尾崎紅葉作のキンイロヨルマタ……ではなくて『金色夜叉』の有名な場面――とはいっても『金色夜叉』自体いまではかなり忘れられていますが(σ(^^;)も『金色夜叉』を通しで読んだことはないです),貫一が
吁《ああ》、宮《みい》さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処《どこ》でこの月を見るのだか! 再来年《さらいねん》の今月今夜……十年|後《のち》の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ
といって“不倫”をはたらいたお宮を足蹴にしたのは1月17日のことです。
この1月17日ですが,
打霞《うちかす》みたる空ながら、月の色の匂滴《にほひこぼ》るるやうにして、微白《ほのじろ》き海は縹渺《ひようびよう》として限を知らず、譬《たと》へば無邪気なる夢を敷けるに似たり。寄せては返す波の音も眠《ねむ》げに怠りて、吹来る風は人を酔はしめんとす。打連れてこの浜辺を逍遙《しようよう》せるは貫一と宮となりけり。
などと春っぽい描写があるので,旧暦であることは明らかです(したがってこのブログ的な表記では“一月十七日”)。これがもし現在の暦(グレゴリオ暦)の日付なら,次の年の今月今夜,貫一が「ようし,僕の涙で月を曇らしてやるぞ……」と手ぐすね引いて待っていても,次の日(18日)の未明まで月は昇ってこないという,なんともおマヌケな話になってしまいます。
例えば,『金色夜叉』の新聞連載開始は1897年なので,1897年1月17日のお月さまを調べると,月齢は13.9,月の出は15時08分,南中は22時48分で,大昔turbo pascalでつくった自前のプログラムで調べたので多少の誤差があるにしても,熱海の海岸を散歩するにはいい月夜だったかもしれません。ところが翌年の1898年1月17日は月齢24.3で,11時36分に月はすでに沈んでおり,次の日(18日)の02時32分まで昇ってきません。
はたして貫一さんは無事に月を曇らすことができたのでしょうか……。
ちなみに,日本で太陽暦が採用されたのは『金色夜叉』の連載がはじまる20数年前の1873年でした。この時期になっても旧暦的な場面設定がされているということは,知識人の間でも“新暦”は普及していなかったんでしょうか……。
今年の一月十七日は3月6日です。
※『金色夜叉』の引用には青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)のファイルを使わせていただきました。ありがとうございました。