東京砂漠に干天の慈雨

東京五輪の1964年。この年の夏の東京は空梅雨に加え梅雨明け後は猛暑となって雨はほとんど降らず,7月22日からは最高気温31℃以上の日が延々と続いていました。このため水源地である小河内,村山,山口などの貯水場は湖底が現われ,干上がる寸前にまで追い込まれる状態。東京都は7月21日から35%節減の第三次給水制限,さらに8月6日からは45%節減の第四次給水制限を実施しました。

8月20日の予報も「にわか雨のち晴」。ところが,予報に反して雨はいっこうに降り止まず,21日00時まで61.9mmの大雨となりました。

水源地周辺でもかなりの雨が降り,8月下旬にはいると断続的に雨が降るようになったこともあって,水飢饉の危機はいちおう去りました。

ところで,東京五輪の日程について,はじめのころに出された東京都の案は,7月下旬~8月上旬に開催するというものでした。こんな日程で開催していたらどうなっていたか,想像するだけで楽しいです。

ちなみに,東京五輪の開会式が10月10日に決まった経緯については,当ブログ能天気Express~新世界版~  10月10日は晴れの特異日ではなかったをご覧下さい。晴れの特異日だから10月10日に決まったというのは真っ赤なデタラメです。

ついでですが,代々木につくられた東京五輪の選手村がこのあと9月に台風に襲われることになります。

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