白虹日を貫く(1936年)

井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に避難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は幻日環だと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日“白虹日を貫く”のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり“白虹日を貫く”のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の“白虹日を貫く”は井伏鱒二の創作なのではないかと思います。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

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雪のフェブラリーS(1996年)

今度の日曜日(22日),フェブラリーS(GⅠ)が行なわれます。出走を予定していたダイワスカーレットが回避どころか引退までしてしまうのは残念ですが(まあ,あの厩舎だから……),カネヒキリのGⅠ8勝なるかとか,いくつかの注目点があるレースです。

フェブラリーSというと,2002年のアグネスデジタルも印象深いですが,お天気屋の立場からすればなんといっても1996年のホクトベガでしょう。

この年のフェブラリーSは2月17日(土)に行なわれました。当時はGⅡで,GⅠへの昇格は翌年からです。

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃,レースが行なわれたころの気温は-0.2~-0.4℃でした。

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1996年 2月17日(土) 2回東京7日  天候: 雪   馬場状態: 良
11R  第13回フェブラリーS
4歳以上・オープン・G2(別定) (混)(指定)  ダート 1600m   15頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 3  5  ホクトベガ     牝 7 横山典弘  57  1.36.5 37.0  3 492 (美)中野隆良
2 3  4  アイオーユー    牝 7 小野次郎  55  1.37.1 36.7  9 480 (美)高松邦男
3 7 13 $スギノガイセンモン 牡 6 岡部幸雄  57  1.37.3 36.6  6 458 (美)伊藤正徳
4 1  1  ビッグショウリ   牡 6 蛯名正義  58  1.37.5 37.4  1 492 (栗)中尾正 
5 5  8  アマゾンオペラ   牡 6 石崎隆之  57  1.37.9 37.6  4 454 [地]出川巳代
6 2  3  スピードアイリス  牝 6 的場均   55  1.37.9 38.0  8 454 (栗)森秀行 
7 5  9  メイショウヨシイエ 牡 6 村本善之  57  1.38.2 37.6 10 506 (栗)高橋成忠
8 8 14  ユーフォリア    牝 6 東信二   55  1.38.4 37.3 15 444 (美)谷原義明
9 4  7  ロイヤルハーバー  牡 7 小島太   57  1.38.4 37.7 12 516 (美)佐々木亜
10 4  6  リバーセキトバ   牡 7 小林淳一  57  1.38.5 37.9 14 510 (美)佐藤林次
11 6 10  アドマイヤボサツ  牡 7 芹沢純一  57  1.38.5 38.3  2 506 (栗)橋田満 
12 2  2  ヒカリルーファス  牡 5 早田秀治  56  1.38.7 39.2  7 540 [地]高岩隆 
13 8 15  キタサンテイオー  牡 7 大塚栄三  57  1.39.1 39.1 11 486 (美)嶋田功 
14 6 11  ビワセイハ     牡 6 内山正博  57  1.39.6 39.3  5 470 (栗)浜田光正
15 7 12  ハシノタイユウ   牡 5 高橋和宏  56  1.40.8 40.4 13 460 [地]佐藤和伸
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LAP :12.6-10.9-11.6-12.1-12.3-11.8-12.5-12.7
通過:35.1-47.2-59.5-71.3  上り:73.0-61.4-49.3-37.0  平均:1F:12.06 / 3F:36.19
単勝   5 \460
複勝   5 \220 / 4 \660 / 13 \370
枠連   3-3 \6970 (22)
馬連   04-05 \6910 (27)

アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ,ハシノタイユウなどの名が時代を感じさせてくれます。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり,翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり,観測史上3位の記録となりました。

この雪のため,東京競馬は順延,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,それも日本選手権の決勝が順延になる珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」と朝日新聞の見出しでお寒いギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後には1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう。

フェブラリーSが行なわれた17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

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もうすぐ春一番?

春一番とは

春一番というのは簡単にいってしまえば春になってはじめて吹く南風のことです。これだけだとアイマイなので,気象庁の天気相談所では次のような基準を設けています(基準であって定義のような厳密なものと捉えないほうがいいようです)。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s以上)が吹き,気温が上昇する現象

いつごろこの基準ができたのかイマイチ判然としないのですが,どうも1980年代のようです。

発表の開始も判然としないのですが,1997年2月21日付の朝日新聞によると,1975年ごろ気象庁本庁と福岡管区気象台でなし崩し的にはじまった……ということです。

春一番は,気象庁の本庁のほかに,鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,(富山),新潟の各気象台で発表しています。各官署によって若干基準が違います。

フライング・出遅れ

春一番は賞味期限つきの現象であるため,観測されないこともあります。また,期間から1日でも外れれば資格を失います。

例えば,1986年には節分に吹いてしまったため,フライング失格となりました。

もちろん遅くてもダメで,1974年3月22日に東京で最大瞬間風速29.9m/sを観測し,最高気温も前日より上がりましたが,1日違いで出遅れ失格となりました。

また,1988年には,2月2日に最大瞬間風速21.8m/s(SW),最高気温14.9℃(前日比+6.4℃)でも2日早すぎたばかりに春一番にならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)で春一番となりました。たった3日違いでのこの待遇の違いは,なんか変……といえないこともありません。

この2月5日が関東地方の春一番の最早記録になっています。

今のような基準ができる前はもっとおおらか?!でした。

1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」という見出しがあります。しかし,この年の春一番の公式記録は2月10日となっています。ところが公式の春一番に関する新聞記事は見当たりません。気象庁の見解はともかく,マスコミ的にはこの年の春一番は2月3日に吹いたのでしょう。

また,1964年3月1日付朝日新聞の「あなたも予報官 新聞天気図の見方・第二部」という解説コラムに「「春一番」は,一月中のこともあるが……」とあります。

この時代には出遅れ春一番や春〇・五番といった珍語まで登場しました。青森で春一番が吹いたこともあります。

最早・最晩・平年日

春一番は立春から春分の間と決まっているため,当分の間,理論上の最早は2月4日,最晩は3月21日になります。しかし,東京では運よく立春や春分に吹いたことはまだありません。最早は上に述べたように2月5日(1988年),最晩は1972年3月20日となっています。

この最晩春一番をもたらした低気圧によって,富士山では死亡・不明24人という史上最大(当時。その後これを超える事故があったかどうかは興味がないので知りません)のパンパカ遭難事故,また九州西方の男女群島付近で漁船が座礁し,死亡・不明13人という海難事故が発生しました。

春一番は,発達しながら通過する低気圧による現象であるため,このように常に災害や事故の危険と隣り合わせです。また,発達する低気圧の背後には強い寒気が控えていることが多く,低気圧が日本の東の海上に抜けたあとは西高東低の冬型の気圧配置になり,強い寒気がはいってきて真冬に逆戻りすることも少なくありません。次に紹介する1978年の春一番が典型的な例です。

なお,平年日については,根拠も意味も不明確であるとして1995年以来気象庁では発表していません。それを承知の上で単純に1989-2004年の16年間の平均をとると,2月27日前後になります(関東地方の場合)。

東西線横転事故

1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのも何かしっくりきませんが,それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2?2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

初出

今のような形で“春一番”が使われるようになったのは,1950年代以降のようです。しかしあちこち調べても初出はよくわかりません。

『’56~’65天気図10年集成』(1966年発行)収録の天気図日記の1956年2月7日の解説文に

“春一番”!低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年にはいっての最高温を示した。いわゆる“春一番”である!

とあり,これが初出だとする説がありますが,この天気図日記をもともと掲載していた「天文と気象」1956年5月号の天気図日記の同じ日の解説文は

低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年に入っての最高を示した。きのう東シナ海に発生した低気圧は発達しなかった。

となっており,“春一番”は使われていません。のちに書き換えられたのでしょう。

ちなみに,『’56~’65天気図10年集成』では1956年3月に“春二番”も見られるのですが,「天文と気象」にはありません。

新聞の初出は,1997年2月21日付朝日夕刊によると,1962年2月11日付朝日新聞夕刊の天気の解説欄の次の文だそうです。

発達した日本海低気圧に向って強い南風がどっと吹き込んだ。これが今年の春風一号,これを地方の漁師たちは春一番と呼ぶ。

しかし,同じ日付の読売新聞夕刊にも春一番が使われています。

公的な文書では,1964年3月の「気象要覧」が初出だそうで,実際に見てみると,いきなり「春一番」という中見出しがあります。

ちなみに,「気象要覧」では春三番が使われたこともありますが,春二番は少なくとも私は見たことがありません。

春一番の都市伝説

春一番の起源として,安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した隠岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,全員が帰らぬ人となった惨事があり,これ以来年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には春一番の塔がつくられ,さらには,壱岐市のホームページ壱岐市観光案内:歴史・文化:春一番の塔(=リンク切れ)には

この言葉の発祥の地は壱岐である。

などと書かれていたりします。

これは都市伝説(離島伝説?!)のひとつで,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。これ以前に“春一番”を使った文献が存在するからです。一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに

夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る

とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

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※2015/02/05(Thu) 一部修正

この下に村あり(1927年)

1927年2月10日付の東京朝日新聞より――:

雪は二十二日間連日連夜降りしきり高田地方は山の如き積雪に危険を感じ全市民はびくびくものである,高田市内の積雪は九日夜に至り一丈一尺を突破し屋根の雪を下ろしたため街路は三丈余に達し二階屋上よりも高く,危険なので「この下に高壓電線あり」の建札が随所にある,高田測候所調査によると寛文二年正月(一丈六尺)以来の大雪である

同じ日付の東京日日新聞には次のようにあります。

新潟県刈羽郡地方は六日から雪降り出し九日朝に至つては近年稀なる大雪となり海岸の柏崎町は積雪四尺餘り山間部の岡野地方は一丈又石黒地方は一丈八寸の積雪となり『この下に村あり』の建札が至るところに立てられてゐる

このように,高田地方はこの下に高田ありの立て札で伝えられる寛文五~六年(1666年)以来の豪雪に見舞われました。(上の記事では寛文二年となっていますが,寛文五年または六年の誤りと思われます)

ちょうど同じ時期の1927年2月7日~8日,大正天皇の大喪(早い話がお葬式)が行なわれました。

高田,松本,富山,金沢の各連隊も連隊旗を掲げて参列していましたが,雪に阻まれて東海道線経由で帰任する羽目になりました。

大喪を見物するために上京した人も帰るのに苦労しました。11日付東京朝日より。どこまでホントの話かは知りませんが。

昨夜午後十時五分上野發長野行きに乘り込んだ勤め人風の二人連れの青年は語つた
『私共は高田市の會社員です,大喪儀で三日休みが續きましたので拝觀に上京しましたが,汽車が不通で歸宅することも出來ず宿屋へ泊る金もなくなつたので,相談の上二本木からスキーにでも乘つて歸ることに決心して出發するのですが。雪崩や吹雪が心配です』

この豪雪について,「気象要覧」には次のようにあります。

北陸地方にては六,七日より十二日頃に亘り,近古稀れなる大雪あり,鉄道事故各所に起り,列車雪中に没して交通全く途絶し,学校潰れ,人家倒れ,死傷者少からず,人畜の被害多く甚大なる雪害なり,軍隊出動し除雪作業に努む,被害は新潟県西部,高田,直江津を中心とし,西頚城,中頚城,東頸城,刈羽の四郡最も甚しく,山間地方殊に著し,雪崩到る所に起り,西頚城郡磯部村には,地滑りありて,家屋倒壊し,一村殆ど全滅したる所ありと云ふ,高田測候所の報告に依れば,同市中の平屋建物は,大抵雪下に没し,道路は両側の屋根より排雪せる為,三丈乃至四丈の塁雪となり,二階建物にても,窓の中部以下は雪中に埋れたりと云ふ,今回同測候所管内の積雪を挙ぐれば左の如し。

その積雪は次のとおりです。

地名 積雪最深(寸) 日
高田 120.3 11日
関川 75.0 9,10,11,12日
能生 118.5 13日
安塚 130.0 12日
天水越 150.0 10日
赤倉 135.0 11,12,13日
新井 126.0 11日
直江津 113.0 12日
小瀧 128.0 12日
原 165.0 10,11日
青柳 165.7 11日

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二ツ玉低気圧と磐光ホテル火災(1969年)

1969年2月3日に台湾沖に発生した低気圧は,本州南岸沿いに北東に進み,5日午後には三陸沖に達しました。一方,4日朝,日本海西部に別の低気圧が発生し,急速に発達しながら5日朝には津軽海峡を通過しました。2つの低気圧はオホーツク海南部でひとつになり,カムチャッカ方面に去っていきました。

この2つの低気圧の影響で,5~6日にかけて中部・関東地方以北で強い風が吹き,北海道では暴風雪となりました。全体で死・不明62,負傷82,家屋損壊117,船舶沈没・損傷1085などの被害が出ています。

もちろん,当時の新聞には台湾坊主が使われています。例えば,

“台湾坊主”陸にも被害
(6日付朝日新聞朝刊)

記事の中に

“春一番”を思わせる強い風が吹き荒れた。

とあります。東京の最大瞬間風速は23.1m/sで基準を十分に満たしているのですが,風向が北西だったため,これでは春一番ではありません。もっとも,当時は春一番の基準が必ずしも明確ではなかったので,今さらどうでもいい話です。ちなみに気象庁天気相談所のまとめによると,この年は春一番が観測されていません。

同じ記事には,蒲郡市で5日15時50分ごろ,突風でコンクリートブロックが倒れ,ちょうど塀沿いの道を歩いていた女子中学生3人が下敷きになり,2人死亡,1人重体という事故も載っています。このコンクリートブロックを所有していた山本織布会社の管理責任はどうなったのでしょうか。

さて,この低気圧による強風が吹いていた5日21時10分ごろ,福島県郡山市熱海町の磐光パラダイス1階の大広間で,客寄せの目玉だった金粉ショーの小道具として用意されたベンジンにストーブの火が引火しました。初期消火に失敗したため,折からの強風と乾燥も手伝って火はみるみるうちに広がり,磐光パラダイスとそれに隣接する磐光ホテル,レストハウスが全焼し,死者30人,重軽傷者28人,焼損面積15511m^2という大惨事となりました。

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※2015/02/05(Thu) 若干加筆訂正

北陸線の大雪崩 人夫百餘名壓殺さる(1922年)

1922年2月3日13時ごろ,北陸本線の親不知-市振間で大雪崩があり列車運転不能となったため,糸魚川付近の農家から200人の除雪人夫を募集して除雪作業を行ないました。夜になって作業を中止し親不知から糸魚川方面に向けて列車に乗って帰る途中,20時17分ごろ,親不知-青海駅間の勝山隧道にさしかかったところで大雪崩が発生,その列車の客車2両が押しつぶされ,死者87?90人,負傷40?42人の惨事となりました。(資料によって死傷者の数が違います)

詳しくは次のとおりです。

(鉄道省着電)三日北陸線市振親不知間一九二哩五十鎖附近に長さ五鎖高さ三十尺の大雪崩あり第七七一列車(上野発京都行)は之がため親不知から第六五列車として折返し運転する事となり前位より郵便小荷物車,ボギー三等客車,小型三等客車三両計六両連結排雪人夫約二百名(糸魚川,梶屋敷附近から募集した者及逓信局電信工夫二名)乗車し午後八時七分頃親不知青海間一九五哩四五鎖五十節(米原起点)勝山隧道西口に差<U+83AC>《かか》つた際長さ四十呎高さ十五呎(約百八十坪)の雪崩来りてボギー客車三分の一小型三等客車全部(三両)下敷となり人夫約八十名の死傷者を出した,内負傷者二十九名は糸魚川に三名は親不知に収容し他の埋没者に対しては直に附近消防隊の応援を得て救護中死傷者今迄に判明の数左の如し
 親不知に収容即死者十八名
 糸魚川収容即死者十四名,重傷者八名,軽傷者二十四名計即死者三十二名重軽傷者三十二名
(2月5日付東京朝日夕刊)

この事故の後日談。2月28日付読売朝刊より――:

尚惨劇のあった勝山隧道附近には昨今多數の人魂が彷徨するとの噂ありて現地附近の各部落では戰戰兢兢の有樣である

さらに1927年のいわゆる昭和2年豪雪の際,この事故の恐怖から除雪作業が遅れ,北陸本線の復旧が遅れるひとつの原因になったようです。

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寒中水泳の中学生死亡(1963年)

1963年1月28日,300円の賭けで荒川放水路を泳いで渡ろうとした♂中学生(15)が,波にのまれて水死しました。

単純に比較はできませんが,当時の300円は今では2000~3000円に相当するようです。それにしても物好きな……。

ところで,時あたかもサンパチ豪雪の真っ最中でした。この日の福井新聞を見ると,

福井市36年ぶりの大雪
積雪二メートルを越す
効なし“一斉除雪デー”

などの見出しがあります。また,23日に新潟駅を出発した急行「越路」はこの日の08時29分にようやく上野駅に到着しました。新潟-上野112時間列車の旅 | Notenki Express 2014を参照してください。

東京も毎日冷凍庫のように冷え込んでいて,この日の最低気温は-4.1℃でした。

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東京に3年ぶりの大雪警報(2001年)

2001年1月27日,東京では02時25分からみぞれが降り出し,03時35分には雪に変わりました。積雪は09時に1cm,12時に6cmとなり,14時30分,東京地方に3年ぶりとなる大雪警報が発表されました。

東京の最深積雪は17時の8cmで,警報の割にはたいしたことはありませんでしたが,この雪のため東京都内では305人が病院送りとなりました。

一方,埼玉県の秩父では73年ぶりとなる53cmを観測しました。

 発達した低気圧の影響により27日は、県内各地で大雪となった。熊谷地方気象台によると、特に秩父市では積雪が57センチとなり、1月としては観測史上最高を記録するとともに年間を通しても1928年2月の58センチ以来、史上2番目の大雪となった。秩父地方の市街地では28日も一面銀世界。道路ではタイヤチェーンを着けた乗用車がスピードを落として走り、商店街では夕方になっても商店主らが雪かき作業に汗を流した。このほか、県内各地で重傷九人を含む178人のけが人が出るなど、雪による影響が相次いだ。

 「こんな大雪は生まれて初めて」と、秩父市内のコンビニエンスストアの店長(45)は店の駐車場や自動販売機の上に積もった雪を取り除くのに懸命。秩父郡吉田町の観光イチゴ園では、「イチゴ狩りのシーズンとはいえ、これだけ降っては観光客が来ないのは仕方がない」と、ビニールハウスに積もった雪を払った。
(2001年1月29日付埼玉新聞)

また,長野県の飯田と諏訪では,観測史上最深の積雪を記録しました。

 諏訪と飯田で積雪が観測史上最高となるなど、中南部で記録的な大雪となった二十七日。JRは運休が相次ぎ、中央西線では立ち往生した列車内で、夕食も届けられないまま夜を過ごす人も出た。高速道は上信越道信州中野インター以南で通行止めが続き、交通網は終日まひ。暮らしを支える物流も滞った。湿った重い雪は電線を寸断し、下伊那地方などでは広範囲で停電が起きた。雪下ろし作業中にけがをする人も各地で続出した。
(2001年1月28日信濃毎日新聞ウェブサイトより)

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南海丸消息絶つ(1958年)

1958年1月26日03時,東シナ海に1020mbの低気圧が発生しました。発達しながら速いスピードで九州西方海上から山陰沖を北東に進み,同日21時に能登半島沖に達したときは中心示度は1006mbを示していました。

一方,この低気圧が鳥取沖にあった同日15時,この低気圧から南西にのびる前線上の瀬戸内海西部に低気圧が発生し,近畿,中部地方を経て27日03時には金華山沖で先の低気圧と併合してさらに発達しました。

さて,26日17時30分に乗客139人を乗せて小松島を出航した南海丸(494トン)が和歌山に向けて航行中,18時28分に危険を知らせる無線連絡をした後,消息を絶ちました。28日16時,紀伊水道島の南西端から260度2.4海里の水深約40mの地点に沈没している船体が発見されました。旅客および乗組員167人のうち生存者は1人もいませんでした。

当時,付近海上には強風注意報が出されており,平均17~20m/sの風が吹き,平均4?5mの波があったと推定されるので,強風とシケのために沈没したと考えられていますが,生存者が1人もいないこともあり,海難審判の裁決は,

主文
本件遭難は,その発生原因が明らかでない。

となっています。

ついでに,今日は次のような事件があった日でもあります。

AD2001/01/26 19:18ごろ,山手線の新大久保駅で,ホームから転落した酔っぱらい坂本某を助けようとして関根史郎さんともうひとりが飛び降りたが,間に合わず3人とも死亡

このとき坂本某といっしょに酒を飲んでいてドサクサまぎれにトンズラした連中って,今ごろどうしているんでしょうね?

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アリバイに使われかけた“台湾坊主”(1974年)

台湾坊主というのは,このブログでは何回も登場してきたとおり(これからも登場するでしょう(笑)),台湾近海で発生する低気圧のことです。新聞でも好んで使われ,もしかすると台風の次に有名な総観スケールの気象現象だったかも知れません。1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,新聞でも使われなくなったようです。ただ,あくまで気象庁では使わないというだけです。私のような部外者が使う分にはまったく差し支えありません。

さて,1986年6月16日,ロッキード裁判丸紅ルート控訴審の最終弁論が行なわれました。その弁護側の最終弁論に,なんと台湾坊主が登場します。

16日付朝日新聞夕刊より,弁論要旨:

【第三回(49年1月21日)の授受や搬送時間に関する原判決の不自然性,不可能性】

当日の気象は「台湾坊主」といわれる悪天候で,都内では強風を伴うみぞれや雪が降っていた。このような日に授受を行うのは不自然で,現実性に欠ける。

3回目の現金受け渡しが行なわれたとされる1974年1月21日,つまり35年前の今日,低気圧が発達しながら本州付近を通過していました。ただし,この低気圧は華中から東シナ海を通ってやってきたもので,残念ながら台湾坊主ではなく,いうなればニセ台湾坊主あるいは台湾坊主モドキです。

この低気圧のおかげで関東から東北地方にかけて雪が降り,前年11月11日以来71日間続いていた東京の無降水記録はやっと終息しました。

ところが,当初の予想以上に雪が降り,東京ではとくに21-22時の1時間に3cm積もる“短時間強雪”になりました。この影響で首都圏の交通は大混乱,東海道線,横須賀線,京浜東北線,常磐快速線,総武線などが相次いでストップ,首都高も22時20分に全面閉鎖となりました。

“台湾坊主”の悪天だからカネの受け渡しは現実的でないというのは,当時は“台湾坊主=荒天”の図式が成り立っていたとしてもバカバカしい論拠ですが(実際荒天だったわけですけど),メインはそこではなく,いわゆる榎本アリバイの補強のようです。第一審で退けられた榎本アリバイについて,独自の走行実験に基づいて次のように主張しています。

弁護人の実験によると,この往復にかかる自動車走行の時間だけで,高速道路利用の場合に六十六―八十二分,一般道路だと六十―八十二分を要した。本件当日は悪天候で積雪もあり,通常日の何倍もの渋滞があったことは容易に推定でき,一審認定によっては田中邸への現金搬入は不可能。

これに対する検察側の弁論要旨は次のようになっています。

第三回授受に関し,参院議員会館往復の時間を根拠にした弁護人主張は,本件当時とは交通事情が格段に異なる現時点の走行実験をもとに一審判決を論難するもので,失当である。また,当時,降雪があったことは認められるが,高速道路が通行不能であったとの立証はない。

上記の“ニセ台湾坊主”によるアリバイ主張が判決ではどのように扱われたのでしょうね? 今さら興味もありませんが。

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