一昨年はハローキティ誕生30周年とのことで(http://kitty30.com/),各地で(?!)いろいろなイベントが行なわれたらしいです。見かけによらず意外と年とっているんですね(笑)
そのハローキティ,今でこそみんなに愛されるキャラクターになっていますが,その前世は恐ろしい台風だったという衝撃の事実(?!)をご存じでしょうか。
ハローキティが誕生する25年前の1949年8月28日,マーシャル群島北方のマーカス島近海で台風が発生し,キティと命名されました。
キティはその後西北西に進み,30日21時には鳥島の東方約200kmの海上に達し,ここで進路を北西に変え,31日10時ごろ八丈島を通過しました。このとき八丈島では約1時間にわたって眼を観測,また最低気圧957.3mb,最大風速33.2m/s,最大瞬間風速47.2m/sを記録しました。
そして17時ごろ針路を北に転じ,速度を速めながら19時すぎに小田原の西に上陸しました。このときの中心気圧は960mbと推定されています。その後東京の西部,熊谷付近を通過して,二百十日の9月1日00時には日本海に抜けて温帯低気圧になりました。
キティの通過が満潮時と重なったため,東京の潮位は3.15mを記録するなど,東京湾では1917年以来の高潮に見舞われました。このため江東区の南砂町では約5000人が孤立,また横浜港では船舶の沈没・流出が134隻に達するなど,開港以来の惨状を呈しました。
雨は総量としては少なかったのですが,山間部の東および北東斜面で比較的短時間に多量に降ったところがありました。群馬県の勢多郡東村沢入地区では土石流によって31人が犠牲になりました。また桐生市では渡良瀬川の堤防が決壊し,30人が死亡または不明になりました。
キティ台風による被害は死者不明160,負傷479,破損住家17203,浸水144060,船舶2907に及びました。
ところで,翌2日の新聞に気になる事件の記事が載っています。
一日朝九時ごろ荒川区南千住一〇の一四〇都営住宅止宿,露天商斎藤作次(六一)さん長女登美子(二〇)さんが自宅四畳半で黒のモンペ姿のままうつ伏せとなり絞殺されているのを隣家の石井商二(五七)さんらが発見,南千住署汐路橋派出所に届け出た……犯行時刻は同地一帯が浸水のため付近の学校に避難した午後九時半過ぎらしく室内は台風準備がキチンとされ紛失物も暴行された形跡もないが卅一日夜まで登美子さんと一緒にいた父作次さんの姿が見えぬのでその行方を探している
(9月2日付読売)現場の自宅は台風で水びたし,ガラス戸が壊れ家具も散乱していた。(9月2日付朝日)
要するに,荒川区南千住で1日09時ごろ,台風で水びたし,ガラス戸も壊れている住宅の中から,若い女性の絞殺死体が発見されたというのです。しかも父親は行方不明。犯行はキティ台風の暴風雨の最中に行なわれたらしい……。
被害者の女性は汐路小町とよばれる美人だったそうです。
この事件は解決したのでしょうか。気になります。気になるその後については暴風雨の中の惨劇その後 | Notenki Express 2014をご覧ください。
このキティ台風のように,敗戦直後のある時期,細かくいえば1947年から1952年にかけて,台風には英語の女性名がつけられていました。最初に女性名がついたのは1947年の3番目の台風で,キャロルCarolでした。そして,この年に東京の下町を水没させたカスリーン台風によって,この女性名シリーズが一般に認知されたようです。
カスリーン台風の後も,毎年のようにアイオン(1948),デラ(1949),上で紹介したキティ(1949),そしてジェーン(1950)などがやってきて大きな被害をもたらしました。
[2015/08/31(Mon)] 一部修正
[2019/08/31(Sat)] 台風の経路図追加