九十九里で津波被害(1877年)

1877年5月11日,九十九里に津波が襲来し,犠牲者が出たもようです。

この津波は1877年5月10日にチリ沖で発生したM9.0のイキケ地震による津波がはるばる太平洋を越えて到達したものです。

『日本被害津波総覧[第2版]』によると,太平洋沿岸各地で津波が観測され,チリ北部で死者多数,ハワイでは死者5人,家屋破壊37棟などの被害がありました。日本でも函館2.4m,釜石3m,東京湾0.7mなどの津波が観測されています。

14日付の読売新聞には次のようにあります。

午後四時過ぎ滿潮で凡そ一尺あまりも引汐になると又だんだんと二尺ほども揚て來たゆゑ海邊や川筋の者は膽をつぶし大地震でも有はしまひか何だか氣味の惡い變亊だと云てゐるうちに引てしまいひました・・・・

15日付の読売新聞には九十九里での被害のようすが次のように書かれています。

・・・・午後四時ごろに再び冲の方から大波を打よせ老若男女の周章は大たならず見る間に海岸が平ら一面の浪になり其内老人子供は泣々浪に引込まれ其きり命を捨たもあり九死をのがれて小高い所へ逃のびたも有て村々は死人怪我人が餘ほど有ツた樣子で實に眼も當られぬ憐れな亊なほ委しくハ跡よりと?して來ました

北上川で12日から洪水が起こり,13日には水位が“一丈”も上がったようですが,これについては11日の大雨による影響もあるかもしれません。

具体的な被害については『日本被害津波総覧[第2版]』にも

函館と三陸沿岸で被害があった。また房総半島で死者を含む被害があった。

とあるだけです。おそらく自治体編纂の地域誌にも記述がないのでしょう。

ちなみに,当時の新聞の同じ面には

二月十七日ハ西郷隆盛が鹿児島出立にて・・・・

などという記事があり,歴史を感じます。

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