1954年11月28日10時40分ごろ,富士山の吉田八合目付近で雪崩が発生,七合目付近で雪山訓練中の東大,慶大,日大の学生がこれに巻き込まれ,15人が死亡しました。
29日付毎日新聞より:
“八甲田山”以来の規模
学生登山として日本最大“雪山の遭難の歴史”のなかでなまなましい記録はまず明治三十五年一月雪中を行軍演習のため青森県八甲田に向ったまま歩兵伍長ほか十一名を残して消息を絶った青森歩兵第五連隊二百余名の将兵の遭難事故に始まる。・・・・
なんと,映画「八甲田山」「天は我々を見放した……」で有名なあの陸軍第五連隊の遭難が引き合いに出されています。
もっとも,八甲田山で死の雪中行軍が行なわれたのは1902年ですから,当時としては52年前のできごとに過ぎず,今からこの学生集団遭難を振り返るのとあまりかわりはありません。
「八甲田山」については↓をどうぞ。
この日は低気圧が発達しながら日本の南岸を通過しており,伊豆諸島,静岡県東部,関東南部を中心に強い風雨になっていました。富士山では18時に風速43.8m/sを観測しています。こんなときに雪山訓練なんてやらなくてもねえ……。
ちなみに,富士山では1972年3月20日,春一番をもたらした低気圧によって死亡・不明24人の遭難が起こっていますが,それについては春三番の大嵐 (1972年) | Notenki Express 2014で少しふれています。