,スタート直前にも雨が降り出すという変わりやすい天気で,全車レインタイヤで水しぶきを上げながらスタートしました。

ちなみに,スタートから1時間30分も前なのであまり参考にはなりませんが,10時現在の鈴鹿サーキットの気象状況は天候くもり,気温26.2℃,湿度75%,気圧1004mb,路面温度31℃でした(BS1の生中継を録画してあるビデオより)。ついでに,津地方気象台発表の三重県北中部の天気予報は「東のち西の風 曇一時雨 所により雷を伴う」でした。

スタート直後に雨が止み,コースはほとんどドライまで回復しましたが,2時間経過したころから再び強い雨が雷を伴って降り出し,2時間半を経過したころには積乱雲におおわれて鈴鹿サーキットは真っ暗になり,真昼にもかかわらず“ライトオン”(ライトを点灯せよ)の指示が出ました。ライトオンは10分ほどで解除されたものの,その後も変わりやすい天気が続き,優勝争いに影響を与えました。

パワーに勝るホンダワークスのガードナー/ドゥーハン組でしたが,ルーチンストップにこだわったためかタイヤ選択がチグハグで,常にヤマハのマギー/チャンドラー組に追いかけられ追い越される展開でした。しかし,145周目に先頭のマギーが逆パンクで転倒し,大勢が決しました。

1982年の“6耐”と台風10号

1982年の8耐台風10号の接近と,それに伴う雨と風の影響で,大荒れのレースとなりました。

次の表は,津地方気象台の1時間ごとの観測データです。

気温℃ 降水量mm 風速m/s 風向
10 22.7 4 6 ESE
11 22.6 7 4 ENE
12 22.4 6 6 NE
13 22.0 13 5
14 21.6 9 6 NNE
15 21.7 17 6 NNE
16 22.2 11 7 NNE
17 22.0 15 6 NE
18 21.5 13 7
19 21.3 24 8 NNE
20 21.1 30 10 NNE

この表からもある程度わかるとおり,レースが進むにつれて風雨ともに激しさが増したため,レースは6時間に短縮されました。

この最悪のコンディションの中,まずトップに立ったのはなんと阿部/和歌山のヤマハのテストライダーペア。続いてトップを奪ったのは伊藤/吉村のホンダの社員コンビ。このようにコースを知りつくしているプライベートの日本人チームが上位を走行しているのに対し,上位を争うと見られていたワークスチームは,マシンのあり余るパワーを悪コンディションに封殺され,スピンやマシントラブルが続発。無理をしないということもあったのでしょうが,早々と姿を消しました。

結局,ホンダの社員チーム,ブルーヘルメットMSCの飯島/萩原組,伊藤/吉村組が1位,2位を占め,日本人ペア初の優勝となりました。

大荒れの8耐を演出した台風10号は,翌2日未明に渥美半島に上陸,中部,北陸を通過して日本海に抜けました。

この台風と梅雨前線により,紀伊半島から東海地方,関東地方の山間部を中心に大雨となりました。7月31日~8月3日の降水量は,奈良県の日出岳で1078mmを観測したのをはじめ,紀伊半島東部と静岡・山梨の山岳部で600mm超,関東地方の山間部でも400mmを超えたところがありました。

この大雨による被害は死亡・不明95,負傷174など。富士川にかかる東海道本線下り線の鉄橋が水量を増した濁流に流されました。

その後,台風に引きずられるような形で梅雨前線が北上し,2日,関東甲信地方に梅雨明けが発表されました。それまで梅雨明けがもっとも遅かった1971年の7月29日を4日更新したことになります。

この梅雨明けはのちに8月4日に修正され,今でも関東甲信地方の梅雨明けの最晩日になっています(梅雨明けを特定できなかった1993年を除く)。

さあ原田,因縁の2回目

今日はあの「立て立て立て,立ってくれぇ」の日(笑)

長野冬季五輪ジャンプ・ラージヒル(K=120),原田の2回目です。ご存知,工藤アナの名実況(括弧内は解説の八木さんの声)。

さあ原田,因縁の2回目…………91.5キロ……(よし来た!!)高いぞぉ……立て立て立て,立ってくれぇ……立ったぁ~…………ものすごいジャンプで来ました!!

自動計測不能の136mの大ジャンプでした。

 

箱根駅伝の距離

明日明後日,いよいよ箱根駅伝です。実はラジオ時代からのファンだったりします。競馬ファン歴とほぼ同じです(^^;)

今大会から各区間の距離がずいぶん変更になっていますが,再計測の結果で,コース自体は前回から変更はないそうです。1区と3区と8区はσ (^^;)が箱根駅伝を意識的にラジオで聞きはじめたころからずうっと21.3kmだったんですが,ついに変わってしまいました。時代の変化を感じます。

それにしても,各区間とも100~200m延びていますが,計測ごとにこんなに変わるものなのでしょうか。

ところで,箱根駅伝といえば何といっても山登りの5区。今でこそ山下りの6区と並んで最短区間になっていますが,かつては最長区間だったことがあります。例えば,1959年のときは25.1kmありました。ちなみにこのときの2区はたったの21.2kmでした。

2区は今では“花の2区”などとよばれていますが,かつては短い区間でした。1960年にはたったの20.5kmに変更されています。このとき5 区は24.7kmになりましたが,それでも最長区間でした。1961年に2区は23.7kmに変更されましたが,5区は24.7kmのままで依然として最長区間でした。

2区が最長区間になったのは1962年で,しかしこのときは5区も24.7kmのままでした。当時は5区と6区を箱根駅伝の華にしておきたいという意図がはたらいていたのかも知れません。

2区(と9区)が単独で最長区間になったのは1966年に5区が23.7kmに短縮されてからです。ちなみにこの年,2区で順天堂大の沢木啓祐が区間新を出しています。

薄暮ばやりで

昨日から函館競馬で「はくぼレース」がはじまりました。しかし,はくぼといいながら,最終レースの発走時刻は17時10分です。昨日の函館の日の入りの時刻は19時09分ごろなので,今の季節,はくぼというのはかなり無理があります。

また,川口オートレースではG1「キューポラ杯」が川口オートレース場初の薄暮レースとして行なわれています。こちらの最終レース(=メインレース)の発走は18時10分,川口市付近の昨日の日の入りが18時57分ですから,薄暮というには少し早すぎる気もしますが,「函館はくぼ」よりはマシでしょう。

JRAも川口オートレース場もホントのところはナイターで開催したいのでしょうが,JRAは規則(農林水産省令?)で今のところ日中しか開催できないそうですし,川口オートレース場は市街地にあるために騒音の関係で夜間開催はできないそうです(ただし,たたら祭りのときに模擬レースがナイターで行なわれます)。

σ(^^;)の知る範囲では,薄暮レースという名前が最初に使われたのは2001年8月の福山競馬です。その後,去年は金沢競馬で実施され,今年はばんえいでも行なわれます。

ちなみに,大井競馬場ではプチトゥインクルという名前で事実上の薄暮レースが行なわれることがあります。