史上初,台風が秋田県に上陸 (2010年)

2010年8月12日17時ごろ,台風4号が秋田市付近に上陸しました。

平成22年 台風第4号に関する情報 第89号
平成22年8月12日17時16分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第4号の中心は、12日17時頃、秋田市付近に上陸しました。

(本文)
なし。 

台風の上陸自体はとくに珍しくもないですが,これは台風の秋田県への初上陸でした(1951年以降)。

ちなみに,このあと9号も福井県への初上陸を果たすことになります。

《参考》
デジタル台風:台風上陸・通過データベース(完全版)

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たたりじゃあ~っ!? (930年)

たたりじゃあ~っ!!

延長八年六月二十六日(ユリウス暦で930年7月24日)のこと,清涼殿の未申の柱の上に落ちた雷は“神火”を発し,大納言藤原清貫の着物に燃え移って焼死させ,また柱の下に倒れた右中弁平希世も死亡しました。醍醐天皇はショックで寝ついてしまい,7日後に没しました。

これは史上もっとも有名な落雷のひとつです。よく知られているように,この災異は失意のうちにこの世を去った菅原道真のたたりと怖れられました(死んでからずいぶん経っているような気がしますけれど……)。もっとも,より正確にいえば道真が直接手を下したわけではなく,道真=天満大自在天神の十六万八千いる眷属の中の第三の使者,火雷火気毒王の仕業ということになっています。

ちなみに,天元元年七月二十四日,あの安倍晴明の館も道真のピンポイント爆撃から逃れられませんでした。この衝撃の事実?!は,巷の安倍晴明本には書かれていないようです。残念ながら安倍晴明による雷神に対する報復があったかどうかはわかりませんが,おそらくやられっぱなしだったのでしょう。もし報復があったのなら,その物語が伝わっているはずですから。ちなみに,『百練抄』という文献では二十三日に雷撃を受けたことになっています。

寺院への落雷

記録が残りやすいこともあるかもしれませんが,寺院は落雷の記録の多いところです。

『日本書紀』によると,天智天皇九年四月三十日(ユリウス暦で670年5月24日)に法隆寺が落雷によって全焼したことになっています。

この落雷では雷が法隆寺のどこに落ちたかは記録にありませんが,お寺にある高い塔は雷の格好の標的です。

今も古都の玄関の象徴としてそびえる高さ55mの東寺(教王護国寺)の五重塔もたびたび落雷に遭っています。『日本の気象史料』にあるだけでも,886年,1055年,1270年,1337年,1389年,1436年,1439年,1563年の7回あります(見落としがあるかも)。

現存しない塔では,応永六年(1399年)に完成した高さが109mあったといわれる相国寺七重大塔は,あまりの高さのために雷神の怒りをかったのか,落雷で(戦火もあったかもしれません)短命に終わった塔です。

応永十年六月三日(ユリウス暦1403年6月22日)に落雷によって焼失,再建中の応永二十三年一月九日(ユリウス暦1416年2月7日)にも落雷で焼失,そして文明二年十月三日(ユリウス暦1470年10月26日)にみたび落雷により焼失し,以後再建されることはありませんでした。ちなみに,最後の焼失については猿による放火という目撃談?!もあるようです。

大坂城

落雷に見舞われたお城としては大坂城が代表的でしょう。

万治三年六月十八日(グレゴリオ暦1660年7月25日),城内の武器庫に落雷して爆発が起こり,死者・行方不明100人あまり,城と町屋1500軒が損壊するという惨事が起こりました。このとき天守閣も傾きました。

5年後の寛文五年一月二日(グレゴリオ暦1665年2月16日),今度は天守閣に落雷して焼失,以後1931年まで266年間,再建されませんでした。

大蔵省炎上,たたり再び!?

時代は下って「♪あゝ 一億の民は泣く」と歌われた紀元二千六百年の1940年6月20日,大手町の逓信省航空局に落雷して炎上,火はみるみる広がり,大蔵省などが全焼しました。

この年は奇しくも平将門の没後1000年にあたっており,雷が落ちたのはなんと将門公の首塚のすぐ近くでした。もともと大蔵省はこの首塚を取り壊そうとした経緯があるので,将門公のたたり再燃と噂されました。ちなみに,平将門は菅原道真の生まれ変わりという説もあるそうで,そうだとするとたたりの手段に雷を使うというのも説明はつきます。

詳しくは,大蔵省炎上(1940年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

ちなみに,2003年9月3日,国会議事堂に落雷がありましたが,残念ながら閉会中でした

《おもな参考文献》
[1]中央気象台と海洋気象台, 日本の気象史料. 原書房, 1976.

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※この記事は,たたりじゃあ~っ!! | Notenki Express 2014を少しだけ書きなおしたものです。

サツキとメイ,トトロに会う (1952年?)

1952年6月23日,雨の中,サツキメイがバス停でトトロに会いました。

6月23日というのは小学校の黒板に書いてありますが,問題は1952年のほうです。1952年とするには矛盾もあるのです。

お母さんが入院している病室のカレンダーがたびたび映ることがあり,それによると8月1日が金曜日になっています。また,同じことですが,7月1日が火曜日になっています。8月1日が金曜日になるのは 1947年,1952年,1958年といったところなので,1952年とするのがもっとも妥当だと思います。1958年の可能性が消えるのは,当時のデータを見ると1958年6月23日に雨が降ったとは考えられないからです。ちなみに,1958年は典型的なカラ梅雨でした。

あと,1958年ごろに

松郷っ!!!

とビックリするカップルが乗っているようなオート三輪は走っていたんでしょうか?

さてさて,となりのトトロの世界が1952年だとすると(1958年でも同じですが),6月23日は月曜日になります。しかし,黒板には

6月23日(水)

とハッキリ書かれています(原文はタテ書き)。この矛盾は説明がつきません。

日直が間違えて書いたのだろう……ということで(カレンダーはウソつかない(笑)),スッキリはしないのですが,σ(^^;)は1952年ということにしています。1952年説を唱えているのはおそらくσ(^^;)ひとりでしょう。1958年と考えている人が多いようです。

ちなみに,他の解決策がないことはありません。7月23日の間違いとすることです。しかしかなり無理があります。1952年については残念ながらわからないのですが,1958年はあのあたりの小学校は7月20日から夏休みにはいっていますしねぇ……。

ところでこの日(1952年6月23日),ダイナ台風が紀伊半島に上陸しています。

Image from Gyazo

この影響もあって東京では39.8mmの雨が降りました。

そしてお父さんの帰りが遅くなったいいわけ。

電車が遅れてね,バスに間に合わなかったんだ。

もうおわかりでしょう。大雨の影響で電車が遅れたのです(ナットク(笑))

さらに,上の経路図を見ればわかるようにダイナ台風は東京のほぼ真上を通過していきましたが,その実体はトトロが乗ったねこバスだったのかも知れません(笑)

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※この記事は当ブログのサツキとメイ,トトロに会う | Notenki Express 2014を一部書き直したものです。

台風3号まだぁ?

これを書いている2019/06/13 10:50現在,気象庁の台風情報を見ても,

Image from Gyazo

となっています。

というわけで,過去の台風3号の発生状況を見てみましょう。

まずは1951年以降の台風3号を発生の遅い順に並べてみました。

1998/08/09 09時
1975/07/31 21時
2016/07/26 15時
2010/07/19 21時
1995/07/17 21時
1977/07/17 09時
1973/07/13 15時
1983/07/13 03時
1993/07/08 18時
2007/07/04 15時
2000/07/03 15時
2017/07/02 09時
1984/07/02 03時
2006/07/01 03時
2001/06/30 15時
1970/06/29 15時
1952/06/29 09時
1968/06/28 09時
1964/06/27 03時
1992/06/24 12時
1953/06/24 09時
1978/06/18 15時
1987/06/18 15時
2009/06/18 09時
2011/06/09 21時 ←イマココ!!
1963/06/08 21時
2013/06/08 21時
1988/06/05 09時
1994/06/05 03時
1960/06/04 09時

全68個中25番目なので,とくに遅いというわけではないでしょう。

次に,2号との発生間隔を長い順に並べてみました。

発生間隔    台風2号発生日時     台風3号発生日時
141.375  1992/02/04 03時  1992/06/24 12時
133.750  1985/01/07 15時  1985/05/21 09時
106.750  2013/02/22 03時  2013/06/08 21時 ←イマココ!!
 80.000  1957/01/22 09時  1957/04/12 09時
 77.000  2002/02/28 21時  2002/05/16 21時
 68.000  1987/04/11 15時  1987/06/18 15時
 60.500  1978/04/19 03時  1978/06/18 15時
 53.250  1961/03/25 09時  1961/05/17 15時
 47.500  2007/05/18 03時  2007/07/04 15時
 45.500  2009/05/03 21時  2009/06/18 09時
 45.250  2000/05/19 09時  2000/07/03 15時
 44.500  1995/06/03 09時  1995/07/17 21時
 43.000  1969/03/08 09時  1969/04/20 09時
 42.750  1974/03/17 21時  1974/04/29 15時
 42.000  2018/02/11 15時  2018/03/25 15時
 41.000  1959/03/04 15時  1959/04/14 15時
 39.500  2003/04/11 09時  2003/05/20 21時
 39.000  2005/03/15 09時  2005/04/23 09時
 35.250  1976/02/28 15時  1976/04/03 21時
 35.000  1999/04/28 15時  1999/06/02 15時

今年台風2号の発生は02/18 21時でしたから,すでに115日が経過しているわけで,堂々3位にランクイン,しかも継続中です。

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長州,奥羽越列藩同盟に敗れる

去年(2015年)の今日,次のような発表がありました。

梅雨の時期に関する東北地方気象情報 第3号
平成27年7月26日11時00分 仙台管区気象台発表

(見出し)
東北南部は梅雨明けしたと見られます。

次々と梅雨明けしたと見られます発表がある中,この時点ではまだ九州北部の発表がなく,ついには東北南部にも敗れることになりました。

ちなみにタイトルですが,長州=山口県はなぜか九州北部に含まれるので,こういうタイトルに成増の次は下赤塚。

なお,長州が奥羽越列藩同盟に敗れたのはこれが史上はじめてではありません。

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バレンタインデーと春一番

東京(というか,関東甲信地方)でバレンタインデーに春一番が吹いたことは,過去に1965年,2004年,2007年の3回あります。(気象庁天気相談所の資料による)

1965年

まず1965年から。

1965年2月14日の朝日新聞夕刊に「ポカポカと“春一番”」とあります。しかし,記事の中に“バレンタインデー”ということばはひとことも登場していません。

“バレンタイン”が新聞の見出しに初登場したのは,検索しやすい朝日新聞で見てみると,1963年2月15日の次の記事です。

「恵まれない子どもたちのために愛の募金を」――と十四日中央区銀座四丁目の三愛ドリームセンター前などに「愛の募金箱」が置かれ,町をいく人の足を止めた。

 この日はカトリックの聖人バレンタインの日で,一般に“愛の日”とされるのがならわし。その愛を気の毒な子どもたちへも,と同店の店員さんがタスキをかけて立ち,小さなスミレの造花を道行く人に配りながら募金を呼びかけた。当方スター藤山陽子さんらも応援にかけつけたが,募金に応じたのはやはり若い人たちが圧倒的に多かったという。

このように,当時はまだ「バレンタインの日」でした。“バレンタインデー”の初登場は,1973年まで下ります。

ちなみに,1965年のバレンタインの日,南からの暖かい風によって山中湖の氷上スケート場で氷にヒビがはいり,幅1km,長さ2kmの氷が200人を乗せたまま沖に流れ出るというハプニングが起こりました。

2004年

お次は2004年。

バレンタインデーもすっかり定着していたはずですが,バレンタインデーと春一番を絡めた記事は比較的少なく,σ(^^;)が集めた限りでは次の神奈川新聞くらい。

 関東では十四日、昨年より十八日早く春一番を観測。横浜では瞬間最大風速二十四・三メートルの強い南西風が吹いた。

 午後二時半に最高気温十五・四度を記録(横浜地方気象台調べ)、平年より五度高い陽気となった。山下公園では、風にコートをはためかせ散策する人でにぎわった。夕方になっても、多くの人がベンチに座り、眼前の豪華客船のまばゆいライトアップを楽しんでいた。
 同日はバレンタインデーとあって、薄暮に浮かぶ客船を前に彼女からチョコを贈られていた会社員男性(29)は「春ももうすぐですね」と話していた。

せっかく育んだ愛が風によって吹き飛ばされてしまわないように,くれぐれもお気をつけください。

もっとも,今回乗り切ったとしても,5月13日にはもっとこわいメイストームデーが待ちかまえています(笑) メイストームデーについて詳しくはメイストーム・デーとメイストーム | Notenki Express 2014をご覧ください。

2007年

2007年2月14日のasahi.comより:

 バレンタインデーの14日、関東地方で「春一番」が吹いた。気象庁天気相談所によると、昨年の3月6日よりも20日早かった。

 同相談所によると、日本海にある低気圧が発達しながら東北東に進み、関東地方では南部を中心に南よりの風が強まり、気温が高くなった。

 午後6時半までに、東京で秒速18.2メートル、千葉で同30.2メートル、横浜で同27.3メートルの最大瞬間風速をそれぞれ記録した。

 大阪管区気象台も14日、近畿地方に春一番が吹いたと発表した。昨年は観測せず、一昨年より9日早かった。

 和歌山市や潮岬などで最大瞬間風速が20メートルを超えた。南よりの風の影響で、大阪市の気温は午前11時までに17度を超え、4月上旬並みの暖かさになった。

ちなみにこのシーズン,東京ではバレンタインデーまでに初雪が観測されていませんでした。2007年2月13日の毎日新聞より:

低気圧:初雪ないまま「春一番」吹き荒れる?

 日本海で急速に発達する低気圧の影響で、14日は関東甲信・北陸から九州地方にかけて「春一番」が吹き荒れそうだ。観測統計上、東京で初雪の前に春一番が吹いたことはなく、記録的な暖冬を象徴する天候になりそう。15日にかけては全国的に暴風や高波が見込まれ、気象庁は厳重な警戒を呼びかけている。

 14日夕までに予想される最大風速は、海上20~28メートル、陸上15~22メートルで、突風を伴う見込み。海上は猛烈なしけが予想される。さらに広範囲で雨や雪となり、太平洋側では雷を伴う激しい雨となる所もありそう。土砂災害や河川の増水、なだれの恐れもある。

このシーズンの東京の初雪は,なんと3月16日でした。

※この記事はバレンタインデーの春一番 | Notenki Express 2014に若干書き加えただけの手抜き記事です。
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冬将軍に経歴詐称疑惑?!

明日から冬将軍がやってくるとかいって,お天気キャスターたちが冬将軍,冬将軍と連呼しています。

冬将軍って以前はそれほど使用頻度の高いことばではなかったと思いますが,ここ2,3年でやたら耳にする,あるいは目にするようになったような気がします。あくまで気がするだけです。

もし実際にそうだとすると,NHKの天気コーナーの影響かもしれません。今では次のようなTwitterアカウントも登場しています。

そんな冬将軍,由来はいったい何なんでしょう?

一般には次のようにナポレオンを撃退したロシアの厳冬に由来するとされています。冬将軍はなぜ”将軍”? - トクする日本語 - NHK アナウンスルームより一部引用:

この季節になると気象情報で聞きはじめるのが、寒さを擬人化した「冬将軍」ということば。これについて「どうして”将軍”なのか」というお便りをいただきました。これはフランス皇帝ナポレオンに由来しています。1812年にナポレオンは、ロシア遠征で厳しい寒さのため敗退をよぎなくされました。その際、イギリスの新聞が「ナポレオンがgeneral frost(=厳寒将軍)に負けた」と報じたと言われています。これが、日本で「冬将軍」と訳されたのです。ナポレオンに打ち勝つぐらいですから、「大名」や「殿様」よりは「将軍」がしっくりくるかもしれません。

日本語版のWikipediaにもこの説が載っていたりします。

ところが,原典となったといわれる新聞についてなんという新聞の何月何日付の第何面の記事か,調べてもよくわかりません。それに英語版のWikipediaにはgeneral frostの項目がありませんし,私が調べた範囲では次の記載があるだけで,イギリスの新聞が云々という話は載っていません。

Napoleon’s Grande Armée of 610,000 men invaded Russia, heading towards Moscow, in the beginning of summer on 23 June 1812. The Russian army retreated before the French and again burnt their crops and villages, denying the enemy their use. Napoleon’s army was ultimately reduced to 100,000. His army suffered further, even more disastrous losses on the retreat from Moscow started in October.
Russian Winter – Wikipedia, the free encyclopedia

どういうことなんでしょうね?

これについては継続調査中です――といいたいところですが(数年前から(笑)),あんまり興味はないので数年前のままです。

話変わって,それでは冬将軍はいつごろ日本で使われるようになったんでしょう? これについての説明は見たことがありません。

以前国会図書館に行ったついでに新聞を調べた範囲では,初出は意外と新しく,1941年9月16日付の朝日新聞。

冬季作戰の對策(上)/獨逸/計算濟みの「冬將軍」
ナポレオンの轍は踏まず 獨ソ会戰

讀賣新聞にもほぼ同じ時期に使用例があるので,軍部の発表に“冬将軍”が使われていたのかもしれません。

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今年のイブの天気は?

昨日12ZイニシャルのGSMによるイブの21時の地上,850hPa,500hPa予想:

本日00Zイニシャルの週間アンサンブル予報(クラスター平均)によるイブの21時の地上,850hPa,500hPa予想:

なんというか,これといった印象がないですね。リア充にとってもぼっちにとってもとくに変わり映えのしない天気なのではないでしょうか。

まあ,まだ先の話なのでどうなるかはわかりません。

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2週続けて雪の日曜日 (1987年)

1987年12月,あの雪の日曜日から1週間後の13日の朝,目がさめたら窓の外でカサカサという先週も聞いたような変な音が。 まさかと思って窓を開けて外を見たら,なんと雪でした。ここから先の記憶がないところをみると,たぶんまた寝たんだと思います。いわゆる二度寝というやつ。

前週と同じように南岸の低気圧に北東から冷たい空気が流れ込み,東京都心で雨から雪に変わったのは09時30分ごろ,そして18時までに3cm積もりました。

例によって例のごとく,おきまりのすってんころりんねんころりんで滑って転ぶ人がまたまた続出,前週を上回る32人がケガをしました。また,翌14日の朝は冷え込んで路面が凍結したため,関東各地でスリップによる交通死亡事故が相次ぎました。

中山競馬は3レース以降が中止になり,2週続けて日曜日の開催が中止になりました。12月としてははじめてです。

延期されていたミホシンザンの引退式は雪の中で行なわれましたが,芝コースが閉鎖されていたためにダートコースでの最後の走りとなりました。

当時,12月の第2日曜に国立競技場で行なわれていたトヨタカップは,もちろん雪のためにコンディションは最悪。勝ったFCポルトのイビッチ監督が「何千試合もしてきたが,こんな悪条件ははじめて」と語っています。これは雪のためばかりでなく,前週の “雪の早明戦”によって芝がかなり剥がされた影響もあったでしょう。

試合は延長の末,FCポルトがCAペニャロールを2-1で破りました。

もともと評判の悪かった日本のグラウンドの評価がこの日のトヨタカップによって最悪になりました。トヨタのせいだということに注目しましょう(笑)

国立競技場の芝が見違えるようになったのは1991年からだったと思います。

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伝説の雪の早明戦 (1987年)

12月第1日曜の初雪

1987年12月の最初の日曜,すなわち1987年12月6日,低気圧が発達しながら鳥島付近を通過,この低気圧に向かって北東から冷たい空気がはいってきました。

このため東京は最低気温0.9℃と冷え込み,前夜からの雨が06時から雪に変わりました。

これがこのシーズンの初雪で,戦後では1962年に次いで2番目に早い初雪です(当時)。そして09時には積雪2cmを記録しました。東京以外の積雪は八王子2cm,宇都宮4cm,軽井沢25cm,日光23cm,秩父7cmなどとなっています。

この雪の影響で,奥多摩有料道路が09時から全面通行止めになったほか,東北,関越,常磐などの自動車道路でも一時チェーン規制や速度制限が行なわれました。

また,中山競馬は11日に順延になり,この日予定されていたミホシンザンの引退式も次週に延期になりました。

東京で雪が降ればおきまりの相次ぐおむすびコロリンスッテンコロリン。東京消防庁の調べでは,この日だけで28人が重軽傷を負いました。私は大のおとながこれしきの雪で滑って転ぶのがいまだに信じられないのですが。

神宮外苑では,ほどよい感じで雪が降り,「思わぬ都心の雪景色に若者たちはちょっぴり“ロマンチック気分”」(毎日新聞)

雪の早明戦

12月の第1日曜といえばラグビー早明戦です。

今では12月の第1日曜と決まっているようですが,以前は12月の第1日曜以外に行なわれたこともあり,例えば1957年と1973年などは12月の第2日曜に行なわれています。

この日,国立競技場でも朝から雪が降り,グラウンドには一面の雪――。しかし,何があろうと中止にならないタテマエのラグビー,中止にしてはなるまじと約200人が雪かきに動員され,なんとかキックオフができる状態にこぎつけました。ビデオで見ると,それでもグラウンドのあちこちに雪が残っています。

試合は,先制した早稲田が一時は逆転されたものの今泉の2つのペナルティーゴールで再逆転,最後の明治の重量フォワードの猛攻を必死のディフェンスで凌ぎ,10-7で逃げ切りました。

ロスタイムにはいってからゴール前に釘づけとなった早稲田がオフサイドの反則を犯しペナルティーキックで同点という場面が2回あったのですが,明治は引き分けを潔しとしませんでした。

コンディションがコンディションだけにミスも多かったことは確かですが,とにかく白熱した名勝負でした。とくに最後の10分などはいまビデオで見ても力がはいります。

早稲田はこのシーズン,大学選手権も制し,さらには日本選手権で東芝府中も破り,学生としては(おそらく)最後の日本チャンピオンになりました。ちなみにこのときのNo.8が清宮・現ヤマハ監督です。当時は大学2年でした。

なお,ラグビーが何があろうと中止にならないというのはあくまでタテマエです。それが証拠に1996年2月18日には雪のために日本選手権の決勝が順延,1998年1月には同じく雪のために日本選手権の1回戦が順延になっています。また,1989年1月にはおよそ説得力があるとは思えない理由で全国高校大会の決勝は中止,大学選手権の決勝は順延になりました。

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※この記事は伝説の雪の早明戦 | Notenki Express 2014を少し書き直したものです。