競馬史の中の伊勢湾台風

今から56年前の1959年9月26日18時ごろ,台風15号が潮岬の西に上陸しました。死者4697人,不明401人,負傷者38921人,住家全壊40838棟,半壊113052棟,床上浸水157858棟,床下浸水205753棟など明治以降では最大の台風被害を出し,のちに伊勢湾台風と命名されることになります。

Image from Gyazo

この日,京都でも強風が吹き荒れ,京都地方気象台の観測では最大風速19.1m/s,最大瞬間風速29.0m/sでした。にもかかわらず,なんと,京都競馬場では競馬が通常どおり開催されていました。

『競馬歴史新聞』にも載っていますが,風雨の中行なわれた第4競走サラブレッド系障碍競走(2300m,7頭)は大荒れに荒れました。1番人気ナルトホマレは2周目の第4コーナーで3番人気ブゼンタニカゼに内に押圧されて競走中止,このためブゼンタニカゼは1位入線しましたが失格となり,1着は繰り上がりで5番人気のタケリユウ,2着には最下位人気のアスカリユウ1がはいり,連式(6枠連勝単式)は267,350円の配当になりました。今では3連単で毎週のように出ている配当ですが,当時としては目が飛び出るような配当だったことでしょう。

このレースでは,1着から3着まで枠順にはいっています。何も考えずに枠順に買っていれば20万馬券をゲットできたわけです。

当時発売されていた3重式2はこの日は1,2,3レースではなく2,3,4レースが対象で,的中は1票,127,680円の配当になっています。

ついでに騎手を見ると,2着にはいったアスカリユウの鞍上に松本善登の懐かしい名前が。カツラノハイセイコを思い出します3。シンザンが五冠を達成した有馬記念は,さすがに歴史で学んだクチです。他にはすでに調教師を引退された北橋修二武邦彦松永善晴の名前も見えます。武邦彦も障害に乗っていたんですね。

この日,他に荒れたレースは第1競走繋駕速歩競走(連式9,380円),第9競走(連式5,740円)くらいで,大荒れの天気の割には比較的平穏におさまったようです,

ちなみに,前年の1958年,狩野川台風の上陸の当日にも中山競馬が平常どおり開催されています4。成績公報より,狩野川台風が過ぎ去ったあとの最初のレースとなった第1競走アラブ系三歳馬競走:

JRAの公式記録ではじめて台風による中止が出てくるのは,1961年の第2室戸台風のときです。

なお,中京競馬場は伊勢湾台風で大きな被害を受けています(詳細不明)。

(Mixi日記2005年09月25日09:31に少し加筆)

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  1. 『競馬歴史新聞』ではカスカリュウになっていますが誤植かなにかでしょう。 
  2. いまのWIN5(WIN3?)のような馬券。ただ,WIN5とは違い朝から競馬場に来てもらうためのような馬券で,第1~第3レースが対象になることが多かったらしい。 
  3. カツラノハイセイコが勝ったダービーについてはこれをご覧ください。 
  4. ついでにいうと,狩野川台風が上陸したのは9月26日ではなく27日。