90年前,暴風雨の中で起こった事件

1922年6月8日にバシー海峡付近に現われた“颱風”は北東に進み,沖縄付近を経て,10日「東京灣及霞ヶ浦附近ヲ過ギテ,十一日金華山沖ニ」(気象要覧)去りました。

この颱風が関東地方を進んでいたころの話です。90年前の今日です。

強風雨のさなかの20時30分ごろ,東京府下南品川町字漁師町(現在の東品川1丁目付近。天王洲アイルの西のほう)で,夫婦が家の中で惨殺されるという事件が起こりました。犯人は妻の元夫。痴情のもつれということですが,いつコピーしてきたのかわからない新聞スクラップでたまたま見つけただけで続報を見ていないので,詳細も犯人が捕まったかどうかもわかりません。

ちなみに,台風のさなかの殺人事件といえば,キティ台風の際の事件があります。台風の暴風雨の中,若い女性が絞殺される | 能天気Express Hyper をご覧ください。

そういえば,内田康夫センセの『平家伝説殺人事件』のおおもとは伊勢湾台風の中で起こった居直り強盗事件ですね。

佐竹の台風7号キック

1998年9月22日,御坊付近に上陸した台風7号が近畿地方を通過していたころ,人通りもまばらな大阪・北区の天満商店街で,ひとりのK-1戦士がずぶ濡れになりながらキックの練習を繰り返していたそうです。

「台風の中心に立って天を見上げていたら,ひらめいた。軸を中心にした回転力のこの左ハイキック。風圧で相手をブチ飛ばしますワ」と語っていたと,東スポにあります。

この佐竹雅昭が27日の大阪ドームでのフェイトーザとの試合でこのとき編み出した台風7号キックを繰り出したかどうかは,寡聞にして知りません。

“破鏡の女”の巻き添え

1954年9月13日16時50分ごろ,日本橋白木屋デパート屋上西南隅の鉄柵を破って若い女“広瀬澄子さん”(27)が飛び降り,宝くじ売りの“お婆さん”(53)の上に落ち,2人とも死亡――という事件が起こりました。(加害者のさんづけも,53歳の“お婆さん”も,当時の新聞の記事のまま)

“澄子さん”は“広瀬充さん”(31)と結婚して子どもを産んだが,夫に女ができて別居,府中の愛子ちゃん殺しの記事を見てここ2,3日沈んでいたという話です。

ここで,“府中の愛子ちゃん殺し”というのは,この年の9月1日,府中市東町の東京工大助手Mさん(33)宅で妻淑子さん(25)が長女愛子ちゃん(生後3か月)を寝かしつけて買い物に出ていたすきに愛子ちゃんの姿が見えなくなり,愛子ちゃんは7日朝9時半ごろ,近くの府中用水路で腐乱死体となって発見された――という事件です。

当初から母親の淑子がなんとなく怪しいと思われていたようですが,10日,容疑否認のまま逮捕,12日になって「用水に投げ込んで殺した」と全面自供しました。

白木屋の飛び降り巻き添えはともかく,“府中の愛子ちゃん殺し”事件は新聞にもデカデカと載っており,“昭和の事件簿”のようなサイトに載っているかと思ったらほとんど載っていないようです。ひょっとして当時としてはよくある事件のひとつだったのかも知れません。

手が抜けなかったり,“流す”ものが“流され”たり

2009年8月20日付下野新聞より:

便器から手が抜けず電車停車 JR矢板駅
 19日午後8時40分ごろ、JR宇都宮線黒磯行き下り普通電車内で「車内のトイレの便器に携帯電話を落とした男性(57)が、取り出そうと手を入れたところ、抜けなくなった」と、JRから119番があった。電車は矢板駅で一時停車。男性は約15分後にレスキュー隊に救出された。

 塩谷地区消防本部によると、男性は和式トイレにかがんだまま、便器の奥まで手を入れていたという。便器を取り外すなどして救助した。乗客約150人は、後続の電車に乗り換えた。

ヲイヲイ,おっさんよ,んなもの拾い上げたってどうせ使いモノにならないだろうに。メ~ワクな話です,まったく。

気分を変えるつもりで(?),翌日8月21日付の同紙:

「流す」ものが「流された」 大雨で仮設トイレ流出 花火翌日、小山の思川
 小山市は20日、9日に開いた「おやまサマーフェスティバル」花火大会に伴い思川河川敷に設置した仮設トイレ56基すべてが、翌10日午前中に思川の急激な増水で流出したと市議会に報告した。19日までに36基を発見、うち10基を回収したが、20基ほどが見つかっていないという。

 トイレはレンタルで、10日午前中にくみ取り作業を行い、同日午後撤去する予定だった。しかし台風9号の接近で県北を中心に激しい雨に見舞われ、思川も朝から急激に水位が上昇。作業車が河川敷に入れず、56基すべてが流されてしまった。

 市は、思川を管理する県、利根川上流河川事務所、同下流河川事務所や関係漁協を訪れて報告。関係機関の協力も得て、これまでに36基と部品10個ほどを発見した。このうち21基は茨城県取手市以南の下流域で見つかったという。20日から専門業者による船からの回収作業を下流域で始めており、新たな発見にも期待している。

 市は「58回の歴史の中で初めて。今後必要に応じて夜中でも撤去できるような態勢を整えたい」と言う。環境への影響は「水量が多かったため、ほとんどないのではないか」としている。

 市によると、同様のトイレは新品で約40万円ほど。トイレや回収費用の弁償・補償はレンタル業者の試算を受けた上で協議する。

2日連続で臭そうなネタを扱うとは,この新聞はこういう話が好きなのでしょうか?!

6月6日にUFOが

今日はUFOがあっちいってこっちいって落っこちた日です。

ドラえもんえかきうた↓

まるかいて ちょん まるかいて ちょん
お豆に根が出て うえ木ばち うえ木ばち
6月6日に UFOが あっちいって こっちいって おっこちて
お池が2つできました
…………

ドラえもん」も放送が終了して5年以上になりますね……。

ところで,“まるかいて ちょん”って,どこぞの半島に住んでいる方々がニダニダと,文句をいわなかったんですかねえ……?

100年前の今日の東京は大雷雨だった

今日04時45分発表の大雨と雷及び突風に関する関東甲信地方気象情報:

大雨と雷及び突風に関する関東甲信地方気象情報 第2号
平成22年5月26日04時45分 気象庁予報部発表
(見出し)
関東甲信地方では、26日昼過ぎから夜遅くにかけて、関東地方南部の平野
部を含む広い範囲で雷雲が発達し、雷を伴った1時間に50ミリ前後の非常
に激しい雨の降る所がある見込みです。低地の浸水、河川の急な増水に警戒
し、落雷、竜巻などの激しい突風、降ひょうに注意して下さい。
(本文)
 26日は、関東甲信地方の上空およそ5500メートルに氷点下15度以
下の寒気が流れ込み、大気の状態が不安定となる見込みです。
 このため関東甲信地方では、26日昼過ぎから夜遅くにかけて、関東地方
南部の平野部を含む広い範囲で雷雲が発達し、1時間に50ミリ前後の非常
に激しい雨の降る所がある見込みです。27日6時までの24時間の雨量は
多い所で120ミリに達するでしょう。
 低地の浸水、河川の急な増水に警戒して下さい。落雷や竜巻などの激しい
突風のおそれがありますので、屋外活動などには注意して下さい。また、降
ひょうのおそれもありますので、農作物の管理などにも注意して下さい。
 今後、地元気象台の発表する警報、注意報、気象情報に留意して下さい。
 この情報は、「雷と突風及び降ひょうに関する関東甲信地方気象情報」を
引き継ぐものです。
 次の「大雨と雷及び突風に関する関東甲信地方気象情報」は、26日17
時頃に発表する予定です。

さて,ちょうど100年前の今日1910年5月26日,東京地方は「稀有の大雷雨」に襲われました。

稀有の大雷雨
全市民を戰慄せしむ

二十六日は日本晴れの好天氣なりしに午後三時過ぎ北西方の空に現はれたる雲次第に押廣がり五時頃には一天墨を流したる如く掻き曇り暗澹たる光景を呈し遠雷の音囂々たり此時恰も變電所の故障にて市内の電燈一時に消滅し約十分間眞暗闇となり之と同時に疾風颯と吹き來たり車軸を流す如き大雨沛然として降り電光閃々として雷の音次第に近く聞こえ始めたれば市民はいずれも青くなつて騷ぎ出し電燈の消えしと大雷雨と何か關係ありて天變地異の起る前兆にあらずやと疑ひ戰々兢々たり電燈は暫らくにして點きしに雷風益々烈しく天地も裂ける計りの雷鳴,瓦も破れるかと思はるゝ大粒の雨,窓を透してキラキラと輝く稲妻の光,刻一刻と猛烈の度を加へ軈て蠶豆大の雹さへ雨に交じりて軒を叩きたり約一時間半の後七時二十一分漸く雷雨は東南の方角に去り行しが一時は餘りの物淒き光景に東京中の人をして戰慄せしめたり(國民新聞

天変地異云々とあるのはおそらくハレー彗星大接近の直後だったからで,同じ紙面にこの雷雨が去ったあとハレー彗星がよく見えたことが書かれています。

気象要覧にはこの日東京市内数か所に落雷し,「震死者一名」とあります。

ちなみに,この「全市民を戰慄せしめ」た「稀有の大雷雨」(当時の新聞は表現が大げさです)の2日前の24日から関東,甲信,北陸地方を中心に激しい雷雨が発生しており,おそらく寒冷渦がゆっくりと南下してきたものと思われます。

地下鉄サリン事件15分前

実際にはすでに発生していたかも知れませんが,速報が伝えられる直前,私が乗っていた東京行き中央線快速電車の車内で,気分が悪くなった客が現われ,救護のためダイヤが遅れました。

車内ではもちろん,そんなヤツはほっとけ~とか,気分が悪いなら電車に乗るんじゃねえ(*`Д´)ノゴルァ……の声が上がったことはいうまでもありません。

地下鉄サリン事件のラジオでの第1報は「地下鉄丸ノ内線と日比谷線の車内で気分が悪くなった乗客が出たため,運転を見合わせている」というようなものでした。

中央線の車内での“事件”の直後であったため,今日は気分が悪くなる人間が多いな,日曜と祝日にはさまれた月曜日だし,誰も仕事になんて行きたくないんだろう……程度にしか思っていませんでした。

地下鉄での“事件”が未曾有の大事件であるらしいことがわかるのは,もう少しあとです。

防災とボランティア週間のナゾ

今日01/15から01/21は防災とボランティア週間,そして01/17は防災とボランティアの日です。

01/17が防災とボランティアの日ならこの日を真ん中に据える形で防災とボランティア週間を01/14~01/20としたほうがおさまりがいいと思うんですが,どうして01/15~01/21なんでしょう?

おそらく,以前は01/15が成人の日だったことと関係があるのかもしれませんけど,別に休日からはじめる必要はないわけで,なんかよくわかりません。

22年前の今日

22年前の今日,這ってでも出てこなかった瀬古,エラそうにしゃべってんじゃねえ!!

詳しくは,「這ってでも出てこい」 | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。

同じく22年前の今日行なわれた今では伝説となっている“雪の早明戦”については伝説の雪の早明戦 | 能天気Express~新世界版~をどうぞ。

渋谷駅であわや決闘(1961年)

第2室戸台風の新聞記事の片隅にありました。

1961年9月15日15時半ごろ,渋谷の玉電ホームの脇で,国士舘高(通称“シカン”)の生徒10人と高千穂高校7人が決闘寸前のところ,通報によってかけつけた渋谷署員によって補導されました。

どうせなら,やるところまでやらせてからとっ捕まえればいいのにねえ……(笑)

キッカケは高千穂高の生徒1人がシカンの生徒6人にインネンをつけられて殴られたことのようです。

シカンはなるほどもっともという感じで,ちょっと前まではチョン高としょっちゅういざこざを起こしていました。最近はあまり聞きませんが,実際はどうなんでしょう。一方の高千穂高は現在は存在しないようです。

この新聞の同じ面には他にも「浅草でケンカ三人ケガ」「ヤクザのケンカ,刺されて死ぬ」という記事もあります。このころはケンカが多かったんでしょうかねえ。そのほか「目蒲線踏切で自殺」というグモ記事も。