大阪万博の開会式は雪?(1970年)

万博開会式の前日の1970年3月13日,大阪では午後から雪が降りはじめ,千里丘陵一帯は白一色におおわれました。

沖縄北方海上から時速五○キロで東北東進した低気圧“台湾坊主”のため,西日本は十三日朝から太平洋岸を中心に雪。大阪管区気象台は同日午後二時半,大阪,兵庫など各地に大雪注意報と,大雪情報を出した。

それによると,近畿地方は十三日夜いっぱい雪の続く可能性があり,ところによってはかなり積るおそれがある。万国博の始る十一時までにあがるかどうかは微妙,といっている。

大阪の平野部で五センチ程度の積雪が見込まれており,会場への交通停滞,招待客の誘導などに混乱の起る心配も出てきた。
(14日付朝日朝刊)

3月の最深積雪(1969年)

1969年3月12日の東京は,未明から雪が降りはじめ,15時には積雪が30cmに達しました。これが東京における3月の歴代最深積雪になっています。

というわけで,昨日の日記で紹介した気象庁の名誉回復をかけた思い切った雪予報は当たったかに見えますが……。

予報吹き飛ばす猛吹雪
気象庁また降参
“天気図づくりに数時間”
台湾坊主大あばれ
気象庁でもさる四日の“大はずれ予報”に泣いたばかりなので,昨日の十一日午後には「雪」をいち早く予報したものの「これほど降るとは……」と大あわて。(12日付読売新聞夕刊)

この大雪のため,例によって国電(当時)はポイント故障が相次ぎ,ダイヤは大幅に乱れました。「国鉄運休は史上最大」(13日付日経朝刊)ともいわれています。懐かしの玉電(東急玉川線)はラッセル車がなかったため,世田谷区三宿付近で13台が立往生したほか各地で電車が閉じ込められ,運転が不可能になりました。

一方,雪の影響を受けなかった地下鉄は“殺人ラッシュ”。窓が割れ,けが人続出,機動隊まで出動する始末でした。とはいうものの,殺人というわりには誰も死ななかったようです。

またこの日,東大人文系大学院(修士課程)の入試が,反代々木系学生の妨害を避けるため,学内ではなく代々木ゼミナールで行なわれましたが,この雪の影響で試験は20分遅れてはじまりました。地方からの上京組も多く,「この雪だし,場所はわからないし……」とボヤく学生も多かったとか。

ちなみに,“反代々木系”といっても別に“親身の集金 日々是決算”の予備校に反対していた集団でないことはいうまでもありません。

反代々木系といえば,日大の反代々木系のボス,日大全学共闘会議議長の秋田明大(23)という人物が,渋谷区神宮前の知人宅に潜伏中,雪かきをしているところを通報され,逮捕されたのもこの日でした。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

気象庁が思い切った雪予報(1969年)

1969年3月12日付朝日新聞朝刊より――:

「関東地方きょうは雪模様」

気象庁が思いきった予報 名誉回復へ

十二日は関東以西から近畿地方の太平洋側に,またかなりの雪が降る――「雪予報」は,からっきし当てにならない気象庁が,名誉ばん回と十一日,かなり思いきった雪予報を出した。この朝,台湾付近に「台湾坊主」といわれる低気圧が発生,発達しながら北東に進んできたからだ。

果たしてどうなりましたことやら……。
にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

気象庁が思い切った雪予報(1969年)

1969年3月12日付朝日新聞朝刊より――:

「関東地方きょうは雪模様」
気象庁が思いきった予報 名誉回復へ

十二日は関東以西から近畿地方の太平洋側に,またかなりの雪が降る――「雪予報」は,からっきし当てにならない気象庁が,名誉ばん回と十一日,かなり思いきった雪予報を出した。この朝,台湾付近に「台湾坊主」といわれる低気圧が発生,発達しながら北東に進んできたからだ。

果たしてどうなりましたことやら……。

ハイセイコーの“都落ち”(1973年)

1973年3月4日,ハイセイコーが中央競馬に颯爽とデビューしました。

この日,南海上の移動性高気圧におおわれて午前中は晴れていましたが,日本海と九州の南海上に低気圧が進んできたため,午後からくもってきました。しかし,気温は平年並で,競馬観戦にはまずまず。こんな陽気も手伝って,第10回弥生賞が行なわれる中山競馬場には,ハイセイコーをひと目見ようと前年の有馬記念より多い12万人を超える大観衆が詰めかけました。スタンドには観客があふれ,金網を越えて観客が芝コースにこぼれ落ちたという伝説は実話で,映像にも残っています。

--------------------------------------------------------------------
1973年 3月 4日(日) 1回中山4日  天候: 曇   馬場状態: 良
10R  第10回報知杯弥生賞
4歳・オープン  芝 1800m   10頭立
--------------------------------------------------------------------
着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム 人     廐舎
--------------------------------------------------------------------
1 6  6  ハイセイコー    牡 4 増沢末夫  55  1.50.9  1  鈴木勝太郎
2 5  5  ニューサント    牡 4 伊藤正徳  55  1 3/4  6  尾形藤吉
3 4  4  キクカギョクリュウ 牡 4 東信二   55  1 1/2 10  境勝太郎
4 8  9  カミノテシオ    牡 4 加賀武見  55  アタマ  3  高橋英夫
5 1  1  ベルロイヤル    牡 4 矢野照正  55  1 3/4  8  阿部正太郎
6 2  2  タケデンパワー   牡 4 岡部幸雄  55  クビ    7  稲葉秀男
7 3  3  タケホープ     牡 4 嶋田功   55  2      4  稲葉幸夫
8 7  7  ナスノオーカン   牡 4 田村正光  55  3/4     9  稲葉幸夫
9 8 10  クリアスカ     牡 4 郷原洋行  55  9      5  吉野勇
10 7  8  ユウシオ      牡 4 横田吉光  55  2 1/2  2  菊池一雄
--------------------------------------------------------------------
LAP :13.0-11.9-11.6-11.9-11.3-12.4-12.9-12.9-13.0
単勝 6 \110    複勝 6 \130 / 5 \290 / 4 \340
枠連   5-6 \760 (4)
--------------------------------------------------------------------

ところで,“地方から中央入り”などといわれたハイセイコーですが,ハイセイコーが所属していたのは大井競馬で,大井競馬場はご存知のように東京都心のど真ん中(からはちょっとハズレてはいますが)にあり,都下にある東京競馬場や千葉県にある中山競馬場なんかよりはるかに都会です。これでは“中央入り”というより“都落ち”が正しいでしょう(笑)

ついでに,ハイセイコーが引退するとき「さらばハイセイコー」というレコードが出たことはよく知られていますが,しばらくして「ハイセイコーよ元気かい」というレコードが出たことを知る人は少ないでしょう。作詞は寺山修司なのですが……(どうでもいいですが,私はこの人の詩や文章が好きじゃないです。あのなんともいえないひねくれた暗さに拒否反応が起こります)。さらにそれから4年後,「いななけカツラノハイセイコ」というレコードが出たことを知る人は,いまや絶滅寸前のレッドデータ的存在。「♪父よ見てくれ この脚を……」などと今でも歌える私は人間国宝級(爆) 残念ながらどこのカラオケにもない……。

にほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへ
にほんブログ村

関東南部でも大雪の恐れ!?

大雪に関する関東甲信地方気象情報 第3号
平成21年3月3日16時30分 気象庁予報部発表
(見出し)
関東甲信地方では、これから4日明け方にかけて広い範囲で雪となり、甲信
地方や関東地方の南部では大雪となるところがあるでしょう。雪による交通
障害、路面の凍結、着雪などに注意して下さい。
(本文)
[気象状況と今後の予想]
 3日夜から4日朝にかけて、低気圧が関東の南海上を東に進む見込みです
。
 3日16時現在、甲信地方で雪が降っており、すでに積雪となっていると
ころもあります。また、関東地方でも雪の降り始めているところがあります
。
 関東甲信地方ではこれから4日明け方にかけて広い範囲で雪となり、甲信
地方や関東地方の南部では大雪となるところがあるでしょう。
[降雪の予想]
 4日18時までの24時間降雪量は、いずれも多い所で
  関東地方南部の山沿いと甲信地方   10から15センチ 
  関東地方南部の平野部と関東地方北部  5から10センチ
の見込みです。
[防災事項]
 雪による交通障害、路面の凍結、着雪などに注意して下さい。
[補足事項]
 今後、地元気象台の発表する注意報や気象情報に留意して下さい。
 次の「大雪に関する関東甲信地方気象情報」は3日22時頃発表の予定で
す。

こういうときはサービス残業なんてしていないでとっとと帰りましょう。

江戸の桜田 雪が降る(1860年)

万延元年三月三日の上巳の節句,早い話がひな祭り,頃は五ツ半時(午前9時ごろ),あかりをつけましょ ぼんぼりに――ではなくて,総勢60余人からなる大老井伊掃部頭直弼の行列が桜田門外にさしかかったとき,お花をあげましょ 桃の花――でもなくて,18人の水戸浪士らが行列に襲いかかり,五人ばやしの 笛太鼓――いいかげんシツコいですが,早い話が大老を暗殺しました。世にいう桜田門外の変です。

赤穂浪士の討ち入りや二・二六事件の襲撃のときは実際には雪は降っていなかったのですが,このときは実際に雪が降っていました。ただ,ドラマや映画で描かれているような“大雪”ではなかったようです。と,見てきたようなことをいう>σ(^^;)

60余人ものお供の者がついていながら大老をむざむざ討ち取られてしまったのは,すべてが戦闘員というわけではなかったからということもあるでしょうが,もっとも大きな理由は,この日は朝から雪が降っていたため,雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったからといわれています。さらには,テロ集団がまさか白昼堂々と襲ってくることはないだろうという,油断というより固定観念のようなものがあったのかもしれません。

万延元年三月三日は今の暦では1860年3月24日にあたります。晩雪ではありますが,現在の平年値でも東京の終雪は3月11日,3月の降雪日数は2.2日ですから,とくに珍しい現象というほどではありません。ちなみに3月の最深積雪は1969年に記録した30cmです。

なお,藤原ハカセによると,この日赤い雪が降ったといって江戸の人が騒いだそうです。(1925年1月31日付東京朝日)

井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ

桜田門外の変のあと,文久二年正月十五日に老中安藤信正がやはり水戸浪士らに襲われる坂下門外の変が起こりました。このときは老中側のテロ対策が抜かりなかった……というよりも襲撃側の計画がかなりズサンだったらしく,老中は軽傷を負っただけで,襲撃側が全滅しました。この日は現在の暦では1862年2月1日にあたり,時期から見て雪が降っていたかも……と思ったのですが,どうやら雪が降っていたという記録はないようです。

これは今の桜田門。邪魔な“内堀ランナー”の通り道になっています。

筆者は桜田門と聞くと桜田門外の変よりもむしろこれが真っ先に思い浮かびます。

土曜ワイド劇場や今はなき火曜サスペンス劇場の見すぎなのでしょうねえ。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

【付記】写真を追加。それに伴い一部書き換えました。[2015/03/02]