関東南部でも大雪の恐れ!?

大雪に関する関東甲信地方気象情報 第3号
平成21年3月3日16時30分 気象庁予報部発表
(見出し)
関東甲信地方では、これから4日明け方にかけて広い範囲で雪となり、甲信
地方や関東地方の南部では大雪となるところがあるでしょう。雪による交通
障害、路面の凍結、着雪などに注意して下さい。
(本文)
[気象状況と今後の予想]
 3日夜から4日朝にかけて、低気圧が関東の南海上を東に進む見込みです
。
 3日16時現在、甲信地方で雪が降っており、すでに積雪となっていると
ころもあります。また、関東地方でも雪の降り始めているところがあります
。
 関東甲信地方ではこれから4日明け方にかけて広い範囲で雪となり、甲信
地方や関東地方の南部では大雪となるところがあるでしょう。
[降雪の予想]
 4日18時までの24時間降雪量は、いずれも多い所で
  関東地方南部の山沿いと甲信地方   10から15センチ 
  関東地方南部の平野部と関東地方北部  5から10センチ
の見込みです。
[防災事項]
 雪による交通障害、路面の凍結、着雪などに注意して下さい。
[補足事項]
 今後、地元気象台の発表する注意報や気象情報に留意して下さい。
 次の「大雪に関する関東甲信地方気象情報」は3日22時頃発表の予定で
す。

こういうときはサービス残業なんてしていないでとっとと帰りましょう。

江戸の桜田 雪が降る(1860年)

万延元年三月三日の上巳の節句,早い話がひな祭り,頃は五ツ半時(午前9時ごろ),あかりをつけましょ ぼんぼりに――ではなくて,総勢60余人からなる大老井伊掃部頭直弼の行列が桜田門外にさしかかったとき,お花をあげましょ 桃の花――でもなくて,18人の水戸浪士らが行列に襲いかかり,五人ばやしの 笛太鼓――いいかげんシツコいですが,早い話が大老を暗殺しました。世にいう桜田門外の変です。

赤穂浪士の討ち入りや二・二六事件の襲撃のときは実際には雪は降っていなかったのですが,このときは実際に雪が降っていました。ただ,ドラマや映画で描かれているような“大雪”ではなかったようです。と,見てきたようなことをいう>σ(^^;)

60余人ものお供の者がついていながら大老をむざむざ討ち取られてしまったのは,すべてが戦闘員というわけではなかったからということもあるでしょうが,もっとも大きな理由は,この日は朝から雪が降っていたため,雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったからといわれています。さらには,テロ集団がまさか白昼堂々と襲ってくることはないだろうという,油断というより固定観念のようなものがあったのかもしれません。

万延元年三月三日は今の暦では1860年3月24日にあたります。晩雪ではありますが,現在の平年値でも東京の終雪は3月11日,3月の降雪日数は2.2日ですから,とくに珍しい現象というほどではありません。ちなみに3月の最深積雪は1969年に記録した30cmです。

なお,藤原ハカセによると,この日赤い雪が降ったといって江戸の人が騒いだそうです。(1925年1月31日付東京朝日)

井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ

桜田門外の変のあと,文久二年正月十五日に老中安藤信正がやはり水戸浪士らに襲われる坂下門外の変が起こりました。このときは老中側のテロ対策が抜かりなかった……というよりも襲撃側の計画がかなりズサンだったらしく,老中は軽傷を負っただけで,襲撃側が全滅しました。この日は現在の暦では1862年2月1日にあたり,時期から見て雪が降っていたかも……と思ったのですが,どうやら雪が降っていたという記録はないようです。

これは今の桜田門。邪魔な“内堀ランナー”の通り道になっています。

筆者は桜田門と聞くと桜田門外の変よりもむしろこれが真っ先に思い浮かびます。

土曜ワイド劇場や今はなき火曜サスペンス劇場の見すぎなのでしょうねえ。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

【付記】写真を追加。それに伴い一部書き換えました。[2015/03/02]