チャララーン(2)

チャララーン,チャラララーン,チャラチャー,チャーラララーンの続きです。長すぎるタイトルを端折って短くしました(笑)

第五連隊の雪中行軍とほぼ同じ時期,福島泰蔵大尉率いる同じく第八師団第四旅団の歩兵第三十一連隊の雪中行軍隊が逆のルートから第五連隊よりもはるかに長い234kmの踏破を12日かけて成功させました。

小説や映画では話を面白くするために,第五連隊と第三十一連隊が互いに競い合ったり(というより競い合うように仕向けられたり),神田大尉と徳島大尉が八甲田山中での再会を約束したりしていますが,そこは縦割り組織のこと,お互いのことはまったく知らなかったというのが真相のようです。

第三十一連隊の雪中行軍隊の成功は,道案内に立った民間人によるところが大でした。とくに増沢から八甲田山中を命がけで先導した大深内村の7人は,現在でも「七勇士」とよばれ称えられているそうです。

最大の功労者であるはずのこの7人は,用が済むとひとことの感謝のことばも受けなかったばかりか「過去2日間の事は絶対口外すべからず」と脅しをかけられ,雪の中に置き去りにされました。しょせん帝国陸軍とはその程度のものでしょう。ちなみに,映画「八甲田山」が上映されたときは,なぜかこのシーンがカットされていました(DVD版にはあります)。

それはともかくとして,隠さなければならないような何があったのか――謎に包まれています。第五連隊の雪中行軍隊の遭難死体を見てしまった……と考えるのがふつうでしょうが(軍の恥になることだから),ひょっとして第五連隊の生存者を見殺しにしたのではないか……と考える人もいます(川口泰英『雪の八甲田で何が起ったのか』)。

ついでに,第五連隊の大隊長の山口少佐は生還後ピストルで自殺したことになっていますが,重度の凍傷を負った指でピストルの引き金が引けるのかという疑問などがあり,発見時すでに死亡していたのに,当時の考えでは指揮官の死亡すなわち負けだから,体裁を繕うために生きていることにしたのでは……ともいわれています。

さて,八甲田の雪中行軍からちょうど3年後,第五連隊と第三十一連隊が所属する第八師団はいわゆる「黒溝台の会戦」ではじめてロシアとの戦闘に参加しました。

この戦いは厳冬期にはロシア軍は戦いを仕掛けてこないと勝手に思いこんでいた無能な陸軍首脳部の虚をついて手薄な左翼方面に大攻勢をかけてきたものです。戦いは激戦となり,第三十二連隊に移っていた福島大尉と第五連隊の雪中行軍隊の生存者のひとりだった倉石大尉はともに戦死しました。

ちなみに,映画「八甲田山」の最後のテロップでは全員が戦死したとなっていますが,生還した人もいます(伊東=伊藤中尉など)。映画や小説はあくまでフィクションです。

(完)

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