9月26日付北海道新聞の予知能力!?

ときどき,やれ大地震が来るとか1,“巨大”台風がやってくるとかあおり立てる週刊誌の中吊り広告が目につきます。まあ,週刊誌の科学記事なんて芸能記事と同程度のレベルですが,最近はアベさま皆さまのNHKでもそのような番組が繰り返し繰り返し放送されます。

週刊誌のヨタ記事やNHKの煽り番組に比べると,北海道新聞には予知能力があるように見えます。

まず,1954年9月26日付の北海道新聞の記事――:

青函海底トンネル 基礎的地質調査終る 掘削可能の結論

この日,まさか津軽海峡でのちに洞爺丸台風と名づけられる台風15号マリーによって世界海難史上2番目といわれる大海難事故が起こるとは……。

ついで2003年9月26日付の北海道新聞「卓上四季」――:

……自然の猛威の前に人間が非力であることを自覚しつつ,気象監視と災害の備えを万全に。洞爺丸台風が語る教訓は今なお新しい。

この日,まさか平成15年(2003年)十勝沖地震が起こるとは……。

ちなみにこの日の朝,6時30分からの「ラジオ体操」が中止になりました。おそらく津波警報が出ていたからでしょう。

そして2004年9月26日付の同じく北海道新聞「卓上四季」――:

九月二十六日は過去に三度の大災害が起きている。一九五四年の洞爺丸台風,五八年の狩野川台風,五九年の伊勢湾台風である。いつしかこの日は「大型台風の厄日」といわれるようになったそうだ……

幸か不幸か,とくに大きな災害は起こらなかったようです。

“予知能力”のタネは……かんたんです(笑)

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  1. “地震が来る”って表現,きわめて違和感があるのですが。 

競馬史の中の伊勢湾台風

今から56年前の1959年9月26日18時ごろ,台風15号が潮岬の西に上陸しました。死者4697人,不明401人,負傷者38921人,住家全壊40838棟,半壊113052棟,床上浸水157858棟,床下浸水205753棟など明治以降では最大の台風被害を出し,のちに伊勢湾台風と命名されることになります。

Image from Gyazo

この日,京都でも強風が吹き荒れ,京都地方気象台の観測では最大風速19.1m/s,最大瞬間風速29.0m/sでした。にもかかわらず,なんと,京都競馬場では競馬が通常どおり開催されていました。

『競馬歴史新聞』にも載っていますが,風雨の中行なわれた第4競走サラブレッド系障碍競走(2300m,7頭)は大荒れに荒れました。1番人気ナルトホマレは2周目の第4コーナーで3番人気ブゼンタニカゼに内に押圧されて競走中止,このためブゼンタニカゼは1位入線しましたが失格となり,1着は繰り上がりで5番人気のタケリユウ,2着には最下位人気のアスカリユウ1がはいり,連式(6枠連勝単式)は267,350円の配当になりました。今では3連単で毎週のように出ている配当ですが,当時としては目が飛び出るような配当だったことでしょう。

このレースでは,1着から3着まで枠順にはいっています。何も考えずに枠順に買っていれば20万馬券をゲットできたわけです。

当時発売されていた3重式2はこの日は1,2,3レースではなく2,3,4レースが対象で,的中は1票,127,680円の配当になっています。

ついでに騎手を見ると,2着にはいったアスカリユウの鞍上に松本善登の懐かしい名前が。カツラノハイセイコを思い出します3。シンザンが五冠を達成した有馬記念は,さすがに歴史で学んだクチです。他にはすでに調教師を引退された北橋修二武邦彦松永善晴の名前も見えます。武邦彦も障害に乗っていたんですね。

この日,他に荒れたレースは第1競走繋駕速歩競走(連式9,380円),第9競走(連式5,740円)くらいで,大荒れの天気の割には比較的平穏におさまったようです,

ちなみに,前年の1958年,狩野川台風の上陸の当日にも中山競馬が平常どおり開催されています4。成績公報より,狩野川台風が過ぎ去ったあとの最初のレースとなった第1競走アラブ系三歳馬競走:

JRAの公式記録ではじめて台風による中止が出てくるのは,1961年の第2室戸台風のときです。

なお,中京競馬場は伊勢湾台風で大きな被害を受けています(詳細不明)。

(Mixi日記2005年09月25日09:31に少し加筆)

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  1. 『競馬歴史新聞』ではカスカリュウになっていますが誤植かなにかでしょう。 
  2. いまのWIN5(WIN3?)のような馬券。ただ,WIN5とは違い朝から競馬場に来てもらうためのような馬券で,第1~第3レースが対象になることが多かったらしい。 
  3. カツラノハイセイコが勝ったダービーについてはこれをご覧ください。 
  4. ついでにいうと,狩野川台風が上陸したのは9月26日ではなく27日。 

森山享はなぜ遭難したか (1976年)

このタイトルはもちろん『洞爺丸はなぜ沈んだか』へのオマージュです。ちょうどそんな時期ですし。ちなみに『宇高連絡船 紫雲丸はなぜ沈んだか』という本もあります。

1996-1997年に放送されたNHKの朝ドラ「ふたりっ子」で,森山史郎の父親のベテラン漁師森山享がシケに遭って帰らぬ人となったのは1976年9月25日ということになっています。なお,森山享は名前が出てくるだけで,回想シーンを含めて本人は出てきません。

森山享は

相手の指し手を読むより,海の機嫌を読むほうがずうっと易しい。

が口グセでした。このようなベテラン漁師が遭難したのですから,台風の接近とかでよほどの大シケだった……と思いきや(もっとも,そんなときは出漁を見合わせるでしょうけれど),当日の天気図を見るとどうもシケるような感じはまったくないのですが(笑)

森山享の遭難は息子の史郎が真剣師佐伯銀蔵

おととい,漁に出る前に,ぼくにこれを渡して,もし自分が帰らなかったら,あさって香住の水月館で待っている佐伯銀蔵に渡してくれって。

と伝えに来て,将棋の駒を渡そうとするところでわかるのですが,シケで遭難したとすれば当然のことながらシケがおさまるまで救助活動はできません。それを考えると,一昨日漁に出て,シケで遭難して,今日死亡が確認されているというのはあまりにも段取りがよすぎます。

もしかするとこの遭難は,享は末期ガンか何かで,史郎に保険金を残すために仕組んだ事故に見せかけた自殺だった――のかもしれません。

ちなみに,こういう感じでサスペンスドラマなどをお天気的に分析(こじつけ?)するような悪い趣味がはじまったのは(さらにはよせばいいのにロケ地めぐりをするようになったのは),実はこの森山享の遭難の原因に疑問をもったことがはじまりでした。

その中でいちばんボロクソにこき下ろしたのは2002-2003年の朝ドラ「まんてん」でした。あれは最悪でしたね。

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ホントは怖い台風中継

有名な台風中継のヤラセ動画↓

最後の1~2秒によってそれまでの苦労が水の泡,ただのヤラセだったことがバレてしまいました。

これは2005年の14号のときのものです。

人間が風の中で立っていることのできる限界は20m/s程度といわれていますが(体験済み(笑)),これはあくまで一様な空気の流れの中での話であって,実際の風にはいわゆる風の息があるために前後左右にゆさぶられることになります。これではバランスをとるのが精一杯で,とてもレポートなどできません。まあ,それでもレポーターはせいぜいマイクしか持っていないので楽でしょうが,川口探検隊的にいえば真っ先に洞窟にはいらなければならないカメラマンや照明さんはどうなんでしょうねえ……。

結局,何か物体が飛んできたりする危険なども考えると,限界は10m/sってところではないでしょうか。いずれにしても“台風中継”ができるということはレポートできる程度の風しか吹いていないということであり,裏を返せば風は吹いているけれどもさほどでもないということを身をもって知らせているわけです。

この視点からすると,民放が好きこのんで「ものすごい風です!!」とかやっている台風中継はすべてヤラセだと思って間違いないでしょう。ギョーカイではヤラセではなくヤリというらしいです。

1965年9月18日未明,台風24号の現場中継のために東京・江東区方面に出動していたラジオ関東(現・ラジオ日本)の取材車が,記者やアナウンサーら6人を乗せたまま晴海埠頭から海に転落,全員死亡するという事故が起こりました。光る海面を舗装道路と見間違えたのだろうといわれていますが,全員が死亡したため真相はわかりません。

ヤラセではない本当の台風中継がいかに危険なものかがわかります。

なお,この台風は福井県の西谷村に記録的な大雨を降らせ1,廃村のひとつの原因となりました。これについては秋雨前線と台風 | Notenki Express 2014をご覧ください。

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  1. 宮澤清治『近・現代 日本気象災害史』には奥越豪雨とあります。 

将門台風 (1884年)

神田祭という神田明神のお祭りがあります。今は5月15日前後に行なわれていますが,かつては旧暦九月十五日前後に行なわれていました。

1874年,明治天皇が神田明神に行幸するにあたり,天皇が参拝する神社に“朝敵”平将門が祀られているのはヤバいということで,平将門は末社に降格されるといういわれなき処分を受けました。

時の神田生まれの江戸っ子たちはこの処分に反発,10年にわたり神田祭をボイコットしました。

しかし,それから10年たった1884年,世は不景気だし,この不景気を吹っ飛ばそうじゃないかということで,今の暦の9月14~16日に復活神田祭が催されることになりました。

ところが,吹っ飛んだのは不景気ではなく祭りのほうでした。もちろん平将門が怒って,なんと台風を召喚したのです。

明治の初年朝敵論の喧しき際ヨセバよいのに神田明神の神體に迄難癖をくツ付け將門様は末社の御牢舎,……我三百年鎮守の奮思を忘れ將門ハ朝敵ゆゑ神殿に上らすべからずなどゝて末社に追い退けたるこそ奇恠な○……將門様は時こそ來たれりと日本八十餘州より數多の雨師風伯を驅り催し大事の大事の十四日の宵宮よりして八百八町を荒れ廻はりて折角のお祭りをメチャメチャに致されたるなり(時事新報9月16日)

この台風は15日10時ごろ東海地方に上陸し,関東地方を通過して夕方には金華山沖に抜けました。15日11時には浜松で最低気圧717粍を観測,また芝・飯倉にあった海軍観象台では同日16時に「南南西八十二里」の風を観測しています。

東京府内では神田祭のほかにもかなりの被害があったようで,例えば深川区では9割以上の家屋が浸水しています。

興味深いところでは,上野不忍池に完成したばかりの共同競馬会社の競馬場が暴風によって壊れました。

不忍の池の馬塲は既に落成し馬見所は上棟式も濟み七八分通りは出來せしが一昨日の暴風雨にて皆を破壞したれば今度は假馬見所を設け来月二十四五六の三日間同所に於て馬塲開の式と合せ競馬會を施行されるといふ(読売9月17日)

なお,この将門台風と同じころ,別の台風が西から近づいてきており,16日に九州に上陸し,瀬戸内,東海と進み,17日に東京の北東から太平洋に抜けたようです。京都の被害が大きかったようですが,詳細は不明です。

お散歩

神田明神

銭形平次の碑

神田明神の境内にあります。

不忍池(競馬場跡)

100年以上も昔,池のまわりを馬が走っていたとは,知らない人は知らない(<当たり前か)。

ここにコースがあったと思われます。

ちなみに,この競馬場は当時国内では珍しい左回りでした。

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首都を水没から守れ!!~1947年カスリーン台風~

かつての「プロジェクトX」風のタイトルになっていますが……(笑) あの番組もはじめのころはおもしろかったんですが,そんなにネタが続くわけないですよね。後半にはヤラセも発覚したようですし……。

さて,敗戦後間もない今から68年前,首都・東京の水没という危機に瀕して一級河川の堤防の爆破という非常措置がとられたことがありました。

1947年9月8日にマリアナ東方の海上で発生した台風はこの年11番目の台風で,Kathleenと名づけられました。Kathleenの読みかたはカスリーン,キャスリーン,カスリン,キャサリン1,キャザリンなどなどありましたが,1949年に中央気象台がカスリーンに統一した(はずな)ので,ここでもカスリーン台風と表わすことにします。

カスリーン台風は14日03時には鳥島の南西400kmの海上にまで進み,中心気圧960mb,最大風速45m/sの最盛期を迎えます。そして15日午後には日本列島に最接近,上陸はしませんでしたが,接近とともに秋雨前線2を刺激し,関東から東北地方を中心に記録的な大雨を降らせました。

とくに14日から15日にかけて利根川・荒川の上流域に降った雨はすさまじく,例えば前橋の357.4mm,秩父の519.7mmは今でも日雨量のダントツの1位となっています。

この雨は各地で土砂災害を引き起こし,やがて利根川や荒川に流入,利根川では15日の夜になって水位が急激に上昇,栗橋付近では過去最高の9.17mに達しました。そして翌16日00時20分ごろ,右岸堤が大音響とともに決壊し,濁流が収穫をひかえた穀倉地帯を南に流れはじめました。一方,荒川の堤防も15日の20時ごろ熊谷付近で決壊し,粕壁町(当時)付近でふたつの川から流れ出た濁流が合流してゆっくりと南に流れ,18日には東京都との境にある桜堤(桜土手)に達し,堰きとめられる形で湛水をはじめます。

湛水をこのまま放置すれば水没地域は増える一方,しかも桜堤が決壊すれば東京の下町が水没し,被害がどのくらい増えるか想像もつきません。時の安井誠一郎・東京都知事は西村実・埼玉県知事,川口為之助・千葉県知事,内務省と協議,派閥がらみもあって反対する千葉県知事を説得し,江戸川右岸堤を破壊して濁流を江戸川に流すことを決定,朝霞駐屯の進駐軍第二旅団工兵隊にダイナマイトによる爆破を依頼します。工兵隊はただちに現場に急行,ダイナマイト18本を埋設して爆破を敢行しますが,さすが一級河川の堤防だけあってびくともしません。より強力なダイナマイトを使用するには手続きが必要であり,堤防の爆破作業は一時中断されます。

そうこうするうちに19日02時45分ごろ,桜堤の中を通っていた樋管が水圧にたえ切れず抜け落ち,ついに最後の砦の桜堤が崩れはじめました。桜堤を突き破った濁流は一気に葛飾区内に流れこみ,葛飾区,江戸川区が水に浸かりました。

その一方,夜を徹しての江戸川右岸堤の爆破作業は最後は人力を投入して19日15時15分にようやく幅10mにわたって切り開くことができ,たまった水が江戸川に流れ出し,下町の全面水没の危機は避けられました。

ホッとする暇もなく,20日03時10分ごろ,今度は中川の右岸堤が葛飾区亀有2丁目付近で決壊し,綾瀬川と中川ではさまれた地域は完全に水没,足立区の一部も水没しました。家の軒先の高さまで水に浸かったところもありました。

東京の下町に流れこんだ濁流はさらに南下し,船堀付近から東京湾に注ぎはじめました。

荒川の堤防の開削などにより,水は徐々に退いていきましたが,排水作業はなかなか進まず,水に浸かった地域から水が完全に退いたのは11月になってからでした。

カスリーン台風による東京の被災者は37万人を超え,葛飾区民はほぼ全員が被災し,江戸川区民は67%,足立区民は11%が被災しました。しかし,表現の善し悪しはともかくとして,死者・不明者の数だけでいえば東京は13人に過ぎません。死者が多かったのは群馬県,栃木県,埼玉県です。また,岩手県も一関市を中心に大きな被害を受けています。岩手県は翌年のアイオン台風でも壊滅的な被害を受けることになります。

桜堤の決壊箇所?

このあたりで決壊したようです。とくに目印となるようなものはありません。

堤防爆破が行なわれた場所?

このあたりで爆破作業が行なわれたようです。記念碑のようなものはありません。

周辺

水元公園

広大な公園です。はずれとはいえ,とても23区内にあるとは思えません。
一日中ボケーッとしていられるところです。

残念ながら2011年3月20~21日,東京電力がばらまいた放射性物質により高濃度に汚染されてしまいました。除染は行なわれましたが,どの程度回復しているのでしょうか。

桜満開の桜堤

2010年に撮った写真です。この年までは“平和”でした。

「男はつらいよ」の舞台

水元公園から江戸川の堤防に出て3~4kmほど下流に歩いていくと,あの寅さんの舞台,葛飾柴又に着きます。

ちなみに,柴又帝釈天は映画の感じに比べるとかなり狭いです。

矢切の渡し

葛飾柴又の対岸です。

さらに向こうには野菊の墓文学碑などもあります。一度行ってみたいのですが,交通が不便でね……(^^;)

とはいっても,σ(^^;)は『野菊の墓』にはとくに興味はありません。『「野菊の墓」殺人事件』に登場するので行ってみたいだけです。

水位表示板

周辺というにはかなり遠いですが,埼玉県幸手市で見つけたものです。

この表示板,今はないようです。私のさがしかたが悪いせいかもしれません。

※この記事はその他いろいろなところ2をとりあえず移植してきたものです。10年以上前に書いたものでなので,時代に合わなくなった表現を少し変えています。その他間違い等があれば今後修正していきます。

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  1. 関係ないけれど,故山村美紗の作品を思い出す。 
  2. この用語,当時はまだ存在しません。 

注目されなかった台風

台風は注目度がきわめて高い気象現象だと思いますが(とくに東京に近づいてくる台風は),2001年9月の台風15号と16号は,大きな被害を引き起こした割にはあまり注目されませんでした。防災の日の訓練という名の儀式をブッつぶした歌舞伎町の風俗ビル火災と,異国で起こったいわゆる9.11のおかげです。

この2つの台風を取り上げます。

2001年9月4日09時,南鳥島の南海上で台風15号が発生しました。発達しながら北上し,11日09時半ころ神奈川県鎌倉市付近に上陸,東京都から茨城県北部に進み,死者・不明8名,負傷51名,住家全半壊・一部損壊300棟,床上浸水183棟,床下浸水1202棟などの被害を出して海上に去っていきました。

Image from Gyazo

保存してある当時の新聞記事の一部を引用すると――:

 台風15号は11日午前9時半ごろ、神奈川県鎌倉市付近に上陸、首都圏を直撃した後に太平洋沿岸を北上しており、12日未明には岩手県沖に達する見込み。この台風による死者は5人、行方不明は3人となった。

・・・・(中略)・・・・

 首都圏を直撃した台風15号は、豪雨や強風のツメ跡を各地に残しながら、福島県から太平洋上に抜け、東北地方の沿岸を北上している。関東を中心に死者・不明者は計8人にのぼったほか、橋が流されたり、堤防が決壊するなど被害は広範にわたり、交通機関にも大きな影響が出ている。

 11日午前11時40分ごろ、東京都杉並区荻窪2の増水した善福寺川で男性1人が流されたと119番通報があった。東京消防庁の救助隊が現場付近を捜索している。7メートルの危険水位を超え、2年ぶりに洪水警報が出された多摩川では、堤防上を走る東京都大田区の多摩堤通りが同夜まで通行止めになり、地元消防団員らが支流への水門を閉じ、約20台のポンプを使って排水作業にあたった。

 また、同区の環状8号線・羽田空港トンネル内では、同日午前、1メートル前後の冠水のため車約30台が立ち往生。ドライバーらが全員車外に脱出した。

 一方、9日夜から運転を見合わせていた長野新幹線は、雨量計が規制値を下回ったため、11日午後3時過ぎから上下線とも運転を再開したが、山形新幹線は始発から福島―山形間が運休。在来線でも中央線、青梅線、両毛線の一部区間などで運転の見合わせが相次いだ。

 空の便は台風16号の影響も受けて、同日夕までに全日空が118便、日本航空65便が欠航。国際線では、仙台―ホノルルを結ぶ2便が欠航した。

 道路では、上信越自動車道、関越自動車道などの一部区間が通行止めになったほか、土砂崩れの影響で国道20号の一部区間が通行止めになったため、中央自動車道大月IC―勝沼IC間をう回する車両に対し、通行料金の無料措置がとられた。

 長野県上田市では同日午前8時45分ごろ、千曲川にかかる大石橋の橋脚の1つの土台部分が増水で数メートル流され、欄干などが折れ曲がるようにして落ちた。橋は土台部分の浸食が見つかったため、先月9日から全面通行止めとなっており、けが人はなかった。(読売新聞)[9月11日22時1分更新]

同じころ,6日09時に宮古島近海で発生した台風16号が沖縄付近を迷走していました。

Image from Gyazo

1回目の本島接近:

台風16号、本島強風域に/15号接近の恐れ

 台風16号は六日午後九時現在、久米島の西南西約八〇キロの海上にあって勢力を強めながら時速一〇キロで北東に進んでいる。沖縄本島地方は同日午後十時すぎ、強風域に入った。台風は七日明け方、本島地方に最接近し、昼ごろには強風域から抜ける見込み。

 七日夕方までの二十四時間雨量は多いところで、石垣島地方で一〇〇ミリ、宮古島、沖縄本島地方は一五〇ミリに達する見込み。最大風速は久米島で二〇メートル、本島中南部、北部は一八メートルに達する。

 沖縄気象台によると、台風の中心気圧は九九六ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は一八メートル。中心から一五〇キロでは一五メートル以上の強風が吹いている。七日午後九時には奄美大島の西約二八〇キロを中心とした半径一一〇キロの円内に達する見込み。

 強い台風15号は六日、日本列島の南海上を西に進んだ。今後、沖縄などに接近する恐れがあるほか、急に進路を変え本土に接近する可能性があるとして気象庁は厳重な注意を呼び掛けている。

沖縄タイムス 2001/09/07(Fri)

本島接近2回目:

中部に集中被害/台風16号
民家131軒が床上浸水/道路陥没、土砂崩れ相次ぐ

 沖縄本島の東海上で停滞、迷走を繰り返していた台風16号は八日未明、本島を再通過して東シナ海に入り、八日午後九時現在、久米島の北の海上をゆっくりと西北西に進んでいる。沖縄市付近に再上陸する直前、暴風雨域が発生、中心付近の強い雨雲で豪雨となり、中部一帯は床上浸水や道路陥没、土砂崩れなど大きな被害が集中的に発生した。

 具志川市平良川では県道10号が陥没。沖縄市などで民家百三十一軒が床上浸水し、住民が一時避難した。午前二時四十二分には那覇市で四一・二メートルの瞬間最大風速を記録した。台風は今後も迷走する可能性があり、沖縄気象台は久米島が九日にも暴風域に入る恐れがある―と警戒を呼び掛けている。

 県警などによると、台風発生時から八日午後七時までの被害状況は、負傷者二人、建物の一部損壊四件、床上・床下浸水百四十八件、土砂崩れ十三カ所、陥没を含めた道路損壊七カ所、道路冠水三十一カ所、船舶被害二十九隻など。

 一時間当たりの最大雨量は沖縄市胡屋で一〇一ミリを記録。胡屋地区の降り始め(五日夕)からの雨量は四四二・五ミリに達した。

 台風は八日午後九時現在、久米島の北北西約一一〇キロ、北緯二七度一〇分、東経一二六度二〇分にあり、ゆっくりと西北西に進んでいる。中心気圧は九七五ヘクトパスカル。中心付近の最大風速は三〇メートル。半径四〇キロ以内では二五メートル以上の暴風域、半径一九〇キロ以内では一五メートル以上の強い風が吹いている。九日午前九時には久米島の北西約一三〇キロ、同日午後九時は同島の西北西約一七〇キロに達する見込み。

2001/09/09(Sun) >沖縄タイムス

その後,久米島付近で停滞。このため久米島は30時間以上も暴風域の中でした。

台風16号、久米島で停滞/土砂災害の危険性

 非常に強い台風16号は十二日正午現在、久米島を三十時間以上も暴風域に巻き込んだまま、勢力を保ち久米島の東海上で停滞している。久米島で同日午前二時三十三分、最大瞬間風速五〇・八メートル、那覇で同六時四十五分に三〇・六メートルを観測。久米島を中心に周辺離島で停電し、空の便が一部欠航、本島ではバスが午前中運休、沖縄自動車道は全面通行止めとなるなど、県民生活に混乱が続いている。(6面に関連) 沖縄気象台によると、本島西方の離島では五日の降り始めからの雨量が六〇〇ミリを超え、過去数年間で最も土砂災害の危険性が高まっている。五日降り始めからの各地の雨量は、渡嘉敷六五〇ミリ、久米島六三二ミリ、那覇四九六ミリで、久米島では九月の平均降水量(約一六四ミリ)の三倍以上に達している。

 今後も本島中南部を中心に発達した雨雲が断続的にかかり、激しい雨が降る見込み。予想される最大風速は久米島で四五メートル、本島で三五メートル。

 台風は中心気圧は九五五ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は四五メートル。中心から七〇キロでは二五メートル以上の暴風が吹いている。十三日正午には久米島の北北西約六〇キロにあり、半径一一〇キロの円内に達する見込み。

久米島30時間以上も暴風域/台風16号

 迷走して三十時間以上も久米島を暴風域に巻き込んだまま、久米島の東海上に停滞したままの台風16号。勢力を増して強い風雨が断続的にあり、渡名喜村で学校の体育館の屋根が吹き飛んだ。離島で停電や水道がストップ。警戒する役場職員は「風が強くて外に出られない」と不安げだ。一部で電話も不通となり、本島と周辺離島の公立小中高校では二日連続の休校、本島では午前中バスが運休、空、海の便とも欠航や遅延が相次いだ。生活に影響が出ている。

 瞬間最大風速五〇・八メートルを記録した仲里、具志川両村では、午前九時現在、人身や家屋などの被害は報告されていないものの、サトウキビを中心とした農作物への影響が懸念されている。

 仲里村役場総務課によると、キビ畑やキク畑で冠水が見られ、「甚大な被害が出た一九九三年の台風13号に匹敵する風雨で、かなりの被害になるのではないか」と説明。具志川村総務課でも農作物への影響を心配しているが、風雨が強く巡回に出られないため状況を確認できずにいる。

 座間味、渡名喜、渡嘉敷の三村でも風雨が強く、役場職員はパトロールができない状態。渡名喜村では小中学校の体育館の屋根が全部吹き飛び、渡嘉敷村では村道の阿波連線でがけ崩れがあり、一部で一方通行になっている。座間味村の阿嘉、慶留間島では電話が不通となっている。

2001/09/12(Wed) 沖縄タイムス

そして大きな爪痕を残して,ようやく去って行きました。

離島に深刻な被害/ライフライン各地で寸断/台風16号

 3日間にわたって久米島、慶良間などを暴風雨に巻き込んだ台風16号がようやく去った13日、復旧へ向けた動きが始まった。災害救助法を適用した渡名喜村には自衛隊ヘリが生活物資が運び、沖縄電力もチャーターヘリで島へ渡り、復旧作業に取り組んだ。水、電気などライフラインが至るところで寸断され、家屋被害、がけ崩れなど台風のつめ跡が生々しく残る島々。渡嘉敷村では道路が崩落、阿波連集落が孤立状態に。渡名喜村でも家屋浸水した水はまだ引かない。渡名喜小中学校体育館も使えなくなった。島が日常生活を取り戻すには、まだ時間がかかりそうだ。また、農作物の被害も全県で7億3200万円に上った。

渡名喜村・被害家屋90軒/15世帯29人避難

 渡名喜村では発電施設が被害を受け、11日午後から停電が続き、淡水化施設が故障したため断水が続いている。同村役場の又吉栄さん(38)は「浸水などの被害家屋は約90軒、全世帯の半分近くになる。下水処理施設がうまく動かず、水洗トイレが使えない状態。早く電気が復旧してほしい」と疲れた様子だった。夜はろうそくと懐中電灯で過ごしている。同村役場によると15世帯29人が村老人福祉センターに避難中だ。

ヘリで飲料水、毛布など輸送/災害救助法で自衛隊

 渡名喜村に災害救助法を適用したことを受け、県の要請で13日、自衛隊ヘリが五回にわたって飲料水約5トン、毛布百枚、衣類約100着、電気復旧のための資材や電気工事技術者など29人を渡名喜村へ運んだ。

 沖縄電力は同日、渡嘉敷島と阿嘉島にも独自にチャーターしたヘリで電気復旧のための資材や技術者を運び、同日から復旧作業を始めた。

久米島・土砂被害22件/農作1億4000万

 久米島では11日からの長時間の雨で床上浸水が五棟、床下浸水六棟の被害が出た。仲里村では土砂で道路ののり面や路肩が崩壊する被害が22件あった。

 仲里村経済課によると、農作物への被害も大きく、被害総額は約1億4000万円に上ると予想している。サトウキビを生産している吉永安扶(67)=仲里村真我里=さんは「2月に春植えをした分は梢頭部が折れてしまい、収穫量がかなり落ちる。成長が良く、今年は豊作型だと喜んでいたのにがっかり」と落胆した。

渡嘉敷村・村道の交通遮断/旅客80人足止め

 渡嘉敷村役場によると、13日午後7時現在で、床下浸水三軒、地滑りなど十カ所に被害があった。四地区の停電が復旧していない。

 12日夜に降った大雨の影響で、村道阿波連線の路肩が落ちて交通が遮断、水道の送水管が破損。役場によると「同日中の復旧作業のめどは立たず、阿波連地区に送水できずに、配水池の水で対応した」と話している。約80人の観光客が足止めを食った同地区では14日、漁船で渡嘉敷港に客を移送し、住民へ物資を運ぶ予定だという。

座間味村・住宅損壊59棟/浸水24世帯

 座間味村役場によると13日午後7時までに、強風時のドア開閉で60代男性が軽傷を負った。住宅は全壊九棟、半壊30棟、一部破損20棟、床上浸水三世帯、床下浸水21世帯、船舶の沈没四隻、がけ崩れなど六カ所、約200世帯の電話が不通となっている。

久米島など停電続く

 沖縄電力広報室によると13日午後7時現在、沖縄本島周辺の離島で停電していた500世帯のうち、久米島、渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶留間島、渡名喜島事業所などを除いた一般世帯の停電が解消したが、久米島で40世帯、渡名喜島でも多くの停電世帯が残った。渡名喜島での全面復旧は15日の見込み。NTT西日本那覇支店によると13日午後8時現在、座間味村の阿嘉島、慶留間島のほぼすべての世帯にあたる190回線の電話が不通になっている。

45便が欠航1600人影響

 台風16号の影響で13日、那覇―久米島など離島路線を中心に45便が欠航し、1664人に影響が出た。14日の運航については琉球エアーコミューターが粟国、慶良間、久米島については気象状況を確認した上で当日に運航を決定する。ほかの各社定期便は全路線平常運航の予定。船舶も当日の天候を見極めて運航を決める。

2001/09/14(Fri)
琉球新報

こののち台湾で再び迷走することになります。

ちなみに,沖縄を迷走した台風といえば,1924年の「八月六日ヨリ二十三日ニ至ル颱風」があります。進路を「気象要覧」から要約すると,

6日小笠原の南西に現われ北西に進み,紀州はるか沖で西に向きをかえ,10日沖縄島の北部をかすめて12日には少し南に移り宮古島付近に到ったが,これより過去の経路をほとんど逆進して14,15日の両日再び沖縄島を過ぎてついに大東島付近に引き返し,17日北西に向きをかえ,奄美大島付近を経て肥前五島の外側をまわり,20日壱岐・対馬の間を,21日隠岐を,22日青森県を経て23日千島に去る。6日出現から23日千島に去るまで18日間を要し,大東島・宮古島の往復に1週間かかった。

那覇では「強風約百時間,烈風約百二十時間,颶風十二時間」に及びました。

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[2020/09/11] 切れていた画像へのリンクを修正しました。

トトロバス停が倒壊 (2004年)

大分県宇目町轟《ととろ》にその名もととろというバス停があります。昔からあったようですが,名前が「ととろ」である上に,雨の中サツキがメイを背負ってお父さんの帰りを待っていた「稲荷前」バス停に雰囲気が似ているというので,有名になりました。

さて,2004年8月28日09時,カロリン諸島の東に台風18号が発生しました。その後ゆっくりと西北西~北西に進み,日本列島に近づいてきます。

そして9月5日17時半ごろ沖縄本島付近を通過,7日09時半ごろ長崎市付近に上陸しました。

平成16年 台風第18号に関する情報 第73号

 平成16年9月7日09時40分 気象庁予報部発表

(見出し)
台風第18号の中心は、7日9時半頃に長崎市付近に上陸しました。

(本文)
なし。

この台風18号の強風によって,ととろバス停が吹き倒されてしまいました。

 宇目町轟(ととろ)地区の「ととろの里」で、台風18号のため、「ととろ」バス停の待合所が倒壊した。町では建て替えを検討しているが、「ピカピカのバス停にしてもイメージが壊れるし…」と頭を悩ませている。

 「ととろ」バス停は大分バスの現役のバス停。「となりのトトロ」のブームで一躍、有名になり、多くの観光客が訪れるようになった。

 地区の人によると、待合所は五十年ほど前に建てられたもの。今月七日の台風18号で小屋ごと飛ばされ、ひっくり返った状態で数メートル後ろに倒れた。現在、「メイ」と「サツキ」姉妹の看板だけが雨ざらしのまま待合所の跡に立っている。

 待合所は二平方メートル余りの小屋。昔懐かしい雰囲気が売り物だけに、町企画商工課は「新しい材料を使えばすぐにでも建て替えられるのだが…。イメージに合う古材がなかなか見つからず、困っています」と話している。
[大分合同新聞]

ところが意外に早く,この年の9月17日には復活しました。

 台風18号で倒壊した宇目町轟(ととろ)地区の「ととろ」バス停待合所が十七日、新しい小屋に建て替えられた。

 大きさは以前のものとほぼ同じ。町企画商工課によると、古い雨戸を壁に使うなど、できるだけ古材を用いたが、手に入らなかった部分は新しい木材を使用。ボランティアの協力を得て、古い雰囲気が出るような色に仕上げた。以前はトタンだった屋根は杉皮ぶきに。地区の人からも「前のよりいいわあ」と好評だ。

 小屋の左右に付いていた絵も元のままだが、以前の待合所に立てられていた「トトロ」の看板は、台風で割れてしまった。「トトロがいなくなって、バス停がちょっと寂しくなっちゃったかなぁ」と町職員。[大分合同新聞]

ところで,このととろバス停,写真で見る限り“田舎”にあるというだけでアニメの「稲荷前」バス停と似ている感じはまったくしません。そもそもアニメのバス停には“待合所”はありません。もしあったら,サツキは傘を差したままメイを背負っている必要はなく,またトトロも雨の中に立っている必要がなかったわけで,トトロとの出会いも違ったものになっていたでしょう。もっとも,あのデカいトトロがバス停の中で座ってねこバスを待っているという状況は想像できませんが(笑)

このサツキとメイのトトロとの出会いがいつだったかという考察についてはサツキとメイ,トトロに会う | Notenki Express 2014をご覧ください。

この記事は「ととろ」バス停が倒壊 | 能天気Express Hyperに加筆・修正したものです。

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波除碑~寛政三年九月四日の高潮~

江東区木場にある洲崎神社の境内に波除碑《なみよけひ》があります。

寛政三年九月四日(グレゴリオ暦で1791年10月1日)の高潮で洲崎一帯に甚大な被害があったため,幕府がこのあたり一帯の土地を買い上げて空き地とし,家をつくることを禁じました。そして寛政六年に建てた2つの波除碑のうちのひとつがこの碑なのだそうです。

もうひとつの波除碑は,同じ江東区内の平久橋《へいきゅうばし》の西詰にあります。説明文によるとこちらは波除碑《なみよけのひ》となっているので,名前が少し違う……のかもしれません。

この寛政三年九月四日の高潮は『武江年表』に次のように記述されています。

大嵐,昨夜中より大雨,南風烈く,八月より強し。巳刻,高潮,深川洲崎へ漲りて,あはれむべし,入船町・久右衛門町壱丁目弐丁目と唱へし吉祥寺門前に建つらねたる町家,住居の人数と共に一時に海へ流れて,行方を知らず。弁才天社損じ,拝殿・別当所,其外流失。其かへしの浪,行徳・船橋塩浜一円につぶれ,民家流失す。其外諸方家屋吹損じ,川々水謐る。昼時にいたり潮引く。関東筋すべて洪水あふる。

この年は八月六日と八月二十日にも台風による被害があり,とくに八月六日には高潮が起こっています。『武江年表』に

八月六日,大風雨。小田原辺より江戸迄,海辺,高潮上る

とあります。九月四日の高潮はこれよりも規模が大きかったようです。

2009年9月12日に土曜ワイド劇場のワクでドラマスペシャルとして放送された「だましゑ歌麿~美人画浮世絵の秘密珠玉の時代ミステリー天才絵師!喜多川歌麿最愛の妻、変死の謎」の冒頭に,江戸は未曾有の暴風雨に見舞われ……という話が出てくるのですが,この寛政三年九月四日の高潮を起こした台風かもしれません。

洲崎神社

説明板によると,元禄時代にこの地に遷ったころは「海岸にして絶景」だったそうです。今では想像もできませんが。

上の『武江年表』からの引用文中にある“弁才天社”とはこの洲崎神社のようです。

ちなみに,「だましゑ歌麿」にも“洲崎弁天の裏手”という場所が出てきます。

場所はここ↓

波除碑《なみよけひ》

洲崎神社の境内にあります。

平久橋と波除碑

平久橋はここ↓

周辺

新田橋

NHKの朝ドラ「天うらら」に出てきた赤い橋です。

富岡八幡神社

1876年9月16~18日ごろ関東地方に上陸した台風の影響で,境内にあった大松・老桜が根こそぎ倒れたという記録があります。

荒川水位表示塔

周辺というにはちょっと遠いですが,江東区役所前にあります。

表示器には荒川の水位がリアルタイムで表示され,塔には過去に東京湾で起こった高潮のときの潮位が示されています。参考として伊勢湾台風時の名古屋港の潮位も刻まれています。

ちなみに,同じような塔がなぜか亀戸駅前にもあります。

この記事はその他いろいろなところ2をこちらに移してきたものです。多少追加しています。

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DQNの川流れ (1999年)

当時かなり話題になった事件ですが,もう16年も前ですからカビが生えていてもおかしくはないですね。でも,次の動画をご覧になれば記憶が甦るかもしれません。

当時のネットニュースから引用します。

 北上する熱帯低気圧の影響で、関東地方は13日夜から14日にかけて激しい雨が降り、各地に大きな被害をもたらした。神奈川県山北町では、玄倉(くろくら)川の川岸でキャンプ中だった子ども5人を含む18人が増水で中州に取り残された。14日朝から現地の消防組合などが出動したが、救出作業中に鉄砲水で全員が流された。このうち4人は自力で対岸に泳ぎ着くなどしたが、同日夜になっても14人が行方不明になっている。県は不明者の捜索、救助のため、自衛隊に災害派遣を要請した。神奈川県では、藤野町の道志川でもキャンプ中の男性2人が行方不明になっている。厚木市の相模川河川敷でも3人が中州に孤立したが、海上自衛隊のヘリに救助された。多摩川の増水で、東京都世田谷区や川崎市幸区では一部住民に避難勧告が出された。

 神奈川県警松田署などによると、玄倉川でキャンプをしていたのは、横浜市金沢区のスクラップ会社「富士繁(ふじしげ)」の社員やその家族ら。一行は13日に21人で、玄倉発電所の上流約100メートルの川岸でテントを張ってキャンプを始めたが、うち3人はその後引き揚げたという。

 雨が激しくなった午後8時過ぎ、玄倉発電所を管理する県企業庁の見回り職員が一行に避難を勧めたが、断られたという。松田署も避難を呼びかけていた。

 14日午前8時過ぎ、発電所職員が、中州になり、孤立している18人を発見。午前9時過ぎ、通報を受けた足柄上消防組合の6人が現場に到着したが、増水で中州は覆われていた。川岸からロープを渡して救助を試みたが、11時40分ごろ、鉄砲水があり、18人が次々と川に流された。

 1歳の男児1人はすぐに救出され、さらに夕方になって、子ども1人を含む3人が対岸にいるのが確認された。残る14人の行方はわかっていない。(asahi.com)

のちに判明したことなどを含めたまとめは例えば

などをご覧ください。これ以外にもググればいくらでも出てきます。

ちなみに,この事故の現地からのレポートでなんたら予報士の資格をもつと思われるレポーターが1時間に38mm程度の雨に対し力を込めて“記録的な大雨”などといっていましたが,この程度の雨ならいつどこで降ってもおかしくありません。どういうつもりのレポートだったのか,意図不明です。むしろあのような増水は日常的に起こることを強調すべきだったでしょうし,実際,地元の人の話によると年に数回は起こっているとのことでした。

ところで,DQNの川流れには先例があります。キャンプ中の中州に濁流 9人死亡 | Notenki Express 2014をご覧ください。DQNな教師に引率された生徒たちの悲劇です。

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