第1回JC

1981年11月22日,冬型の気圧配置になって木枯らしの吹く東京競馬場で,第1回ジャパンカップが行なわれました。

外国からは7頭が参戦しましたがとても一流とはいえないメンバー。しかもヨーロッパからの参加はなし。迎え撃つ日本馬は,当時のトップホースだったホウヨウボーイモンテプリンスを含め8頭が出走しました。

勝ったのはアメリカのメアジードーツで,それまでの日本レコードを0.5秒更新する2.25.3のタイム。日本馬は「日の丸特攻隊」サクラシンゲキが前半の1000mを57.8秒という気違いラップでブッ飛ばしたのが目立っただけで,最高着順は公営出身のゴールドスペンサーの5着という惨敗でした。サクラシンゲキ小島太がレースをブチ壊したともいえるでしょう。

海外の二流馬に席巻されて,日本の競馬関係者はかなり衝撃を受けたらしいです。σ(^^;)はただの傍観者ですから,しょせんこんなものと思っただけです。当時,海外の競馬なんてほとんど知らなかったですが。

第1回ジャパンカップの話題を独占?したのは「インドのシンザン」オウンオピニオン。ゾウと併せ馬をやったなどというウワサもありましたが,ホントのところはどうだったのでしょうか。

トルコからもデルシムという馬が招待されて来日したのですが,調教中に故障して,レースに参加することなく帰って行きました。

ショックのあまり20年は勝てないのではないかとか思われた日本馬ですが,実際には3年後に(ただし,日記上では3日後に(爆)),意外な形で勝つことになります。