1982年の“6耐”と台風10号

1982年の8耐台風10号の接近と,それに伴う雨と風の影響で,大荒れのレースとなりました。

次の表は,津地方気象台の1時間ごとの観測データです。

気温℃ 降水量mm 風速m/s 風向
10 22.7 4 6 ESE
11 22.6 7 4 ENE
12 22.4 6 6 NE
13 22.0 13 5
14 21.6 9 6 NNE
15 21.7 17 6 NNE
16 22.2 11 7 NNE
17 22.0 15 6 NE
18 21.5 13 7
19 21.3 24 8 NNE
20 21.1 30 10 NNE

この表からもある程度わかるとおり,レースが進むにつれて風雨ともに激しさが増したため,レースは6時間に短縮されました。

この最悪のコンディションの中,まずトップに立ったのはなんと阿部/和歌山のヤマハのテストライダーペア。続いてトップを奪ったのは伊藤/吉村のホンダの社員コンビ。このようにコースを知りつくしているプライベートの日本人チームが上位を走行しているのに対し,上位を争うと見られていたワークスチームは,マシンのあり余るパワーを悪コンディションに封殺され,スピンやマシントラブルが続発。無理をしないということもあったのでしょうが,早々と姿を消しました。

結局,ホンダの社員チーム,ブルーヘルメットMSCの飯島/萩原組,伊藤/吉村組が1位,2位を占め,日本人ペア初の優勝となりました。

大荒れの8耐を演出した台風10号は,翌2日未明に渥美半島に上陸,中部,北陸を通過して日本海に抜けました。

この台風と梅雨前線により,紀伊半島から東海地方,関東地方の山間部を中心に大雨となりました。7月31日~8月3日の降水量は,奈良県の日出岳で1078mmを観測したのをはじめ,紀伊半島東部と静岡・山梨の山岳部で600mm超,関東地方の山間部でも400mmを超えたところがありました。

この大雨による被害は死亡・不明95,負傷174など。富士川にかかる東海道本線下り線の鉄橋が水量を増した濁流に流されました。

その後,台風に引きずられるような形で梅雨前線が北上し,2日,関東甲信地方に梅雨明けが発表されました。それまで梅雨明けがもっとも遅かった1971年の7月29日を4日更新したことになります。

この梅雨明けはのちに8月4日に修正され,今でも関東甲信地方の梅雨明けの最晩日になっています(梅雨明けを特定できなかった1993年を除く)。