後の月

今日は旧暦の九月十三日,ということは今宵は十三夜です。

樋口一葉の『十三夜』に

今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたれど、亥之助も何か極りを惡るがつて其樣な物はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、・・・

とあるように,明治の中ごろには少なくとも東京ではすでに“舊弊”となっていたようです。

ところで,伊藤左千夫の『野菊の墓』は次の書き出しではじまっています。

 後《のち》の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣《わけ》とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年|余《よ》も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧《むし》ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪《むさぼ》って居る事が多い。そんな訣から一寸《ちょっと》物に書いて置こうかという気になったのである。

冒頭の“後の月”というのは十三夜のことです。

野菊の墓』は読んだことはありません。しかし日下圭介『『野菊の墓』殺人事件』は読んだことがあります。σ(^^)的にツボにはまった作品でした。

※引用には青空文庫 Aozora Bunkoを利用させていただきました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

1964年10月10日の雷雨

1964年10月10日,東京五輪開会式が行なわれました。

開会式が10月10日に決まった経緯については,この日が晴れの特異日だったからとする俗説がいまだに語られることがありますが,それがデタラメだという件については10月10日は晴れの特異日ではなかった | Notenki Express 2014をご覧下さい。

簡単にいうと,10月10日を開会式とする案はもともとは存在しなかった,それどころか10月開催という案すらはじめは存在しなかった――ということです。

さて,その1964年10月10日,北出清五郎アナウンサーの「世界中の青空を集めてきました」というようなアナウンスのとおり,国立競技場の上空には抜けるような青空が広がりました。気象庁の公式記録である「気象要覧」にも次のように記述されています。

特に10日のオリンピック開会式当日は,前日までぐずついていた天気も一挙に快晴に逆転し,奇跡的ともいわれるほどの最上の五輪日和になった。

ところがこの日,ちょうど日本選手団の入場行進が行なわれていたころ,世田谷の一部で落雷があったという記録があります。

その記録自体は手元にないのですが,

昭和39年10月10日,世田谷地方は一瞬,集中的な雷雨に見舞われ,お宅の前のトランスに落雷,付近一帯は午後2時30分から3時まで停電。当時の東京電力の記録です。

と橘警部が読み上げています。

えっ,橘警部? 橘警部って……???

はい,そうです。これはフィクションであり,実在の人物・事件等とは何の関係もありません。1985年10月10日に放送された「特捜最前線スペシャル 疑惑のXデー・爆破予告1010!」に出てくる話です。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

近時本邦に襲来したる颶颱中最も顕著なるものの一

1899年10月7日,「近時本邦ニ襲来シタル颶颱中最モ顕著ナルモノゝ一」つが潮岬の南方から接近,14時ごろ沼津付近,15時20分ごろ東京付近を通り,夕方には太平洋に去っていきました。

東京では15時に気圧722.8mmHg≒963.7hPaを観測,この気圧は現在でも東京の日最低海面気圧の第3位にランクされています。なお,「中央気象台年報」によると15時20分に最低気圧722.6mmHgが観測されているんですが,こちらが採用されていない理由は不明です。

この最低気圧を観測した前後にそれまでの15m/s内外の風がウソのように静まりました。しかし2,3分で再び急に強くなり,15時55分に最大瞬間風速39m/sを観測しました。

この台風により,東京市(当時)では不明1,負傷5,家屋全壊92,同半壊22,同破損2306,同浸水18998などの被害が出ています。

東京以外では,利根川の権現堂堤の決壊,駿河湾相模湾の高潮による被害などもあったようです。静岡・田子浦村では“海嘯”により100人あまりが死亡したと当時の新聞にあります。

この台風で最も有名なのは,箒川鉄橋列車転落事故でしょう。Wikipediaによると次のような事故のようです。

当時日本鉄道の路線だった東北本線矢板~野崎間で発生した明治時代最大の鉄道事故である。当日、折からの台風接近による強い風雨をついて、上野発福島行きの貨車客車混合第375列車(機関車2両+貨車11両+客車7両)は矢板駅を約1時間遅れで17時頃発車した。箒川鉄橋を通過中突風にあおられ、この瞬間貨車最後尾の緩急車の連結が外れて緩急車とその後ろの客車7両が鉄橋上で転覆、そのまま箒川へ転落した。増水した川の濁流で貨車・客車は砕かれ、一部の遺体は下流の茨城県まで流されたという。死者19名、負傷者38名。
対策として、大雨・強風時などに運転抑制を行うことが検討されたが、運転抑制するべきか判定が難しく具体化までまだ時間を要した。
現在、鉄橋の両詰には事故を悼んだ慰霊碑が残されている。

この事故の発生時刻についてはWikipediaだけではなく何を見ても書かれていないのですが,誰も調べていないのでしょうか? それともそもそも不明なのでしょうか?

ちなみに箒川鉄橋では,1950年1月10日にも強風によるとみられる列車転落事故が起こっています。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

「えり子と共に」放送開始

1949年10月5日21時,NHKラジオで連続放送劇「えり子と共に」の放送がはじまりました(ちなみに,原作のタイトルは「えり子とともに」)。

放送時間ははじめは毎週水曜日の21時からでしたが,途中で21時15分に変わり,最後は木曜日の20時30分に移動して,1952年4月10日から女湯が空になったという都市伝説をもつ「君の名は」に続きます。

「えり子と共に」は歴史で学んだだけで,どのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。聞くところによると,「君の名は」のような波瀾万丈の物語ではなく,新しい時代を生きる女性を描いたドラマだったようです。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,たしか結婚するところで終わっていました。のちに映画にもなったようですが,ラジオドラマとはちょっとストーリーが違うようです。

「えり子と共に」自体はほとんど忘れ去られているドラマですが,今でも歌い続けられている挿入歌があります。「雪の降る街を」です。

1951年12月26日放送の第114回のリハーサル後に,どうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです(作詞:内村直也=原作者,作曲:中田喜直)。

えり子さんが勤めている会社で本社と工場の対立があり,その宥和を図ろうと,会社の正月の演芸大会に本社と工場の混成メンバーで劇をやる運びになります。劇のタイトルは「花咲く丘」。その劇に登場する歌が「雪の降る街を」で,練習中の場面で花売り娘役の女性社員が歌うのが最初です。そしてこの回の最後に全員の合唱が流れ(このあたりで時間調整をしたのでしょう),えり子さんの年末のあいさつになります。

来年はどういう年になるでしょうか,みなさまの処へも,幸福のビニールが訪れますことをお祈りして……

というわけで,えり子さんがスキーに行ったり,雪国を訪ねたりする場面で流れたわけではなく,特定のモデルもないそうです。

ちなみに,「えり子と共に」の放送期間中,えり子さん役の阿里道子さんと音楽担当の芥川也寸志氏の間のスキャンダルが発覚(これが原因かどうかは知りませんが,途中から音楽担当が中田喜直氏に変更になりました),また阿里道子さんがストーカー被害にあったりしたこともありました。

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

ハチ公が大ブレーク

1932年10月4日付の東京朝日新聞朝刊に「いとしや老犬物語」というタイトルの記事が載りました。

いとしや老犬物語
今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間

東横電車の澁谷驛,朝夕眞つ黒な乘降客の間に混つて人待ち顏の老犬がある,秋田雜種の當年とつて十一歳の――ハチ公は犬としては高齡だが,大正十五年の三月に大切な育ての親だつた駒場農大の故上野教授に逝かれてから,ありし日のならはしを續けて雨の日雪の日七年間をほとんど一日も欠かさず今はかすむ老いの目をみはつて歸らぬ主人をこの驛で待ちつづけてゐるのだ,・・・・
(※上野教授が亡くなったのは正しくは1925年5月21日です)

定説では,「日本犬保存会の斉藤弘吉が、渋谷駅で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチのことを東京朝日新聞に寄稿した。これが「いとしや老犬物語」として新聞に載り……」(Wikipedia)ということになっています。

ところが,そうだとするとおかしな点があります。上の記事を見てください。「秋田雑種」とあります。この時点ではハチ公は雑種と認識されていたのです。「日本犬保存会」の斉藤弘吉なる人物はハチ公を純粋な秋田犬だと思っていた人物だそうですから,その人の投稿なら,あるいは息のかかった記事ならば,「秋田雑種」などという語句はあり得ないはずです。まあ,ふつうに考えれば,ハチ公が秋田犬ではなかったひとつの根拠でしょう。

ハチ公が純粋な秋田犬であると紹介しているブログやホームページでは,あとで訂正記事が載ったとか,斉藤弘吉なる人物の反論が載ったとか書いてあったりしますが,何日付の何新聞とソースをきちんと書いてあるものを見たことがありません。そんな記事ホントにあったのでしょうか。(訂正記事ではなくたんに秋田犬とか秋田種とか書いてある記事ならば複数存在するのは知っています)
それに,そもそも昭和1ケタの時代に“純粋な秋田犬”なるもの存在したのでしょうか?
この記事については,渋谷駅前の焼き鳥屋の常連客だった連合通信社会部の細井芳蔵記者が書いたとする説もあります。こちらのほうが筋が通っています。

いずれにしても,この記事のおかげでハチ公はブレーク,渋谷駅には「ハチ公音頭」が流れ,駅前ではハチ公まんじゅうにハチ公せんべいが売り出され,ハチ公そばの店までできました。今の渋谷からは想像できません。当時の渋谷が田舎だったということでしょう。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

台風3つ

平成20年 台風第17号に関する情報
平成20年9月30日10時30分 気象庁予報部発表
(見出し)
 台風第17号が発生しました。
(本文)
 30日9時、フィリピンの東の
北緯11度00分、東経127度05分において、
熱帯低気圧が台風第17号になりました。
台風は1時間におよそ35キロの速さで北西へ進んでいます。
中心の気圧は1000ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は18メートル、
最大瞬間風速は25メートルで
中心から半径170キロ以内では
風速15メートル以上の強い風が吹いています。
 台風の中心は、24時間後の1日9時には
フィリピンの
北緯13度25分、東経124度05分を中心とする
半径130キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は994ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は20メートル、
最大瞬間風速は30メートルが予想されます。
 48時間後の2日9時には
ルソン島の
北緯15度30分、東経121度00分を中心とする
半径200キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は990ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は23メートル、
最大瞬間風速は35メートルが予想されます。
 72時間後の3日9時には
南シナ海の
北緯18度10分、東経118度20分を中心とする
半径300キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は980ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は30メートル、
最大瞬間風速は40メートルが予想されます。
予報円の中心から半径370キロ以内では
風速25メートル以上の暴風域に入るおそれがあります。
 なお、台風の中心が予報円に入る確率は70%です。
この方面の船舶は十分警戒してください。
なお、台風に関する位置等の情報は、海上警報等により発表します。

というわけで,台風17号が発生して台風が3つになりました。

とはいっても,台風が3つというのはとくに珍しくはありません。去年のことはおぼえていませんが,2004~2006年には起こっています。

4つになるとさすがに少なくなり,1951年以降では4回しかないと思います。

5つあらわれたのは1960年8月の五輪台風の1回だけです。

このときの参加メンバーは14号から18号まででした。有名なお天気キャスターM氏の本に7号,14号,15号,16号,18号と書いてあったりするのですが,もちろん間違いです。番号の不自然さに気づかないのでしょうかねえ……。

ついでに,五輪台風の説明に1960年8月23日09時の天気図を使った放送局があったようですが,最後のメンバー18号が台風に昇格したのは23日の15時なので,09時の時点では五輪台風は勢ぞろいしていません。

五輪台風については能天気Express~新世界版~ 四面台風もご覧下さい。

なお,1950年8月に“熱帯性低気圧”が同時に6つあらわれたことがあります。しかし,今の基準でそのうちいくつが台風なのかはわかりません。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

台風22号が薩摩半島に上陸

1955年9月29日22時ごろ,台風22号が薩摩半島に上陸しました。九州を縦断して日本海に抜け,北海道に再上陸する前後に温帯低気圧に変わりました。

この台風は,どちらかというと日本海を通過中の10月1日に発生した新潟大火で知られていますが,上陸時の中心気圧が940mbと勢力が非常に強かったため,九州から中国・四国地方にかけて暴風と高潮による被害も大きく,それに加えて竜巻が発生したこともあり,死者・不明68人,重軽傷314人など,あまり知られていない台風にしては大きな被害が出ています。

当時,柳井市南浜(ただし現在の地名。当時の地名は知らん(^^;))にあった柳井オートは,高潮による浸水を受け,さらに堤防の決壊も加わり,敷地全体が水没した上にスタンドなどの建物も全半壊しました。

翌年1月にはなんとか開催にこぎつけましたが,折からの経営不振もあり,1957年に山陽オートに移転という形で事実上廃止されました。

競馬に限らず,競輪にしても競艇にしてもオートにしても,一定水準以上のコースを維持しなければならない上に広大な敷地を抱えているわけで,しかもすぐそばに川や海があったりすることも多く,台風などの自然災害には弱いといえるでしょう。

最近では,レース場の数も減ったせいか,台風による大きな被害は聞きませんが,2004年,台風16号による高潮で高松競輪場のバンクの内側が水没しました。しかし,10月の共同通信社杯競輪(G2)は予定どおり行なわれました。ちなみに,高松競輪と観音寺競輪で2005年1月に「台風災害復興支援競輪」を開催したことは,いつかの日記で書いたような気がします(誰も読んでないでしょうけれど(笑))。

復興支援レースで大暴動が発生したこともありました。詳しくはジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014をご覧下さい。

2002年には台風6号によって次のようなこともありました。

競争《ママ》馬のひざ付近まで水位

 足利市五十部町の渡良瀬川河川敷にある足利競馬場では、11日午前2時過ぎから放水路の水位が上昇、競馬場東側の厩(きゅう)舎兼住宅11棟が床上浸水した。午前4時ごろには2家族が孤立、市消防がボートで救出した。けが人はなかった。
 厩舎では馬400頭が飼育され、一時は水が馬のひざ付近まで上がってきたという。馬はぬれたエサを食べないため、厩務員は乾いた地面を探して、ぬれた干し草を干し直したり、厩舎にたまった水をくみ出すなどの復旧作業に追われた。
 ある厩務員は「馬が無事だから良かったが、脚に傷があるまま水につかると、そこから菌が入るのではないかと心配だ。しばらく気を抜けない」と疲れた表情で話した。[2002年7月12日19時3分更新]毎日新聞

いまはなき,足利競馬場……。

にほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

台風が浜松付近に上陸

1900年9月28日06時30分ごろ,台風が浜松付近に上陸しました。

浜松で06時30分に観測した718.5mmHgは,当時としては記録的に低い気圧だったようです。

その割には,出漁中の沼津の漁師約200名が行方不明になった他はとくに大きな被害はありませんでした。

新聞によると,28日08時ごろ,上野公園内の博物館前の通りにある椋の木の大樹が吹き倒され,荷車を引いていた若者がその下敷きになって圧死,かなり悲惨な状況で身元がわからなかったということです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

台風15号,御前崎付近に上陸

1956年9月27日12時ごろ,台風15号が静岡県御前崎付近に上陸しました。その後13時伊豆半島,14時神奈川県厚木付近,15時千葉県柏付近を通過,16時銚子北方から鹿島灘に去りました。

高知・和歌山などに大雨を降らせたほかは,被害は多くはなかったのですが,9月27日07時20分ごろ,関西線の下り亀山発湊町行きの旅客列車が三重県鈴鹿郡関町付近を進行中,土砂崩れに巻き込まれて1両が10メートル下の加太川に転落,18人の死者を出しました。

なお,14時すぎ,台風の眼が東京を通過しました。ダイナ台風以来4年ぶりのことです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

アッソ~のウッソ~

アソウとかいうのが総理大臣になったらしいですね。

誰がなろうとどうでもいいのですが,この人,就任したとたんに平気でウソついてます。麻生内閣総理大臣記者会見より一部引用します。

 今年はまだ台風が一度も上陸していない。気が付いておられる方もいらっしゃるかと思いますが、台風はまだ一度も本土に上陸しておりません。こんなことは過去に例がない。4年前は9回上陸、平均3回という日本において、ゼロもしくは9回は何となく異常だなと感じていらっしゃる方も多いと思いますが、これは日本一国でやれる話ではありません。明らかに何となく我々の周りに大きな変化が起きていると感じなければおかしいところなんですが、そういった問題につきまして、この環境問題というのは、日本はサミットをやった経緯などなどを考えて、世界をリードして行けるだけの技術もあるし、そういったものもし得る立場にあるんだと思って頑張っていただければと思っております。

コイツがバカなのか,ロクでもないブレーンしかいないのか,その両方なのか,たんに国民をバカにしているのかはわかりませんが,太字にした部分「台風はまだ一度も本土に上陸しておりません。こんなことは過去に例がない」は真っ赤なウソです。

台風が上陸しなかった年は1984,1986,2000年の3回あります。9月まで上陸がない年を加えれば4回となります。

そればかりか,4年前の上陸数は9個ではなくて10個です。

まあ,しょせん次の選挙までの総理大臣でしょうから,こんなのでも務まるのでしょう。

ちなみに,アソウという名前から紀子ちゃん危機一髪というゲームを思い出すのは,σ(^^;)くらいでしょうねえ……(爆)

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ